13.努力の雫は夕日に照らされて光る
見下した眼つきでジャンはにやにやと言う。
「なるほどな、それで納得だぜ」
「なにが納得?」
「あんた、キース教官から通過儀礼を受けてたろ」
「それでか」と、机の上に両腕をだらんと伸ばしたエレンは顎をつける。「お前は何者だとか、何をしにきたとか、聞かれたろ?」
「すごい剣幕で何者だ、って怒られたけど。それが君たちの言う通過儀礼ってやつなの?」
「それそれ! 俺たちも全員やられたんだぜ!」
背の低い坊主の少年が正面の輪を割って入ってきた。
「あれマジ怖いよな。俺さ、敬礼を間違えて右に拳を当てちまったんだけど、お前の心臓は右にあるのか! って頭掴まれたんだぜ」
と恐怖の面で頭を抱えた。
ジャンは思い出し笑いをした。
「あれをきっかけに、コニーはアホで有名になったんだったよな。ま、なくてもいずれバレてただろうけどさ」
「うるせぇな! お前なんか馬鹿正直に憲兵団へ入りたいって言って、頭突き食らってたろ!」
「何のために来た、って聞かれて俺の願望を隠さず言っただけだ」
頭突きされた日を思い出したのか。曲げた唇の下に皺を寄せてジャンは腕を組んだ。
真琴から話が逸れていて、いい傾向といえた。この流れを保つために話題の幅を広げていこう。
「ジャンは憲兵団を志望してるんだ。それってなんでか聞いていい?」
「決まってんだろ、内地で暮らすためさ。安全が保証されてるんだぜ」
「俺も憲兵団に入って、貧乏な村から母ちゃんをこっちに呼んでやりたいけど……無理だろうな」
コニーは気を落とした。
「どうして無理なの? 希望すれば入れるんじゃない?」
「お前、世間知らずだな。コニーといい勝負だ」ジャンの見下しの眼に拍車がついた。「憲兵団はエリートなんだ。選ばれた人材しか必要とされない。だから訓練兵団で上位十位までの者しか志願できない、って決まりなのを知らないのか」
「ジャンは自信あるんだ? 憲兵団に入れるって」
ふふん、と得意にジャンは顎を反らす。
「ずっと上位をキープ中だ。憲兵団入りはもらったもんだな」
「いいな、お前は。頭もいいし立体機動も巧いし。俺は頭が悪りぃから、座学が足を引っ張ってて微妙なラインにいるんだよな」
コニーは耳をほじる。
「憲兵団がもし無理でも、駐屯兵団にさえ入れればいっかって、最近思うようになっちまった」
憲兵団を選ぶしにろ駐屯兵団を選ぶにしろ、エレンのような強い志を彼らは持ち合わせていないようだ。ならばなぜ訓練兵団にやってきたのだろう。答えを背後の少女がクールに言う。
「世間体さえ保てればいいわけだ。生産者なんかに回ってダサく働くより、兵士になったほうが体裁がいいし。そんな単純な考えだよね」
「他人事のように言ってるが、アニ。お前だって憲兵団志望だろ。俺たちと同じ穴の狢だ」
背凭れに肘を掛けて、ジャンは斜め後ろを振り向いた。口端が意地悪に吊り上がっている。
「そうだよ。私も内地で暮らす特権がほしい。ただ、あんたと一緒にされたくないね」
アニとジャンは睨み合う。「まあまあ」と真琴は両手で二人を宥めた。
ずっと下を向いていたアルミンが、そのままで暗く言った。
「憲兵団だけは嫌だな、僕は」
「アルミン」と、気持ちを察するようにエレンが肩に手を掛けるが、
「開拓地で僕らやお年寄りが必死に畑を耕してるときに、彼らは何もしないでただ偉そうに胸を反らせてた。僕たちを奴隷かなんかみたいにクズみたいな眼で見降ろしてきた。そんな兵士に僕はなりたいと思わない」
「なりたい、なりたくない以前に、お前の成績じゃ望んだところで憲兵団へは入れっこないんだから、無駄な心配すんなよ」
ジャンがへらっと笑って言うと、エレンは嫌味たらしく怒った。
「お前は望んでクズになるんだったな! いや、違うか。もとからクズだからクズの集団に惹かれるんだよな!」
「なんだと!? 自分だけは現実を知ってるみたいな面して、いつも勇敢ぶりやがって! 表に出ろ!」
「望むところだ! こてんぱんにしてやる、馬面が!」
真琴の目の前で顔を突き出し、エレンとジャンが啖呵を切った。両腕を広げて二人の顔を離す。
「はいはい、喧嘩はダメだよ、落ち着いて」
そのタイミングで、がらっと扉が開く。仁王立ちのキース教官が目許に恐ろしい影を落としていた。
「いましがた大きな声が聞こえたが、誰か説明してもらおうか」
水を打ったようにしんとするコテージ内。すっと手を挙げたミカサが立ち上がった。
「サシャが放屁した音です」
「え!?」
一人の少女が顎が外れるほど口を縦に伸ばした。さっきから芋をあむあむと食していたポニーテールの子だ。
「また貴様か。少しは慎みを覚えろ」
臭いものをシャットアウトするようにキースは鼻を押さえた。そして幽霊のように静かに消えていった。
サシャは涙で抗議した。そんな嘘をつかれたら泣きたくなるのも頷けるが。
「ひどいです、ミカサ!」
「芋ばっかり食べてるから」
「だからって、みんなの前でオナラをするような子じゃありませんよ、私は!」
サシャに詰め寄られているミカサをよそに、エレンとジャンはほっと息を吐いた。
「危なかったな、ジャン。減点されて憲兵団行きが危うくなるところだったぜ」
「エレンこそ、調査兵団への適性を失うところだったな」
彼らにとってキースは脅威のようだった。
「そろそろ対人格闘術の時間だよ。これが終わったらお待ちかねの晩飯だし、頑張っていこう」
鞄を肩に掛けた少年がそう言った。学級委員のような真面目な印象を受けた。
訓練兵はぞろぞろと退室していく。窓の外を見ると太陽がもうじき沈むころだった。生きる世界は違っても、太陽は東から昇って西に沈む。そんなことを思って呆としていたら教室は夕暮れに満たされていた。
静かになってしまった教室で一人だけ残っていたのは、斜め前の席で俯きがちに上目遣いしているアルミンだった。
「行かないの? 最後の訓練」
聞いたことを答えず、しんみり口調でアルミンは言う。
「真琴さんは本当に僕たちより技術がないんですか? 立体機動とか格闘術とか」
「うん、全然ダメなんだ」
苦く微笑んで真琴は静かに吐露する。
「立体機動中に眼を瞑っちゃうし、木にぶつかりそうで怖いし。格闘術は教わってもいないよ。取っ組み合いの喧嘩とかしたことないから、たぶん習っても下手クソで終わりそうだ。体力だってないしね」
じっと見てくるアルミンは口を開かない。真琴は首を傾けた。
「どうしてそんなことを聞くの?」
「立体機動が下手でも、体力がなくても、調査兵になれるものなんですか?」
何を知りたいのだろう。自信がなさそうなアルミンの顔が真琴の茶の瞳に映る。
「憲兵団でもなく駐屯兵団でもなく、もしかしたらアルミンは、調査兵団へ入りたいのかな?」
「ぼ、僕みたいな飛び抜けた技術もない人間が、調査兵団になんて、お、可笑しいですよね」
アルミンは言葉を詰まらせて半笑いする。眼は泳いでいた。
「可笑しくなんてないと思うな。それ、エレンは知ってるの?」
「言ってません。エレンは僕を危険な目に合わせたくないのかも。でも僕はエレンと一緒に調査兵団に入りたいと思ってるんです。だけど……僕なんかがそばにいたら足を引っ張るだけですよね」
寂しそうに吐き捨てた。
この世界に友人がいない真琴は、エレンとアルミンの友情を微笑ましく思った。
今日の講義を振り返る。教官から指されたアルミンは、すべての質問をすらすらと淀みなく答えてみせた。彼は頭の回転が早くて賢いのである。
「技術も大事かもしれないね。でも君には誰よりも勝る頭脳がある。物理的な力だけがすべてじゃない。その知恵が必要とされるかもしれない。自分の得意分野で友達や仲間を救えるとは思わない? 足を引っ張るなんてこと、ないと思うなボクは」
「背中を押してくれるんですか」
「ボクなんかに押されても嬉しくないかもしれないけどさ」
肩を竦めてちょこっと笑うと、アルミンの笑顔が本物になった。
「そんなことないです。卒業まであと残り少ないけど、諦めないで頑張ってみようと思います」
「そうだよ、諦めるには早いよ。さ、一緒に行こう訓練場へ」
真琴はアルミンの肩を叩いた。彼は首を傾けて苦笑する。
「苦手な格闘術ですが、こてんぱんにやられてきます」
講義は終わったというのに、真琴は帰らずに訓練風景を眺めていた。彼らが各兵団へ入りたい理由は様々だ。胸を張って堂々と言えない者が大半なのだろうけれど。
組み手をしているエレンの顔から汗が散る。努力の雫は夕日に照らされて光っていた。体格の大きい少年と組み合ってしまったアルミンも、何度も投げ飛ばされながらも立ち向かっていく。
調査兵団へ入りたいと二人は強く望んでいた。死に急ぎ野郎などと言われてしまうほど過酷な所なのに。なぜ志望するのか、さきほど話してくれたことが全部ではないだろうけれど。
今日ここへ来たことは無駄ではなかったと思う。彼らの修練振りを見ることができて、真琴はこの世界のことが少しだけ分かった気がしたのだった。
ふいに肩を叩かれた。「ん?」
振り返ったと同時に真琴は腕を強く引っ張られた。足も払われる。ぐるっと身体が回転し、一瞬だけ赤く染まる空が見えた。
次の瞬間、息が詰まるほどの衝撃を背中に受けた。真上には夕焼けの空に小鳥の大群。
「な」何が起きたの? と口にしようとしたが痛みで声が出なかった。投げられたのだと気づいたのは数秒後で、真琴の傍らで見降ろすアニが、目を白黒させていた。
「驚いた。このくらい避けると思ってたのに受け身も取れないなんて」
「もしかして背負い投げされた?」
「した」と答えたアニは、腰を曲げて真琴に手を差し伸べた。「謙遜じゃなかったんだ。ホントにダメなんだね」
「だから新米で技術もないって言ったじゃん。ひどいな」
アニの手を取って起き上がった真琴は、「いたた」と眼を眇めて腰をさすった。丸くさせた眼でアニは疑ってくる。
「それにしたってこれはないでしょ。あんたホントに調査兵団なの?」
「調査兵団に憧れてるからって、自分で兵団の服を作って紋章を縫いつけたとでも? キース教官にも言われたけどさ、そんな嘘ついてどうするの」
苦笑していると、真剣な顔つきになったアニにいきりなり胸ぐらを掴まれた。また背負い投げされそうになったがフリだった。
「教官が見てる。くだらないことで減点されたくないから、フリでいいからつき合って」
「どこどこ?」
真琴は探して頭を振る。近くにいるキースと眼が合う。
目にゴミでも入ったのか。キースはごしごしと何度も片目をこすって、こちらをまじまじと見ていた。やがて眉間を押さえて首を振る。またフラフラと遠ざかっていく去り際に、
「訓練兵に花を持たせてやったんだろう、そうに違いない。でなければ、あんな簡単に投げ飛ばされるなどありえん。そうだ、そうに違いない」
組み合っているアニがぶっと笑った。無表情がちょっと怖い彼女が笑うと、顔周りにぱぁっと花が咲いた。
「あんたが兵士に向いてないこと、見抜いてるくせに信じたくないみたい」
「それでか。なるほどね」
調査兵団に所属していることをキースは信じられなかったのだろう。だから通過儀礼をしてきたのである。
「アニって格闘術得意なの?」
「まあね。小さいころからお父さんに教わってたから」
「その技術さ、ボクにも指導してくれないかな」
「あんたに?」
フリというには結構な強さで腕を取っているアニが瞠目した。
「習ってどうしようっていうの」
「まだ分からないんだけど、もしかするとボクも訓練で格闘術をやるかもしれないんだ」
むろん指導するのはリヴァイだろう。彼と組み手するとなると大怪我をしそうで怖い。予防策として対処できるよう予習してしまおうというわけだ。
「予備知識もなくいきなり教わるには、ちょっと怖い教官なんだよね」
「こんなの習ったって意味ないよ。ここにいるみんなだって真面目にやってる奴はいない。成績に加算される点数が低いってことが必要性を物語ってる」
「ボクの理由もまっとうじゃないけど、身につけて損するってことはないよね。誰かに襲われた場合、対処できるじゃない」
アニは眼を合わせない。真琴はにっと笑ってそそり立てる。
「ねぇ、アニ。お父さんに教わって磨いたその技術、思いっきり生かせる相手が欲しくない? みんな真面目にやらないんじゃ、つまんないでしょ?」
「お父さんに教わった……技術」
アニは口の中で呟いた。それから、真琴のジャケットの胸ぐらを掴む。ぐっと距離が狭まり、アクアマリンの瞳が見据えてきた。
「ど、どうかな?」
襟が詰まって苦しく笑う真琴を見て、ふとアニが眼を凝らした。寄せている眉に疑いの気配があった。
「……あんたってさ、まさかと思うけど」
「な、何かな? どうしたの? ボクの顔、可怪しい?」
アニは黙った。と、唐突に真琴はまた空を宙返りする。アニは背負い投げしながらクールな面差しを崩し、
「まあいいや! やる気があるなら次にでも教えてあげるよ、格闘術! その代わり、手加減しないから!」
真琴の背中を、どさっと地面に叩きつけたのだ。
「それはいまのでよく分かったよ。明後日の講義のときにまた来るから、よろしくお願いします」
背中がじんじんと痛い。今夜湿布を貼らなくては絶対に腫れる。目尻に涙を滲ませて、夕暮れの空に笑う真琴であった。
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mokuji
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