03.微かに聞こえてきたのは華美な音色

 微かに聞こえてきたのは華美な音色だった。馬車の小窓から真琴は外を覗いてみた。辺りはもうどっぷりと暗くなっているのに、遠くのほうでぼんやりとした明かりが見える。
 某有名テーマパークの最寄り駅に着いて、流れるテーマソングにウキウキする感覚。真琴は地に足が着かなくなってきていた。小窓から顔を出したままで、傍らに座るフェンデルの肩を叩く。

「おじさま、おじさま! 見えてきたわ、あのお城が今夜の会場?」
「そうじゃよ。演奏が聞こえてるのう、もう始まっておるようじゃ」
 にこやかに頷いたフェンデルは真琴と違って興奮していない。杖を突いて、馭者席が透けるガラス窓を見ている。
「こんなの初めて。すごいわ」
 感嘆の溜息が零れた。近づいてくる城の煌びやかさに負けないくらい、真琴の表情も笑顔で輝いていた。

 耳にはっきりと演奏が聞こえるようになったころ馬車は城の正面に到着した。馭者が扉を開ける。
 シルバーの慣れないピンヒールで真琴はゆっくりと地に足を着いた。やがて目の前の光景に今度は浮き足立つことになる。

(ヨーロッパのお城みたい。おじさまのお屋敷とは大違いのスケールだわ)
 バロック調の宮殿は、いくつもの大窓から放たれる明かりで輪郭がくっきりと浮かび上がっていた。城内で流れる優雅な音楽が、真琴を怖じ気づかせるほどに、より壮観なものにさせていた。

「そこでぼーっとされていると、わしが降りられんのじゃが」
 背後にかかった忍び笑いで、場の雰囲気に呑まれていた真琴は正気に返った。塞いでいた扉口から急いで横にずれる。
「ごめんなさい。お城に気を取られちゃって」
「真琴は社交界デビューになるんじゃな。なに、恐れることはない」
 よっこらしょというふうにフェンデルは杖を突いて馬車から降りた。

 次々と到着する馬車。いかにも貴族な、華やかに着飾った貴婦人や紳士が降り立って、城へと向かっていく。真琴のようにビクビクしておらず、堂々としている。
「私、場違いじゃないでしょうか。やっぱり帰ったほうがいいような気がします」
「さっきまで童のようにはしゃいでおったではないか」
 気後れしている真琴をフェンデルは風雅に笑い飛ばす。

「それはよく見えてなかったから。お城と貴族の方たちを間近で見たら、とてもじゃないけど無理な気がしてきました」
「何が無理なんじゃ?」
「おじさまの相応しい娘として、演じ切れる自信がありません。恥をかかせてしまうことになりそうで」
 真琴の背に手を添えてフェンデルは歩くよう促した。
「何を言うとる、すでに相応しい娘じゃ。演じる必要などない。ありのままでいいんじゃよ」

 ロイヤルブルーを基調としたビスチェタイプのドレスは、地上すれすれで引きずりそうだった。真琴はドレスの脇を慌てて摘む。
「ありのままなんてそんな……それこそおじさまが恥を掻きます」
 ヒールの高い靴を普段好んで履かないから歩きづらい。バランスを崩しそうになりながら、真琴は追いつめられた気分で言い募る。
「ディナーの際はフォークとナイフを外側から使うとか、フィンガーボールは飲みものじゃないとか、そんな基本のマナーしか知りませんし」

「充分、充分」
 シルクの燕尾服を着用しているフェンデルは朗らかなまま取り合ってくれない。
「おじさま!」
 強めに言い、真琴はフェンデルの腕を掴んで止めさせた。光沢感のある立体的なプリーツフリルの裾がふんわり揺れた。
「真面目に聞いてください!」

「どうしたんじゃ、真琴」
 フェンデルは表情を崩さずに、大人っぽくアップに纏めてきた真琴の横髪を撫でつける。
「不安でいっぱいの顔をしておるのう」
「だって、私じゃあの人たちみたいに振る舞えないもの」
 ポルチコが柱列している立派な入り口へと、洗練された貴族らが入っていくのを、真琴は横目で見る。

「着飾った自分を鏡で見なんだか?」
 真琴が首を横に振ると、涙型にカットされたダイヤの重いイヤリングがゆらゆらとあとを追って揺れた。首許にも白金台の精巧な透かし細工が見事な、揃いのネックレスをしていた。
 亡き妻の遺品だというアクセサリーは、姿見を見ながらフェンデルが真琴に着けてくれたものだ。鏡に映る真琴は別人のようで自分でも驚いたほどだった。が、着せられている感が拭えなかったのである。

「豪華なドレスを着たって、中身まで変わるわけじゃないんだし」
「見せかけの振る舞いなど品格があるとはいえない」
「見せかけって私のことですか? 本当の貴族じゃないから」
「いいや、彼女らのことだよ」フェンデルは顎で入り口を示す。「偽りの品格に、自分が劣っていると思わんでいい」

 真琴は首をかしげた。
「あの人たちの振る舞いが嘘だってことですか?」
「全員じゃないが。貴族の娘など、実は結構遊んでおるんじゃよ。見る者が見れば分かる」
 傾いてしまったティアラをフェンデルの皺だらけの指が優しく正してくれる。
「気後れすることはない。どの令嬢にも引けを取らぬほど、今夜は素敵なレディじゃよ。わしの妻が愛用していたティアラもよう似合っておる。髪の色は違うが、そっくりなどほどに美しい」

 フェンデルのお茶目な冗談で、真琴の強張った表情はようやく崩れた。
「嘘ばっかり。あんな綺麗な奥様に私が似ているはずはありません」
「その笑顔じゃよ。さあ、行こう」
 緊張を解いてくれたフェンデルに真琴は笑いかけた。「はい」と頷いて入り口へと向かおうとしたときだった。

「リヴァイ。タイが曲がっていないか見てくれ」
 聞き覚えのある低い声。その声が口にした知っている名前に反応して、反射的に真琴は足を止めた。
「お、おじさま、いまの聞こえましたか?」
「ん? 何がじゃ?」
 フェンデルは首を傾けている。耳が遠いようで聞こえなかったらしい。
「なんだろ、やだな……空耳だったらいいんだけど」
 動揺を押さえ込もうと真琴は空笑いする。念のために手で隠した顔をそろりと背後へ巡らせた。

 そして眼にしたのは、少し離れた位置にある馬車からリヴァイが降りたところだった。エルヴィンを見上げているリヴァイは、どうしてか正装している。
「逆さまになってる」
「子供みたいな嘘をつくな、リヴァイ」
 と言ってエルヴィンは胸許のハンカチーフを整えた。

 リヴァイは口端を歪ませている。首許のホワイトタイを緩める仕草をした。いつものアスコットタイではなく、ドレスコードに倣ったものをしっかり締めていた。
「憂鬱過ぎて捻くれたくもなる。来たくもねぇのにつき合わせやがって」
「女より、お前を隣に置いたほうが華になるからな」
「出資者を釣る餌か俺は。毎度毎度反吐が出る」
「そう言わないで協力してくれ。くれぐれも愛想よく頼むぞ」

 二人は入り口へ向かって歩き出した。真琴は顔を隠しつつ、こそこそとフェンデルを影に引っ張る。
「どうしたというんじゃ、真琴」
「おじさま大変です! エルヴィン団長とリヴァイ兵士長がいます!」
「どこじゃ」
 植木の影に隠れて真琴は彼らを注意深く見た。指を差して教える。
「あそこです! あそこ! やだ〜、会場に入ってく〜!」

「本物じゃな。調査兵団も招待されていたか。こういう場じゃからな、別段可怪しくはない」
 真琴が狼狽しているというのにフェンデルはのほほんとしている。
「可怪しくないとかではなくて! 会場でもし鉢合わせするようなことがあっては困ります!」
「なんでじゃ?」
 フェンデルはきょとんと首をかしげた。どうして落ち着いていられるのか不思議でならない。

「だって私は調査兵なんですよ! しかも男ってことになってるんですよ!」
「そうじゃな」
「女である私を見られたら拙いです!」
「なんでじゃ?」
 素朴に問い返されて、逆に真琴がきょとんとしてしまう。フェンデルの頭は大丈夫だろうか。
「おじさま? いま正気ですか?」

 声高らかにフェンデルは笑う。
「わしはまだボケとらんよ」真琴の肩を元気づけるように叩く。「大丈夫じゃ。今夜の真琴は、男装の名残など一欠片も見当たらん。誰も調査兵の真琴だと分かりゃせんよ」
「そうでしょうか……」
 いまの真琴と調査兵の真琴が、どれだけ容相が違うかは自分では分からない。確かに鏡を見て別人のようだとは思ったけれど。不安は募るが、いまさら欠席するわけにもいかず、どうにも落ち着かなかった。

 フェンデルが真琴を促す。
「顔を合わせないように、なるだけわしも気をつける。さあ、もう行くとしよう――マコ」
「はい」
 マコとはフェンデルの娘としての名前である。挨拶の際には本名を名乗らないよう気をつけねばならない。

 とろとろと歩きながら、真琴は休暇を貰ったあの晩を思い出していた。
(だから機嫌を悪くしたのかしら)
 同じ日に用があるというので、気になった真琴はリヴァイに尋ねてみたのだ。――どこへ行くのかと。そうしたら、お前には関係ないと冷たく返されてしまったのだけれど。

 プライベートなことを聞いてしまったから、リヴァイは少なからず不快に思ったのかもしれない。が、今夜のことをあまり思い起こしたくなかったのかもしれないとも思った。さきほどのエルヴィンとの会話で、リヴァイがひどく気が進まない様子に見えたからである。

 なんだか胸が騒ぐけれど、真琴は不安の息を吐き出して城を見据えた。いざというときにはこれでやり過ごそうと、ずっと持っていた羽根扇を握りしめたのだった。


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mokuji
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