01.レトロな便箋の概要

 天井から下がっているオイルランプが、窓から滑り込む風によって僅かに揺れ動いていた。弱い照明だけでは、足許まで充分に明るさが行き渡らない食堂の一角で、
「食った食った」
 満足げに腹を叩いたのはグンタだった。
 仲間意識を高めるために、みんなで夕飯を食べるという副班長であるエルドの取り決め通り、精鋭班は食卓で食事を済ませた。重い腹を休めるために只今くつろぎ中である。

「もう少し肉が入ってりゃあなぁ」
 唇を捲らせてオルオは前歯を楊枝で掘る。そこへ、厨房から茶を貰ってきたペトラが後ろを通る。
「贅沢言わないの。これでも増えたほうじゃない」
「一時期ほんとにちょっと増えたが、最近になってまた減り始めたよな」
 茶をくばるペトラに、ありがとうと軽く目配せをしてグンタが言った。彼女は「いえ」と首を振り、
「また運営が厳しくなってきちゃったんでしょうか」
 嘆息しつつ、珍しく同席しているリヴァイにも横から茶を出す。「どうぞ」

「悪いな」リヴァイは湯気がたゆたうカップに指を絡めた。「壁外調査に向けて馬を何十頭か買ったからな。その皺寄せが食費に影響しちまってるようだ」
 エルドは深く頷いてみせた。
「特別な調教を受けてる馬ですからね。荷を引くようなそこらの馬とは、桁違いに値が張りますから」

「何も食えねぇよかマシだろ。なあ、真琴よ」
 語尾を強調し、リヴァイは冷淡な眼つきでちらりと見てきた。片頬をピクつかせて真琴は笑う。
「お腹が空いてればなんでも美味しくいただけます。水すら蜂蜜みたいですよ」
「恭しいことだ。水だけでも生きていけそうじゃないか」
 静かな嫌味を互いに交わして茶を飲む。(まだ根に持ってるのかしら。初日の食堂でのこと)

 冷たそうな外見とは反対に、リヴァイが情け深い心を持ち合わせていることは知った。が、基本的に真琴との相性が悪いらしい。両者が口を開けば、しばしば戦いになってしまうのである。
 全員に茶を配り終えたペトラが席に着いた。一仕事したとばかりに、ほっと息を吐いてカップに唇をつける。「ん、美味しい」

 雑談の途中で男兵士がやってきた。たこ紐で縛られている様様な形をした封筒の束を持っている。
「本日の手紙です。二班の分を纏めておきました。各自で配ってください」
「ご苦労」
 横目でリヴァイが言うと、男兵士はすぐに立ち去ってほかの食卓を回り始めた。兵団に届く手紙を彼はいつもこうして配ってくれていた。
 置かれた手紙のそばにいる人間が、班員に配るという暗黙の了解に従って、エルドが紐を解く。

「まずはペトラだ。いつもすごいな、何通もある」
「ありがとうございます」
 手を伸ばして手紙を受け取ったペトラは嬉しそうだ。淡いソーダ色やクリーム色の手紙を、手の中で回しながら宛名を確認している。
「友達からと……、またお父さんからだわ。もう! 心配性なんだから」

 配られた手紙を見るみんなは頬を綻ばせていた。オルオでさえ、垂れ目になって口角を上げていた。
 親元を離れて兵舎暮らしをしている兵士たち。自由な時間をなかなか取れない彼らにとって、外から届く手紙はとても嬉しいもののようだ。

「こっちは真琴のだ。またデルフェンさんって方からだな」
「ありがとうございます。ボクのおじいちゃんなんです」
 グンタを挟んだ向こうにいるエルドから、手を伸ばして真琴は手紙を受け取る。
「その人以外からは真琴に手紙が来たことないよな。親御さんはいるんだろ?」
「忙しい人間なので、手紙を書く暇なんてないんだと思います」

 手紙の端をちぎって開封しようとしているグンタが、
「寂しいな。息子が心配じゃないのかよ。それとも追い出された口か?」
「どういう意味ですか?」
「獅子の子落としってやつさ。崖からよじ登ってきた強い子しかいらない、って言われでもしたか」
 グンタの肩に手を掛けてエルドが窘める。
「それじゃ真琴がいらない子だと言ってるようなもんだろう」

「やだ、エルド先輩」ペトラはくすっと笑う。「始めから崖を登ってこれないって決めつけてる先輩こそ、ひどいこと言ってます」
「や、これはすまん。つい」エルドは苦笑いで側頭部を押さえた。
「気にしないでください。本当にただ忙しいからってだけなので」
 彼らが持つ真琴の印象は実に脆弱ということらしい。取り立てて気にもせず、空色の手紙を開けた。
 二枚の便箋に綴られている文字は右上がりで跳ねが強い。見慣れた癖はフェンデルのもので、差出人のデルフェンとはアナグラムなのであった。

(え〜っと、なになに?)
 ――元気でいるか? わしは先日、何もないところで躓いて腰を痛めてしもうた。いやはや足腰が弱くなったもんだ。
(やだ……大丈夫かしら)
 年寄りが一度でも腰や足を痛めると、そのまま寝たきりになってしまうケースが多い。真琴の祖母がそうであった。そのあとに綴られている内容から、外出していることが窺えるので、フェンデルは大事ないのだろうけれど。

 一枚目の便箋には日常のことが長々と書かれていた。以前聞いたものと同じ事柄も含まれており、書くことがないというよりは書いたことを物忘れしてしまったのだろう。
 真琴が手紙に集中しているよそで、エルドは意外そうに眼を丸くしていた。薔薇模様の手紙を一通手にしている。

「これは兵長宛ですね」
「俺に?」斜めに腰掛けて、足を組んでいるリヴァイは首を傾けた。
「はい。このおしゃれな封筒は女性からでしょうか、なんだかいい匂いもしますが」
「余計な詮索をするな。さっさと寄越せ」
 エルドの斜め前にいるリヴァイが手を伸ばして揺らす。引ったくるようにして受け取り、裏面の差出人名を見て、不味い珈琲を飲んだような顔になった。
「しつこい女だ」封も開けずに真っ二つに破り始める。

 二枚目に移るところで真琴は瞳を上げた。
「読まないで捨てちゃうんですか」
「てめぇにゃ関係ないだろう」
 ただ尋ねただけなのに睨まれて、てめぇ呼ばわりされてしまった。謎の手紙によって機嫌が斜めらしい。
 エルドは苦笑いする。
「兵長はおモテになりますからね」
「そんなんじゃねぇよ」

 吐き捨てたリヴァイは、そばにあるクズ入れに投げ入れた。くしゃくしゃに丸められた手紙はおそらくラブレターなのだろう。紙クズに紛れる恋文を見て、なんだかほっとしている真琴がいるわけだが――
 ぱちぱちっと瞬きをする。(なんで私がほっとしてるのよ)
 飛行機のシートベルト着用サインに似た音が頭の中で「ポン」と鳴った。ほっとした理由に行き届く。

(つきっきりで面倒を見てくれてる人を、突然取られたような感じ)
 相手が苦手な男であっても、いつも一緒にいるとそれが当たり前になってしまう。横から奪い取られて隣がちょっと寂しいと思う感覚が一番近いだろうか。
 などと考え込んで真琴が首を捻っていると、手紙を読み終えたオルオが控えめにリヴァイに伺いを立てていた。

「兵長、壁外調査前に一度実家に帰省したいのですが」少々怯えた様子で両手を突き出す。「もちろん、大事な時期だということは承知の上なんですけど」
「そんなにビビるな、休暇が欲しいんだろ。あとで休暇届を持ってこい、許可印を押してやる」
「ありがとうございます! さっそく申請書を貰ってきます!」
 よほど嬉しかったのだろう。晴れやかな顔でオルオは待ち切れないというふうに腰を上げて食堂を出ていった。

 一人許可が貰えると次々に班員は休暇を望んだ。久しぶりに家族と過ごせるから――というのとは少し違うようにみえた。壁外調査前だからという理由が大半を占めているようだ。壁外で帰らぬ人となった場合、もう二度と大切な人とは会えなくなってしまうからだろう。

 レトロな便箋の概要を思い起こしつつ、真琴は密やかにリヴァイを盗み見た。
(鬼だと思ってたけど、休暇の許可をくれるんだ)
 大事な時期だからこそ休暇なんて出してくれないものと思っていたが。

 二枚目に綴られていたのは世間話などではなかった。今週末に開催される社交界へ赴くため、真琴に同伴を願うものであったのだ。
 養子を取ったことが周囲に知れ渡ってしまったので、さすがに一人で出席するのは体裁が悪いということらしい。マナーに自信がない真琴はあまり気乗りしないが、フェンデルが困っているのならば二つ返事をするしかない。身寄りのない自分を拾ってくれた恩返しだ。
 しかし休暇の許可を貰うのは難しいものと半分諦めかけていたのだけれど。

 窺うようにじっと見ていた視線に、リヴァイが気づいた。声を発せず、「なんだ」というふうに双眸を細める。
「なんでもありません」
 眼を糸のようにし、口角をにこりとさせて真琴は返した。
(いまじゃなくてもいいわよね。休暇の申請書に記入してから、あとで持っていこっと)
 何も問題なく休みが取れそうでよかった、と丁寧に便箋を畳んで封筒に入れ直した。

 ――ところが。
「ふざけんな、てめぇ。休暇がほしい? 訓練課程が遅れに遅れて、一日でも無駄にできないってのに戯言抜かすな」
 就寝前に休暇届を持ってリヴァイの部屋を訪ねたら、こう一蹴されてしまったのだった。いつからいつまで休みが欲しいと言う隙さえ与えてくれなかった。

 百パーセント要求が通ると思い込んでいたので、真琴は不平顔になる。
「ずるいです。みんなには休暇の許可を出したじゃないですか。何でボクだけダメなんですか」
「あいつらには休みを与えてもなんら支障がないからだ。お前は一分一秒でさえ惜しい状況だろう」
 扉口を挟んで真琴とリヴァイは対立していた。ドアノブを引いたままの彼は眉間に皺を刻むことなく冷徹な目顔だ。
「わかってますけど……。でもボクだって、たまにはリフレッシュしたいです。毎日が訓練の連続で、もう何十日も外出してないですし」

「リフレッシュだ? おこがましいことを言うな、ヘソで茶が湧く」
 斜めに見てくるリヴァイの風呂上がりの濡れた前髪が、ぱらぱらと横に流れた。彼から香ってくるのは清潔感のある石鹸の匂いだ。
「それに、全然外出してないと言うが訓練兵団へ行かせてるだろう。バレてねぇと思ってんだろうが、ちゃっかり寄り道してるのも分かってる」
「素晴らしい千里眼をお持ちのようで」
 いじけ具合が真琴の唇に出てしまう。行きや帰り道に雑貨屋や菓子屋に寄るくらい、いいではないか。どうやら大目に見てくれていたようだけれど。

 この様子では粘っても許可が降りないかもしれない。どうしようか、と扉とリヴァイの狭間の奥へなんとなしに瞳を彷徨わせる。
 部屋の間取りは同じだった。ベッドや据えられている家具は、真琴が使用しているものよりも高そうだ。ウォールナット色で揃えられた食器棚やクローゼットが、床板の古めな木目と調和してクラシックな雰囲気を醸し出している。
 真琴はインテリアのセンスをじろじろ見ていた。と、扉口に手を突いたリヴァイの、丸襟の杏グレーシャツが視界を遮ってきた。薄目で、わりと嫌そうに口端を吊り上げている。

「人の部屋を覗き見るのは、いい趣味とは言えねぇな」
「窓の外が気になって。明日、晴れるかな〜と」
 真琴は口笛を吹いてすっとぼけた。見られたくないものもあるだろうしデリカシーがなさすぎた。とはいえ、いかがわしそうな薄い本など見当たらず、ベッドの上に黒い亜鈴が二つ転がっていただけだったが。
「いつまで突っ立ってる。部屋に戻れ」リヴァイが顎先で隣部屋を示した。

 あと少しだけ食い下がってみようか。同情を引く理由がいいかもしれない。これで無理なら諦めるつもりで真琴は訴えた。
「これが最後になるかもしれないから、両親に元気な顔を見せておきたいんです」
 言った途端、周囲が冷気で覆われた。冷たい風が流れてきたわけではなく、リヴァイから放たれる温度が急激に下がったからである。
(やばっ)

「覚悟の里帰りか」
「……まあ、そんなところでしょうか」
 うなじに冷や汗が出る。
「壁外から無事に帰ってくると、いっぱしの口を利いたくせして、もう諦めることにしたか」
「なんでそうなるんですか。別に諦めてなんか」
 ないです、と言おうとした語尾にリヴァイは畳み掛けてくる。
「最後になるかもしれないと、少しでも思ってるってことだろうが」
「思ってないですよ」

 口調に荒さはないけれど彼をひどく怒らせてしまったようだ。適当な理由付けは明白なミスであった。
 息継ぎなしで真琴は慌てて撤回する。
「全然思ってないです。どうにかして休みをもらえないかと思って、ただ言ってみただけです」
「僅かであってもそんなことを考えるな。巨人に殺されることなく壁内へ帰ってこれるかは、生き抜いてやるという強い思いしか、お前には残されていない」
「分かってます……、ごめんなさい」

 真琴は気まずくて頭を垂れた。そんなに怒るのなら、ではどうして一番危険な精鋭班に指名したのだと不満が募ってきそうになった。ここでまた噛みついても堂々巡りになるだけなので胸の奥に押さえ込む。
 引き下がるタイミングを逃してしまった。片腕をするともなくさすりつつ、真琴は時間を持て余した。

 スリッポンに似た無地の靴を履いているリヴァイの足がおもむろに動いた。扉の枠に寄りかかって足を交差させる。
「今週末だ」
「え?」
「今週末の二十一日から、二十二日の二日間だ」
「え?」と今度はぐぐっと眼を見開いてリヴァイを凝視した。その二日間が求めたかった休みであり、まさに社交界の日程だったからだ。

 半分疑いながらも真琴は口の中で呟く。
「……ほんとに千里眼?」
「は?」
 真琴は頭を振る。「いえ、何でもありません」

 胡散臭そうにリヴァイは首を捻ったが、
「それでいいな」
「何がですか?」
「は? 休暇のことだろう。いらねぇなら取り消すが」
 とさらに胡散臭そうにした。 
 大慌てで真琴は首を振る。
「いらなくないです! 貰います、休暇!」

 真琴を見降ろすような眼差しをして、リヴァイは枠からのったりと背を離す。半開きである扉の、内側のノブを触れたように見えた。
「ならもういいな」真琴が右手で握りしめている休暇届を奪う。「早く寝ろ。明日の訓練に障る」
 そう言い、ゆっくりと扉を閉めようとした。

 言うより先に手が動いた。真琴は咄嗟に扉を押し戻していたのだ。
「なんでその日なんですか」
 リヴァイは一瞬瞳を瞬かせた。
「その日は俺が本部にいないからだ。どうせお前を見てやれねぇし、エルドやグンタに任せるのも気が引ける」
 扉を押す真琴の手に横目し、
「もういいだろう、手を退けろ」

「リヴァイ兵士長も、その日に何か用があるんですか?」
「も、ってなんだ」見て充分に分かるほど、訝しげにリヴァイの両眉が寄る。
 社交界に招待されているなどと口にできないので真琴はまごまごした。
「いえ、あの、休暇を貰うなら、ボクもその日がいいと思ってたので、えーっと」
 わざとらしくにこりと笑って首を傾けてみせた。
「リヴァイ兵士長は、どこに行かれるんですか?」

 訊いたあとに拙かったと思った。リヴァイの表情が冷めきった色になっていた。
「そうやっていちいち詮索されるのは好かない。俺がどこへ出掛けようが、お前には関係ないだろう」
 鼻先で、ばたんと強めの音を立てて扉が閉まった。瞬間、廊下に石鹸の香りが濃く舞う。

 束の間放心していた真琴は、背後で窓にばちっと何かがぶつかる音で正気に戻った。飛んでいる虫が体当たりでもしたのか。
「なによ、いまの言い方」徐々にむかむかが湧いてくる。「ただ普通に、ささいな雑談っていうか、ただそんな感じで聞いただけなのに」
 リヴァイからいつも漂ってくる残り香が、いまはいやに鼻につく。扉に向かって真琴は小さく毒突いた。

「別に? あなたがどこへ行こうとも、興味なんてないわよ」
 それならどうして聞いてしまったのか。
(ただなんとなくよ。気になったわけじゃない)
 それならどうしてどことなくショックを受けているのか。
(冷たく返されたから、ただそれだけなんだから)
 ――なにこのもやもや。こんな嫌な思いをするのなら訊くのではなかったと本気で後悔していた。


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