07.己の弱さに自嘲な笑み

 作戦決行までしばしの休憩となった。その場に残って腰を降ろす者と、家族のもとへ一旦帰って今生の別れをする者と、過ごし方は人ぞれぞれだった。
 真琴も一度本部へ戻って、報告をしようかと考えたがやめた。安全な場所に足を踏み入れてしまったが最後、身が竦んできっとここには戻って来れないと思ったからだ。

 己の弱さに真琴は自嘲な笑みを独りこぼす。ふと建物の狭間で薄暗くなった路地に、外套を目深に被った者が眼についた。
 その者と眼が合うと、手招きをしてきた。不審に思いながらも近寄ってみる。路地に一歩踏み込んだとき、外套の人物が少しだけフードを捲って目元を見せた。

 真琴は眼を丸くした。
「フュルスト!」
 静かにするようにと、フュルストは唇に人差し指を添える。
「なんだか大変なことになったね」
「聞いてたの? さっきの演説」
 こんな絶望的な現状だというのに、フュルストは微笑を湛えて頷いた。
「ピクシス司令か。彼なら成し遂げるかもね。生来の変人と言われているけど、実力は相当なものだから」
「……詳しいのね」
「有名人でしょ。風の噂でいやでも伝わってくるよ」

 真琴は首をかしげた。本当だろうか? 調査兵団の組織にいた真琴は耳にしたこともなかったのに。フュルストの情報通はここでも健在のようだ。

「それで、なんでこんなところに? いまこの範囲は、特別警戒区域で避難勧告が出ているのに」
「うん。君に組織の役に立ってもらおうかと思って」
「それなら大丈夫よ。逃げずに作戦へ参加するつもりだから」
「うーん。半分当たりで半分はずれ、かな」

 真琴はまた首をかしげて片眉を顰めた。にやりとフュルストは笑う。
「妨害してもらいたいんだ。トロスト区奪還作戦を」
「――なにを言ってるの」
 真琴は眼を見張って、言葉に躓きながら絞り出す。
「妨害するって、これが巧くいかなかったらどうなるか、分かって言っているの?」
「国は混乱するだろうね。そして四年前の悲劇が起こる。それから――今度こそ暴動が起こってくれるといいんだけど」
「そんなことが起こったら、大変なことになるって分かってて、――言ってるのね」

 口許に薄い笑みを見せるフュルスト。目許は冷たいもので、空恐ろしげだった。
 彼は息を吐き出すようにして笑って、
「戦争になっちゃうかもね」
「そんなことになったら、あなただって困るのよ。生きる場所を失うかもしれないじゃない」
「ヴァールハイトの目的を忘れたの? クーデターを起こしたいんだ、僕は」
 フュルストは首を傾ける。
「市民が反乱を起こしてくれれば、めっけもんだよ。その勢い風にのって、一気に支配体制をすり替えることができる、かもしれない」

 その通り。クーデターの成功は、いかに市民が協力的になってくれるかにかかっている。
 真琴は唇を噛んだ。
「でも、妨害だなんて……。さっきの防衛戦だけでも、何百人の兵士が亡くなってるのよ。これから決行される作戦だって、みんな命を投げ打つ覚悟で」
「感動秘話として、それも市民の心を掴むのに一役買ってくれそうだ。無駄死にしていった兵士の哀れさに、王政府への反感は強まる」
 耳を疑う無情な言い回しをした。

「私、あなたが分からない……。心に正を見たと思ったら、いまみたいに邪になる」
「どうして涙を流すの?」
 表情を消したフュルストに言われて気づいた。頬に手を添えれば濡れた感触があった。拳を強く握る。
「なにがあなたをそうせるの。そこまで残酷になれるのはなぜなの」
「真琴には分からないよ」
「クーデターはただのきっかけ……。その先に、真の目的がある……」
 涙ながらに睨み据えると、フュルストは眼を見開いた。そして眼を伏せる。

「僕は思う。真琴が一番、真実に近いんじゃないかって……」
「なんの真実? なにが知りたいの? 私に解答できるものならなんでも喋る。だから、自分を傷つけるような残酷なこと、もうしないで」
 切に訴えると、フュルストは煩わしそうに溜息をついた。うるさいハエを払うような仕草をする。

「役に立たない君を組織に入れるんじゃなかった。もう、いいや。作戦が成功しようが失敗しようが、市民の反感は徐々に高まっているんだ。遅かれ早かれ、目的は達せられる」
 投げやりに言ってから真琴に注意をした。
「あと、あれから毎日アジトへ足を運んでいるようだけど、君はつけられているんだよ? 差し入れはありがたいけど」
「気をつけてるもの……。それに、リヴァイもいないし」
 止まりかけの涙を拭いながら真琴は俯いた。

「お菓子を持ってきてくれるのは、ロゥも喜んでるけど……。気をつけてるって言ったって、君は気配さえ読めないじゃない」
 真琴はただ黙り込む。フュルストはフードの上から頭を撫でつけた。
「そんなに気球の開発過程が気がかりなら、僕が伝言役をしたっていい」
「別にそれだけの理由じゃ」
「とにかく慎重になってほしいってこと」
 吐き捨てるようにフュルストは言った。珍しく機嫌を露わにしている。深入りしてほしくなかったのだろう。

 頭を垂れた真琴は謝った。
「ごめんなさい。気に障るようなこと、言ったのね」
 フュルストは僅かに眼を見張った。顔を背ける。
「作戦に参加するんだっけ……。命は大事にね。ひとつしかないんだから、投げ打ってはいけない」
「フュル」
 真琴が顔を上げたときにはフュルストは背を向けていた。暗い路地へ消えるように去っていく。

 何を考えているのか分からない。急激に襲ってきた疲れ。踞って膝を抱く。
 人間の命をものとも思わないところがあれば、逆に真琴の命を憂う。残酷な中に、子供のような純粋な心を持っている。心を読める心眼がほしいと、真琴は切に願ったのだった。

 いつまでこうしていただろうか、そう思ったときだった。背後から声がかかった。
「こんなところにいたのか。探したんだけど」
 伏せていた顔を上げて振り仰ぐ。リコは眼をギョッとさせた。
「どうした、その顔」
「え? なんか変?」
「変っていうか……」
 リコはそう言うと、サイドポケットから手鏡を取り出した。真琴の顔の前に掲げる。

「うわ……」
「な?」
 ずっと踞っていたせいで、軍服の袖の皺がそのまま真琴の顔に移ってしまっていた。跡を取ろうと、顔を手でさすりながら瞳を上げる。
「で、探していたって?」
「そろそろ作戦決行だ」

 その言葉に真琴は立ち上がる。薄暗い路地の上を仰げば、雲は薄らと茜色に染まりつつあった。
「ご丁寧に迎えに来てくれたんだね。ありがとう」
「は? 迎えっていうか、真琴には私の班に入ってもらうよ」
「え? リコって確か精鋭班……だって言ってたよね?」
 相槌をし、リコはトロスト区側のリフトへと歩いていく。真琴もあとを追って隣に並んだ。
「私たちはエレンの援護だ。ほかの兵は、ウォールローゼ側の壁角に巨人をおびき寄せる。壁上組は無駄な戦闘は回避できるだろうけど、こっちはそうはいかないから頼んだよ」
 何を頼むというのか。

「あ、あのね! リコ、私!」
 きっと役には立たないと言おうとして、リコを引き止める。気にも留めずにリコは続ける。
「私たちは精鋭班といっても、対巨人戦の経験値はほぼ皆無だ。壁外遠征で実戦の経験を積んでいる真琴に、みんな期待している」
「え――!?」
「なに、うるさいな」

 迷惑げに真琴を見やってきた。いつの間にか到着したリフト前で、リコは頭を掻く。リフト前は作戦に参加する兵士で芋洗い状態。かなりの順番待ちのようだ。

「混んでるな。壁を昇っていくか」
 トリガーを操作するリコ。アンカーを伸びるかぎり、壁の上のほうまで飛ばして刺した。真琴を振り返る。
「早く。作戦を少し練りたいんだから、時間が惜しい」
「う、うん……」

 壁上に昇ってから事情を話そう。そう考え、真琴はアンカーを壁に突き刺してトリガーを握った。
 急かされていたのもあってか、いつものようにワイヤーを引っ張って確認しなかったのが仇になった。半分くらいワイヤーを巻き取ったところで、無慈悲にもアンカーが外れた。
 真琴の体が高速で落下していく。頭はパニック。冷静な判断などできない。アンカーを再び飛ばすことすら、考えが及ばない。

 なんとか助けの叫びだけは出た。
「り、リコ――!!」
「は?」
 必死の声に反応を示したリコ。空中で見降ろす。冷たい返しのあとに、思わず二度見して声を荒げた。
「は!?」

 機転をきかして、リコはすぐさま方向転換をする。真っ逆さまに落ちていく真琴を、空中で捕らえてくれた。
「なにしてんのっ」
「……死ぬかと思った」
「こんなアホなところで命落とさないでくれる……」

 重力のない空中で、脇を抱えるように支えられている真琴。強く抱きとめられているので胸部が痛い。
 リコが眉を顰めた。
「早くアンカー飛ばして、重いよ」
「う、うん……」

 手放したためにぶらさがるトリガー。手を伸ばす。掴んだところで、真琴の震える手から滑り落ちていった。
「あ……」
「もぉ! どんくさいな!」
 怒ったようにリコが言い捨てた。真琴を抱えながら、彼女は片手でトリガーを操作する。そのまま華麗にとはいかないが、少し苦労して壁上に降り立つことができた。

 抱えていた腕が痺れたのだろう。リコは何度も振り続ける。
「まさか体調でも悪いの? さっきも踞ってたし」
 立体機動に失敗した真琴を、リコは体調不良が原因だと結びつけているようだ。
 ぺたんと両膝を広げ、尻をついている真琴。歯切れ悪く答える。ひどく言いづらい。
「あのね、私、立体機動は全然なんだよね……」

「……は?」
「なんていうかな、その、知識はあるけど技術がないっていうか。やる気がないわけじゃないんだけど、下手っていうか。調査兵なのに一般人っていうか」
「なに言ってんの、真琴」
 リコは不思議そうな顔をして、えへっと真琴は困り顔をしてみせる。

 みるみるリコの顔が驚愕なものに変わっていく。
「はい!? お前、立体機動装置を使いこなせないの!?」
 真琴はただ誤魔化し笑いをする。
「はぁ!? だって、遠征はどうしてるの!」
「一度だけ経験したけど、まぁ、危なかった。命からがらだったね」
 眉根を寄せて苦笑した。リコは脱力してしゃがみ込む。
「それじゃあ私の班に入れられないじゃない。もぅ! そういうことはもっと早く言ってよ」

「ごめん……。でも、あのね!」
 真琴は真剣な眼をしてリコを見据えた。
「考えてることがあって」
「なにを?」
「その前に、エレンから巨人を遠ざけるって作戦だけど、それって引き離せればいいわけで、倒さなくても平気そう?」

 少し喉を詰まらせてから、リコは頷いた。
「だけど実際には倒さないと。立体機動で逃げ回っていたらスキができるし、エレンの守備が薄まる危険性もある。まぁ馬でもいれば、そっちで引きつけてもらったほうが効率が上がるかもしれないけど。リフトは降ろせないし」
 と言い、疑いの眼差しを向けてくる。
「大体引き離すって……。立体機動が駄目な奴にできるわけないじゃない」

「よかった……。役に立てそうで」
「え?」
 真琴の表情は柔らかいものに変わっていく。
「リコ班でいい。ただし私は別行動になると思う」
「だって立体機動は無理なんでしょ?」
 困惑するリコ。真琴は微笑んでみせた。
「馬がいるの。このトロスト区に」
「……真琴の?」
 リコが眼を見張った。

「うん、私の愛馬。きっと役に立ってみせる。みんなの負担を少しでも軽くしてみせる。だから」
 眼を伏せて再び瞼を上げた。真琴は強い瞳で射抜く。
「だからお願い! リコ班に置いて!」
 リコは戸惑う。
「なんでそんなに必死なの。私の班は命を落とす危険性が高いって言ったよね? 壁上で待機のほうが、安全じゃない」
 
 内側に少し捲れてしまった袖口。指先で直していると、腕章に真琴の視線が流れた。白い羽根と青い羽根が重なるのは自由の翼。いつかの頼もしい後ろ姿と、たなびく鶯色の外套を思い起こさせる。

「戻って来たときに少しでも、後悔が少なければいいって……。兵士の死が少なければ少ないほど、苦しみも減るかなって。自分を責めるようなことをしてほしくないから、代わりに私が」
 生理的に込み上げてきた涙を拭う。
「怖いんだよ。いまだって逃げ出したいくらい恐怖で怯えてるの。だけどそれよりも、もっとつらいことがあるから。悲痛な顔を見たくないの」
「……誰のこと、言ってるの?」

「え……」
 訊かれて真琴は眼を見開いた。勝手に口が動いて喋っていたようだ。蜃気楼のようにたゆたう、背中の人物を想っていたようだけれど。
 リコは眉根を寄せて困った顔をする。
「無自覚なのか……」
 と言い、立ち上がった。
「それを守りたいから、真琴は命を張るのか」

「守りたいもの……」すとん、と胸の中にリコの言葉が落ちてきた。足りないパズルのピースが、はまったようなすっきり感がある。でも後者は違うピースのようで、弾き返されてゴミ箱行きになった。

「命は張らない」
「え?」
 リコは怪訝そうな眼つきをした。
 けろりとした目顔で真琴は立ち上がった。尻についた埃を払う。
「死んだら元も子もないじゃない。生きていないと意味がない。だけど精一杯、いまの自分にできることを頑張るよ」
「神経太いんだな、真琴って」
「え? 繊細でしょ?」

 惚ける感じで真琴は言い切った。リコは呆れ顔をみせる。しばしの静黙後、噴き出した二人は笑い合った。
 なぜだろう。リコとは知り合ったばかりなのに、打ち解けているような感覚になる。きっとそれは、真琴が女だと知っているからなのかもしれない。たったそれだけでこうも素直になれて、気持ちを構えずにいられることは発見だった。

「楽しそうじゃな」
 突然声をかけられた真琴とリコは振り返った。間近に立っていたのは、笑みを湛えたピクシスである。
 決まり悪そうにリコは敬礼した。
「不謹慎でした! 申し訳ありません!」
 リコは真琴を肘で突いてくる。
「ん?」
「馬鹿っ。敬礼しろっ」
 囁き声で発するリコに、ピクシスは軽く手を前に出してみせる。

「よい、楽にしてくれ。咎めるつもりなどない。少しでも緊張を解いて、本来の力を発揮してほしいからのぅ」
 言って真琴を見てくる。
「帰れと、言ったはずじゃが?」
「帰れませんでした」
 真琴は首を竦めて苦笑した。
「ならばワシは、お主を兵士として扱うが、覚悟はできているのか」

「覚悟……」
 呟いた真琴。ピクシスは厳しい眼をして命令する。
「心臓を捧げよ」
 反応しない真琴をリコが小突いた。
「敬礼するんだよ」
「ああ……。そういう意味か」

 ぽろりと言い、右手を左胸に持っていこうとした。けれど眼に見えない何かが強く押し止めてくるから、握りしめた拳が宙を彷徨う。真琴は諦めて左手を右胸に当てた。
「馬鹿」と呟いたリコが、ぴしっと額を叩くのが視野に入った。

 ピクシスは眼を丸くした。
「敬礼を知らんのか? 心臓のある左胸に、拳を添えるんじゃが」
「知っています」
「はて……?」
 ピクシスは思慮深い眼差しを投げてきた。真琴はまっすぐに彼を見返す。
「心臓を捧げることはできません。命をかけなくたって、人間は必死になれるはずです。そうでなければ困ります。私は生きたいんです。醜く命にしがみついてでも、生きたいんです」

「屁理屈言うなっ」
 傍らでリコが咎めるのを、ピクシスは手だけで制した。ゆっくりと低語で言う。
「ワシの作戦に、覚悟を持って任務をまっとうしつつ、生き抜いてくれるか」
「ええ」
「そうか。もうじき作戦決行じゃ。頼んだぞ」
 それだけ言うとピクシスは去っていった。

 呆れたのか、リコは頭を振ってみせる。
「肝が冷えるな。普通は処分ものだ。反逆心があると取られても、言い逃れできないぞ」
 真琴は向き直って、真剣に言う。
「リコもだよ。生きていてくれないと困るからね。命を無駄にしないで」
「……なに言ってんの。私は、兵士なんだからね」
 湿りがちに言ったリコは、そっぽを向いてしまった。頬は夕焼けに紅く染まって見えた。

 ピクシスの後ろ姿を眼で追う。
 広い背中には、葛藤が見え隠れしているような気がした。自分の下す命令によって、何百人死のうが、彼は作戦が成功するまで決して諦めないだろう。無念に散っていくであろう数多の命を、広い背中ですべて受け止める覚悟で実行する――それはきっと大罪に違いない。

 そんな中で、兵士たちにはやはり生きていてほしいと、良心が咎めたのだろうか。だから真琴に、注意深く見なければ気づかないほどの笑みを、瞳に宿したのかもしれなかった。


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