07.あまり進歩のないまま

 リヴァイとオルオとグンタがあまり進歩のないまま、調査兵団一般公開日を向かえた。
 入場開始から続々と市民がやってきて、めいめいに催し物を楽しんでいる様子だ。見渡すかぎり人間の頭だらけなので、どうやら盛況のようだった。
 そんなおり、真琴はひとりで屋外をあてもなく歩いている。上腕には黄色の蛍光色で染められた腕章をつけており、” 巡視 “と書かれていた。
 二班は音楽演奏しか出番がないので時間まで見回りを命ぜられていた。

 日常訓練見学コーナーの近くをうろうろと歩いていたら、若い女兵士に声をかけられた。その腕には男の子が抱えられていて、泣きじゃくっている。
「よかった、巡視担当さんが近くにいて! この子、迷子みたいなんです。私はここの担当で動けないから困ってたの」
 巡視の仕事内容は範囲が広い。防犯や不審者対策、トラブル処理から迷子預かり、果てはゴミ拾いまで。腰元にぶらさがるゴミ袋には真琴の拾ったゴミが僅かに入っていた。
 男の子に向かって真琴は腕を伸ばす。

「責任を持って預かります。名前って聞いてみました?」
「聞いても泣いてばっかりで……。ごめんなさい。忙しいのであとお願いします!」
 そう言うと、女兵士は急いでいる様子で持ち場へと去っていった。

 よしよし、と泣いている男の子を優しく揺らしながら真琴はあやす。年のころは年少くらいだろうか。ミルクチョコレート色の、子供特有な細い髪の毛がはらりと風に吹かれれば、フローラルの香りが舞った。
 泣きすぎて眼を真っ赤にしている男の子に、真琴は首を傾けながら微笑む。
「お名前、言えるかな?」
「マミー! マミー!」
 両手で涙を拭い続けながら口走る言葉は、母親を呼んでいた。
 真琴は片手で子供を抱えて、もう片方の手をズボンのポケットに突っ込む。取り出した棒つきキャンディーを男の子に差し出す。

「食べる?」
 途端に泣き止んで、男の子は宝石のように瞳を輝かせると、小さな手を伸ばしてくる。
「いりゅ!」
 舌足らずな口調に、可愛さのあまり笑みをこぼし、真琴は包み紙を取ってキャンディーを手渡した。
 物で釣るだなんて我ながら姑息な手だったが、こんなにも効果抜群とは思いもよらなかった。
 飾りのような小さな口許からイチゴの香りがふわり。夢中でキャンディーを舐め回す男の子に再度尋ねる。

「お名前、教えてもらえる? お母さんを探してあげるから」
「トニ! トニ・ボザド!」
 ボザド? オルオのファミリーネームと同じだ。家族だろうか、しかし髪の色以外に似ているところが全然ないので、違うかもしれない。男の子はとても愛くるしい顔をしているのだから。
「……お兄ちゃんっている?」
「うん! セリム兄ちゃと、テオ兄ちゃと、あとね! あとね!」
 オルオの名前が出てこなかったので、やっぱり家族ではないのかもしれない。待機所に連れていって、親が出向いてくるのを待ったほうがいいだろうか。それともこの辺りでうろうろしていたほうが、早く見つかるだろうかと思案していたとき、トニが歓喜の声を上げた。

「マミー!!」
 トニの目線を追って振り返ると、背は低いが恰幅のよい中年の女が、必死の形相でこちらに走ってくるところだった。その近くには少年がふたりと、ひょろりと背の高い中年の男。そして後ろには中年の男とそっくりな顔のオルオが、やはり必死な形相で走ってくる。
 中年の女が真琴のすぐそばまでくると、胸を押さえながら呼吸を整えた。そのあとでぜいぜい息を切らしながら言う。

「ああ、よかった。うちの息子です。いつの間にかいなくなってしまって」
 お母さんですか。と真琴は笑みを見せてから、トニにニコリと笑った。
「よかったね、見つかって」
「うん! オルオ兄ちゃもいる〜!」
 言いながら腕を伸ばすトニを母親が抱きとめる。
「本当にありがとうございます!」
 いえいえ、と首を振りながら真琴はオルオに首を傾けた。

「弟? 似てないから違うかなぁって思ってたんだけど」
「末っ子でな。不本意だが助かったぜ」
 オルオは激しい呼吸ながらも顔を崩した。相当に探しまわったらしく、くるくるの短めな前髪が汗でへばりついている。
 しかしながら不本意とはどういう意味なのだろう。たぶん真琴なんかに助けられたことを、悔しく思っているのだろうが。これは少しばかり嫌味を返しておかねば気が済まない。

「全っ然、似てないね。弟くんたちは可愛いのに」
「お前、それは俺の顔が可愛くないと言ってんのか……」
 粘っこい眼をして相対するふたりの間に、オルオとそっくりな男が苦笑して割って入る。
「オルオはわたし似でね、可哀想なことをした」
 オルオの父親の発言でふたりしてばつが悪くなり、真琴は油汗を額に浮かべて恐縮した。オルオの顔のことを遠回しに難詰したために、間接的に父親のことまで言ってしまったことにならないだろうか。
「あ、すみません……。顔のことではなくて」
 もごもごと濁す真琴に続いて、オルオも苦々しい色を浮かべる。
「可哀想はねぇだろう……、親父」
「本当に申し訳ない。お前も母さんに似ていればよかったんだが」
 男は人の良さそうな顔で笑った。

 女がトニをあやしながらオルオに向き直る。
「同じ腕章をしているけど、あんたと一緒の班なのかい?」
「ああ。コイツも兵長と同じ班だ」
「あらそう。いつもオルオがお世話になっております」
 頭を下げた女に真琴も頭を下げた。一言添えようと思ったところで、オルオが偉そうに口を挟んでくる。
「ちげぇよ、お袋。俺が世話してんだよ」
「あんたはもう! そういう態度はないだろう!」
 真琴はちらりと父親を盗み見る。傍らで佇んでいる男は、オルオが女に叩かれるのをただ微笑んで見守っているだけだった。この家は父親の発言力が薄いのかもしれない。きっとかかあ天下なのだろう。

 申し訳なさそうな顔つきで女が真琴に頭を下げる。
「生意気でごめんなさいね。いつも嫌な思いさせていないかしら」
「いえ、まぁ、――うーん……」
 首をかしげて真琴は腕を組む。はっきりと「いえ、そんなことないです」とは言えないようなことが、いままでにあったからだ。
 唸っている真琴をオルオが批判する。
「そこは否定しろよ! 指導をつけてやったりしてんのに」

 すぐに女はオルオを睨みつけて黙らせた。にこやかな笑顔を見せる。
「ペトラさんって子も一緒の班なんですって?」
「そうです。知っていらっしゃるんですか?」
「会ったことはないんですけど、息子からの手紙でいろいろ聞かされててねぇ」
 口許に手を添える女に、オルオが慌てた様子でストップをかけた。
「お袋! カレー! カレー食いにいこうぜ!」
 にこやかな顔のまま、女は邪魔そうにオルオを尻で突き飛ばして喋り続ける。
「なんでも、この子の話だとね。お嫁さんに来てくれるっていうのよ。父ちゃんに顔が似ちゃったから、嫁の貰い手に苦労するかしらって思ってたんですけどね」
 おほほ、と照れながら笑う女に、真琴は作り笑いをすることしかできなかった。
「向こうの親御さんにも挨拶しないとねぇ。縁談は早いほうがいいもの」

 すっかりお嫁に貰う気でいるらしい。一体どういう内容の手紙を送れば、このように誤解するものなのだろうか。オルオがペトラに好意を抱いているのは知っているが、ありもしない嘘をつくのはよくない。
 真琴が白い眼をすると、オルオはそっぽを向いて口笛を吹いた。真琴に惚ける分にはいいが、母親がペトラと対面した場合に、どうするつもりなのだろうとゆく末が心配だ。
 ふいにジャケットの裾を引っ張られる感触に、真琴が視線を落とすとオルオの弟三男がいた。

「テオ!」
 歯の生え変わり途中なのか、前歯が二本ない口を見せて笑う。年齢は年長か小学生の間くらいだろうと思われる。 真琴はしゃがんで、目線を合わせた。
「テオくんて言うんだ。真琴です、よろしくね」
「あのね! テオのお兄ちゃんね! 凄い強いんだよー!」
 オルオのことを言っているのだろう。笑顔で真琴は頷いてみせる。
「それでね! テオね! 大きくなったら、ちょうちゃ兵団に入るんだ! お兄ちゃんみたいになるんだ!」
 なんと言ってあげようか。応援してあげたほうがいいのだろうか、と思案して真琴が口を開けようとしたときだった。
 オルオがそばにきてしゃがみ込んだ。面長の顔には穏和な笑みが――だけれど目許と口許は無理をしているように見えた。

「テオは玩具屋さんになるんだと言ってたろ。俺はそのほうが合ってると思うな」
「でも、お兄ちゃん、かっこいいからテオも軍ぴゅく着たい!」
「軍服ならいつでも貸してやる。だからテオは玩具屋さんになるんだ」
「なんでぇ〜! お兄ちゃんの馬鹿〜!」
 不満そうな顔をしてテオは女のもとに走っていってしまった。
 オルオは溜息をついて眼を伏せた。背中が小さく見える。
 真琴はオルオを覗き込んでみた。
「オルオ? なんでそんなにこだわるの、玩具屋さんに」
 馬鹿。とオルオは小さい声で言い捨てた。
「テオが将来、何になりたいだなんて何でもいいんだ。――調査兵団以外ならな」
 真琴は眼を見開く。
「なんか、その言い方って……」
「否定しているように聞こえるだろうな、調査兵団を」
 真琴は上目遣いで先を促す。

「俺は調査兵団に入団したことを誇りに思ってる。家族にも自慢するしな。その思いは嘘じゃない。けど弟たちには」
 言葉を途切らせ、奥歯を噛み締めるようにしてからオルオは続ける。
「弟たちには調査兵団へは入ってもらいたくねぇんだよ……」

 誇りに思っている反面、嫌忌しているのかもしれない。弟たちを危険な目には合わせたくないのだろう。それは巨人の恐ろしさを知っているがゆえ。目の前で仲間が食われていくのを見ているがゆえ。だから自分が誇りに思っていても、調査兵団を奨めることはできないのだろう。
 苦悩するかのようにオルオは頭を振る。
「こんなこと思うのは、調査兵団を裏切っているみたいで、自分でもよく分からねぇんだけど……」
「ううん。分かるよ、オルオ。家族が大切だからだよ。裏切りとは違うと思う」
 肩に手をのせるとオルオは儚く笑った。見たことのない彼の表情は、弟思いの優しいお兄さんそのものだった。

 トニが見つかってオルオは安心したような顔をし、巡視に戻っていった。そしてオルオの家族たちも去っていこうとしたおりに、トニが喚いた。
「兄ちゃと一緒がいい!」
 トニは女に抱かれながら真琴へと手を伸ばす。
「駄目よ、トニ。このお兄さんはお仕事があるのよ」
「やーの! やーの!」
 キャンディーで懐かれてしまったのだろうか。なんて単純なのだろうと思ったが、この年のころは感覚が小動物と変わらないのかもしれない。
 女が困った顔をする。
「末っ子で甘やかされて育ったからねぇ」

 真琴は思案して、
「よかったら預かりますよ。お子さんが三人もいたら大変でしょう?」
「あら、悪いわぁ」
 遠慮しつつも女はトニを差し出してきた。存外にちゃっかりしている。自分の息子をこうも簡単に他人に預けるものだろうか。だけど四人も息子を産んでいれば、肝っ玉になるのかもしれなかった。
「いえ。適当に巡視しながら、トニ君と会場を回ってきますから」
「まあってきまちゅから!」
 破顔するトニの頭を撫でると、女は頭を下げて家族とともに去っていった。
 歩き出しながらトニの要望を訊く。

「観てみたいものある?」
「りっちゃいきどう乗りたい!」
「トニが乗れるか分からないけれど行ってみようか」
 巡視のついでにもなるし、と真琴は立体機動疑似体験コーナーの方角へ向けて歩き出した。
 日常訓練見学コーナーとは逆方向なので、来た道を戻って正門の受付前を通りすぎたときだった。
 口許にハンカチを当てた髪の長い女が、前方からふらふらとした様子で歩いてくる。年齢は――二十代後半くらいだろうか、真琴より年上に見える。
 すれ違うときにぶつかりそうだな、と思っていたら女は大きくよろけて予想通り互いの肩が当たった。拍子に崩れるように踞ったので、真琴は慌てて屈みこむ。

「すみませんでした。大丈夫ですか?」
 気遣うと女は虚ろな瞳を上げる。見れば、上気するほどの陽気なのに、顔色は真白で唇は紫がかかっていた。
「ごめんなさい。急に具合が悪くなってしまって……」
 弱々しい声だった。
「医務室ありますけれど行かれますか? ご案内しますが」
「いえ。いつものことですので、どこかに座れるところでもあれば落ち着きますから……」
 そう言って力なく立ち上がろうとする女に、真琴は手を貸した。逆の手でトニの手と結んで見交わす。
「トニ、あそこまで頑張って歩けるかな?」
 真琴は少し先に見える、木陰のベンチに視線を投げた。トニがこくりと頷くのを見て、女を支えながらゆっくりと歩き出す。
 ベンチに行き着くと女は気怠そうに腰を降ろして、傍らにトニも弾む勢いで座った。
 女の前で膝を突いて真琴は具合を窺う。

「本当に大丈夫ですか?」
「心臓が弱くて、……でも休んでいれば治まりますから本当に……」
 調子が悪いための冷や汗だろう、こめかみから一筋垂れる。眼を伏せ気味に頷いた女の右胸には、ピンクのリボンが風に揺れていた。
 このリボンは調査兵団が受付で市民に配るもので、色別に区分されている。青は政府関係者、黄色は一般、そしてピンクが、調査兵団の家族やその招待客となっているのだ。

「ご家族の方ですか? お名前を教えていただければ、旦那さんを連れてきますよ」
「違うんです。私、結婚はまだなんです」
 なぜか女は寂しそうに微笑んだので、真琴はとりあえず頭を下げておく。
「失礼しました。えっと、それじゃあ娘さんでしょうか」
「いいえ。恋人がここに……」
「そうでしたか。でしたらその方のお名前を伺ってもよろしいですか?」
「エルド・ジンと言います。でも呼んで下さらなくて結構です。心配かけたくないから……」
 えっと喉を詰まらせた真琴を見て、女は瞳を瞬かせた。

「もしかしてご存知?」
 慌てて真琴は立ち上がり姿勢を正した。エルドは先輩だ。であるならばちゃんと挨拶しておかなければならないだろう。
「ボク、真琴と申します。エルドさんとは同じ班で、大変お世話になっております」
 ちょこんと腰を折ると、女は困ったように笑った。
「畏まれるような立場ではないので、どうぞ楽になさって」
 言いながら女は隣を示すので、真琴はトニを抱っこして腰を降ろすと膝にのせた。ぶらぶらと足を揺らすトニを見て、女の頬が緩む。

「可愛いわね。お子さん? ずいぶん若いけれど結婚が早かったのね、羨ましいわ」
「――ちっ、違いますっ」
 ぶんぶんと首を振って、
「この子は同僚の弟でして、ちょっと預かっているだけで……」
「そうなの。私ったらてっきり」
 とくに悪びれもせず、女はトニに微笑みかける。
「お膝にくる?」
「だっこ〜」
 人懐こくトニは笑って、女の膝に座ると抱きついた。
「やらかいの〜」

 ぴったりと寄り添うトニを見て真琴は思った。末っ子は得てして甘えん坊になりがちだ。これはトニが大きくなっても云えることで、さらにアピールが上手だったりする。
 世渡りが巧いというか何というか、とにかく無邪気さにちょっと羨ましく思ってしまう。真琴にもこのような時期があったのかもしれないが、いまは意固地気味な自分にガッカリすることも多々ある。
 そして女は他人の子供でしかも初対面だというのに、おいでと言う。

「子供、お好きなんですね」
「ええ。だってとても愛らしいもの」
 女はトニの背中を優しく叩きながら、
「ねぇ。リヴァイ兵士長の班? ってどんな感じなの?」
 質問の範囲が広すぎてどう答えてよいのか分からない。何て話そうかと考えていると、女は答えを待たずに独り言のように続ける。
「私、あの人の仕事のことを全然知らないの……。聞いてもあまり話してくれないし」
「調査兵団がどういう任務にあたるのかは知っていますよね……?」
 女は頷く。
「巨人を倒すのでしょう。命をかけて……」
「そうです。リヴァイ兵士長の班は索敵といって、前線に立って巨人を逸早く発見したり、討伐したりするポジションなんです」
「そう…。だからなのね……」
 表情に翳りを落とした女に真琴は首をかしげてみせた。
「だから……とは?」

 背後にそびえ立つ立派な木を、眺めるように女は天を仰ぐ。傘を差しているかのごとく円形に伸びる枝々には、緑の葉がたくさん繁っていて、おのずから日傘になっていた。その影が女の表情にかかっているせいだろうか、儚げに見えてしまう。

「結婚の話が進んでいたのに、このごろになってあの人ったら渋るの。そうね丁度、新しい班に配属されたころからだわ。最近なんて結婚の話すら会話に出さない」
 うら悲しげに女は言った。

 エルド本人ではないが何となく分かる。おそらく結婚を渋っているのは、索敵班に配属されたことで前よりも命を失うリスクが大幅に増えたからだろう。だからむやに結婚を決断できないのかもしれない。それもそのはずだ、結婚して自分が早々に死ぬようなことになれば、不幸になるのは女のほう。それならば恋人のままでいたほうが、傷は浅いのかもしれない。
 真正直にそんなことを言えない真琴は、曖昧にはぐらかすことしかできない。

「きっと新しい班に配属されたばかりだから、そっちに気を取られて忙しいせいですよ。落ち着けば」
「真琴さんは」
 遮るように女は言って、
「例えばよ。いま好きな子がいて結婚してもいいと思っていても、いまの状態で結婚しようと思う?」
 それは索敵班に所属していて――という意味だろうか。しかし答えられる立場にない。例え話であっても真琴には想像がつかないからだ。
 黙っていると女はひとりでに納得したようだった。

「ごめんなさい。分からないわよね。まだ若いもの」
 女は憂苦の溜息をついた。
「分かっているのよ。あの人の気持ち。結婚を踏みとどまっている理由も。でも私は……それでも幸せになりたい。あの人と家族になりたいの」
 真琴はただ黙って頷いた。
「わがままね。自分勝手よね、私……」
 何だか胸が締めつけられる。真琴は頭を振った。
「そんなこと、そんなことないです。誰だって好きな人とは幸せになりたいと思うし、結婚を望むのは自然なことです」
 例をいえば、エルドが憲兵団や駐屯兵団だったのなら、このふたりはとうに結婚していたのだろう。そう思うと気の毒に思えてくる。俯いて真琴は吐露した。

「調査兵団は……罪です」
 はっと女は眼を見開く。
「ごめんなさい。あなたにそんなことを言わせたくて私、こんな話をしたんじゃないの。ごめんなさい……」
「いいんです。ずっと、思ってたことですから」
 さんさんと降りそそぐ陽の光。そんな中で心地いい風が体をすり抜けていくのに、なんだかひどく切なかった。

 女はもう、ひとりでも大丈夫だと言った。あとで音楽演奏を鑑賞しにいくとも。次いでエルドからは恥ずかしいから来ないでほしいと言われているが、必ず行くとも。
 真琴は後ろ髪を引かれながらも、これ以上気をつかわせるのはかえって女の体に毒だと思って、トニと一緒にその場をあとにしたのだった。

 暑さでしおれたわけではなさそうな、無惨な花壇を通過して立体機動疑似体験の近くまで来ると、人集りが増えてきていた。ちょっとしたアトラクションのようなコーナーなので、いまのところ一番人気のようだった。
 そんな中、端のほうにてせっせとゴミを拾う、見慣れた後ろ姿が眼に入った。ツーブロックの髪を覆うように白い三角巾を被って、トングでゴミを掴んでいるのが見えた。その腕には黄色の腕章が目立つ。

「お疲れさまです」
 背後から声をかけると、リヴァイは振り向いて口許を覆っていた白い布を下げた。埃を吸い込まないようにする、マスク代わりだと思われる。
「ああ」
 リヴァイは言い、真琴の抱くトニを見て、僅かに眼を丸くした。
「隠し子がいたのか」
「――はい?」
「なわけねぇな。髪の色が違う」
 そう言ってリヴァイは真琴とトニを交互に見比べた。

 髪の色だけで実子じゃないかの判断は、当てにならないと思う。例えば父親がミルクチョコレートの髪の色をしていたら、母親が黒髪でも優性遺伝で父親に似るだろうし。
 そこまで考えて真琴は頭を振る。こんなこと言われなくてもリヴァイは知っているだろうし、そもそもかつらの色はミルクチョコじゃない。ともすれば彼なりのジョークだったのだろう。

 リヴァイが屈み込む。満タンになったゴミ袋の口を結びながら尋ねてきた。
「どこのガキだ。迷子か」
「オルオの弟で末っ子のトニ君です」
 真琴が答えると、リヴァイは仰ぎ見て今度こそ本気で眼を丸くした。
「……似てねぇな」
「彼は父親似みたいです。そっくりでした」
 真琴は苦笑し、リヴァイは「ほぅ」と立ち上がって腰に手をあてる。
「ならば迷子じゃねぇんだろ。なぜお前と行動している」
「オルオのとこって大家族なんですね。お子さんが三人もいて、このトニも迷子になってたんです。だから大変そうだなぁと思って預かったんですよ」

 仏頂面になったリヴァイが、重心を片脚に傾けた。
「殊勝なこった。ガキ抱えてゴミ拾いができんのか、真琴よ」
「巡視はゴミ拾いだけじゃありませんし……」
「子守りという項目もない」
 ばっさりと切られて真琴は唇を尖らせる。
「そんなに目くじら立てなくてもいいじゃないですか。迷子の延長だと思えば」

 険悪な雰囲気をものともせず、トニが真琴の頬を突いてきた。
「兄ちゃ! りっちゃいきどう! 乗る!」
「ああ?」
 トニの発言にリヴァイが片眉を上げて反応を示した。
「おい。こんなちっこいガキが体験できるわけねぇだろ」
「やっぱり無理でしょうか……」
 苦い色で上目遣いする真琴に、リヴァイが呆れたふうな溜息をついてみせた。
「言を俟たない。大体にしろベルトを装着できんだろうが」
 ですよね、と真琴は落胆してトニを窺う。
「ごめんね、トニ。立体機動の体験できないって」
「や――の!!」

 トニは小さな腕と脚をばたばたさせて、絶対立体機動を体験するのだと駄々を捏ねはじめた。痛くはないが、胸や腹を蹴ってくる。
 振り回す手で、髪の毛を掴まれそうになり、真琴は咄嗟に顔を反らした。かつらを取られてしまうと焦った。

「分かって、トニっ。もうちょっと大きくなったらまたおいでっ」
「やーの! やーの! ぜっちゃい、りっちゃいきどう乗るのー!」

 小さい子供の必死な抗いは、子供を産んだ経験がなく、かつ他人の子供だということもあって、真琴にはどう宥めていいのやら分からなかった。もう一回キャンディーで釣ろうかと、ポケットに片手を突っ込もうとしたけれど、暴れるトニは両手で抱えていないと落ちてしまうに違いない。

「リヴァイ兵士長! ズボンのポケットにキャンディーが入っているので、取ってくれませんか!?」
 体を斜めにし、左腰を少し突き出すして、リヴァイにポケットの場所を示してみせた。リヴァイは呆れてものが言えない、というふうな顔つきをしている。
「物で釣ってんじゃねぇよ。面倒見切れねぇなら始めから預かるな」
 言いながら腕を伸ばす。
「来い」
 ちらりとトニはリヴァイを見て、ぷいっと顔を背けた。
「やーの! こあい目きらーい!」

 リヴァイのこめかみに怒りの筋を見た気がした。だけどもその三白眼では怖がられて仕方ないのかもしれない。
 ゴミ袋をそのままにリヴァイは、ついてくるよう顎でしゃくってから歩き出す。いまだ暴れるトニのせいで視野が悪い真琴は、首を伸ばしながらリヴァイに伺う。

「どこへ行くんです」
「立体機動の体験をさせてやる。ただし」
 少し歩けば疑似体験コーナーへ着き、リヴァイは順番待ちをしている行列で、管理をしている兵士を捉まえた。
「立体機動装置を寄越せ」
「な、なぜでしょうか……」
 突然のことでおろおろしている兵士に、リヴァイは凄みをきかせる。
「早くしろ」
「は、はいっ!」
 慌てた様子でベルトから外した装置は、がしゃんと派手な音を立てて地に転がり落ちた。リヴァイは咎めるように兵士を一瞥したあとで、自分のベルトに取りつける。真琴に向かって腕を伸ばしてきた。

「クソガキを寄越せ」
「な、なにをしようっていうんですか」
 戸惑って、真琴は自分へと伸びる腕から、トニを遠ざけるふうに体を反らす。
 一旦腕を降ろしたリヴァイは、三角巾を外すとズボンのウエストに挟み込んだ。
「おい、ガキ。乗りたいんだろう、立体機動」
 そう言って挑戦的な眼つきを向けると、トニは途端に宝石のように瞳を煌めかせる。
「乗りたいの!」
 リヴァイに腕を伸ばすトニ。真琴は慌てた様子で距離を取る。

「どうやって乗るっていうんですっ?」
「俺と一緒なら問題ねぇだろ」
 だから立体機動装置を装備したのか、と真琴は合点がいった。トニを抱っこして立体機動を体験させるというのだろう。しかし危険ではないだろうか。
「危ないですよ! もし落としたりしたら……!」
「そんなアホなヘマするわけねぇだろ。お前と一緒にすんな」

 ほら、と手をひらひらさせてリヴァイが催促してくる。トニもその気みたいなので、少々心配ながらも差し出した。リヴァイの立体機動における技術は信用しているから。
 リヴァイの腕に抱かれたトニが唇をへの字にする。

「おじちゃ、かちゃい! 兄ちゃみたいに、やらかくないから、やーの!」
 “ おじちゃん “という言葉に、リヴァイのこめかみには再度筋が走る。
「クソガキよ。体験させてやるが、びびってちびんじゃねぇぞ」
 吐き捨ててから、不安そうな面持ちを見せた。トニを頭より上に持ち上げて、リヴァイは尻を窺う。
「オムツしてんだろうな、コイツ……」
 真琴の読み通りならトニは年少なので、オムツが外れている可能性のほうが高いだろう。尻周りを見るかぎりモコモコしていないし。
「外れているっぽいですよね」
「トニ! トイレできる! えらいの〜!」
 誇らしげにトニは言い切った。

 目許に陰鬱の影を落としたリヴァイは、それでもトニを抱え直して体験コーナーの行列を横切り、堂々と割り込みした。おもらしされるかもしれないが、男に二言はないのだろう。
 割り込まれて、立て続けに不満げな顔を寄越す人々。真琴は肩身の狭い思いをしながら、頭を下げてリヴァイのあとに続いた。
 ずかずかと足を踏み入れていくリヴァイに、兵士は誰も咎められない。リヴァイは空に向かって、群集する太い木にアンカーを放った。

 大丈夫だと分かっていても真琴は一言投げる。
「気をつけてくださいね!」
「くどい」
 うんざりな感じでリヴァイに吐き捨てられた。

 片手でしっかりトニを抱き寄せて、リヴァイは立体機動に移った。遠くへはいかず、真琴の周囲を旋回するように木から木へ飛び移る。
 風を切る気持ちよさに、トニの歓喜の声が森にこだました。怖がっている様子はなくて、とても楽しそうに見えた。リヴァイが心配したお漏らしはきっと平気だろう。

 常時よりスピードを抑えて穏やかに飛ぶリヴァイを、真琴はただ仰ぎ見ていた。
 彼の纏う雰囲気からしたら誰が見たって子供など、苦手で煩わしいと思っているに違いないと、決めつけるかもしれない。といっても心の内はそう思っているのかもしれないが。そんなことはリヴァイにしか分からないこと。
 だけど、無表情で飛んでいるけれど、トニの幼さに合わせて緩やかに立体機動を操るリヴァイの姿は、優しさそのもので思いやりに溢れている、そんなふうに真琴には感じ取れた。

 リヴァイと子供。意外と合うじゃない、と思ってしまう。きっと良い父親になる。
 けれど。この男はたぶん結婚などしないのだろうと、真琴は何となしに胸の内が寂しくなったのだった。

「もういっかい、やって!」
 気に入ってしまうと、子供は飽きるまで永遠と繰り返したがる。しかし仏の顔も三度までとはよく言ったもので、トニの四回目のおねだりに、リヴァイは心底嫌そうな眼をして真琴に突き返してきた。
「怪獣だな」
「そんなものですよ」
 困り顔で笑って、真琴はトニを抱き上げた。

 ゴミ袋を肩に引っ掛けて歩くリヴァイに、真琴も何となく並んで歩いていた。
「意外でした」
「なにがだ」
「要望を聞いてあげるなんて。――子供、好きなんですか?」
 リヴァイは道に落ちている紙クズを、新しいゴミ袋に詰めながら、
「どうだかな。どちらかといえば面倒臭いと思う」
 と節のない口調で言った。
 トニの頭が船を漕ぐ。何度も肩に垂れてくる感触と一緒に、細い髪の毛が真琴の首許をくすぐる。
「ならどうしてです? オルオの弟だからですか?」
「そんなところだろう」
 漠として言うと、リヴァイはトニに手を伸ばして頭をぽんと叩いた。
「寝ちまったな」
「はしゃいでたから。――よっぽど楽しかったんでしょうね。お空が」

 ずっしりと重い小さな体を、起こさないように抱え直して、真琴は首を傾ける。そうしてトニのぽかんと開いた口を見ていると、自然に口許が綻んでいった。
 陽気とは関係なしに胸がぽかぽかとしてくるのは、幸せの暖かさをトニが伝えてくれているからだろうか。リヴァイの言う通り、怪獣のように大変なときもある。けれどこの幸福な寝顔を眺め続けていたいがために、夫婦があるのかもしれないと、真琴は思った。

 やにわに感じる、執拗な視線に瞳を上げる。リヴァイが双眸を細めて真琴を見ていたから、心臓がきゅんとした。もしかすると、いま同じことを思っていたのだろうかと思ってしまう。同じ暖かさを、リヴァイも感じているのかと思ってしまう。

 海原に陽光がそそぐ。煌めいて揺らめいて水面は反射する。それを美しいと思いながらも、眩すぎてつと瞳を細めた――そんな深い群青で見つめてこないで。
 勘違いしてしまいそうになるから。男だということを忘れてしまいそうになるから。トニがオルオの弟だということさえも、忘れてしまいそうになるから。
 望んではいけないものを、望んでしまいたくなるから。


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