03.少し足を伸ばせば、誰もいない丘に

 少し足を伸ばせば、誰もいない丘に辿り着いた。ピンクの花が群集して風にそよいでいる。
 なるべく花を避けるようにして腰を降ろし、朝ペトラから手渡された弁当を鞄から取り出して膝にのせた。風に吹かれる真琴の髪の毛が唇に絡みつくのも気にかけず、呆然と遠目を眺める。
 心なし長めのショートカットのかつらを選んだのは、女であるがゆえの意地だったのか。最初は男に見えるか不安だった。もっと短いかつらを選んだほうがいいだろうかとも思いもした。けれどそんな心配は不要で、誰もが真琴を男として扱った。

 素肌に風を感じながら真琴は瞳を閉じた。
 男だから馬鹿にされるのか。女であったなら、多少、目を瞑ってくれるのか。いいや、おそらくどちらであろうとも結果は同じだったろう。
 努力が足りないのか。いいや、遠征を経験してからは親身に取り組むようにしてきた。だというのに、なぜ身にならないのか。やはり心意気が甘いからだろうか。

 何となしに膝を抱えてしまい、弁当が草原に滑り落ちてしまった。
(ペトラが作ってくれたお弁当がっ)
 真琴は慌てて拾う。しっかり蓋がされた弁当は、中身を晒すことなく手のひらに戻った。
 弁当を見つめていると、溢れてくる様様な感情に涙が込み上げてきそうになった。迷惑ばかりかけて、いつまでも柔弱な真琴を、なぜオルオは庇ってくれたのか。男共に何も言い返せない、いくじのない真琴を、なぜペトラは庇ってくれたのか。おそらくすべてにおいて、真琴が関わっているだろうことを分かっていて、なぜリヴァイは何も聞かなかったのか。

 膝を抱いて頭を埋めていたとき、背後から草を踏む音が聞こえてきた。
 ――なぜ、この男は放っておけないのか。
 みんなの思いを無視して、一人でいじける真琴など放っておけばいいのに、と思っていた。
 温かい手の感触が頭に優しく乗って、傍らに腰を落とす気配を感じた。泣き顔など見られたくはないから涙を我慢していてよかった。真琴は顔を上げる。

「こんな所までわざわざ来て奇特ですね」
 無感情で言って、リヴァイも色のない横目を流した。
「喧嘩売ってんのか」
「いえ。迷惑をかけて、すみませんでした」
 真琴は小さく頭を下げた。

「何に対して謝ってるのか、有りすぎて分からない」
「全部です」
 元気なく呟くと、リヴァイは遠くを見据えた。
「勝手にいなくなって心配かけさせんな。昼飯の時間がなくなるだろうが」
 はっとして真琴は眉を寄せる。
「まさか、みんなして探してないですよね?」
 もしそうなら、真琴を見つけたことを報告してあげないと弁当を食べる暇がなくなってしまう。

「あいつらには、しっかり食っとくよう言っておいた」
「なら、いいんです」
 ほっとしているとリヴァイが溜息をついた。

「なぜ自分から距離を置いた。弁当、一緒に食う手筈だったんだろう」
「分からないんです。離れたいわけじゃないのに、離れたくなってしまって。一人になるのは寂しいのに、一人を選んでしまったり」
「本当に分からないようだ。言っていることが滅茶苦茶すぎる」

 抱えた膝に腕を組んで真琴は顎を乗せる。
「なんで、みんな庇ってくれるんでしょうか。オルオなんて、さっきまでボクのことを非難していたんですよ」
「とっくに分かっている答えを、なぜ俺に聞く」
「分からないから聞いているんです」
「他人に言われないと信用できないか」
 仕方ねぇな。と頭を軽く伏せてリヴァイは呟き、そうして強い双眸で遠くのほうにある川を見る。
「仲間だからだろう」

 真琴は顔を上げて眼を丸くし、リヴァイはそのまま続ける。
「どうでもいい奴のことなど、それこそ放っておく。あいつらが馬鹿共を煽ったのは、お前を守りたかったからだろう」真琴と眼を合わせる。「違うか」
「――違わない」
 じっくり思案したので回答が遅くなった。だからなのか、リヴァイは眉間に皺を刻む。

「ここまで言わせておいて、その口が違うと言いやがったら、うなじを削いでやってたところだ」
 すべてお見通しだった。まるで手のひらのお猿さんな気分だった。なぜ兵士とトラブルを起こしたのかも、ほぼ分かっているのだろう。それなのにどうして、と思っていた。

「どうして馬鹿共って分かっていて、喧嘩両成敗にしたんですか」
「お前にも分かるだろう。物事の正しい道筋や、社会関係の中では、守るべき道理ってもんがあるんだ。面倒くせぇが」
 理屈じゃないのだと、吐息のようにリヴァイは言った。
「義理ですか」
「一言で纏めんじゃねぇよ」

 視線を伏せた真琴は、たおやかに揺れるピンクの花を見つめて囁いた。
「……すみませんでした」
「今度は何に謝ってる」
「全部ボクが悪いのに。みんなは、ただ庇ってくれただけなのに。喧嘩両成敗になっちゃって不満げでした。リヴァイ兵士長の決断に納得していない様子でした。そんな顔をさせたのはボクのせいです」

 鼻を鳴らしたリヴァイは顎を尖らせた。
「俺の判断にぶうたれてたのか、あいつらは。ならば罰に加えて、お仕置きが必要のようだ」
「そんなことは絶対にやめてくださいっ。お願いしますっ」
 眉を下げて切に抗議した真琴にリヴァイが流し目をする。

「冗談だ。気づいてねぇと思ったか、あいつらが不満そうにしてたのを」
 真琴が唇をへの字にすると、リヴァイは煩労げに手の甲で二の腕をはたいてきた。
「いちいち真に受けんな。ったく、扱いづれぇ」
 特段痛くもなかった二の腕を、さも痛かったように撫でつつ、「いまは冗談が通じないんです」
 と気落ち気味に眼を逸らしたものの、窓を開けて部屋の空気を入れ換えたかのような気持ちに、いつの間にやらなっていた。彼に聞いてもらったことで、心の底に溜まっていた沈殿物が取り払われたからだった。

 気落ち気味の装いは見抜かれており、リヴァイは和らぎを帯びた小さな息をついた。鞄から弁当を取り出す。
「さっさと食うぞ。だいぶ時間を食った」
「はい」

 頷いて正座をし、真琴は膝に弁当を置いた。蓋を開けた瞬間、ふっとたわやかに唇が綻んだ。なんとも心の籠っている弁当なのだろうと思ったからだった。
 サンドイッチに卵焼き。星形にくり抜いた人参と、ほかには色とりどりの野菜。色のある野菜をセンス良く使って、見た目を素敵なものに仕上げていた。

「美味しい」
 卵焼きを口に入れた途端、ふわふわと柔らかい舌触りが広がり、甘さ加減も丁度よかった。しっかり煮てある星形の人参も、ほんのりした砂糖の味が舌に優しかった。
「とても美味しいですね。ペトラがこんなに料理上手だったなんて知らなかったです」

 そうリヴァイに言ったのだが、弁当を見降ろしている彼は口許を引き攣らせていた。真琴の視線に気づいて追い捲くられたようにサンドイッチを手にし、弁当箱を蓋で半分隠した。
「……ああ。悪くない」
 どことなく歯切れ悪く言い、リヴァイはサンドイッチを頬張る。

 心の中で首をかしげ、真琴はリヴァイの手許の弁当箱を注目してみた。蓋で隠れていて中身が見えないのだが、どうして隠す必要があるのか。
 隠し続けるのをやめずにリヴァイはおかずを取っていく。ますます首をかしげる真琴は、高校生のころを思い出さずにはおれなかった。

 前の晩に、母親と大喧嘩をしたことがあったときである。次の日は弁当を作ってくれないだろうと思って、パンでも買おうと決めて眠りについた。ところが朝、食卓にはいつもの弁当が置いてあり、真琴は何の疑問も持たずにそれを持って学校に行ったのだ。
 昼休みになって弁当を食べようと蓋を開けて、それはもう、したたかに驚愕したのだった。開いた口が塞がらないとは、まさにこのことを言うのかと思ったほどだった。――おかずなしの日の丸弁当だったのである。そのときは恥ずかしくて、蓋で中身を隠しながらコソコソと食べたのだが。

 リヴァイの様子は鮮明に重なるほど、あの日の真琴と似通っていた。だがどうしてだろう、と自分の弁当に視線を落とした。
(普通のお弁当よね? 日の丸でもないし)
 背中を見せるように些か身体を傾けて食べているリヴァイを再び窺い、真琴は素早い動きで蓋を掠め取った。

「何しやがる!」
 リヴァイが短く非難してきたが、真琴はもっぱら弁当の中身に眼を丸くしていた。
(これって)
 サンドイッチや野菜など、中身は主に一緒だけれど、散りばめられた人参の形だけが唯一違ったのだ。
「……ハート」
 弁当を覗き込んでいる真琴は無意識気味にぼそっと呟いた。片側の頬を嫌そうに吊り上げ、リヴァイが肩で突き放してくる。

「近寄るな」
「ボクの人参は星でした」
「みんな違う形なんじゃねぇのか。たまたま俺のが――」
 ハート型の意味をどう捉えたらいいのか、自分の頭が整理整頓できていない真琴は、微かに呆然と、しかしはっきりと否定した。
「違うと思います」
 弁当に視線を落としているリヴァイは、眼を見張って息を呑んだようだった。

 花というピンクの刺繍が入り混じる緑の絨毯に座り直し、フォークを黙々と口に運ぶ作業を機械的に繰り返していた。
 ペトラはリヴァイのことを好きなのかもしれない。恥ずかしくも自惚れであるが、もしかしてペトラは、真琴に恋をしているのではないかと心配に思っていたのだ。いつもまめまめしく世話を焼いてくれるし、オルオと比べると本当に優しくしてくれるからだった。

 噛み続けている人参はもう甘い味などしないのに、なかなか飲み込めなかった。なんだか胸が痛くて嵐のようにざわつくのは、リヴァイに大切なペトラを取られたからではないのだと分かっている。分かっていて気づかないふりをしているのだ。真琴のすべての、大半を占めようとしてくる想いと同じだということを。
(でも、ペトラの想いのほうが断然自然なのよね)
 考えてみれば、存在しない者とどうこうなるよりも、現実に存在する者と結ばれたほうが、リヴァイにとっては一番の幸せなのだろうから、結局はこういう運命に行き着くのかもしれないと思った。

 寂しい表情ながらも妙にしっくりきて、真琴は一人で頷いた。蓋で隠すことをやめたリヴァイがフォークで弁当を示す。
「肉団子が入っていた。真琴は食えないだろう? 残すと可哀想だからな、俺が食ってやる」
 くすっ、と真琴は切なく笑みを零す。
(残すと可哀想……、か)
 ずっと前から知っていたけれど性根は優しい人なのだ。肉団子を探して弁当を見回す。

「あれ? 入っていませんよ、肉なんて」
 真琴の言葉を聞いてリヴァイが眼を剥いたので、首を伸ばして彼の弁当をもう一度検めてみた。ケチャップが絡みついている赤茶色の肉団子が確かに入っている。
 自分の弁当を再び見降ろすが、やはり肉団子は入っていなかった。

 そうして真琴は理由に行き届いたのだった。彼女に相談などしなかったけれど、彼女は何も聞かないし言いもしなかったけれど、真琴が肉を食べられなくなったことを、ペトラは気づいてくれていたのだ。それでさりげなく配慮してくれたのだ。

「――うっ」
 嗚咽が漏れそうになって、慌てて芋の煮付けを詰め込む。甘辛くて絶妙な味付けなのに、胸がいっぱいで飲み込むのに困難だった。
(仲間って、こんなにも温かくて、ありがたかったことを忘れかけてた)
 涙など見せたくないのに止まらないのだから仕方ない。頬を伝う涙をそのままに、顔を歪ませて、ただひたすら真琴は弁当を食べたのだった。
 黙っていてくれるリヴァイの心遣いが、ただ嬉しかった。


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mokuji
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