02.今夜はうんとおしゃれしていいんでしょ?

 二十一日の午後、真琴はフェンデル邸に帰宅した。
 広い玄関ホールに足を踏み入れたとき、奥の廊下からフェンデルが杖を突いて急ぎ足で駆けてきた。えびす顔で、肩にふわっと両腕を回してくる。

「おかえり、真琴」
「……ただいま帰りました」
 ただいまと言ってよいのか自信がなく、真琴は遠慮が顔に出た。養子にしてもらったとはいえ、まだ素直に甘えられないでいた。

 フェンデルは真琴の頬に挨拶のキスをした。さりげなさが、この国では当然の習慣だと思わせた。
「ほら、真琴も。このお老いぼれに若さを与えると思うてしておくれ」
 と垂れた頬をお茶目に指差す。
 日本人の真琴は、この挨拶にいつまで経っても慣れずにいた。眉を下げて微笑む。
「失礼します」
 老化で骨っぽくなっている両肩に、そっと手を添えて首を伸ばす。しわしわの頬に唇を近づけてキスをするフリをした。

 フェンデルは喉を鳴らして笑う。
「いつものことながら初々しいの。逆にわしが照れてしまう」
「いまだに恥ずかしくて」
 背中に手を添えてフェンデルは歩くよう促す。
「こんな所で立ち話もなんだ。二階の真琴の部屋へ行こう」
「私の部屋に? おじさまもですか?」
「うん。見せたいものがあっての。きっと驚く」
 白いげじげじ眉を悪戯っぽく跳ね上げてみせた。

「なんでしょう?」と聞くと、「見てのお楽しみじゃ」と言われて階段を登るよう軽く押された。
 手すりに手を掛けてフェンデルは慎重に登っていく。足が上がりきっておらず、躓いてしまうのではないかと危なっかしい。

「お手伝いします」太めの腰に腕を回し、真琴は片手でフェンデルの腕を触れた。
「ありがとう。関節が痛くての、普通に歩く分には気にならんのじゃが、階段はつらい」
「気をつけてくださいね。なるべく一人で階段を登らないようにしてください。お手紙でも転んだとありましたし」

「分かっておるんじゃが、つい意地を張って、補助しようとするメイドを追っ払ってしまう」
 五段登ったところで立ち止まり、ふうと一息つく。
「だというのにやっぱり娘は別じゃな。素直に甘えられる」
 フェンデルは濁りのある瞳でにっこりと微笑んでくれた。真琴は思わず喉を詰まらせる。

「……他人の私に甘えられますか」
「なにを言う。他人ではないよ、娘じゃ。だから真琴も、わしを父と思うて遠慮することなどないんじゃよ」
 気兼ねからくる真琴のよそよそしさをフェンデルは分かっていたようだ。眼を伏せて真琴は吐息のように笑う。
「はい。そのように努めます」
「そうしておくれ」

 赤い絨毯が張られた階段を亀のようにゆっくりと登っていた。柔らかい陽光が差し込む明るい大窓がある踊り場で、また小休憩。
 疲れて筋肉が張ったのかフェンデルは腿をさすった。
「兵団での生活はどうじゃ? 真琴からの手紙では、こんにちは、元気です、ではさようなら、と短文過ぎてよう分からんから気になっておったんじゃ」
「変わりないですよ。訓練は厳しいですけど、だんだん体力もついてきましたし、筋肉痛になることも減りました」

「近々壁外調査に出るらしいと聞いたが、真琴はもちろん待機じゃろ?」
 些か気がかりそうにフェンデルは訊いてきた。
 真琴は一瞬言葉に詰まりそうになった。が、頬を綻ばせて淀みなく応答する。
「もちろんです。だって訓練兵の子たちと比べても、全然だめなんですよ。ついていったところで足手まといでしかありません」
「そうじゃろう、そうじゃろう。それだけが少し心配だったんじゃよ」
 安心したようにフェンデルは数回頷いてみせた。

 黙っていて正解だったようだ。嘘は悪いことばかりではない。世の中には心を煩わせないように優しい嘘というものも存在するのである。
 年寄りに余計な心配をさせることはない。真琴が無事に壁外から壁内へ帰ってくれば、何事もなかったことになるのだから。

 かなりの時間をかけて真琴の部屋の前に着いた。ドアノブを握ったフェンデルは、心なしかウキウキした様相だ。
「喜んでくれると嬉しいんじゃが」
「一体何があるっていうんですか? なんだかおじさま子供みたい」
「遥か昔、蛇の抜け殻を母様の大事な宝石箱に仕込んで、悪戯をしたときと気分が似ておる」
「やだ、そういう類いですか?」
 くすくすと真琴は笑う。
「どうじゃろうな」
 面白可笑しな語調で言ってから、フェンデルは手首を捻って勢いよく扉を開け放った。

 瞬間真琴が息を呑んで口許を覆ったのは、自分の部屋なのに見慣れない光景が広がっていたからであった。
「どうかな」
 と、声を押さえて窺ってきたフェンデルに、返事をすることも忘れて部屋にそろりと踏み入れていく。
 ゴム紐に引っ張られるような感覚で真琴は引き寄せられていった。手を伸ばして、しっとりした生地を指先で触れる。
「素敵。これってもしかして……、私の?」
 ショーウィンドーでよく見かけるトルソーが、刺繍やレースをふんだんに使った素晴らしいドレスを纏っていた。

「そうじゃよ」
 物腰柔らかく言い、スツールの上に幾段にも積まれている箱をフェンデルは手に取った。
「ドレスに合う小物を選んでいたら、あれもこれもと増えてしまうた」
 リボンがついている箱の蓋を開ける。真琴に見せるように傾けて、
「靴なんぞ一足で充分なのにのう。まあ、真琴は女じゃから何足あっても困らんか。今夜は気に入ったものを身につけていくとよい」
 透ける紙で包まれていたのは高価そうなシルバーのピンヒールだった。

 指紋がついても大丈夫だろうか、と真琴は躊躇いつつも触れた。手に取って、しばし眺めてから胸に抱いた。
「私なんかに」
「自分を卑下するでない。『なんか』ではなく『真琴のために』じゃよ」
 フェンデルの心からのもてなしに涙が込み上げてきそうになった。
「嬉しくて涙が出そう。男として生活を初めてもう三ヶ月です。着る服も男物で、おしゃれなんて、もう縁がないと思ってました」

 切なく微笑む真琴を見て、フェンデルは後悔のような色を表情に浮かべた。口を開くが言葉が出てこないようだ。
「本音を言うと、ほかの女の子たちが羨ましく見えて、どうしようもなくやっかむこともあったんです。街で香水や口紅を買ったとか、新作の服を見せ合ってたり――食堂でそういう話が聞こえてくると、話の輪に入りたくなったり。でも男だから」
 俯いて真琴は喉を詰まらせる。壊れものに触れるようにフェンデルが肩に手を添えた。

「すまぬ。真琴がそんなふうに周りを羨んでいたとは知らなんだ。わしはいま、ひどく懺悔したい気持ちでいっぱいじゃ。単なるじじいの悪ふざけのせいで、つらい思いをさせてしまっていたとは」
 内に留まる涙で瞳を揺らし、微笑して真琴は首を振った。
「いいんです、男のフリもだいぶ慣れてきましたから」
「そうは言うが」

「いいんですってば!」
 偽りのない最高の笑顔で、
「だって、今夜はうんとおしゃれしていいんでしょう? おじさま!」
 ピンヒールを片手に抱いて、真琴はフェンデルの首に片腕を回した。そして自分でも驚くほど、ごく自然に彼のざらりとした頬にキスをした。
 ほっとしたようにフェンデルの胸が大きく上下する。
「ああ。今宵の女たちが嫉妬してしまうほどに、綺麗な姿を見せておくれ」
 と、真琴の背中をぽんぽんとあやしてくれたのだった。

 さあ、とフェンデルは優しく引き剥がして言う。
「気に入ってくれたようでよかった。社交界は夕方からじゃ。急いで支度をするとしよう」
「はい」と目尻の涙を拭いながら頷くと、何かを呼びつけるようにフェンデルが手を叩いた。するとどこに隠れていたのか、黒いメイド服を着た女たちが廊下から現れたのだ。
「お前たち、真琴を素敵な女性にしてやっておくれ」
 フェンデルはそう指示をして部屋から去っていった。

 喜々とした様子の若いメイドたちに、あっという間に真琴は取り囲まれる。
「久々で腕がなりますわ!」
「真琴様が出ていかれてしまわれてから、私たち暇で暇で!」
 年の頃は十代から二十代のメイドたちが部屋に十人。フェンデル邸にはそれ以上にもまだメイドがおり、彼女たちはいつも暇そうにしていた。

 腹の上で手を組み合わせ、メイドは眼を弓なりにして言う。
「こんなに広いお屋敷に、主はたった一人なんですもの。それも男性とあっては、私たちの仕事なんて少ないというものですわ。今日は張り切ってお世話させていただきます」
「お手柔らかにお願いします。できれば人間扱いしてね」
 真琴は苦く返事をした。
 屋敷で世話になっていた数日間、彼女たちは瞳を輝かせて真琴の身の回りを世話してくれた。それはもう着せ替え人形よろしくだったが。

 メイドの一人が真琴の手を引いた。廊下へ促される。
「まずはお体を清めましょう」
「朝お風呂に入ってきたから、そこは飛ばしても平気だけど」
 断ると、もう一人のメイドが大げさに首を振った。

「いけませんわ! お体の隅々まで綺麗にしておかなければ!」
「ちゃんと洗ってきたし、汗も掻いてないから」
「そういうことじゃありません! 社交界で何があるか分からないのですよ! 準備万端にしておきませんと!」
 何があるというのか。あえて聞き返さなかったけれど。

 数人のメイドに強制的に連れられて浴場までの廊下を歩いていた。残りのメイドは部屋で着替えの下準備をするのだそうだ。
 幾度か往復した廊下の壁を何気なく見上げた。ここを通るときに、いつも真琴の目を奪うものがあるのだ。立派な額縁に収められている二枚の肖像画である。

 男性と女性の画だ。男性のほうは年若く、栗色の髪をした眉目秀麗な顔。目許は優しげに遠くを見ている。
 妙齢の女性のほうは柔らかさを感じさせる金髪のロングウェーブ。美麗に微笑んでいる。
(誰なのかしら。ここにあるってことは普通は家族よね?)
 画が気になる真琴の進みは悪くなる。気づいたメイドが歩みを止めた。

「綺麗な方でしょう、奥様」
「ここを通るたびにずっと気になってたけど、おじさまの奥様だったのね」
 画を見上げてメイドはにこりとした。
「二十代という若さで、儚くもお亡くなりになられたようです」
「それきりずっと、おじさまはこの屋敷に一人で?」
「ええ。再婚のお話もあったようですけれど、頑なに断り続けていたと聞きます。亡き奥様を愛されていたのでしょうね」

 婚姻して間がないうちに、悲しくもこの世から去ってしまったのだろうか。だからフェンデルには跡取りがいないのだろう。
「隣の男性は若かりしころのおじさま?」
「さあ? こちらの画は私どももよく知りません」
 メイドたちは揃って首を捻る。
「よくよく見ると面影はありますわね。髪の色が違いますけれど」

「うん。白髪となったいまでは分からないけど、もとは栗色だったのかもしれないわ」
 画を眺めながら真琴は浅く溜息をついた。
「年をとると様変わりしちゃうのね。なんか未来が憂鬱」
 焦ったようにメイドはきょろきょろする。声を潜めて言う。
「真琴さま! 思っていても口にしてはいけませんわ! 昔とお顔立ちが全然違うだなんて、そんな失礼なこと!」

「あら? 私はそこまで言ってないけど?」
 とぼけて笑い、真琴はさっさと歩き出した。駆け足でメイドも続く。
「もう、真琴様ったら! あんまり意地悪しないでくださいな」
「おじさまには言わないから大丈夫よ」

 浴場に着くと、メイドたちは真琴に続いて脱衣所まで入ってこようとした。
「湯浴みをお手伝いいたしますわ」
「いいって! 一人で洗えるから!」
 メイドの背を押して廊下に追い出そうと真琴は奮闘する。未練があるようで、メイドは顔を巡らせてきた。
「ですが、お一人では隅々まで洗えませんでしょう? 汚れが残っていたら、あとで恥をお掻きなるのは真琴様なのですよ?」

「子供じゃないんだからしっかり洗えるって。毎日のストレッチで背中に手が届くようになったし」
 証明するために両腕を後ろに回した。背中の真ん中辺りで手を結んでみせる。「ほらね?」
「ではしっかり洗ってくださいましね」
 名残惜しそうにしていたが、メイドを追い払うことに成功した。

 すでに湯が湧いているだだっ広い浴場で、真琴は日頃よりも丁寧に身体を洗った。あとでケチをつけられても困るからである。
 バスタオルを巻いて浴室に出ると、さっきまで脱衣所にはなかったクラシックなカウチソファーが鎮座していた。そばではメイドが整列している。
 にっこり笑顔がなんだか怖くて、真琴は後退りした。

「何が始まるっていうの」
「さあ、真琴様。こちらへ」
 メイドに手を引かれた。湯上がりの身体を隠しているタオルを問答無用で剥ぎ取られる。
「え、ちょっと、恥ずかしいんだけど」
「まあ、可笑しいこと。女しかおりませんのに恥ずかしいも何もないですわ。さあ、顔を下にして横になってくださいまし」
 促されて全裸のままソファに寝かされた。赤味がまだらに浮かぶ真琴の裸を、数人に見降ろされていて背中が照れる。

 メイドは傍らに膝を突いた。ボトルから手のひらに何やら垂らす。
「それは何?」
「香油ですわ」
 他人の手の温もりと、ぬるりとした感触が真琴の背中を滑っていく。ラベンダーだろうか、空間に清涼感の強い香りが漂い始めた。

「いい匂いね。何かのハーブ?」
「庭園で栽培しているラベンダーから抽出したものです。保湿効果もありますけれど、素敵な香りは香水代わりになります。殿方がお好きな香りもブレンドしてありますよ。裸になられてもいいように、たっぷり塗り込んでおきましょう」
 これから出掛けるのに、どこで裸になる機会があるというのか。うつ伏せの真琴は、組んでいる腕に乗せていた顎を浮かせた。

「ごめん、意味が分からないんだけど」
「やですわ、真琴様ったら」
 恥ずかしそうに言い、メイドは頬をさくらんぼ色に染めた。
「社交界で殿方にお気に召されたときに、恥をかかないため――ですわよ!」
 数人のメイドが揃って乙女な声を上げて照れる。真琴は口許を引き攣らせた。
「そんなのあるわけないでしょ。なにを想像してるの」

「あら、そんなこと言わないでくださいまし!」
 ぷんすかしてメイドは言う。
「真琴様が殿方に見初められなかったら、私どもの力不足だったということになるんですのよ。それは不手際ですわ、恥ですわ」
「そうかしら。相手にも好みがあるのよ。煌びやかな空間で私がぽつんと佇んでいても、あなたたちのせいじゃないと思うけど」

 ボトルを振って手にオイルを散らしながらメイドは溜息をついた。
「すっかり冷めておられますわね。男装などなさるからですわ、おいたわしいこと」
「そうなの? そういえば……兵団で男に囲まれてても、ときめきも何も生まれないのは、そのせいなのかしら」
「そうですわよ。調査兵団といったら屈強な殿方が多くいらっしゃるのでしょう? 三ヶ月超住み込んでいて恋沙汰がないだなんて、女としては寂し過ぎますわ」

 腕に横顔を凭れ、真琴は薄ら笑いする。
「三ヶ月で恋に落ちちゃうのは、ちょっと早過ぎない?」
「いいえ。恋に落ちる瞬間は分からないものです。出会ってすぐだったりなんて、よくある話ですわ」
 メイドたちのしなやかな手が真琴の背や腰を滑る。極上エステ気分に微睡む。
「だったら、兵団には私の心を奪ってくれるような人はいなかった、ってことかしらね」
「分からないですわよ。恋に落ちる瞬間がいつ訪れるか、それは本人であっても予想できないのですから」

 女に生まれたのだから恋愛をして楽しみたいという思いはある。精神的な部分で女子力が多少落ちていることも否めないが――
(でも社交界に出席するような貴族の男性はないわね。ちょっと面倒だもの)
 と思ってから、こっそり自分を笑った。
 身のほど知らずである。実は貴族でない一般人の真琴を彼らが相手にすることは、そもそもないに等しいのだから。

 ふうわりとした繊維の感触を背中に感じた。うたた寝していた瞳を上げると、ガウンを掛けてくれたメイドが満足げに微笑んでいた。
「終わりましたわ。次は着替えに移りましょう」
 
 部屋に戻ると準備をしていたメイドたちが一斉に振り返った。真琴の手を引いて中央に立たせる。
「お待ちしておりましたわ。時間が押しています、急ぎましょう」
 数人のメイドに囲まれて一気に着付けが始まった。裸の上半身にチューブタイプの薄手の肌着を纏う。
「ブラジャーはしないの? これだとドレスに響かない?」
「コルセットを着用しますから必要ないのですよ」
「そういうものなんだ」

 心許ない姿で大きな鏡に映る真琴。背後にいるメイドが、レースが施された白いオーバーバストタイプのコルセットを胸許に回した。
 胸部から腰部までを前のホックで留めてから、後ろにいるメイドが横から気合いの顔を見せた。

「では、いきますわよ」
「何を?」
「息をぜ〜んぶ吐き出してくださいましね」
 言われたまま、疑うことなく真琴は息を吐き出していく。
「もっとです。もっと」
 肺が縮んで苦しい。最大に空気が抜けた隙を狙って、メイドはコルセットの紐を一気に締め上げてきた。

 尋常じゃない締め上げに真琴は焦る。
「ちょっと待って! 苦しいって! これじゃ息を吸えないわ、やり直して!」
「苦しいのなら成功ですわ。コルセットは補正下着なのですから」
 成人式で振り袖を着たときよりも酷なつらさであった。加えて、ひしゃげそうなほどに肋骨も痛い。
「こんなんじゃまともに動けないって!」
「弱音を吐かれてはいけません!」
 抗議を跳ね返し、メイドはさらにコルセットを締め上げていく。
「女性の腰をいかに細く見せるか! 勝負はそこで決まります!」

 中世ヨーロッパの貴婦人にとって細いウエストは美の象徴だった。細ければ細いほど美人と言われたらしい。こちらの世界でも例外ではないようだ。
(倒れそう……、血流が頭に登っていかないんだけど)
 締めつけのせいで血の巡りが悪くなっているのか、真琴の胸許は死んだように白い。社交界へ出席する前に気をやってしまいそうだ。

「ほかの女性と男性を巡って競う気なんかないのに。むしろご馳走を楽しみにしてたのよ。これじゃ食べられないじゃない」
 項垂れる真琴にメイドは注意してくる。
「あまりガツガツ食べてはみっともないですからね」
「心配せずとも、こんなんじゃ胃に入りません」
 恨めしい思いで真琴はぼやいた。

「お酒もほどほどに」
 とさらに注意してきたメイドの顔色が、急に鮮やかになった。声援を送るように真琴の両肩を力強く叩く。
「酔ったフリで殿方を魅了するのは、おおいに結構ですわよ!」
「……殿方の話ばっかりね」
 真琴はやつれた笑みで呟いた。

 前見頃を整えているメイドが腕を組んで首を捻り出す。
「寂しいですわね」
 呟いてから、ひらめいたように手を叩いた。胸とコルセットのあいだに綿を詰め込み始めた。
「また何してるの?」
「胸許にボリュームを出しましょう」
 要するにパッドの代わりのようだ。胸の谷間でさえ僅かな隙間が見られないのに、無理にぎゅうぎゅう詰め込んでいく。

「いらないって、そんなの。苦しいだけから」
「いいえ、胸許を強調しておきましょう」
(そもそも、こんなに締め上げるから胸が潰れちゃったんじゃない)
 満足するまでメイドは綿を詰め込んでくれた。今度はしゃがみ込み、小物を取り出して検めている。
(脳貧血でホントに倒れちゃう)
 辟易した気分である。メイドが目を離しているうちに、真琴は詰め込まれた綿を全部引き抜いてさりげなく捨てた。

 ドレスの着付けをしながらメイドはアドバイスをすらすらと言う。
「好機はダンスですわ。若い女性は、みんなダンスの際に結婚相手を探すのです。真琴様でしたら、多少がっつりし過ぎが丁度よいかもしれませんわね」
「……そうね」
 くたくたで、真琴はもう相槌しか打てなかった。ドレスを着るというのは、それまでの下準備が一番大変なのだと身をもって知ったのだった。


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