えいえん分の毒を飲み干す



 空から地獄が落ちてきて、大地は荒れた。あの子と過ごした自然豊かなその場所も、あの子と同じ人間の手によって荒らされた。
 馬鹿げていると思った。
 捕食される動物でしか無い者達が、互いを傷付けあい、命を奪っていく。あのまま眠りについた方が幸せだったのかもしれないと、この時ばかりは思った。
 あの日からもう既に百年以上もの月日が経っていた。



 此処は初めの時とは随分と様変わりした。青々とした自然が広がる景色から、地獄絵図のような大地へと姿を変え、そこから更に今では跡形もなく整備され、跡地として少しだけ残っている程度。
 それは此処だけではなく、何処も彼処も、あの時の面影はほぼ残されていない。それでも僕はこの地から離れられなくなっていた。
 地面を歩けば、そこは土ではなく塗装されたコンクリート。一度焼け死んだ大地には再び緑が植えられた。あの子と過ごしたあの茅葺き屋根の家は全て燃え、今では色鮮やかな家々が並び、日が沈んでも外は明るく、見上げてもあの頃より星空は見えない。
 こんなに時代は移り変わっているのにあの子はまだ僕の元にやって来なかった。

「雲雀さん!」

 黒の学生服を着て、風紀と記された紋章を付けた一人の男が呼んだ。

「新入生がやってくるかと」

「わかっているよ」

 男から紙を受け取って、校門が見える位置まで移動する。
 あの子に固執してこの地に留まり、移り変わっていく様をずっと見てきた。そして時代が変わっていくように、僕達も変化していった。
 一番の大きな変化は陽の光に浴びても生き永らえるようになったことだろう。初めて陽の下を歩いた時、あの子が隣にいてくれたらどんなに幸せだろうと思った。同時に、もうあの子は僕の元にはやって来ないのもしれないとも思った。
 入学式の時間が迫ると、ぞろぞろと親子がやってきた。つい先日まで小学生だった幼い子供は、まだ制服に着られていて、正直不格好と言ってもいいくらいだ。
 それは偶然か、はたまた必然だったのか。桜が舞う校門付近、その人混みの中で見つけてしまったのだ、あの子に良く似た子を。
 男から受け取った新入生一覧の紙を注視する。けれど、あの子の名前はない。そんな筈は無いと、再びあの子に良く似た新入生に視線を向けるが、既に移動してしまったらしくそれらしき人物は見えない。

「草壁」

「はい」

「今すぐこれの写真付きを持ってこい」

 右手に握られた紙を揺らすと、彼は静かに部屋から退出した。



 草壁と呼んだ男から受け取った紙を手に取って、入学式が行われている体育館へと足早に向かう。
 やはり紙にはあの子の名前は無かったけれど、印刷された写真に映るその顔は僕の見間違えなんかでは無くて、そっくりそのままあの子の姿をしていた。
 今日は絶好の入学式日和である。雲一つない晴天に恵まれ、穏やかで暖かい空気が流れ、桜の花びらと共に優しく吹いた光風が頬を撫ぜる。あの時はこんな日に陽の下を歩くことなんて出来なかったけれど、今ではそれも出来る。あの子の隣で。

「以上で入学式を終了致します」

 スピーカー越しに聞こえたその言葉の後に、担任の先生であろう大人に引き連れられ、二列に並んだ新入生達が体育館からぞろぞろと退出してくる。
 緊張のせいかどの生徒も強ばった表情をしていて、通路の近くに立っていた僕に気付くと、皆頭を下げてから前を通っていった。
 確かあの子は二組だった筈だと、ここ暫く感じなかった高揚感が自分の体の中を満たしていく。
 あの時から姿形が変わっていない僕を見たら驚くだろうか。少しは喜んでくれるだろうか。はたまた遅くなったと申し訳なさそうな顔をするだろうか。あの時から既に二百年以上もの月日が流れ、つい先程まであの子に対して怒りや悲しみや諦めなどの沢山の感情が渦巻いていたというのに、一目見てしまえば早く会いたくて仕方が無かった。「待ちくたびれたよ」と一言だけ素直ではない憎まれ口のようなものを口にするのが精一杯であろう。それ程までに僕はあの子に焦がれていた。
 一組の生徒が通り過ぎ去り、二組の担任であろう先生が入口から姿を見せる。まだ若いその大人は僕の顔を見るなり少しだけ怯えた表情を見せて、仰々しくお辞儀する。そんなことよりも僕は早くあの子に会いたくて、大人を一瞥してから視線を奥へと向ければ、他の新入生と同じように少しだけそわそわとした落ち着きの無い様子で前の子供に習って歩き続けるあの子を見つけた。足が動きそうになったが、あの子の視線が段々と僕に向いているのが分かったので何とか堪える。
 さて、あの子はどういう反応をするのか。
 一秒一秒が長く感じた。

「っ……」

 思わず声が漏れた。
 あの子は僕と視線が絡んだ後、他の子供と同じように会釈をしてそのまま目の前を通り過ぎていった。
 名前が違った時点で考えていなかった訳では無い。それでも、あの子は必ず僕の前に再び現れてくれると信じていた。いや、信じたかった。

 姿形はあの子であれど、中身はあの子でないことをこの時悟った。


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