不定の春をいくつも並べて
凍てつくような冷たい空気は少しずつ和らいで、巻き上がるような強い風が吹き始めると、そろそろ春が訪れるのだな、と思うものだ。
桜の花は好きな方だ。人間は花を愛でることが好きなようで、毎年この時期には桜を見上げて歌を詠むことも多かったが、最近は花見酒が主流らしい。桜の花を見ることも、酒を飲むのも嫌いではないが、誰かと共に騒ぐことはとりわけ嫌いであった僕には理解し難いことであった。
「それで今日は少し遅かったの」
元々あの子の家に向かう時は、殆ど道無き道を進んでいた。陽の光に当たることが出来ないことも含まれているが、あの子以外の人間は嫌いだからだ。
しかしこの時期になれば桜のある場所であれば、近くには人間がいる。避けるようにして向かっていると、普段よりも時間を取られてしまったことを素直に伝えれば、あの子は面白そうにからからと笑った。
「暫くは続くだろうねえ」
「鬱陶しい」
「そう言わないの」
言ってから、あの子は庭に生えている大きな桜の木を見上げた。
「美しいものを見ると、心は穏やかになるものだね」
僕は君の隣にいるだけで心が穏やかになる。
それを本人に伝えたことは一度もないけれど、あとから思えば一度くらい伝えておいても良かったかもしれないとは思う。
優しく風が吹けば、花弁は舞うように散っていき、あの子の髪が揺れた。
その姿がどうしても焼き付いて、ずっとずっと頭から離れない。
◇
みょうじと出会ってもうすぐ一年が経つ。再び目の前に現れるまでの間が長すぎたお陰か、一年という月日はあっという間に感じられた。
「雲雀先輩は結局のところ二年生だったんですか?」
三階の廊下から校門を見下ろすように窓際に寄るみょうじを見つけ、隣に立てば、彼女は挨拶をしてから視線を外に向けたまま呟いた。
「僕はいつだって好きな学年だよ」
「じゃあ、いつ卒業するんですか?」
「さあね」
彼女も最近は臆することなく話してくるようになったと思う。当たり前だが、いくら中身があの子でなくても僕の中で彼女は特別だ。過去の記憶が無かったとしても、それ以外はあの子の生まれ変わりには違いない。
それを何となく彼女も気付いているのだろう。僕の、周りと自分に対しての違いに。分かっているからこそ、彼女から距離を縮めてきたのだと思う。
「早く卒業して欲しいかい?」
試すように問いかければ、みょうじは外に向けていた視線を僕に移した。本当にあの子に似ているな、と、もう何度目か分からない心の呟きに、思わず失笑したくなったが、目の前の彼女は少しだけ寂しそうな表情をして呟いた。
「そんなこと……思うわけないですよ」
本当は何を思っているのだろう。みょうじへの態度に内心おかしいと思っているだろうか。それとも、彼女にあの子を重ねてしまっていることを何となく気付いてしまっているだろうか。本当は、離れたいと思っているだろうか。
考えても答えが出てくることはないけれど、これだけは一つ言える。
いつ卒業しようと、僕とみょうじが離れることなんてもう叶わないことだ。
過去の記憶が無くとも、あの約束を知らなくとも、僕はあの子と約束したんだ。十八になったら血を貰うと。
理由はそれだけじゃないけれど、もう一つの理由にはまだ蓋をしていたい。もう分かっているけれど、何となくまだ目を背けていたいんだ。
まだ手を伸ばすことはしない。けれど“もしも”のために、いつだって手の届く範囲に。