19.本当の友人なんてできるはずもない

「なんで俺たち、掃除してんだ」
 兵舎の一室で、オルオはやる気なさそうにハタキを振るう。ほうれい線が目立つ彼は、真琴より年下の十九歳である。
「気持ち分かるわ。昨日の晩から興奮しちゃって、今朝なんて集合時間の三十分前から待機してたのに、これだもん」
 相槌を打ったのは、二段ベッドに敷かれている布団のシーツを剥いだペトラだ。つやつやな栗色のボブカットの彼女は真琴と同い年だそうだ。

 オルオがペトラのそばに寄り、ベッドの梯子の埃を払う。
「俺もわくわくしちゃってよ、昨日はよく寝れなかった。なんつっても、兵長から直々に指名されたんだもんな。まだ夢みたいだぜ」
「二年目にして、まさか精鋭班入りできるとは思わなかったわよね」

 床を水拭きしつつ、真琴は二人の会話にただ耳を傾けていた。
 彼らはリヴァイから選抜された精鋭班のうちの二人であった。朝早く集合したのにも関わらず、兵舎内の掃除を命ぜられた。罰などではなく、リヴァイいわく、これも訓練の一環なのだそうだ。

「でもよ」オルオは真琴にじと眼する。「お前って大物だよな」
「みんな数十分前から待機してたのに、集合時間ぴったりに現れたものね」
 くるくると丸めたシーツを床に投げ、ペトラは次の布団に取りかかる。一瞬見えた横顔は、眉毛が優しくしなっていた。

「いつもは五分前に着いてるよ。今日は朝食のときに食器を割っちゃったから、掃除してて遅くなっちゃったんだ」
「五分前でも兵長に失礼だろうが。あの方は十分前にはおられたぞ」
「正確には二十分前に来たわよ」

 はたきを持つオルオの手が止まった。
「まじか。そんな早くいらしてるとは……。明日からはもっと早く部屋を出ないと拙いな」
「なんで拙いの? 遅刻しなければ別にいいと思うけどな。今日はギリギリになっちゃったからボクも反省してるけど、五分前に着いてたら充分だよ」
 真琴は唇を突き出す。
「大体、二十分も前から来てるのが変なんだよ。上官がそれだけ早く来るってことは、部下はそれよりも前に集まってなきゃって、プレッシャーになっちゃうじゃん」

 集合時間丁度に着いた真琴はリヴァイから一睨みされた。真琴だって居心地悪かったものだ。新しいメンバーの四人がすでに全員揃っていたのだから。
 社会人なので五分前行動では遅いとも分かっている。十分前に着くのがベストなのだろうけれど、リヴァイを長く待たせることで逆らっているのだ。万年反抗期の真琴であった。

 オルオにハタキを突き刺される。
「兵団の穀潰しがよく言うぜ。そういう偉そうなことはな、立体機動をまともにこなせるようになってから言うんだな」
「遅い! って兵長から怒られたのに、真琴ったら謝りもしないでぶすっとしてるんだもん。さすがに空気が凍ったわよね」
 とペトラは前髪を揺らして笑い、後ろに顔を巡らせた。
「個別指導をしてもらってたときも、あんな感じだったの?」

「昔からの癖なんだ。怒られると、どうも頬が膨らんじゃったり、唇が尖っちゃうんだよね。よくないとは思ってるんだけど」
「ある意味大物よね」
 悪い意味であることは確かである。
 梯子を昇ってペトラは上段の布団に手を伸ばした。
「でも真琴って、本当に立体機動が全然ダメなの?」

「うん。でも最近になって、ようやく木の枝に着地できるようになったよ。たまに失敗するけど」
 言うと、ペトラがもともと大きい瞳をさらに大きくさせた。
「評判通りなんだ」
「こいつの訓練の様子を一度見かけたが、ひどいもんだったぜ。なんで精鋭班にいるんだか不思議で仕方ねぇが、兵長が決められたことだしな」

 唇を捲らせながら言い、オルオはハタキの柄で肩を叩いた。ペトラと違い、彼は真琴に良い印象を抱いていないようだ。実際感じの良いペトラも心の中でどう思っているのか分からないけれど。

 ――二階の窓から見える位置よりも、新しい太陽がもう少し下のほうにあるころ。訓練場で集まった面々は、重役出勤した真琴をことさら不思議そうに見てきた。
(普通はそういう反応よね。私だって、なんでこのメンバーと一緒にいるのか謎だもの)
 腕を組んで立つリヴァイの前で、並列している班員の隅に真琴はちょこんと収まる。リヴァイが口を開いた。

「今日からお前らは精鋭班だ。すでに伝えたことだが、もう一度言う」
 班長が喋っているというのに班員は気が散っていた。さきほどから色んな横目が真琴をちら見してくる。
「次の壁外調査では、初列索敵を任される。陣形の要となる位置づけだということを、充分心得ておけ」
 とても物言いたそうにしている班員に気づいているのかいないのか。リヴァイは続ける。
「おのおの訓練場や演習で顔見知りだろうが、中には知らない者もいるだろう。一人ずつ紹介を」

「あの〜」
 彼の言葉を止めたのは、勇気を持ってそろりと手を挙げたオルオだった。
「なんだ」
「一人変なのが混ざってるんですが」
「変なの?」リヴァイは五人を見渡す。「別段着衣が乱れてる者はいないが」
 自分のことだと思った真琴は身を窄めた。リヴァイも分かっていると思うが、なぜとぼけるのか。

「いえ。前がだらしなく開いてるとか、シャツが皺だらけとか、そういう変とかではなくてですね」
「彼のことです」と、金髪の髪を後ろで結んでいる男兵士が真琴に目配せした。「兵長が指導をされていることは知っていますが、これはどういうことでしょうか」
「どういうこととは? エルド」
 リヴァイは僅かに首をかしげた。飄々といった態度だ。

 猫目の男兵士が疑問を突く。
「どうして俺たちと一緒に並んでいるのか、ということです」
「どうして? 疑問など抱かずに、そのままを見れば分かるだろう、グンタ」
 ああ、といったふうに得心の笑顔でオルオはぽんと手を打った。
「俺たちの補助に使うんですね! 森で模型を操作させたり、ボンベのガスを補充させたり、もろもろの道具を持ってこさせたり! なるほどです、手伝いがいたほうが訓練も捗りますしね!」

 リヴァイはオルオをぎろりと睨む。「違う」
 びくっと飛び跳ねたオルオの顔は恐怖で皺が増えた。皆の顔を見回しながらリヴァイは言う。
「顎で使うために、真琴はここにいるんじゃない」
「つまり彼も、精鋭班の一員……という認識でよろしいんでしょうか」
 自分の口から出る言葉を、ペトラは頭に理解させるような感じで言った。

「そうでなければここにはいない。俺は不思議でしょうがない。なぜお前らが、そんな簡単なことを呑み込めないのか」
 そんなことはない。彼らの反応はごく普通な感覚である。
 顎髭が朝日に透けるエルドが、一歩踏み出す勢いで意見した。
「お待ちください。彼の実力では我々と見合いません。壁外で彼がミスをしたとして、事は班全体に危険が及びます」
 真琴よりもいくつか年上に見える彼は難色を示した。

「足を引っ張るだろうことは俺も想定している。俺たちに任される配置は初列一から三だ。二人ずつバディを組むことになるが、真琴は俺と行動することになる。なるだけ迷惑にならないよう立ち回るつもりだ」
「そうはいっても……」
 グンタが首を回して真琴を見てきた。寝癖かさだかではないけれど、短髪の後頭部が跳ねている。長身な彼も真琴より年上だろう。

 胸を反らせてリヴァイは語気を強めた。
「真琴は俺の正式な部下であり、今日からお前らの仲間だ。以降、むやみに卑しめたり蔑むことを禁ずる」
 切れ長な眼をちらりと寄越してきた。不安な真琴の表情が、魚眼レンズのようにリヴァイの瞳に映る。
「ただし、適度な見下しや悪たれ口は許す。こいつと一緒にいると、苛々してくるだろうからな」
 行き着くところは結局馬鹿にしていいということである。こっそり唇を尖らせた真琴はしかし、リヴァイの配慮だとちゃんと気づいていた。

 真琴に目をかけているわけではない、自分もほとほと嫌気が差しているのだ――ということを伝わらせておけば、班員は悪戯にいじめてきたりはしないだろう。兵団内でカリスマ性があるリヴァイが真琴の肩を持つことは、嫉妬という火の粉がもれなく降ってくることを示しているのだ。

 しぶしぶ納得した班員は、次はむずむずし出した。リヴァイからの指導を早く仰ぎたいのだろう。
「新精鋭班に最初の指示を出す」
 首許のスカーフを引き抜き、リヴァイはぱんっと振るって皺を飛ばした。ふわりと頭に掛ける。
「兵舎の掃除だ」

 思わず唖然としてしまった班員たち。オルオなど、下がった左肩からジャケットが滑り落ちそうになっていた。
「へ? 掃除?」
 すたすたと兵舎のほうへ歩いていくリヴァイは、後頭部の辺りでスカーフをきゅっと結んだ。三角巾をつけた、まさに掃除夫といった出で立ちだった。

 一休みといったふうにペトラは下段のベッドの柵に腰掛けた。
「でもさ、兵長の噂って本当だったんだね」
「噂?」
 聞き返したオルオにペトラは頷いてみせる。
「極度の潔癖性って噂よ。っていうかオルオ知らなかったの? そんなスカーフしてるくせに」
「うっ。俺としたことが、べ、勉強不足だったぜ。兵長が掃除好きだったとはな」
 面目ない感じで首許のスカーフをいじる。リヴァイと瓜二つの白いアスコットタイ結びだ。

 ガムのようにへばりついている黒い物体を真琴は必死で磨いていた。しびれた手を一旦止めて、オルオを仰ぎ見た。
「実はそのスカーフ、ずっと気になってたんだよね。似てるなって思ってたんだけど、今季そういうファッション流行ってたっけ?」
「違う違う」口の前で手を振り、ペトラは可笑しそうにする。「オルオってば兵長に憧れてるのよ。私だって尊敬してるけど、彼のは一種の神様みたいに崇拝してるの」
「リヴァイ兵士長を目指して頑張ってるんだ。えらいね」

「お前に褒められても嬉しくねぇな」 
 オルオの口が捻くれて、真琴は苦く笑う。
「あのね、こんなんでも君より四つも年上なんだけどな」

 薄く笑いながらオルオは眼を伏せた。急に纏う雰囲気が変わる。
「まだまだひよっこな年上が聞いて呆れる。俺に先輩面したかったら、立体機動の腕をさっさと上げるんだな」
 やれやれ、と言いたげに頭を振った。
 ワントーン下げた低い語調はあきらかに誰かを意識したものであった。喋り方の癖を真似ても、詰まるところ風貌はオルオのままなので、何とも反応に困ってしまう。笑いを取りにきたとも思えなかった。

「いまの物まねってもしかして」
「物まねっていうか、ああいうときは兵長に成りきってるのよ」
 またかと溜息をつきたそうにしているペトラが回答してくれた。
「ホントやめてほしいわよね。似てないのに、本人たら格好いいと思って勘違いしちゃってるんだから。兵長に対する侮辱だわ」
 左に頭を傾けたペトラの眼つきは冷めた色をしていた。可愛い顔をしてはっきりものを言う子だ、と真琴は思った。

 天然パーマの前髪をオルオは掻き上げた。癖の強いカールは、くるりんとピロピロ笛のように戻る。
「素直じゃない奴だ。恥ずかしくて真逆を言ってるのは、ちゃんと分かってるから安心しろ」
「プラス思考だね。へこたれない爪の垢を少し譲ってほしいくらいよ」
 自然な二人の掛け合いは、一日やそこらで作り上げられたものではなさそうな気がした。

「仲いいんだね。二人が班を組むのは初めてじゃなさそうに見えるな」
「腐れ縁だけどね」満更でもなさそうにペトラは眉を下げる。「私たち、西方にある訓練兵団出身で同期なのよ」
「こいつは甘ったれでな。俺のケツばかり追いかけてやがった。オルオ様オルオ様ってな」
 オルオはまだリヴァイに成りきっていた。

「嘘ばっかり! どっちかっていうと、オルオが私のことを追いかけてたじゃないの」
 床に丸めてあったシーツをペトラは投げつける。
「うお! 前が見えねぇ! ってか、このシーツ臭すぎだろ!」
 全身シーツで覆われてしまったオルオは、おばけのように手探りで彷徨う。
 ぱんぱんっ、と手を払ってペトラは真琴を振り返った。窓から差し込む陽射しが彼女の髪を柔らかく演出する。

「生意気な年下なんだけど、立体機動でペアを組むとすっごく相性良くってさ。調査兵団に入ってからも、同じ班にしてもらえることが多かったのよ」
「そうだったんだ」

「おわ!」とオルオが太い悲鳴を上げた。爪先で踏んだシーツが突っ張り、両手をばたばたさせながらすっ転ぶ。もう少し右にずれていたら机の角に頭をぶつけるところであった。
 腰に両手を当ててペトラは白い歯を見せて笑う。「バカなんだから」
 でもね、と彼女は肩越しに振り返る。薄化粧の口許に人差し指を立て、内緒よと言う。
「あいつがいたから、どんなに過酷でも壁外から帰ってこれたの。背中を預けられる相手だから、巨人と渡りあってこれたの。これからもそれは変わらないわ、きっと」

 優しく微笑む面差しが真琴には眩しく見えた。
「信頼し合ってるんだ。二人は」
「人から言われると何だか照れるね。でもこれからはオルオだけじゃなくて、精鋭班のみんなとも――真琴とも信頼を築いていけるといいなって思ってるから。改めてよろしくね」

 読心術など真琴にはないが、ペトラが言ってくれたことは本心のように聞こえた。あきらかに場違いな真琴にも彼女は隔てなく接してくれようとしている。なのに――
「うん。よろしくね」
 真琴の作った笑顔は偽物だった。両頬が固くて自然に笑えなかった。

 信頼し合うということは、互いにやましいことや隠しごとがないことが前提である。
 だからだ、と真琴は思う。だからいまだに友人が一人もできないのだ。相部屋ではなく、個室住まいだからなんていうのは、ただの言い訳である。作ろうと思えばいつだって作れたはずなのに。

 対人スキルは人並みにある。特段、人付き合いが苦手なわけでもない。
 だというのに自分の取る態度がひとぐ嘘っぽく思えてならないのは、「実は女だから」「実は違う世界の人間だから」という障害が後ろめたさとなって、邪魔をしているからに違いなかった。虚偽で塗り固められている真琴に、本当の友人などできるはずもないのだ。

「オルオったら! 動けば動くほど絡まって、すごいことになってるじゃない」
「早く助けろ! 窒息する!」
 シーツに覆われて丸まるオルオを、助けもせずにばしっとペトラが叩いている。とても楽しそうな光景なのに、やはり真琴は巧く笑えなかった。

 コンタクトレンズなどしていないが、真琴の眼からはいつだって薄いフィルター越しに彼らが映る。そうして自然体でいられる二人を見ていると故郷を懐古させてくるのだ。
(帰りたい。自分の世界へ帰りたい)
 何だか泣きそうになってきてしまい、床の黒ずみを落とすことに一心不乱になる。

 だがこれでいい。フィルターという幻のコンタクトレンズは外してはならないのだ。眼から零れ落ちた瞬間、自分の世界へ帰るという意志が弱まってしまう――漠然とそう思うからだった。

「何をやってるんだ、お前たち」
 扉口からずんずんと入ってきたのは、困り顔と怒り顔が半々のエルドだった。楽しげなどよめきが隣部屋まで聞こえてしまったのだろう。囁き声で注意してくる。
「おいおい、真面目にやってくれないと困るぞ。遊んでるところなんか兵長に見られたら」
「俺に見られたら、拙いことでもありそうか」
 心臓がキンキンに冷えてしまいそうな低音。こわごわと振り返ると、扉口で仁王立ちしているリヴァイがいた。

 エルドの助けによって、オルオはやっとシーツから顔を出した。暑かったのか顔が火照っている。
「さ、さっきまでやってて、い、いま終わったところなんです。な? ペトラ!」
「は、はい! ピカピカになりました!」
「ピカピカ?」
 床掃除に徹している真琴を通り過ぎ、リヴァイは窓の前に立つ。雲が僅かしかない晴天が覗ける窓枠に指をつうと滑らせた。まるで嫁をいびる姑の行為に見えたけれど。

 くるりと正面を向いたリヴァイは、じっと見ていた人差し指から視線を上げた。
「全然なってない。お前ら、掃除をなめてんのか」
 どうやら指の腹に埃がついてしまったらしい。長めの眉尻付近に浮かんでいるのは青筋だ。こと掃除に関しては本当に妥協を許さない人である。

 まだ芋虫になっているオルオは無理にへらへらする。
「なめてるわけじゃないんですが、どうして訓練の時間に掃除をしないといけないのかが分からなくて」
「訓練の一環だと言ったろう。真面目に掃除をすれば全身の筋肉を使う。要するに、ストレッチと筋トレを同時にしているということだ」

 真琴は首を捻りたかった。いまいち説得力に欠ける気がする。とどのつまり兵舎の不潔に絶え切れなかったリヴァイが、班員を利用したのではなかろうか。
 が、彼を崇拝するオルオは引っ掛かった。頬をつやつやさせて腫れぼったい一重の瞳を輝かせる。

「素晴らしいです! 俺たちのためにと、そんな隠されたメッセージがあったなんて! やはり兵長はどこまでいっても兵長です! 一生ついていきます!」
 無垢なオルオを見て罪悪感でも感じたのか。引き気味にリヴァイは口籠る。
「あ、ああ……その通りだ。強くなりたかったら、せいぜい励め」

「うおおぉぉおお! やるぞぉぉ!」
 一気に立ち上がって、オルオはゴリラのように力こぶしを作った。やる気まんまんだ。そんな彼を尻目に、リヴァイはしずしずと退室していったのだった。


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