14.血反吐まみれの酷い塩梅
向けられる執拗な視線に気づいたリヴァイと真琴の瞳が交わった。彼は訝しげに眼を細めてみせた。
リヴァイに向かって小さく口を開こうとするが拳銃で軽く突かれた。助けを求めることは無理だった。
向かいの彼は真琴を見て微かに首を傾けていた。何かを感じ取ってくれたものと思いたい。
助けを求めることが無理ならばほかの方法を考えなければならなかった。といっても何も思いつかず、エレンを糾弾するしか道はない気がするけれど。
また板挟みである。フュルストかエレンかどっちを取るかで真琴の運命が決まる。そのうえフュルストを取るということは、必然的に調査兵団を裏切ることにも繋がり兼ねない。
――どっちつかずは嫌われるぞ。
頭の中で三白眼の声が響いてきたことで、ひらめいた真琴は短く息を吸った。
エレンの様子を窺ってみた。周囲からの心ない中傷によって苛々しているように見て取れた。彼は怒りっぽいところがあるから、もっと誹謗されたらぷつんと切れる気がする。
(あちらも立ててこちらも立てればいいんだわ)
本来はあちらを立てればこちらが立たずだが、ことわざ通りになってしまっては困る。両方にいい顔をすればいい。問題は、エレンの犠牲のうえに成り立つことなので胸が痛いけれど。
後ろにいる男がエレンに吠えた。
「悠長に議論している場合じゃない! 目の前にいるコイツはいつ爆発するか分からない火薬庫のようなものだぞ!」
覚悟の息を吸って、真琴はエレンに険のある眼つきをする。
「そうよ! さっさと処分すべきだわ!」
賛同するように背後がやんやと騒がしくなり始めた。ぴしゃりとミカサに指を差す。
「あの女も人間かどうか怪しいものだわ!」
「そ、そうだ! 念のため解剖したほうがいい!」
さっき吠えた男が合いの手を入れたときだった。エレンが声を荒らげた。
「違う!!」
迫力に圧せられて法廷内がしんとなってしまった。不味いと思ったのだろう、エレンは取り繕う。
「い、いや……違います」
が、やっぱり許せなかったようで訴えてきた。
「俺は化け物かもしれませんがミカサは関係ありません! 無関係です!」
真琴はエレンを睨んだ。
「あなたの言い分なんて信用できないわ! 一人処分するも二人処分するも手間はかからないのだし、危険因子は即刻消されるべきだわ!」
エレンが眼を剥いた。
「しょ、処分ってっ――! お、俺は犬猫じゃない!」
「ええ! そうよ、可愛い犬猫じゃない! 化け物だわ! 恐ろしい化け物だわ!」
エレンが噛みついてきた。
「化け物じゃない! 俺は人間です! 大体巨人を見たこともないクセに何がそんなに怖いんですか!?」
「見なくたって分かるわよ! 百年間、あなたの仲間のせいで私たちはずっと苦しめられてきたのよ! こんなのが内地にいるだなんて虫酸が走る! 通常の銃殺刑など手ぬるいわ! ズタズタに切り刻んで公開処刑にすべきよ!」
「壁外の巨人なんか仲間じゃない! 俺は人類のために闘うと言っているんです! あなたは貴族の方ですよね!? 苦しみから解放されたいのなら力くらい貸してくださいよ! 不労収入を得てのうのうと生きてるんなら人類のために社会貢献してくださいよ!」
演技に熱が入り過ぎて声が裏返る。
「私に出資しろと言いたいの!? 思い上がりも甚だしいわ! どうしてこんな化け物に私の財産を謙譲しなければならないの!」
奥歯を噛み締めたエレンが真琴に向かって身を迫り出してきた。両手を拘束している木杭が激しくぐらつく。
「化け物じゃないって言ってるだろ!!」
肩をびくつかせた真琴は怯んだ芝居を見せた。脅えるフリをして胸許を抱きしめ、親の仇の眼で見据える。
「恐ろしいわ! 盾突いてきたわよ! こんなのを誰が制御できるっていうの!? 調査兵団に預けるですって!? コントロールできる人間が調査兵団にいるとでも!? そんな人いないでしょう!」
ごくりと唾を飲みたい気分でちらりとリヴァイを見た。少し顎を上げた色のない表情で彼は腕を組んでいる。
ここで、「俺なら制御できる」と出てきてくれたらなら計画通りだったのだが静観しているだけだった。人類最強で有名なリヴァイがそう言うのなら、周囲も納得するのではないかと思った。が、打ち合わせがあったわけでもないのに考えが甘かったと真琴は早くも後悔していた。
挑発されたエレンは肩が怒りで震えている。(これは拙いわ……)彼が本気で癇癪を起こしてしまったら、その場で銃殺されてしまうだろう。
ぎりぎりと歯ぎしりをしているエレンがぼやきだした。
「この腰抜けども……」
見守るしかできない真琴はごくりと嚥下した。首を反らして、エレンは溜まった鬱憤を晴らすように天に向かって叫んだ。
「いいから黙って全部俺に投資しろ――っ!!」
電気のようにびりびりとした大声が法廷内に響き渡った。恐怖によって、喧騒が瞬く間に閑静な空間へと様変わりした。
寸秒してから、焦りを抑えきれないナイルの乱れた声が上がった。
「構えろ!」
「はっ!」
傍らの憲兵がエレンに向けて銃口を突きつけた。自分に向けられる銃口を呆然と見つめるエレンは顔を青白くさせた。同じく真琴も蒼白している。
台本通りにいかなかった。失敗してしまった。自分のせいでとんでもないことになってしまったと悔恨に胸を焼かれていた。
そのときだった。
被告席と傍聴席を隔てる柵に、片手を突いてリヴァイが颯爽と飛び越えた。大股でまっすぐエレンのところまで歩き、顔面を思い切り足蹴りしたのである。
エレンの口許から目に見えぬ速さで白い物が弾け飛んだ。床で一度バウンドし、一直線上にいる真琴の腹に特段刺激もなく当たって落ちた。
しゃがんで拾う。手のひらには少し血のついた人間の前歯があった。歯が触れたであろう腹の部分にも僅かに血の掠った跡が残っていた。
上から浅い息をつかれて仰ぎ見た。気抜けた眼つきのフュルストが見下ろしていた。
「風は調査兵団に吹いちゃったようだ。せっかく頑張ったのにね」
拳銃をジャケットの内側に入れ、背を向けて軽く手を振った。
「先に帰るね」
きっとフュルストには真琴の考えていたことなどお見通しだったに違いない。それでも一応は命令に従ってエレンを非難したわけだから、裏切り者として消される心配はないだろうと思った。
柵に手を伸ばし、体重をかけるようにして立ち上がった。
空間は閑静であって閑静ではない。正確にいうと傍聴人はみんな顔を強張らせ、息を呑んで被告席に意識を取られている。反して被告席は眼を瞑りたくなるような酷い有様になっていた。
耳を塞ぎたくなるような激しく蹴る音。拘束している木杭が壊れそうなほどにガタつく音。あれからずっと、エレンはサンドバッグさながらの攻撃をリヴァイによって受け続けているのだ。
手加減など一切なく、容赦のない蹴りがエレンを襲う。動けない彼の腹に、硬いブーツを履いたリヴァイの邪悪な蹴りが入った。エレンの口から泡が飛び散る。前髪を鷲掴みにして顔を上げさせ、リヴァイは鼻面めがけて膝蹴りをする。顔周辺から細かい血飛沫が舞った。
ふらふらと前のめりになっていくエレンの後頭部を、リヴァイは足で踏んでそのまま床に叩きつけた。
「これは持論だが、躾に一番効くのは痛みだと思う」
言いながらエレンの後頭部を踏む足に力を入れて躙る。
「いまお前に一番必要なのは、言葉による『教育』ではなく『教訓』だ。しゃがんでるから丁度蹴りやすいしな」
冷血に見下したリヴァイが「躾」を再開した。
咽喉の下がる音と意識して呼吸を抑える音以外、人間の蹴られる音しかしない。
みんな固唾を呑んで見守る中、真琴も固唾を呑んでいる一人だ。爪が食い込んで痛さを感じるほどに拳を握り締めているが。
このような展開は望んでいなかった。
(だけど……フュルストが諦めたようにこれが吉と出るのなら)
怒りで拳が震えても唇を噛んででも、大人しく見届けることしかできない。
蹴られっぱなしのエレンが攻撃的な瞳をリヴァイに向けた。食いしばった歯の隙間から猫のような唸り声を上げている。
凶暴さに気づいたナイル。額から頬にかけて嫌な汗を伝わせつつ、控えめに手を伸ばした。
「……待てリヴァイ」
拘束具の木杭に後頭部を押しつけ、エレンの顔面を靴底で躙っていたリヴァイが静止した。
「何だ」
「……危険だ。恨みを買ってこいつが巨人化したらどうする」
「何言ってる」
ぐったりしているエレンの髪の毛を、リヴァイは乱雑に掴んで引き上げる。
「お前らはこいつを解剖するんだろ?」
物問うてから冷ややかに真琴を見据えてきた。
「ズタズタに切り刻むんだろ? クソ女」
掴んだ髪をリヴァイが薙ぎ払った。メトロノームみたいにエレンの身体が大きく揺れる。意識があるのか心配だ。
睨み返す真琴と恐慌して身動きできない憲兵たちを見てから、リヴァイは音を立てて短く息を吐き捨てた。
「こいつは巨人化したとき、力尽きるまでに二十体の巨人を殺したらしい。敵だとすれば、知恵がある分厄介かもしれん」
黙り込む傍聴人を淡々と眺め回す。
「だとしても俺の敵じゃないが。お前らはどうする? こいつをいじめた奴らもよく考えたほうがいい。本当にこいつを殺せるのかをな」
エルヴィンの低い声が法廷内の静寂を破った。
「総統、ご提案があります」
ザックレーは話すようにとただ頷いてみせた。
「エレンが我々の管理下に置かれたときには、対策としてリヴァイ兵士長と行動を供にしてもらいます。エレンの巨人化は不確定で危険は常に潜んでいますが、彼ほど腕が立つ者ならばいざというときにも対応できます」
ほぅと声を出してザックレーはリヴァイに問う。
「できるのか?」
「殺すことに関して言えば間違いなく。――問題はむしろその中間がないことにある」
温度を感じさせない口調で言い、リヴァイがふいに首を傾けてみせた。視線の先にはミカサがいて、物恐ろしい瞳で彼を睨めつけていた。
ミカサが怒るのはむろんである。赤の他人の真琴でさえ言い知れぬほど憤慨しているのだから、彼女ならばなおさらだろう。
両肘を突いたザックレーが手を組んだ。
「議論は尽くされたようだな」
「……お待ちください」
あまり顔色の良くないナイルが口を挟んできた。
「エルヴィン、内地の問題はどうするつもりだ!」
「我々が壁外で活動できるのも人類の安定があってこそだ。決して内地の問題を軽視してはいない」
ナイルに向かって述べてからザックレーに顔を向けた。
「事態の沈静化を計るために、次の壁外調査でエレンが人類にとって有意義であることを証明します」
「ほぅ。壁外へ行くのか」
組んだ両手に顎を乗せ、ザックレーは周囲の様子を眺め回した。
四方からは口々にさえずる声が聞こえていた。エレンが壁外に行くのならそこで勝手に死んでくれるだろう――だからここで処刑が決まらなくても何ら変わらないという、そんな無分別な声であった。諦めたのかそれとも周辺の声と同意見なのか分からないが、憲兵団は黙りこくっている。
寸刻してザックレーが木槌を取って叩いた。
裁判の判決のときに鳴らすものだが、日本では一般的ではなく実物は始めて目にする。想像を超えて音はとてもよく響き、どことなく胸がすかっとした。これから表明される判決が、真琴を安心させるものだと確信しているからである。
「エレン・イェーガーは調査兵団に託す。しかし壁外調査の成果次第では、再びここに戻ることになる」
起立しているリヴァイの傍らで、エレンはぐったりと頭を垂れた。ほっとしたからなのか気力が途絶えたからなのか。確然ではないがおそらく両方なのだろうと真琴は思った。ここから見える彼の横顔は、血反吐まみれの酷い塩梅であった。
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mokuji
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