荊の魔女

 荊の魔女


 エヴァンジェリン城は広い。嘗ての栄華を窺わせる豪奢な作りは、通路のほんの片隅にさえもしっかりと反映されている。庭園を彩る花は白く、季節を問わず咲き誇っている。白薔薇の城門は頑なに閉じ、外界との境界線として黙したまま佇んでいた。
 質の良い魔力に満ちていることを表すかの如くエレメントたちが飛び回り、花弁や葉を揺らしてはきらめく朝露に戯れる。
 日の光に照らし出された城は美しく、不変をその身に宿して聳えていた。

 夜明けから数刻。目を覚ましたフィオは、暫しぼんやりしてから思い出したように数度瞬きをすると、ベッドから起きて浅く息を吐いた。

「おはようございます、フィオ様」
「おはよう、ベル。なんだかしあわせな夢を見た気がするわ」
「それはようございました」

 ベルの微笑を受けて、フィオは緩慢な動作でネグリジェを脱ぎ落とした。全身を純白のドレスで包み、薄紫の薔薇のコサージュが付いた髪飾りで巻き毛を纏めて、顔を上げる。鏡に映る自分を見つめながら両頬を包んでほぐすと、ベルのエスコートで寝室を出た。
 食堂に入ると、其処には温かい紅茶がポットに準備されていて、マドレーヌやケーキ、フルーツがフィオのためにたくさん並べられていた。
 それらを前に席に着くと、フィオはよく出来た彫刻の如き執事の顔を見上げた。

「ねえベル。あのときのお返事を聞かせてくれる?」
「随分と唐突ですね」

 フィオも自覚があったのか、少しだけ気まずそうに目を逸らす。

「夢見が良かったから、いまなら聞かせてもらえる気がしたの。気のせいだったなら別にいいのよ。ベルの心のことだもの、わたしが無理に聞き出すことじゃ……」

 ふっと微笑み、ベルはフィオの正面に跪いた。突然視界に飛び込んできた秀麗な顔に、フィオの心臓が小さく跳ねる。

「フィオ様のお望みとあらば」

 氷の瞳を甘くとろけさせ、眩しそうにフィオを見上げて、ベルは囁く。

「いまも昔も、私はフィオ様のためにあります。フィオ様のお望みこそが私の望み。私の心は常に、フィオ様の許にあります」

 其処まで言い切ってから、ベルはフィオの小さな手を取り、口づけをした。

「お慕いしております。ずっと」

 フィオの手がベルの頬を包み、淡い紫色の大きな瞳がやわらかくベルを見下ろす。白く小さな手にベルがすり寄ると、フィオはそっとベルの頭を引き寄せて胸に抱いた。
 氷の従者は、常にフィオのためだけにあった。いまこうしているときも。あのときも。答えは初めからわかっていた。ベルは常に正しかったから。

「ありがとう、ベル。大好きよ」

 優しい夢で包まれ、甘やかな嘘で彩られた城主は、しあわせそうに呟いた。

 言うなればそれは、蝋人形の館。
 旧時代の貴族の暮らしを再現した一室。
 一寸の隙も無く城内に配置された幼い白薔薇の領主と、傍らに控える執事の構図。誰が見るでもない美術品の如き主従は、静かに時の流れから外れ、ただそこにあり続けた。

 氷に閉ざされた花は、色褪せることなく永久に咲き続ける。
 揺り籠の中で、しあわせな夢を見ながら。


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