20.会わせたい人がいる

「会わせたい人がいる」とフェンデルからそう言われ、真琴は屋敷を訪れていた。半休なので、予定が終わったら兵舎に戻らなくてはならないので男装のままだ。
 応接間で真琴とフェンデルは向き合っていた。紅茶を啜りながら彼が振り子時計に眼をやった。

「遅いな。時間にルーズな奴じゃ」
「会わせたい人って誰なんですか?」
 さきほどからそれが気になって真琴は紅茶に手を出せずにいた。入れたての湯気はとうに消えている。
「ふむ。お主は自分の事をわしに話してはくれんが……、何か大きな秘密というか、困ったことがあるんではないか?」
 後ろめたくて息詰まった。この世界に放り出されたばかりの真琴をフェンデルは知っているのだ。生活に慣れていくうちに、あの時着用していた洋服が風変わりであったことを認識できたいま、さぞかし彼は奇態だと思っていたことだろう。加えて最初のころの手紙のやり取りで、真琴が文字を書けないことと、知らない文字を書くことも知っているのである。何かある、とフェンデルがそう思うのは可怪しくない。

「おじさまには信頼を置いています。……でも言っても、きっと」
 言い淀みつつ言うと、構わないというふうにフェンデルは手を振って紅茶のカップを卓に置いた。
「無理に話さんでいい。ただ、その人物と見知りになれば、お主の悩みの助けになるやもしれぬと思うてな」
「どんな方なんですか?」
「どんな奴……か」
 溜息をつくようにして柔らかいソファの背凭れに寄りかかった。
「一言で表すのなら謎の塊、そんなところじゃろうて」

「え? おじさまとはお知り合いの方なんですよね?」
「知り合い、果たしてそう呼べる間柄なのか」
 腕を組んだフェンデルは皺だらけの顔に深刻な色を浮かべた。真琴はわけが分からず疑問符だらけだ。
「一つ忠告する。奴を信用」

「それ以上は噤んでもらおうかな。ご老人」
 突然割った透き通るような声を振り返る。両開きの扉を音もなく開けた声は若い男で、扉口の枠に背を預けて微笑んでいた。
「僕に会わせたいって貴方が言っていたのは、この子?」
「うむ。そうじゃ」
 にこやかな男に対してフェンデルは深刻そうな顔のまま頷いた。

「外で話したいな。ちょっとだけお借りしても?」
 ずいぶん親しげに話す男だった。なのにフェンデルはどこか他人行儀である。どういう知り合いなのだろう、と真琴は首をかしげた。
 ややあって男の申し出にフェンデルは了承する。
「ルストガルデン広場がいいじゃろう。旅芸人の一座が来ているとかで賑やかなようじゃぞ」
「人が大勢いたほうが、ご老人も安心ですよね」
 フェンデルは小さく唸った。

 男が真琴に向き直る。
「許可が出たよ。さあ、行こうか」
「え、ですが……」
 知らない男と二人きりというのは不安だ。困った真琴はフェンデルに視線を投げるが、彼はただ頷くだけであった。
 男はにこりと手を差し出してくる。
「時間がもったいないよ」

 ソファから立ち上がろうとしないので男は痺れを切らしたらしい。真琴の手を取って応接間の両扉へ導いていく。
「おじさまっ」
 真琴はフェンデルを振り返ったが、心配そうな顔つきながらも引き止めてはくれなかった。

 ルストガルデン広場に属する公園の原っぱは、丈の短い草に混じって白い可憐な花が咲いている。日傘を差した裕福そうな女性や、恋人、子供たちの元気な声が広い公園を賑わしていた。
 真昼の太陽はじりじりとうなじを刺してくる。少し歩いただけで汗ばんでしまう陽気だ。どちらかといえば汗を気にする夏よりも冬のほうが好きだな、と真琴は思っていた。
 男は真琴を公園まで引っ張ってきてから原っぱに座ったきり一言も発しない。

 世間話を振る気にもなれず、真琴は男を観察することにした。
 遊び回る子供たちを立て膝で眺める男は真琴よりも年上だろう。二十代後半に差しかかったあたりかもしれない。
 長身の男で真琴の頭二個分ほど高い。肩に少しかかるくらいの金髪の髪は、黄色というよりは色素の薄い白よりで、前髪は目許すれすれで垂らしている。その顔はどこか少年っぽさが残り、けれども男なのに美しい。真琴の上司であるリヴァイとは、また味の違う美形だった。口許は常に朗らかに口角が上がっている。

「僕の観察は終わった?」
「えっ」
 見つめすぎた。初対面の人に対してとても失礼なことだったろう。
「ごめんなさい。失礼でした」
「ううん。好奇心を持つことは悪いことじゃないよ」自分の隣を指差す。「座ったら?」
 公園に着いてからずっと棒立ちだった真琴は男の一言でようやく腰を降ろした。

 男は真琴を見ずに問う。
「名前、何ていうの?」
「えっ?」と真琴は少し眼を丸くした。フェンデルが会わせたいと言っていたので名前ぐらい知っていると思い込んでいた。
「名前。ないの?」
 男に催促されて戸惑いつつも答える。
「あ。真琴といいます」

「君のことだけど、フェンデルさんからは何も教えてもらってないんだ。名前も、出身もね。ただ紹介したい人がいる、って言われただけ」
 あ! と思い出したように言って男は横目で真琴を見る。
「君が調査兵団の兵士だってことだけは聞いたよ」

 ということは男は真琴のこと何も知らず、いまの格好を見て男だと思い込んでいることになる。何だかとても不思議な男だった。にこやかな表情の裏が読めなくて、どこか薄っぺらい印象だ。身内からの直感が怪しんでおり、自分のことを話すのを憚られた。

「ボクは、会わせたい人がいるって言われておじさまから呼び出されたんです、でも詳しく聞いていないので何も知らないんですけど」
「うん」
 片方の手を草原に突いて男は重心を後ろに傾けた。
「ある組織に君を入れれば君の助けになる。フェンデルさんはそう思って僕を頼ったみたいだ」
「……組織」
「そう。僕たちは徒党を組んでる」
 徒党を組んでいると男は言う。その組織が一体何の活動をしており、真琴の助けになるというのだろう。

「たち、ってことは、おじさまも組織というのに入ってるんですか?」
 男は頷く。
「秘密結社って言えば分かる?」
「……存在を隠している組織ですよね? 国からも認められていない団体」
 何だか雲行きが怪しくなってきた。何が目的の秘密結社なのかは知らないが、そんな組織にどうして真琴を勧めるのか。ただ怖かった。組織の一員だということを男が真琴に打ち明けた時点で、運命は決まったようなものではないか。

「秘密結社だとか……そんなことを国の組織に所属しているボクに話してもいいんですか」
 いいはずがない。歴史を思い出してみても、その怖さに背筋が凍る。存在を知った者は闇に葬られるのだ。
「君が兵団に報告したとして僕たちは何も困らない。簡単に捕まるほど馬鹿じゃないし、柔でもじゃない。例え捕まっても僕たちは強い絆で繋がってる。尻尾を掴まれることは、――ない」
 でも、と男はにっこり微笑う。
「フェンデルさんを殺されたくはないでしょう?」

 無邪気な笑顔にぞっとした。上に報告すれば真琴は必ず消されるに違いないと思える笑顔だった。
「……組織に加入するしか選択肢はないじゃないですか」
(恨むわ、おじさま!)
「そうなるね」
 何の助けになるのか分からないけれど、どうしてこんな危険な組織に紹介したのか、と真琴の顔が歪んだ。奇態だと思っているだけのフェンデルが、そこまで考慮してくれているとも思えないが、自分の世界へ帰る手助けになるのだと考えても危う過ぎる。

「秘密結社の目的ってなんなんですか?」
「その前に」
 言葉を区切った男は立ち膝の脚を入れ替えた。
「強い絆で繋がってると言ったよね。どうしてだと思う?」
「志を同じくしている人たちの集まりだからですか?」
「志ね。人の心は移ろいやすいんだよ。そんなのは強い絆とは言わないな」
 自分のスタンスに近い政党マトリクスで入党したはずが、党内で意見が合わずに分裂という話はよくあるけれど。しかしこれ以外に絆が思い至らなかった真琴は首を振った。
「ほかに思いつきません」

 立て膝に肘を突いて男は頬杖をする。
「例えば王政に認可されているウォール教。あれはね、洗脳なんだ。結束は固いけど絆なんてものはない」
 名前だけは聞いたことのある宗教団体だ。洗脳と聞かされても別段不思議には思わなかった。宗教というのは信者の心を掴む。それゆえ熱心すぎて怖いものもあるけれど。
「志でも洗脳でもないのなら、あなたたちは何で結ばれてるというんですか?」
「秘密」

 真琴はきょとんとしてしまう。ここまで話したくせに、隣に座っている男は絆を教えてくれないのだろうか。
 真琴の表情に気づいた男が意外そうに眼を丸くした。
「あれ? 何か勘違いしてる?」
「だって秘密なんですよね?」
「やっぱり勘違いしてる」

 眼を細めて男は微笑む。
「『秘密』で結ばれてるんだよ」
「秘密」という言葉を男は強調した。
「お互い知られたくない秘密は誰だってあるでしょう? それを共有することで結束を高める。その絆は洗脳よりも強いよ。もちろん秘密は固く守られる」

「組織の一員みんなで共有するんですか?」
「ううん、僕だけ」そら恐ろしい微笑で囁く。「みんなの秘密は僕しか知らない」
 神秘的な怖さを持つ男は真琴の唇を震えさせた。
「あなたが……リーダー」
「自己紹介がまだだったね。僕の名前はフュルスト。組織のリーダーだ」
 首を僅かに傾けたフュルストの蒼い瞳が、真琴を射抜く。
「君の秘密、教えてくれる?」

 発声するには、暑さだけで乾いてしまったわけではない喉を潤さなくてはならず、真琴はごくりと唾を飲んだ。怖く思うその瞳に内緒にしていることを全部持っていかれそうだった。
「あ、ありません、秘密なんて」
 本当はある。(実は私が女で、この世界の人間ではないということなら)だが話すつもりはなかった。この男は怖い、信用できない、と身内がそう警告してくるからだ。

「そんなはずはないよ。人間は誰しも秘密を抱えて生きてる」
「あ、あなたはみんなと共有しているんですか? 秘密を」
 ん? とフュルストは不思議そうな顔をした。
「僕の秘密は僕だけのものだもの」
 ずるい男だ。秘密で仲間を縛りつけておきながら、自分の秘密だけは大事な宝箱に閉まって触れさせないらしい。しかし活路を見つけた。ここを突けば秘密を話さずに済むかもしれない。

 真琴は挑発するように顎を尖らす。
「そんなのフェアじゃないですね。取引です。あなたの秘密を教えてくれたら、ボクも教えてあげますよ」
 あは、とフュルストは美しい顔を崩して微笑う。何が可笑しい、と真琴は頬を膨らませた。
「可愛いね。気の強い『女性』は嫌いじゃないよ」
 言いながら真琴の頬を指で突く。

「なっ!」
 赤らんでいく頬を手で押さえた真琴はフュルストと距離を取った。
 どうして赤くなったのか自分でも分からない。女だと指摘されて動揺したのか、フュルストの微笑に毒されたのか。どちらにせよ安易で甘かったようだ。真琴程度で太刀打ちできる相手ではなかった。

 鳥の羽根のような巻雲が浮かぶ干天の空を見上げて、フュルストは呆れた口調で言う。
「僕からしたらバレバレなんだけどな、君の変装なんて。調査兵団ってよっぽど節穴なんだね」
 ちらっと見てくる。
「その格好で兵団にいるってことは、バレてないんでしょう?」
「……男ってことになってます」

 眼を凝らすようにしてフュルストが手を伸ばしてくる。
「瞳の色のわりには髪の色が釣り合ってないね」
 と言い、ショートの髪の毛を触れてきた。引っ張られそうになって真琴は慌てて彼の手を弾く。
「光の加減じゃないでしょうか」
「光の加減ね。眩しいほどに晴れてるのに?」
 まさか東洋人であることも見抜かれたのだろうか。いじり回して喜んでいるような目許を見れば明かな感じがした。

 フュルストは立ち上がって背伸びをした。
「まあいっか。君にはもっと重そうな秘密がありそうだけど、いまのところはそれでいい」流し目でさらりと脅す。「裏切ったら許さないけどね」
 真琴は苦虫を噛み潰すしかなかった。
(この人に下手な嘘は命取りだわ)

「あれ?」
 ふとフュルストはゆっくりした動作で反転した。
 真琴も振り返る。原っぱの奥は立木で囲まれていて隙間から馬車道が見えた。
「君って、つけられてる?」
「え??」

 眼を凝らして辺りを探る。馬車道に一台の馬車が止まっているだけである。
 つけられている、とはつまり尾行されているということだろうけれど。真琴に思い当たる節はなく、尾行されているというのならフュルストに用があるのだろうと思った。

「怪しい人はいないけど……、あなたがつけられてるんじゃないんですか? 職業的に」
「かもね。あっ! フェンデルさんの迎えだった」
 あの馬車はフェンデルのものだったようだ。

 原因が分かったのにフュルストは表情を消してまだ遠くを見ている。そうして意地悪くにやりとして腰を折り、真琴の腕を取って引き寄せた。
「組織へ迎え入れる儀式をしなきゃ。眼を瞑って」
 抵抗する間もなく、唇に柔らかいものが触れる。
 鮮やかな手口で唇を奪ったフュルストはくすっと微笑った。呆然とする真琴の腕を引き起こして言う。
「君を歓迎するよ、一緒に政変を起こそうじゃないか。ようこそ、秘密結社ヴァールハイトへ」

 口許を覆うのも忘れてしまった。
(儀式なんて大嘘! 相手が男だった場合もキスをするっていうわけ!?)

 フュルストと別れた真琴は迎えにきてくれたフェンデルと共に馬車に揺られていた。帰路の途中である。
 ベルベット素材の赤い座席はふわふわで座り心地が良いのに尻が痺れてつらい。スプリングのない馬車は全身に細かい振動を伝えていた。
 しばらくの静寂のあと、フェンデルが重そうに口を開いた。

「すまんの。不思議な男じゃったろう」
「……あんな人をどうして私に紹介したんですか」
 しょんぼりしているフェンデルに怒る気力は失せていた。代わりに呆れに似た脱力感が伴っている。
「組織の目的は聞いたろう」
「はい。政変……クーデターを企んでいるみたいですね」

 頷いたフェンデルは杖に体重をかけるように少し前屈みになった。
 ほどよい艶のある杖は黒檀を使っているのだろうか。象牙の握りが高級感を醸し出しており、相当高価なものだろうことが窺える。

「以前から王政のやり方には疑問を持っていたが、わしが本格的に政変を望んだのは、十年前のある出来事がきっかけでのう」
 寂しげな翳りの色を目許に差してフェンデルは続ける。
「十年前にな、わしの一人息子が憲兵に殺されたんじゃ」
「息子さんがいらしたんですか? 跡取りがいないっておっしゃってたから、てっきり」
「殺されてしもうたから跡取りがおらんのじゃよ」
 突然の告白に真琴は絶句してしまう。そして次にピンときたのは屋敷の廊下に飾ってあった若い男の肖像画だった。
(あの人って、おじさまの息子さんだったんだわ、きっと)
 それにしても衝撃な事実だ。憲兵に殺されただなんて一体何があったのだろう。

「表向きは行方不明で公にはなっていない。だがある筋の情報もあって、わしは憲兵に殺されたと確信しておる」
「……どうして、そんなことに」
「王政の方針に逆らったんじゃ。これも公には法にもなっとらん」
「どんな咎で?」
 フェンデルは杖を強く握りしめた。黒檀の杖が軋みを上げる。
「科学や技術開発によって国を脅かした罪――らしい。なんとも馬鹿馬鹿しい話じゃ」
「それは国のためにもなるじゃないですか。どうして罪にあたいするんですか。それとも危険な研究だったんでしょうか」

 国を脅かすほどの研究で罪になるとしたら、どういったものがあるだろう、と真琴は考えてみた。
 例えば核開発。これはとても恐ろしいだろう。この国など一瞬で滅びてしまうに違いない。ほかには細菌兵器の開発や殺人ウィルスの研究か。これらが悪人の手に渡っても恐ろしいことになりそうだ。
 脅かすものと言われたら、どれも兵器に関することしか真琴の頭には浮かばなかった。

「何が王の逆鱗に触れたのか、わしには分からんよ。息子の研究もよく分からんかったが……」
 溜息をつくようにしてフェンデルは座席に深く寄りかかった。
「なんでも、わしらの排泄物や生活用水、泥水などを綺麗な水に戻すという眼に見えない小さな生き物を研究しておった。あやつは限りある壁内の資源を憂いておった。わしは風呂に入ったあとの水など、いくら透明であっても飲みたくないがの」

 真琴は眼を見張った。それは浄化槽技術であり、ひいては街がより住みやすくなる下水処理技術に繋がっていく。フェンデルの息子は嫌気性と好気性の微生物を研究していたのだろう。

「それは国のためや、民のためになる研究です。浄化に失敗してお腹を壊した、って怒られることはあっても、研究を続けることを咎める理由にはならないと思うんですけど」
「真琴は詳しいんじゃな……。だがのう、いまの王政でそれはまかり通らんのじゃ。息子が殺されて初めてわしも知ったんじゃが、いままでにも科学者が忽然といなくなることがあったそうじゃ。おそらく闇に葬られたのじゃろうて」
 馬車の小窓から外の景色を眺める。
「わしの野望に加担させようとして、お主を組織に紹介したのではない。あの組織は科学者の支援もしておっての。真琴の故郷へ帰る手段も、新たな技術によって可能になるかもしれんじゃろうと、思ったからなんじゃ」

 フェンデルが故郷と口に出したので胸がざわついてしまった。馬車で片道何時間とか、そういう言い方ではないように感じ取れた。
「……私、故郷のことは何もお話していませんが」
 フェンデルはうら寂しげに言う。
「わしも知らんよ。ただ、遠い……遠い所からやってきたんじゃろうなと、思っただけじゃ」
「そう……ですか」

 フェンデルには真琴がどこから来たとは一切話していない。しかし何かを感じ取っていたのかもしれない、と真琴は思ったのだった。

 調査兵団本部から少し離れた所で真琴はフェンデルと別れた。
 とぼとぼと歩く本部への道すがら、ひぐらしが夏の夕暮れを知らせていた。ずいぶん陽が高くなったもので、だいぶ話し込んでいたわりに、まだ空は暗くなっていない。

 フェンデルが秘密結社を紹介したのは、特に売ろうとしたわけでもなくて、純粋に助けになると思ったからであった。
(私を思ってのことだったのなら、怒ることもできないし、恨むこともできないじゃない)
 それでも大変なことに巻き込まれてしまったことに変わりはないのだ。
(この状況って二重スパイ……じゃないわよね? 違うわよね?)

 背筋が凍えてくる。
 発覚した場合どちらにも逃げ場はない。調査兵団を取った場合は秘密結社に殺されるて、秘密結社を取ったら調査兵団に殺されるのだろう。
 立ち止まった真琴は目許を手で覆い、そうして大きく息をついた。改めて、やはり大変なことになったと痛感していたのである。

 金属のぶつかる軽い音が背後から聞こえた。後ろから縦長に伸びてくる夕暮れの影が、ぐるりと真琴の影を覆う。 
「――っ」
 巨人かと思って一瞬だけ恐怖に震えた。が、ゆったりと踵を鳴らす音に胸を撫で下ろす。

「いま帰りか」
 その踵の音で、声を聞くよりも先に誰だか分かってしまう。なんだか犬みたい、と思って真琴は振り返った。
「リヴァイ兵士長――」言いながらリヴァイの顔から腰許へと視線が落ちる。「……も、出掛けていたんですか?」
 不自然に間があいてしまったのは彼の格好に些か疑問を抱いたからであった。
 軍服に外套。ここまでは普段通りだ。だが腰許にぶら下がっている箱が金属音を立てている。リヴァイは立体機動装置を装備していた。

「何かあったんですか? 任務とか」
 市街地での立体機動の装備は原則禁止されている。真琴とリヴァイはまだ本部への敷地内に入っておらず、つまりここはまだ市街地なのである。
 リヴァイは真琴を追い越して本部へと歩いていく。

「そんなところだ」
 少し駆け足をして真琴はリヴァイと並んだ。
「お疲れ様です。単独だったんですか? 大変ですね」
「気になるのか」
 深い意味もなく労った真琴に、リヴァイは前を向いたまま聞いてきた。声の冷たさに温度差を感じる。
「いえ……別に」

 不思議に思うも気にせず答えた。リヴァイが単独で任務をしていたとしても特段内容を知りたいとは思わない。単に大変だな、と思うくらいである。
 速めの歩調のままリヴァイは本部の正門をくぐって兵舎へと去っていく。速度が合わなくて置いていかれたふうになってしまった真琴は、小さくなっていく男の後ろ姿を首を捻りたい気分で見つめていた。
(分からない人ね……)

 リヴァイが素っ気ないのは、いまに始まったことではない。が、最近になって態度に拍車がかかっていた。必要以上に自分に寄りつかせたくないという空気を真琴は感じ取っていたのだ。
 書類整理を買ってでれば断られる。夜中に喉が乾いたから部屋を出れば、タイミングよくリヴァイも自室から出てきて、どこへ行くのだと、まるで空き巣と疑うような眼つきで問うてくるのだ。おかげで居心地悪いったらない。
(気分屋さんは嫌われるんだからっ)
 彼の後ろ姿に向かって忌々しく紅い舌を突き出したのだった。


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