荊の魔女

 街の真実


 ベルと別れて街に残った二人の聖職者は、建物の陰でそのときを待った。

『――――街の真実は、朝陽が教えてくれます』

 別れ際、ベルに言われた言葉が本当なら、もう数刻ほどで答えが明るみに出るはずだ。

「本当に、夜が明けるだけでわかるのでしょうか……」
「ふん。あの大ババアのすることだ、なにがあっても可笑しくないだろう。それよりも、この街で起きたことは本当に全て真実なのか? あんな、幼い子供まで……」

 怪訝そうなユベールを横目に、ラウルが忌々しげに吐き捨てる。
 ベルが二人に語ったこの街の歴史は、それは陰惨極まりないものだった。領主の浮気に端を発し、夫人の狂気が一家を覆い、娘たちが本性を露わにして行く過程を。その犠牲に何の罪もない民が罪人として捕えられ、処刑されていく日々を。なにも知らない幼子さえ毒牙にかけ、親の手で殺すよう命じてはそれを見世物のように面白がった事実を。
 ベルは全てその目で見てきたかのように、訥々と語り聞かせた。
 資料館で見た絵や文が真実であったことを突きつけられ、二人は縁もゆかりもない街のことながらも胸が痛む想いであった。

「事実、でしょうね……彼に嘘を言う理由がありませんし、仮に嘘を盛り付けるのならばこの街のことはもっと外に知られているはずです。凄惨な物語は、聞かせる相手があって初めて意味を成すものですから」

 嘘は聞き手がいて、初めて嘘としての存在意義を持つ。虚空に向かって過剰に装飾した嘘を語ったところで、何の意味もない。ベルが語った内容は信じ難いものではあったが、それを裏付けるものを既に見ている二人は、全てを信じるしかなかった。

「領地の片隅でこんなことが起きてたなんてな……王子になんて報告すりゃいいんだ」
「ありのままを言うしかないでしょうね。或いは……」

 言いかけて、ユベールは「いえ」と言葉を濁す。代わりとばかりに、空を差した。

「間もなくですよ」

 ユベールの言葉とほぼ同時に、東の空に白い光が走る。
 瞬間、賑やかだった街が明かりを消したかのようにぶつりと静まり返った。

「な……!?」

 ラウルが驚愕に目を見開き、路地裏から表通りへと駆け出していく。それにユベールも続き、ほんの数秒前まで人で溢れ返っていた広場で二人、立ち尽くした。

「これが……街の真実ですか……」

 二人の目に映る街は、一言でいうなら廃墟だった。
 焼けた家々に、炭クズと化した街路樹。人影は二人以外に一つも見当たらず、ランプも飾り付けも幻のように消えている。石畳は所々剥がれて欠け落ち、雑草が路地だけでなく家があったであろう場所にも我が物顔で生えている。

「あの執事が言ったことは、本当だった……魔女が死んで、街も死んだ。なにもかもが、言葉の通りだったんだ……」
「死んだ日にだけ在りし日を思い出す、記憶の拠り所として其処にある街……ですか……こんなことが……」

 愕然とする二人の背後で、砂利を踏む小さな音がした。
 弾かれたように振り向いた二人の目に映ったのは、慰霊の花を捧げに来ていたあの幼い兄妹だった。兄妹はあのとき同様に寄り添いながら、ユベールたちを見上げている。

『わかったでしょ。ここに魔女はいないんだよ。だってみんな、死んじゃったから』

 妹の肩を抱きながら、兄が静かに呟く。妹の目は暗く虚ろで、ユベールたちを見ているようで見ていない。兄妹から……特に妹からは、生の気配が感じられない。

「あなたは……」
『僕はもう字が読めるから、わかっちゃったんだ。でも、マリーはまだわかってないから僕が傍にいるんだ』

 ユベールの言葉にならない問いに、兄は的確に答えて見せた。
 妹は幼すぎたゆえに、自身の死を知覚出来ないままなのだ。街の呪詛に囚われながら、収穫祭の日を過ぎても正しく死者として眠ることが出来ていない。

「そうですか……優しい、いいお兄さんですね」

 ユベールが微笑いかけながら言うと、兄は『さよなら』とだけ告げて、妹と共に朝陽に溶けて消えた。


 ――――あの日。街は静かに死を迎えた。

 魔女は街に『夢の呪詛』をかけながら、炎に焼かれて死んでいった。街の住民たちは、そのとき親を、子供を、恋人を、エヴァンジェリン領主一家に蹂躙されて虫のように遊び殺されたことを鮮烈に思い出した。
 記憶の噴き戻りは住民たちの心を焼き尽くし、領主一家を処刑するだけでは飽き足らず彼ら自身をも業火に飲み込んでいったのだった。
 エヴァンジェリン城下町は一夜にして焼け落ち、魔女の呪詛によって幸福だった日々を夢みる泡沫の街と化した。全ては哀れな幼い領主のため。

「あの頑なな城門は、領主を夢の中に閉じ込めるためのものだったのですね……」

 城を振り仰ぎ、ユベールが呟く。その目には憐憫の色が宿っており、隣で同様に遠くを見つめる目で城を見上げるラウルも、歯噛みしながらも何とも言えない表情をしていた。

「なぜ……俺になにも告げずに……」

 ラウルはベルとほぼ同じ性質を持つ、特殊な使い魔だ。黄昏の魔女が作り、世に放った独立した使い魔。魔女に操られるだけの人形ではなく自我と意識を持って生き、魔女とは異なる彼だけの『人生』を歩んできた。
 それでも、主人が自分を手放したまま、幼い領主に全てを捧げて命を散らしたことが、どうしても納得出来なかった。

「……帰りましょう。此処には、魔女はいませんでした」

 黒い影のような街に背を向けて、二人の聖職者はエヴァンジェリン領を去った。一夜の夢の如き幸福な光景を、記憶の中にだけ存在する領民の姿を、そっと胸にしまって。



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