30.あやふやなままが良いのなら

 小鳥の囀りに混じって恋しい声が遠くで聴こえるようだった。その声は、「起きろ」と優しく揺さぶってくる。
 暖かいからまだ寝ていたい。何だろう、抱き枕ではない硬い物に身を委ねているみたいだ。安心する匂いがするから、真琴は甘えたい気持ちになって顔を擦り寄せた。
 擦り寄った部分が大きく波打つと、頭に小さな風を感じた。風というよりも聞き慣れた溜息に似ていたけれど。
 意識がだんだん明確になってきた。どくんどくんと脈打つのは心臓の音だ。なぜ耳許で聴こえるのか、疑問に思ってやっと瞳を開けた。

 目の前に白いシャツ、目の端には青黒い空。顔を上げるとリヴァイの瞳が近かった。
 寝袋に包まれた真琴とリヴァイは横這いになっている。半身だけ冷たい空気に晒し、ぴったりと彼にくっ付くようにして寝ていたようだ。――腕をしっかり背に絡めて。
 リヴァイは気にも留めないような、のっぺりとした表情をしている。そのせいで一瞬#自分がいま女なのか男なのか把握できなかった。頭を触って髪の毛がどうなっているか確認した。男だった。
 やにわに眼を見張った真琴はがばっと起き上がった。何てことだ、男装の状態で抱きついていた。

「す、すみませんっ。抱き枕と勘違いしてっ」
 ゆらりとリヴァイも起き上がり、寝袋のファスナーを下げる。
「気にしてない」
 起伏のない口調だった。
 こうも寛大なのはどうしてなのか。普通は男なんかに抱きつかれていたら、気持ち悪いはずではないか。
 もやもやと胸に予覚の煙が巻く。清涼な風によってそれがクリアになっていくのを、押し止めようと無駄に足掻いていた。
 寝袋を畳んで小脇に抱えたリヴァイが立ち上がった。

「下が騒がしい。さっきは外からも声がした」
「そういえば……声が聞こえるような。まだ早朝なのに」

 空はまだ奥のほうに夜の名残が残っている。起床時間には些か早い。
 リヴァイが階下へと続く出口に歩きだしたから急いで寝袋を畳んだ。両手で抱えて小走りにあとを追う。
 螺旋階段を降り、角を曲がったところでハンジが飛び出してきた。出し抜けだったからビックリし、真琴の肩が跳ねた。
 リヴァイも驚いたのだろう、一瞬だけ身体を小さく痙攣させた。
「廊下を走るな。曲がり角では注意しろ」

 寝癖で髪がボサボサなハンジは慌てた様子だ。顔の横で両手を揺らす。
「探してたんだよ、リヴァイ! どこにいたの!」
「屋上だ。どうしたんだ、いつにもまして馬鹿さ加減丸出しだが」
「大変だ! 捕獲した巨人が二体ともやられた!」
 寸秒置いてリヴァイが眉を寄せた。
「……やられた?」

 もどかしげにハンジが喚く。
「夜明け前に殺されたんだよ!」
 リヴァイは唸るように言う。
「二十四時間体制で駐屯兵団が見張ってたはずだろ」
 ハンジの肩を鎮めるように叩き、
「いいから少し落ち着け。声が耳に痛い」

 深く息を吐いてからハンジは眼鏡を押す。
「交代の時間を狙っての犯行だったみたいだ」
「被験体が拘束されていたとはいえ相手は巨人だ。交代の合間を縫って行動したとしても、時間に猶予はねぇな。加えて二体同時……」
「慣れてる。相当な手だれだ。犯行は一人じゃなく二人かもしれない」

 リヴァイが颯爽と歩き出した。
「現場を見てみないと何とも言えん。死骸はとうに消えてるだろうが、手がかりがあるかもしれない」
「私もいまから行くつもりだった。きてくれるかい?」
 早歩きのリヴァイに、横についたハンジが乞う。
「ああ。現場でお前が半狂乱になる絵が浮かんだ。宥める奴がモブリットだけじゃ可哀想だろ」
 リヴァイは後ろからついてくる真琴を振り返る。小さな鍵を投げてきた。
「エレンも連れていく。出掛ける用意をさせろ」

 胸許に飛び込んできた鍵を、抱える寝袋の上で受け取った。丸いキーホルダーがついている鍵は地下室のもののようだ。
 踵の音を響かせてリヴァイは再び歩き出す。大股で歩く姿は気を急いているように見えた。
「お前はそのまま本部に戻るのか」
「そうなるだろうね。殺された巨人のこととか、エレンのこととか、あっちでいろいろ調べたい」
 声を低めにハンジが答えると、リヴァイが振り向かずに指示してきた。
「だそうだ。真琴も一緒にこい。そのあとでハンジと帰れ」
「……はい」

 いま真琴の身柄はハンジに任されているのだった。ならば彼女と行動をともにするのは当然だろう。
 思わず立ち止まってしまい、リヴァイの小さくなっていく背中をただ見つめていた。リヴァイ班はいつまで古城にいるのだろう。次会えるのはいつなのだろう。
 頭を振って邪念を払った。ただならない事態だというのに、恋情に捕らわれるとは馬鹿げてる。思考を切り替え、走り出して地下へ向かった。

 そこは地下牢だった。真琴は溜息をつきたい気分に陥る。
 赤錆ているが頑丈そうな鉄の扉で、目線の高さには覗き口が設けられていた。こんなところに閉じ込められてはまるで囚人だ。リヴァイ班と和解できたとはいえ、この扱いはやはり納得いかない。
 鍵を差し込み、扉を開ける前に中へ声をかける。
「エレン、起きてる?」
「……真琴さん?」
 返答があったので扉を開けた。エレンは兵団のジャケットに腕を通しているところだった。

「もう用意してたんだ、早起きだね」
「上が騒がしかったから。靴音が響くんだよな、ここ」
「トラブルがあったみたいだ。リヴァイ兵士長が外出するから、エレンも一緒に来いってさ」
 じめっとする室内に入り、真琴は乱れた布団を直してやる。
「トラブル? 何で俺も一緒に……」
 ぴしっと合わせ目を伸ばしたエレンの動きが止まった。幾ばくか不安そうに見える。
「リヴァイ兵士長に監視されてる立場なんでしょ。いつ戻ってくるか分からないのに、ずっと地下に閉じ込めておくわけにもいかないからじゃないのかな」

 毛布を折り畳んでエレンに向き直る。暗く佇んでいる彼の腕をさすった。
「大丈夫。トラブルはエレンと関係ないから」
 にっと歯を見せてエレンの顔を覗き込み、
「ボクも一緒だし、寂しくないよ?」
「保護者面すんなよ」
 ようやく見せてくれた微かな笑みは胸を締めつけてきた。

 真琴の世界に準えればエレンはまだ中学三年生。一般的なら親の庇護下で愛されて過ごす年頃だ。苦労を味わうこともなく不自由することもなく、かつて真琴がそうであったように。
 少年が少年らしく生きられる平和を、どうにかして取り戻せないものだろうか。
「十五歳にはまだまだ保護者が必要だよ。甘えていいんだよ……リヴァイ班のみんなにも」
 優しく囁けば、エレンは眉を寄せて微笑んだのだった。

 急いで駆けつけたつもりだが、現場に辿り着いたときには巨人の姿は跡形もなかった。拘束していた木杭や釘やロープが、ただそこに虚しく散乱していただけだった。
 駐屯兵団らは驚愕に顔を青ざめ、立ち竦んでいる。馬から飛び降りたハンジが、現場を囲っている駐屯兵を押しのけて前に出た。真琴たちも彼女が作った道に続く。

「あ、あ、あぁぁ――――!」

 震えを伴う獣のような慟哭。眼鏡の端から洪水みたいな涙を流し、ハンジはふにゃりと崩れ落ちた。
 この場で泣いているのは無論ハンジのみである。彼女の涙にはどんな感情が入っているのだろう。悔しさか悲しさか。
 少なくとも駐屯兵から聞こえる、
「貴重な被験体をっ」
「いったいどこのバカがこんなことをっ」
「立体機動で逃げられるとはなっ」
 と腹ただしさに口ずさむ感情とは、まったく別のものに思えた。

 哀れみを滲ませたモブリットが、ハンジのそばについて彼女の背中を幾度も撫でる。なぜ泣くのか理解しようとは思っていなさそうだが、長年連れ添った部下なりに、おんおん泣くハンジを放ってはおけないようだ。

「エレン。顔が見える、もっと深くフードを被れ」
 巨人が繋がれていたであろう場所を、呆然と見つめているエレンにリヴァイが注意した。
 外套を纏うエレンはフードを被っている。兵団の中で彼の顔を知っているものは多い。いらぬ警戒をされないよう周りに配慮しなければならないのだ。
 顔を伏せ気味にエレンはしずしずとフードの端を引っ張る。何だか犯罪者みたいだ、と真琴が同情したときだった。

 音もなく後ろから現れたエルヴィンが、エレンの肩を叩いた。リヴァイに向かって、
「来ていたのか」
「ハンジの付き添いだ。もっとも、モブリットだけで足りたかもしれん」
「精神のダメージは大きいようだが」
「暴れ狂うんじゃねぇかと思ったが、そうでもなかったようだ」
 静かに会話する二人の視線の先。ハンジはしゃがみ込んだまま両手を突いて頭を垂れていた。

 エルヴィンはリヴァイの傍らにいる真琴に気づいたようだ。不信そうな眼つきに変えた。
「……なぜいる?」
 疑雲たっぷりな声は真琴を怯ませた。そのせいで言葉が浮かばない。
 リヴァイが口を開き切る前にエルヴィンが回り込んできた。低く質される。
「今日未明、君はどこにいた?」

 心臓がバクバクしだし、胸がじんわりと熱くなってゆく。どうしてそんな質問をされるのか、何が聞きたいのか、分かってしまった。エルヴィンの碧眼は真琴に疑念をぶつけてきているのだ。
 早く弁解しなくては。そう思うのに喉の奥が詰まるから声が出ない。ただショックだった。
 真琴とエルヴィンの間に、リヴァイが肩で割り入ってきた。

「こいつは二日前から俺と一緒だ。昨夜にかぎっては、朝方まで眼を離していない」
 眼だけで何を言い合っているのだろうか。そんな静黙がリヴァイとエルヴィンの間に流れる。
 破ったのはエルヴィンだ。

「旧調査兵団本部にいたと? 真琴はハンジに任せたんじゃなかったのか?」
「俺が嘘をついているとでも? こいつを擁護して何の得がある」
 静かな攻防戦。ぴくりとも眉を動かさずにリヴァイは続ける。
「確信が欲しいのなら、ハンジやモブリットも証人だ。そこのガキもな」
「なるほどハンジが連れていったというわけか」

 さきほどエレンのことを犯罪者のようで可哀想と思った。されどいまは自分に同情したい気分だった。拘束されていたとしても、真琴に巨人など仕留められるはずがないではないか。
 事件が起きたとき古城に滞在していてよかった。アリバイを証明してくれるのが、エルヴィンが信頼を寄せているリヴァイとハンジならば、これほど強力な証言はないだろう。

 表情を変えずにエルヴィンは言及してくる。
「朝方まで眼を離していない、とはどういうことだ」
 微かに含まれた咎めるような物言いに、真琴は首をかしげた。まるで娘が朝帰りしたのを親がよく思っていないような、そんな感じに聞こえたのだ。
 しかしその気持ち悪い役柄を、リヴァイとエルヴィンに充てがうのは変だろう。とっくに保護者を必要としない年齢のリヴァイに、エルヴィンが親の目で叱るなど可怪しい話である。

「深い意味はない。昨晩は雲がなかったからな。星を拝みながら屋上で過ごしただけだ」
「本当か」
 そう問いかけてきたのはリヴァイにではなく真琴にだった。乾いた喉がまだひっついているから、ただ頷くだけで返した。
 真琴の表情の奥を読もうとするような鋭い碧眼。ややしてエルヴィンは視線を外し、リヴァイを見てふっと笑った。
「お前を心配してのことだ、悪く思うな」
 リヴァイは僅かに顔を逸らして、馬鹿らしいと言いたげに短く息を吐き捨てた。

 エルヴィンが真琴の肩を軽く叩いてきた。
「本部にいるはずの君が、なぜ一人こんな場所にいるのかと不思議に思っただけなんだ。悪かったね」
 柔らかく言い置いてエルヴィンは去っていった。物腰は柔らかなものだったが、そんな塗り潰した仮面に騙されてたまるかと、真琴は両手を強く握り締めたのだった。

 去っていくエルヴィンの後ろ姿を、リヴァイはしばし見据えていたようだ。が、少ししてまだ泣き崩れているハンジのところまで歩き出した。
 ハンジの頭をリヴァイはぐしゃぐしゃと乱す。
「てめぇのお気楽さも、たまには悪くない」
「……へ? 何のこと?」
 だらだらと涙を流しながら弱々しくハンジが振り仰ぐ。リヴァイが口の端を上げた。
「見上げたものだと、褒めたんだ」
 と言って首元のスカーフを引き抜き、ハンジの顔面に押しつけた。不潔なものを見るような眼で片眉を上げる。

「汚い顔しやがって。いい歳してガキみたいに泣くな」
「よく分からないけど……優しいと逆に恐いな」
 受け取ったスカーフで、ハンジは恥じらいもなく鼻をかんだ。その光景にリヴァイは顔を引き攣らせる。ふいに手のひらを見降ろして眉間に皺を作った。
「ハンジよ、最後に風呂に入ったのいつだ。手が油っぽいんだが」
 ハンジは指折り数える。両手を使い出したところで、リヴァイが呆れたように息を吐いた。頭を横に振り、
「信じられん」
 と独りごちた。

 リヴァイとハンジがそんな会話をしている傍らで、真琴はあるものに気づいた。巨人を拘束していた杭のそばに、陽光が当たって反射しているものがある。気になってそこまで進み、しゃがんで拾った。
 ほとんど重みを感じない半透明な丸い玉。指先で角度を変えるときらりと輝いた。どうしてこんなものがここにあるのか。
 血の気が引いていく寒さを感じながら兵士たちのほうを振り返った。首を振り何かを探す。

「行くぞ、あとは憲兵の仕事だ」
 リヴァイから真琴に向かってそう声がかかった。慌てて立ち上がり、玉を急いでポケットに突っ込む。
 一連の動作を見ていたリヴァイが怪訝そうに眉を顰めた。近づいてくる。
「……何を隠した?」
 強張った顔で真琴はただ首を振った。リヴァイの表情が険しい色に変わる。
「来いっ」

 反抗を許さぬ語気で手首を掴まれる。足の早さに躓きながら、現場から少し離れた細い路地に真琴は連れ込まれた。
 生ゴミを漁っていた黒猫が、びっくりしたのか体を弾ませた。まん丸の淡褐色な目が不気味に光る。建物の影になっているせいで、陽当たりが悪く薄暗いからだろう。
 壁に肩を叩きつけられた。その音と、彼から発せられる険のある気に当てられたのか、猫が軽やかに尻尾を見せて逃げていった。

「俺が何を問い質しても、お前が口を割らないのはいつものことだ」
 そうだろう? と凄まれて真琴はごくりと唾を飲み込んだ。
「時間の無駄遣いは好きじゃない」
 そう言うと、両手で胸許を軽く押すように触れてきた。
「――どこを触って」

 驚愕して壁から背を離そうとした。即座に肩を押し当てられる。
 真琴を押さえつけたまま、リヴァイは片手で胸ポケットに指を突っ込んできた。身分証明書である手帳を摘まみだし、舌打ちして投げ捨てた。
「やめてくださいっ」

 手を突いて押しのけようとした。うるさく思ったのか、リヴァイは真琴の両手首を一纏めにして反転させる。ざらつきのある冷たいレンガに頬が触れた。
 壁に縫い止めたまま、リヴァイは片手で腰許を探ってくる。尻を覆うように、生暖かい手が叩くように触れてきた。真琴は思わず踵を上げて痙攣する。尻ポケットを探っているのだろうけれど場所だけに焦る。

「そ、そんなところっ、何もないですってばっ」
「お前の言葉は信用しない」
 あっさりと打ち消されて片方の尻ポケット付近も探られた。今度は両のポケットを弄られる。
 手を突っ込んで掴んだものに、リヴァイはくたびれた感じで溜息をついてみせた。両手を解放されたので真琴は振り返る。

 おずおずと上目遣いで窺えば、
「さっき隠していたのはどれだ!」
 とリヴァイがきつく詰問してきた。教師に怒られた生徒の気分だ。突き出してきた彼の手のひらには、飴やチョコレートやガム、髪留めのゴムや小さなクリップがあった。その中には、いましがた拾った白い玉もある。

 苦い唾を呑み込んで真琴はチョコレートを指差した。リヴァイはそのチョコレートをちらと見やり、
「嘘だな」
 と言い切った。
 どうしてバレる。逃げたいと叫ぶ本能に従い、少しでも距離を取ろうとひんやりする壁に背中を付けた。ざわざわする胸許の熱さとレンガの温度差は著しかった。
「う、嘘じゃないです……」
「あまり俺を怒らせるな」
 肉食獣のような眼で真琴を一睨みし、もう片方の手をゆっくりと開いてみせた。
「チョコレートが四つも落ちてるとしたら、さすがに駐屯兵も気づくだろ」

 リヴァイの手には三つのチョコレートと飴、ガムがのっていた。始めから真琴が嘘をつくと踏んで鎌をかけてきたのだ。
 髪留めを乗せたリヴァイの手をじっと注視して記憶を撹拌する。ゴムやクリップを所持していたのは一つずつだったろうか。まだ隠されていたら堪らない。
 リヴァイが掠れ声で迫ってくる。

「状況を分かってるのか」
 答えられないでいるとリヴァイが眼を細めた。
「巨人はなぜ殺されたと思う」
 率直に考えれば家族や仲間を殺された恨みからだろうか。
「敵討ち……なのでは?」

 リヴァイは何も言わない。ただ鋭敏な眼で見据えてくる。
 真琴は眼を瞬いて見張った。敵討ちではない。犯人の目的は、憎しみに駆られたものではないのだ。巨人を捕らえてからもう幾日も経つ。突発的に殺そうと思えばいつだってできたはずだ。
 犯人は見張りの交代時間を知っていた。何日も通って確かめたのに違いない。逃げる手段に立体機動を使ったことから計画的犯行とも言える。

「巨人を……調べられることを恐れた?」
 リヴァイの瞳と視線が交わる。
「兵団内に犯人がいる?」

 この推測が当たっていたならば、真琴はますます玉の存在を白状できないではないか。それよりもどうして巨人を探られるのが困るのか、秘密を知られては困るのか、人類にとって何の利益があるというのか。
 リヴァイが背中を見せた。

「最低でも犯人が女だということは分かった。そんなもん男は持ち歩かないからな」
 断言して去っていこうとする。真琴は引き止めるためにリヴァイの腕を掴んだ。
「待って! ひ、拾ったとはかぎらない!」
 ゆったりと振り返り、「ほぉ」とリヴァイは言った。
「俺は落ちてるとは言ったが、拾ったのかとは言ってない」
「そ、そんなの屁理屈ですっ」
「屁理屈でも何でも、そういうことにしておかないと不利なのはお前だろ」
 と言っても、と醒めた眼で斜めに見てくる。
「女物のゴムやクリップが、二つも三つも落ちてたとは考えにくいけどな」

 二の句が継げなくなった真琴を一瞥して、リヴァイは去っていった。一時呆然としていたが、何とか言い逃れをしなくてはと思って彼の揺れる外套を追いかける。
 隣に並んだ真琴は歩調を合わせ、動揺を隠し切れずに言い募った。
「これはそのっ、ぺ、ペトラにプレゼントしようと思ってたものでっ」
「女にやるならアドバイスだ。もっと派手な作りの物を勧める。それじゃ日常的すぎてつまらんだろ」
 顔を見ないで気にしたふうもなく言った。

 これで言い抜けられただろうか。でもリヴァイの発言が、ちょっと女として気になる真琴がいる。人に勧めるほど、彼は女性に何かプレゼントをしたことがあるのだろうか。マコは貰ったことがない。と思って、いま風に翻る外套を引き寄せた。これはリヴァイのものだが、貰ったというにはおおいに語弊がある。
 男装を忘れそうな勢いで唇が尖っていった。ちらつく女の影に嫉妬していたのだ。

「例えば桃色の石鹸とかあげたら喜ばれそうですね」
 歩調を緩めたリヴァイが二歩してから立ち止まった。無表情な顔を向けてきた。
「機嫌が悪くなるようなことを俺は言ったか」
「別に……」
 不貞腐れて顔を逸らすと、彼が真琴の外套の裾にそっと触れた。
「お前にはもうやったろ」
 凪いだ声色だった。何だかひどく照れくさくて、むずむずする思いを放るために言い返す。
「お、お古じゃないですかっ」
「だからいいんだろ」

 そりゃあリヴァイの香りがして、いつもそばにいるようで安心するけれど。と思った真琴は眼を徐々に大きくしていく。リヴァイとの掛け合いは不自然ではないか。男同士でするような会話だろうか。

 再び歩き出したリヴァイのあとを、真琴は進みの遅い足でついていく。その先は曖昧であったほうが良いと、彼の背中が語っているような気がした。
 あやふやなままが良いのならば、リヴァイが恐れてそう望んでいるのならば。確信めいた推定はただの誤想だったのだと、真琴は自分にそう暗示をかけることにしたのだった。


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