02.天候に恵まれた調査兵団一行
馬を走らせて一時間。天候に恵まれた調査兵団一行は、ようやく草原地帯に到着した。見渡すかぎり緑一面で、草丈の短い植生が生育していた。遠くに見えるのは山で、陣形の全体演習のあとで行軍するために使うのだ。
立体機動装置を装備し、実際に近い状況を想定して隊列を組む。精鋭班は二班である。
エルヴィンの号令で長距離索敵陣形が展開された。場所ゆえに、壁外のときよりも互いの距離は近い。
隣で並走するリヴァイが真琴に指示する。
「煙弾はすべてお前に任せる」
「はい」
状況は刻々と変化する。黒い煙弾が打ち上がったかと思えば、緑の煙弾が打ち上がる。状況判断をいかに素早く脳内で変換し、そして体にしみつける訓練だ。頭で陣形を理解していても、体がついていかなくては、画期的な陣形の考案も水の泡になってしまうからである。
リヴァイから怒号が飛ぶ。
「進路方向が変わったぞ! 早く打て!」
「は、はい!」
もたもたしながら、真琴は腰元の鞄から煙弾銃と煙弾を漁る。
片手で馬の綱を操りながらの動作なので焦ってしまう。前回の遠征のときは、リヴァイがすべての煙弾を打ってくれていたので、実質初めての作業であった。
探すのに必死になっていても、真琴の愛馬であるリベルタは、リヴァイの馬を追って進路を変えてくれるから助かっていた。ただ綱だけは握っていないと、激しいスピードで疾駆する馬の背でバランスを保てない。
(見つからない! もう、どこにあるの!)
焦ってしまって、余計に鞄の中の探し物が見つからない。乱雑に漁っていたら硬い無機質なものが指に触れた。
(あった!)
手綱と一緒に銃を握って、次は煙弾を探す。と、真琴の手が止まる。
(やだ、忘れちゃった。何の煙弾を打つんだっけ)
真琴は眼をぱちくりさせた。
「指示は何でしたっけ?」
「進路方向の変更だ! 数秒前に言ったばかりだろう!」
「進路方向、進路方向……」
呟きながら鞄を漁り、はたと真琴の動きがまた止まる。もう頭の中は混乱の渦中だった。こめかみに伝った汗が空に散る。
怒られるのを覚悟でリヴァイに伺う。
「な、何色でしたっけ?」
リヴァイは盛大な溜息を吐いた。
「いまさら何言ってんだ」不快げな眼つきで怒鳴る。「緑だろうが!」
「そ、そうでした。緑です」
青ざめながら謝って再び鞄の中身を漁る。しかし五色もある煙弾の中から緑を探すのは至難の技だった。
リベルタが駆け続けるので、反動で真琴の体が大きく上下に弾み続けている。もはや鞄の中を見る視点など、いくら凝らしても定まらないのだ。
そうこうしているうちに、背後から赤の煙弾が打ち上げられた。すかさずリヴァイが指示する。苛つきが含まれているような感じだった。
「赤に変わった! お前、いい加減にしろ! 一度も打ててねぇぞ!」
「だって見つからない!!」
苛々してしまい、探しながら真琴はリヴァイに当たった。
「さっきから馬頼りじゃねぇか! 下ばっか見てんな!」
「探してるんです!! 馬が揺れるから見つからないんです!!」
「両脚で強く馬の胴を挟み込め! 両手が空くだろう!」
言われた通りに挟み込むと、さきほどよりは密着感が高まって体が安定してきた。やっと目的の煙弾が見つかって指先で摘まみ出す。と、滑って草原に転がっていってしまった。
「なにやってんだ……馬鹿が」
リヴァイの呆れたような低い声が聞こえたときだった。後方から黄色の煙弾が上がったのであった。
作戦遂行が不可能なことを示す黄色。今回の演習では、周囲が的確に判断できていないとエルヴィンが判定した場合に、やり直しの意味で打ち上げられる。
何度も演習を繰り返すが、あまり真琴は俊敏に動くことができなかった。次列中央にいるエルヴィンには、真琴の二班が巧く機能していないのは丸わかりなのだろう。最初こそ、もたもたしていると即座に黄色の煙弾を打たれていたが、もう無視されているようだった。
正午になって昼食の休憩に入った。馬を一所に集めて、各自で弁当の時間となる。
リヴァイを除いて二班のみんなが集まって、オルオが眉を吊り上げた。
「お前、全然できてなかったな。ったく迷惑ばかりかける」
真琴に言われた台詞なので、少し落ち込みながら頭を垂れる。
「馬上で物を探すのって難しいんだもん」
だもんっ。と、可愛くないが可愛らしくオルオは言った。
「――じゃねぇよ、気持ち悪いなぁ」
「本当に気持ち悪いからやめてね。オルオ」
すかさずペトラが突っ込んで、エルドが困った顔をする。
「まあ、もう少し慣れてほしいもんだな」
「あれだけやって進歩もないってのが、逆に不思議だけどな」
グンタに笑われてしまい、真琴はさらに頭を垂れるしかなかった。
会話が真琴から逸れて、弁当をどこで食べようかと喋りながら歩いていた。前方からやってきた三人の男兵士が立ち塞がる。
「おいっ! 二班はお前らだよな」
不満げな口調で話しかけてきた。エルドが一歩前に出る。
「ああ、そうだが。何か用か?」
「演習を何度もやり直しになったのは、お前らのせいなんだろう?」
あきらかに年上なエルドに対して、若い兵士たちは当たりが強い。対するエルドは冷静に対処した。
「ああ、その通りだ。不慣れで申し訳なかった」
「迷惑千万だぜ。そういや二班には落ちこぼれがいるって、誰かが言ってたっけか?」
兵士がそう言うと、別の兵士がこちらに割り込んできて、ペトラにいやらしい眼つきをした。
「大概、駄目なのは女だ。お前か?」
「誰に言ってるのよ」
ペトラは負けじと美しい顔を険しくさせて兵士を睨む。兵士は鼻で笑ってターゲットを真琴に変えた。
「ならお前か? 一番弱そうだしな」
否定も肯定もできず、気圧されている真琴はただ口を固く結ぶしかできなかった。すると兵士の唇がにやりと吊り上がった。
「おい! こいつだ!」
背後にいるほかの兵士に向かって言い、もう一人が真琴を睨んできた。
「ったくよぉ。なぁんで、こんな落ちこぼれがリヴァイ兵士長の班にいるんだか分っかんねぇぜ!」
「クズみてぇなのがいると、全体の指揮が落ちるんだよなぁ!」
「どうやって取り入ったんだか不思議なもんだ! 教えてくれよ!」
そばにいた兵士が真琴に見下すような眼を投げるのを、ただ俯いて拳を強く握るしかできなかった。
突然、広い背中が正面に無理矢理割って入ってきて、真琴はよろけつつ後退した。
「特別な才能があるからだ! ばぁぁか!」
嫌味ったらしく言い返したのはオルオだった。彼は続ける。
「お前らにはねぇ貴重な技を持ってんだよ! どアホ!」
「見苦しい言い訳すんじゃねぇよ! そんなに凄いってんなら、いますぐ見せてみろ!」
兵士が顎を突き上げるようにすると、オルオも突き上げる。両者で火花が散るが、オルオは喉を詰まらせた。
「――し、真打ちは遅れてやってくるんだよ! クソが!」
「苦し紛れの嘘をつくんじゃねぇよ!」
「うるせぇな! 仲間を馬鹿にされんのは我慢なら――がふっ!!」
いいところでオルオは長い舌を思い切り噛んだ。兵士は馬鹿にしたふうに笑う。
「馬っ鹿じゃねぇの、舌なんか噛んで! 二班は変な奴ばっかだぜ!」
ペトラがオルオの肩を引いて、気の強い眼つきで代わりに返す。
「脳ある鷹は爪を隠す、って言葉を知らない? 変人の集団ほど怖いわよ」
「生意気な女だ。一人歩きできなくさせてやってもいいんだそ」
掠れた声で兵士は凄む。ペトラは何とか威厳を保っている様子だ。
「何をしている」
低い声を全員が振り向いた。少し離れたところから、こちらにやってくるリヴァイの姿があった。隣には背の高いショートカットの女兵士もいる。
あっ! と女にしては低い声を上げて兵士が駆け寄ってきた。
「何しているの、君たち!」
咎める口調で女兵士が言うと、さっきまで嫌な眼つきをしていた兵士たちが互いに眼を合わせる。
口を開かない兵士たちに女兵士は溜息をついた。
「彼らに聞くから、君たちは戻ってお昼にしなさい。時間ないよ」
頭を下げて去っていく兵士たちを、見守っていた女兵士が口を開いた。
「ごめんね。たぶん彼らが悪かったんだ。私の班の子たちなんだけど、血の気が強いから」
「いや、ナナバ」
横からの声をナナバが振り返る。リヴァイは緩く頭を振る。
「遠目からだが、見たかぎり、うちの班の奴も煽ったようだ」
そう言ってオルオとペトラを見据える。
「トラブルの原因は何だ?」
それに対してエルドが前に出る。
「二班が演習で迷惑をかけたことが、彼らは納得いかなかったようです」
「それで?」
「結構な勢いで啖呵を切られたのでオルオが――」
「ペトラも関わっていたようだが?」
リヴァイの詰問でエルドが難しい顔に変わる。
「はい。ですが彼女に対しては、彼らの発言は行き過ぎでしたので」
「どんなことを言ったのかな?」
ナナバが口を挟み、エルドは頷いて続ける。
「女性を脅すようなことを」
溜息をついたナナバは呆れたように頭を振った。
「完全にうちが悪いよ、リヴァイ」
申し訳ない。と頭を下げたナナバに、ペトラは唇を震わせながらも首を横に振った。
ペトラは女だ。男から凄まれて脅され、怖かっただろう。真琴は遺憾で唇を噛んだ。自分を庇って反害を受けてしまったからだ。
そんな中で別なことも考えていた。リヴァイである。彼の対処は大いに意外だった。一方からではなく、両者からの意見を聞いて判断しようとした。一匹狼な気質かと思っていたが、対人関係において、ナナバに対して律儀な面があったことを多少なりとも驚いていたのであった。
班員を見回しているリヴァイはナナバに言い切る。
「喧嘩両成敗でいい。そう始末書を作成してくれ」
「いや、駄目だよ。うちの責任だ」
「いいや、うちにも非はある。実際に演習で迷惑をかけた。ヤツらを苛立たせる原因を作ったんだからな」
「申し訳ない」
固い表情で軽く頭を下げ、ナナバは足早に去っていった。
納得いかなそうに唇を結ぶ自分の班員に、リヴァイは溜息をつくようにして言う。
「罰は昼飯抜き――と言いたいところだが、このあと行軍が控えているしな」
顎に手を添えて、山のほうに視線を彷徨わせる。
「罰は持ち帰りだ。覚悟しておけ」
「はい」
頷いたのはエルドだけだった。
情けなくて真琴は顔を上げることができなかった。すべての責任は自分にあるのだ。かといって、せっかくみんなが庇ってくれたのに「一人で責任を取ります」だなんて分不相応で言えなかった。
「飯にするぞ」
踵を返すリヴァイに班員が黙ってついていく中、真琴はその場から動けなかった。そうして誰にも気づかれないままで、逆のほうへと歩き出したのだった。
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mokuji
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