01.トロスト区凱旋門前の通りは

「調査兵団の凱旋だー!!」
 トロスト区凱旋門前の通りは人集りができていた。なぜならこれから調査兵団が壁外遠征に出るからだ。
 調査兵団は隊列を成して開門を待っていた。今回の遠征は総勢三百人。ほぼすべての調査兵が、この遠征に参加しているということになる。

 真琴は人の波に押されながら、数週間前の出来事を思い出していた。
「今回の壁外調査は、お前を外すことに決まった。前回の遠征で、やはりお前にはまだ荷が重いとのエルヴィンの判断だ」
 リヴァイの言葉に真琴は眼を見張った。
 参加しなくていい。それは真琴にとって命の危機を脅かすこともなく、平穏に過ごせるという喜ぶべきことのはず。なのにどうしてか寂寥感を伴った。

 ――ん〜。見えない……。
 真琴は隊列を見ようと背伸びをした。だが群衆の頭しか見えなかった。
 どこかに高台はないかと後ろを振り返ったとき、少し離れたところに見知った三人組が目に入った。その三人は民家の玄関の入り口までが、少し階段になっている場所で立っていた。
 真琴は人混みを掻き分けるようにして三人に駆け寄っていく。大きく腕を振った。

「エレン! ミカサ! アルミン!」
 呼ばれた三人が、声の聞こえたほうに振り向くのが見えた。真琴だと気づいた彼らは大袈裟に驚く。
「なんでこんなところにいるんですか!?」
「まさか真琴さん……とうとう調査兵団をクビになったのか!?」
「エレン。真実はときに人を傷つける。簡単に口にしないで」
 ――いや、違うからミカサ……。
 口々に好き勝手言う彼らに真琴は苦笑した。とくにミカサの発言には項垂れそうになった。彼らから見て真琴はそんなふうに見えていたのだろうか。

「違います! クビになんかなってませんってば!」
「じゃあなんで? 怪我してるわけじゃないんだよな?」
 やっと階段の下まで辿り着けた真琴に、エレンが疑問を投げてきた。
「今回は参加を見送ったの。ただそれだけ」
 真琴は何でもなさそうに言ってしかし、悲しい気持ちが胸に広がるのを感じていた。理由を言うのが憚れるようなそんな感じだ。
「ふーん……」
 あまり納得していないようだが、三人は曖昧に頷く仕草をみせた。

 真琴は階段を昇ると詰めるよう目配せをする。四人が踊り場に立つと、縮こまらないと収まらないくらいにぎゅうぎゅうだった。
「真琴さん。狭い、降りて」
「……いいじゃない。仲間に入れてよ」
 ミカサの正直に真琴はちょっと傷ついた。気を取り直して手摺に手をかけ、ミカサの隣にいるエレンを覗き込む。
「いいところ見つけたね! ここなら人の頭も邪魔にならないし」
「だろ!? 絶対見たかったからさ!」
「ラッキーだったんです。丁度ここにいたお爺さんが、僕たちに譲ってくれて」
 端にいるアルミンが、エレンの向こうから顔を突き出してきた。

 真琴は意識して上から目線な眼つきをする。
「子供ってだけで得だよね〜」
「ガキ扱いするなよっ。俺たち明日で卒兵なんだぜ! 希望兵科で研修が終わったら晴れて兵団の仲間入りだ!」
 むくれながら言ったかと思いきや、エレンは得意げな顔をした。
「そっか。おめでとう。よく頑張ったね」
「調査兵団で待っててくれよな! もうじき俺も行くからさ!」
「う、うん」

 真琴は歯切れ悪く返した。
 来てほしくないと思った。その無垢な笑顔を失うことがあったらと思うと、急に怖くなったからだった。
 巨人の怖さを知らなかった日の真琴は、いつかエレンに「待ってるからね」と言った。けれどいまではそれを後悔している。若い血が流れることはあってはならない。
 ざわざわと喧騒が耳にうるさかった。それは民衆の騒がしさではなくて、物思いが引き起こす耳鳴りのようなものだった。

「――さん! 真琴さん!」
「えっ!?」
 思考に捕らわれていた真琴は、エレンの声に瞳を上げた。エレンは膨れっ面をしている。
「聞いてんのかよ〜」
「ごめん、なに? もう一回お願い」
 エレンは呆れたように溜息をついてから、そしてにやりと笑う。
「十位以内に入ったんだぜ、俺!」
「すごいじゃん!」
「ミカサには負けちまったけどな」
 少し悔しそうにエレンは言った。真琴はミカサに尋ねる。

「何位なの?」
「主席」
 事もなげにミカサは発して、真琴は眼を丸くした。女の子なのにたいしたものだ――と。
 そういえば腕に当たるミカサの肩や身体は、異様に硬い気がする。真琴は反対の手でミカサの腕に触れてみた。
「すご……」
「なに?」
 呆然とする真琴に、ミカサは不思議そうな顔をみせてくる。
 ミカサの腕は鉄と見紛うほど硬く逞しかった。
「筋肉、すごいね」
「……そうでもない」
 ぼそっと呟いたミカサの頬は赤かった。褒め言葉と思って嬉しかったのだろうか。だけれど女に産まれて筋肉を褒められても、真琴ならあまり嬉しく思わないだろうなと、ひとり胸の内でごちた。
 エレンが手を翳して、誰かを探している仕草をしはじめる。

「いねぇなー。どこだろ」
「なにを探してるの?」
 エレンは顔をきょろきょろさせて、ややあって歓喜の声を上げた。男の子が大好きなプラモデルを前にして、全身で感動を表す、そんな輝く瞳をさせて。
「見ろ! 人類最強の兵士! リヴァイ兵士長だ!」
 はっとして真琴はエレンの指差す先を辿った。

 ――いた。
 ハンジの隣で、少し不機嫌そうに顔を顰めているリヴァイがいた。
 周りの喧騒が嘘みたいに聞こえなくなる。真琴と顰め面の男以外はすべて白黒の世界、そんな不思議な感覚。
 ――気づいて。
 思って頬を朱くした。これではまるで焦がれているみたいではないか。勝手に気恥ずかしくなって、真琴が視線を外そうとしたそのときだった。
「おい! いまこっち見たよな!」
 エレンの興奮した声が、遠いところから聴こえた気がした。

 * * *

 人集りの喧騒がうるさい。出立の日は、誰しも調子よく調査兵団を見送る。けれど戻って来たときの被害振りを見た途端、手のひらを返して批難してくる。
 リヴァイは煩わしげに溜息をついた。

「呑気なものだ」
「まぁまぁ。今度こそ期待されてるってことでしょ!」
「幸せな脳内だな。解剖したら、さぞスカスカなんだろう」
 傍らで馬に跨っているハンジに、リヴァイはしれっと吐き捨てた。
 暴言も気にせず、ハンジが口を開く。
「ところでさ、どうして今回真琴を外したの? あなたがエルヴィンに進言したんだよね?」
「さあな」
 リヴァイはとぼけた。ハンジが馬を寄せてきた。

「怪しいから、かい?」
 声を潜めてハンジはそう言ってきた。思わずリヴァイは眼を瞬かせる。彼女の表情はいつもの抜けたそれではなく、真剣なものだった。
「なぜ、そう思う?」
「質問を質問で返すの? ずるいな」
 リヴァイは舌打ちをした。一瞬でも動揺した自分を呪う。反応したことでハンジに確信を持たせてしまったに違いない。
 顔も見ずにリヴァイは平坦を装って言い捨てる。
「杞憂だ。役に立ちそうにねぇからおいていくだけだ」
「そう。ならいいんだ」
 そっけない態度のリヴァイを見て、ハンジはこの話を打ち切ったようだ。

 リヴァイは密かに息をついた。
 気になる節はあるが確信に迫らないのは、鍵を出し惜しみしたからだ。ハンジが真琴の何を怪しんでいるのかは分からない。だがそれは逆もしかり。
 何とはなしに自分たちを取り巻く群衆を見渡す。さほど興味もなく人集りを眺めていると、ひときわ大きな声が響いた。
「見ろ! 人類最強の兵士! リヴァイ兵士長だ!」

 リヴァイは声のするほうに視線を向けた。ハンジが歓喜の声の主に困ったような笑顔を見せる。
「彼らの羨望の眼差しも、あなたの潔癖性を知ったらガッカリするだろうね」
 言ってからハンジは後悔したような、非常に不味い顔をして咄嗟に顔面を庇った。傍らの男が、からかった自分に危害を加えてくるかもしれないと思ったのかもしれない。
 けれど予想していた不幸が訪れることはない。遠征直前で度入りのゴーグルが壊れる自体にならなくて、ハンジにとっては幸いだったろう。ではそれはなぜなのか。
 気にならないくらいリヴァイの意識が、遠くに捕らわれていたからだった。

 リヴァイの視線の先を辿ったハンジが、喜々として声を上げた。
「真琴だ! 見送りに来てくれたんだね」
 ハンジの声で、リヴァイはようやく少年たちの方角から視線を外した。
「訓練さぼって油を売ってやがる」
「まぁまぁ。今日ぐらい、いいじゃないの」
 いましがた真琴のことを怪しいと言っていたわりに、ハンジは嬉しそうだった。リヴァイはふと思いついて、ハンジに質問する。

「ハンジよ。雨はどうして降る」
「え? いきなりだな。 ……空のお漏らし?」
 こんなものだろうな、とリヴァイは思った。海が関係しているなど誰も結びつけない。結びつくはずがないのだ。
 血潮に、鉛がどろどろと混じるような重さを感じながら、リヴァイは続けて問いかける。
「塩水は人間の身体が浮くのか」
「ん、科学的にはね。実験したくてもそれだけの塩は集まらないけど」
 ハンジが言うのなら、マコの話は本当だったのだろう。それはすべてが真実だと示す。
 なんだか溜息をつきたい気分だった。リヴァイは鉛のせいで過重になった両眼を伏せた。

「海は身体が浮くんだとよ」
「塩が沢山あるって話が本当なら浮くだろうね。いやぁ、浪漫だなぁ!」
 楽しそうに言ったかと思うと、ややあってハンジは夢から覚めたかのように眉を下げた。
「まぁ、海と言っても御伽噺の域を出ないからね〜。塩の話もだけど、本当にあるのかどうか……」

 陰鬱な気分は街に置いていかないといけない。心に隙間があっては壁外で命取りになる。
 気概を入れてリヴァイは瞳を上げる。正門を鋭く見据えた。
「だが真実に一番近いところにいるのは俺たちだ。そうだろ?」
 未来を期待させるリヴァイの言葉に、ハンジは俄然やる気が湧いようだ。
「そのためにも生きて帰ってこないとね!」
「誰に言ってる」
 リヴァイは鼻で笑い、軽く口端を吊り上げた。

 * * *

「すげー迫力だったなー! 次の遠征にはオレもあそこにいると思うと、胸が熱いぜ……」
 感極まるエレンに対し、ミカサは面白くなさそうだった。まるで調査兵団に嫉妬しているかのように真琴には感じた。
 ミカサがエレンを急かす。
「エレン。買い物につき合ってくれる約束、早く」
「おー。そうだったな」
 ミカサに袖を引っ張られながら、エレンが真琴に向き直る。
「そうだ! 真琴さん!」
 エレンの声に真琴は顔を上げた。

「明日の夜、訓練兵団の解散式があるんだ。ちょっとしたご馳走もでるし、近くに来ることがあれば寄ってけよ!」
「もうそんな時期なんだ。わかった、ぜひ行かせてもらうね」
 ミカサに引きづられながら去っていくエレンに、真琴は手を振って見送った。そしてアルミンに向き直る。
「アルミンはまっすぐ兵舎に帰るの?」
「僕は本屋に寄ってから帰ります」
 真琴とアルミンは並んで帰路を歩きはじめた。

 実はさっきから傍らの動作に、真琴は気を取られている。アルミンははち切れそうなくらいパンパンな鞄を肩掛けしているのだが、見せかけではなくて本当に重いようで、何度も抱え直していたから。
 訓練兵団は本日は休みだと聞いている。講義があったわけでもないし、いったい何が入っているのだろう。秘密の四次元ポケットを想像してしまい、真琴の好奇心がそそられる。

「その鞄、重そうだね。なにが入ってるの?」
「兵法講義の本が全部と」
 真琴に問いかけられたアルミンは、鞄を腹の前に回して被せの蓋を開く。
 見上げたものだと真琴は賞賛の息をついた。講義のない日でさえ、鞄に勉強道具一式を入れて持ち歩いているだなんて、相変わらずアルミンは真面目だ。
 アルミンは困ったように笑って「あっ、でも」と付け加えると、鞄に手を差し入れて分厚い本を取り出した。
「一番重いのはこれですね」

 取り出した物は人差し指ほどの厚みがあって、表紙の縁が銀で装飾されている立派な本だった。端の傷み具合からして相当古い物だと思われる。
「ずいぶん年代物の本だね。どういったものなの?」
「僕の宝物です。祖父がくれました」
 誇らしげに言い、アルミンは本をぱらぱらと捲っていく。
 真琴は本を覗き込んで首をかしげた。
「――あれ?」
「どうかしました?」
「字が読めない……」
 アルミンが苦笑してみせた。
「古代の文字らしくて僕も読めないんです。たぶん誰も読めないと思います」
「へぇ……」

 頭に靄(もや)が薄くかかって、とりあえずの相槌を打った。何かひっかかるが、靄を吹き飛ばして絵に集中する。
 中身は白黒で写真ではなく、すべて絵で表現されていたが、真琴にとっては見慣れたものばかりだった。
「海の絵と、こっちは砂漠だね。反対のページはドラム缶から黒い液体が零れて燃えてるから、石油かな? これは南極大陸っぽいね、オーロラも出てるし」
 真琴は指を差しながら絵を見下ろした。リアルな絵じゃなく、どちらかと言うと絵本にありそうな子供だましな絵だったが、何を表現したものであるかは言うまでもなかった。
 アルミンが両の手で開いている本を、真琴はぱらぱらと捲っていく。
 ふいに耳許に聴こえるお経のような、ぶつぶつと呟く声に真琴は瞳を上げた。アルミンが眼を見開かせて、真琴を凝視していた。とんでもないものを見るかのように。

「砂の雪原……炎の水……氷の大地……」
「え……?」
 あまりにもアルミンが驚愕しているので、真琴は何か不味いことでも言ったのだろうかと思わず生唾を飲む。
 アルミンは何かを払拭するように頭を振り、そのあとで厳しい顔をして瞳を上げた。
「真琴さん、この本は禁忌なんです。僕たちは壁の外に興味を持つことさえ、法で禁止されている。外の知識を有する人自体、とても少ないんです。それに」
「え。どういうこと……?」
 真琴は笑みを見せながら聞き返すが、その表情は引き攣っていた。それはアルミンが纏う空気に、不吉なものを感じたから。

「そうか……。砂の雪原は、さばく。炎の水は、せきゆ。氷の大地は、なんきょくたいりく……」
「アルミン……?」
 ある明はひとりで思考に耽っている。真琴はもっと不安になる。
 俯いて独り言を繰り返していたアルミンが勢いよく顔を上げた。
「真琴さん。いま話したこと、誰にも言わないほうがいいです。僕も今日のことは誰にも言いません」
 深刻な顔をして忠告するアルミン。一方で真琴は戸惑う。そんな真琴をおいて、吹っ切れたように表情を明るくするとアルミンはこう言った。
「では僕はこれで。明日の解散式、真琴さんが来るのを楽しみにしています!」
 さよなら、と律儀に腰を折ってアルミンは去っていった。

 アルミンは誰にも言うなと言った。真琴の発言は彼を深刻にさせてしまうほど、危険なものだったのだろうか。
 真琴は瞬きも忘れて呆然と顎に手を添え、いつかを思い起こしていた。
 ――あの日。
 ――リヴァイとともに星空を眺めていた夜。
 ――彼は一体どんな顔をしていただろうかと。


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