10.人類に怒った神様が罰を与えた

 翌日、リヴァイは玄関で真琴がやってくるのを待っていた。遅刻は初日だけで、毎日つらそうながらも時間厳守で訓練に励んでいたというのに、今朝はいつまで経っても来ない。

 遅い遅い、と爪先で廊下を何回鳴らしたか忘れた。寄りかかっていた壁から背を離して、叩き起こしに真琴の部屋へと逆戻りする。
(手間ばかりかけさせやがって。自覚のかけらもねぇ奴が)
 むしゃくしゃが足音に表れていた。

 真琴の部屋の前でリヴァイは肩を怒らせた。扉を足で蹴ろうとして思い留まる。両隣の扉よりも彼の扉は若干傷だらけで塗装が剥げていた。
(……俺のせいじゃねぇよな)
 壊れてしまったら修理代に一体いくらかかるか。修繕費用のことでエルヴィンにまたぐちぐち言われるのは面倒だ。もし壊れたとしても、真琴の少ない給与から差し引けばいいことだが。
 足ではなく腕で殴りつけるようにして荒いノックをしたのは、一応気にしたからであった。

「また寝坊か! 上官を待たせて、ぐうすか寝てんじゃねぇ!」
 やがて扉がのろのろと開いた。一瞬、ゾンビと見紛う。真琴のやつれた顔を見て、リヴァイの白目の分量は増えた。
「ひでぇ面だな、なんだそりゃ」
「実は全然寝てないんです」
 弱々しく言った真琴の目許には青黒い隈があった。立っているのもやっとのようで、扉の縁を支える手に体重を乗せている状態だった。

「寝ていない?」
 扉の隙間から奥が見えた。ブルーデージーを生けた一輪挿しが置かれている机に、見覚えのある綴じ紐されたぶ厚い資料が開かれている。あれはハンジが研究した巨人の資料だ。リヴァイがいらないと言っているのに、読め読めとしつこく進めてくるものだ。

「やっと真面目に取り組むつもりになったか」
 とても眠そうな眼で、「何のことです?」と真琴が問い返した。
「閲覧室から巨人の資料を借りてきて、夜通し読み耽ってたんだろう?」
 それならば遅刻の怒りも収まるというものである。だというのに、真琴は病的に青白い顔でハテナマークを頭の上に出していた。
「違うのか?」
「期待を裏切るようで申し訳ないんですが違います、すみません」

 そういえば真琴が喋るたびに酒気が鼻をついてくる。リヴァイは鼻を摘んだ。「酒臭いんだが」
「やっぱ臭いますよね……。いっぱい飲まされたんで」口許を手で覆い、真琴はは――っと息を確かめる。
(飲まされた?)
 引いた怒りが蘇ってきて、リヴァイは両手をぎりぎりと拳にした。生死の剣が峰に立っていることが分からないのだろうか。
「訓練兵より下の下のくせして、酒を飲める分際か!」

 しんどそうに両目を瞑って真琴が指先でこめかみを押さえた。「大きな声を出さないでください、頭に響く」
「お前がとろいせいで訓練課程が遅れ気味だってのに、二日酔いかよ!」
「だって」
 やる気のなさに腹が立って真琴の襟を掴んで引き寄せる。
「教えてやってる身の立場に立って考えてみろ!」
「これにはわけが」
 言い訳しようとした真琴の足が、がくんと崩れた。このままでは首を締め上げて殺してしまう。リヴァイは一緒に膝を突いて、咄嗟に小さな背中に手を回した。真琴がくたりと身を寄せてくる。

「頭が回る……気持ち悪い」
 小さくえづいたように見え、リヴァイは僅かに動揺した。ぶちまけられたらたまらない。
「ここで吐いてみろ、殺すぞ」

 襟を掴んだ拍子に真琴の頭を揺らしたことで、二日酔いに拍車をかけてしまったようである。
 胸許に凭れて、真琴は我慢するように眉を寄せていた。長い睫毛に、ほんのりと薄く開いている唇を見降ろしていると、リヴァイを妙な気にさせてくる。

(馬鹿か、こいつは男だ。俺に変な趣味はない)
 自分に言い聞かせるが、寄りかかる真琴の重みが男の性欲を刺激してくるのだ。情けなさを感じてリヴァイは天井を仰いだ。
(そういや、このところ女を抱いてない。そのせいに違いねぇな)
 今夜行き着けの店に行こう。そうしてすっきりすれば、女っぽい真琴に欲情することもないだろう。

「飲まされたと言ってたが一応言い訳を聞いてやる」
 そして名前が出た奴をあとで締めてやる、とリヴァイは遠くを睨んだ。訓練を妨げた報復をしなければ気が済まない。
「お酒を飲んだのはボクが寝てしまわないようにで……ハンジさんの話が主役だったんです」
「ハンジの話?」ピンときた。「巨人の話か。それにつき合わされてたってわけか」

 ハンジに気をつけろと忠告するのを忘れていた。調査兵団で彼女の餌食になってしまう者は何も知らない新兵しかいないのである。巨人のことを話し出すと止まらないことを知っている兵士たちは、やばそうな空気を察して一目散に逃げる特技を身につけていた。

「ずっと聞かされていて気づけば朝でした。だから睡眠取ってなくて身体がしんどいんです」
 声が死にそうな響きだった。こんな状態で無理矢理訓練をさせても意味がない。
 溜息を絞り出し、リヴァイは真琴を引き上げた。
「午前中の訓練は免除してやる。その代わり午後の訓練はいつもの倍だ。いまのうちに寝ておけ」
「すみませんでした」
「もういい。俺もハンジのことで注意しておくのを忘れていたしな。あいつに捕まったら逃げられん」

 何とも優しいものだとリヴァイは思う。真琴を抱き支えてベッドまで連れ添う。
「すみません、助かります。自分の部屋が歪んで見えるほどなので」
「転ばれて怪我でもされりゃ、また予定が狂うからだ」
 こうやって身体を寄せていると、どうも違和感を感じずにはいられなくなる。自分でも不明な違和感が男の部分をこそぐってくるのだ。その影響もあってか、いまいち接し方が中途半端になってしまう。

 白い枕に、だらしなく乱れている掛け布団。倒れるようにベッドに沈んだ真琴に、腕を腰に回していたリヴァイも巻き込まれた。
「おいっ」ベッドに片肘、片膝を突く。
「温情に甘えて……寝かせてもらいますね……」
「……ああ」

 頭の横で両手を投げ出し、もう寝る体勢で安らかに瞼を閉じている真琴の顔が、ころんと横に転がった。具合の悪さに反比例して赤味を帯びている唇からは、白い歯がちらりと覗く。
 ひどく無防備なその色っぽい唇を強引に割って、舌を捩じ込ませたらどんな味がするだろうか。――とリヴァイの喉仏がごくりと下がった。

(酒の味しかしないに決まってるだろうが)
 甘いわけがない。大体にしろ真琴は男なのである。
 どうかしている、とリヴァイはかぶりを振った。たまにしなを作る彼を気持ち悪いと思うくせに、
(気持ち悪いのは俺のほうじゃないか。あざ笑いも出ねぇ)
 早急に店で女を抱いてこようと思った。

 ※ ※ ※

 朝の陽射しが差し込んでくる。カーテンを閉めておけばよかったと思っていた。
 午前中の訓練を免除してもらった真琴はベッドで寝返りを打った。調子の悪い呻きが漏れる。
「頭ガンガンする……完全に二日酔いだわ」
 眠いのに脈打つような頭痛のせいで、なかなか寝つけないでいた。
「これからはハンジさんに気をつけないとな」
 ハンジの部屋を訪れた昨晩の出来事を思い返していた。

 瞼が落ちては上げるを繰り返していた。ああ意識が飛ぶ。夢の中へ行けそうなのに誰かが真琴の両肩を激しく揺さぶってくるのだ。
「でね! 巨人は約百年前に!」
「……ああ。現れたんですっけ? っていうか、それもう三回目です」
「あれ? これ話し済みだっけ?」

 眠りを妨げてきたのは眼が血走っているハンジであった。キッチュな一人掛けソファに座って、丸テーブルを挟んだ向かいにいる彼女の瞳は赤く充血している。眠いけれどお喋りのほうが勢いづいていて眠気を抑え込んでいるようだ。
 眼をこすっていたら、ハンジが琥珀色の液体が入ったグラスを差し出してきた。
「ヤクが切れたかな? ほらほら一杯どーぞ」
 ヤクと言ったが妖しいものではなく、ただの酒。要は真琴を寝かさないためのガソリンである。

「分隊長に注がせてしまって申し訳ないです」
 真琴は酒を喉に流し込んだ。濃度の高いアルコールが熱さを伴って胃まで通過していく。
「いい飲みっぷりだ! 夜は長いんだからそうこなくっちゃね。寝ちゃったらもったいないよ」
 嬉しそうに言うハンジを見て真琴はぷっと吹き出した。
「何か可怪しい?」

「だってハンジさんが嬉しそうだから。そんなにボクに起きててほしいんですか?」
 へらへらしている真琴は酔っていた。微睡みが心地好い。
「だってほかに聞いてくれる人がいないからね。こっちも必死だ」
「新兵は食いつくしちゃったんですか?」
「もう近寄ってもくれないな……。もっと計画的に、じわじわと事を運ぶべきだったよ」
 悲しそうにするハンジが真琴には可笑しくみえた。酔いが過ぎて笑い上戸になってしまっているようだ。

「真琴はさ、また誘ったら聞いてくれるよね?」
「今夜みたいに深夜を回ると困りますけど、中休みのときとかなら」
 うっかりなことを真琴は言った。ハンジがにやりと微笑を浮かべたことに気づけなかった。無意識に確約してしまったことを近いうちに後悔するだろう。彼女の話につき合ってくれる人間は、もう真琴しかいないからだ。

 不揃いな本棚をバックに腰掛けるハンジは語った。
「でね、巨人には空腹感がないんだ。なのに人間を捕食するんだよ。この事について真琴は何を疑問に思う?」
 垂れてくる瞼を堪えつつ、真琴は考えた。食べることに理由がないのなら何か意味があるのだろうと思った。

「増え過ぎた人間を減らしたいんじゃないでしょうか」
「壁内は限られた空間だ。この百年で減少はしていても、際立って増えてはいないと思う」
「発生の原因です。百年前を振り返ります」
「そうきたか。続けて」
 低い丸テーブルに肘を突き、ハンジは顎で両手を組んで身を乗り出す。

「人類に怒った神様が罰を与えた、って説はどうでしょうか」
「神様が私たちに怒った? それは何で?」
「食物連鎖の頂点は、いままで人間が君臨していましたよね。自然の伐採や動植物の遺伝子操作をしたり、生態系を壊して好き勝手してきました。そんな愚かな人間に、とうとう天敵が現れたって考えられないでしょうか」

 巧く呂律が回っていないが言いたいことは伝わっただろうか。いつまでも頂点でいられるわけないと常々思っていたことだった。例えば真琴の世界では、その脅威はウィルスに当たるかもしれない。姿を変えたり未知のウィルスが発見されたりと、人類を脅かす存在は巨人と同じように脅威である。
 人間は罪だ。生きるために家畜を育てて食す。百獣の王ライオンでさえ食物連鎖に入っているのに、人間だけがそのサイクルに乗らないのだ。真琴だって罪深い。分かっていて牛や豚を食べるのだから。

 ハンジは眼を剥いて片手を突き出した。
「ちょっと待って、よく聞き取れなかった! しょこおつえんさだっけ?」
「舌回ってませんか、ボク? しょくもつれんさって言ったんですよ」
「ってどういう意味なの?」
 巨人という生物の研究をしている人が、どうして知らないのだろう。微睡む頭で訝りながら真琴は説明した。

「ピラミッドが」
「ぴ、ぴら? え?」
 もどかしさを感じて真琴は頭を掻きむしった。何がどうして話が通じていないようである。
 大げさに腕を動かして宙に三角形を描いてゆく。
「三角形に、例えば横に三等分線を引くんです」
「紙とペン、紙とペン!」急いで半身を捻ったハンジが後ろに手を伸ばした。本棚の筆立てからペンと適当な用紙を掴んでテーブルに置き、真琴の説明になぞってメモを取り始める。

「下から植物、昆虫、鳥って感じになります。これは食う食われるの関係で、頂点の鳥は糞が植物の養分になり」
「育った植物を昆虫が食べる! 美味しそうに太った昆虫を鳥が食べる!」
「で、鳥が糞をして〜の繰り返しです」
 自分で書いたピラミッドを翳して、ハンジは眼を輝かせた。
「斬新だ! それを細かくすると頂点が巨人になるわけか!」

 しかし真琴は疑問に思って首を捻る。
「……巨人って、どのくらいいるんですか?」
「壁の外にうじゃうじゃいるよ。討伐しても次々湧いてくる、切りがないほどだ」
 うじゃうじゃいるという。それは人間よりも多いのか。
「人間よりも、かなり少なくないと可怪しいんですけど。見てきた感じはどうでしたか? 人間よりも多そうでしたか?」
「うーん、未知の領域もあるからね。奥まで行けばもっといるのかもしれない。もしそうだとして、なんで可怪しいの?」

(どうして可怪しいんだっけ)
 はっきりしない頭をつついていたら小学校のころの理科の先生を思い出した。ひょろりとした長身で、渦巻き眼鏡をかけていた先生の授業を掘り起こす。
「人間は自分たちで生産できるから、あまり食物連鎖は関係ないんですが。巨人って人間以外で何か食べますか? 畑を耕して自給自足してるとか」

 間抜けな発言だったのか、ハンジは飲みかけの酒を吹いて笑う。
「畑を耕す巨人か。想像するとなんて可愛いんだろ」片目を細めて、ちっちっと口許で人差し指を振る。「でも残念だね、真琴。巨人は人間以外捕食しない。何も食べなくても生きていける生き物なんだ」
 それだと可怪しいのである。自然の摂理に反している彼らは一体どこからエネルギーを得ているのか。

「あとね、真琴。分からないのがもう一個あったんだ。いれんし」
 扉のノックでハンジが訊きたいことは遮られた。扉の外から男の声が呼ぶ。
「ハンジ分隊長、お迎えにあがりました。まもなく早朝会議の時間です」
「何てことだ、有意義な時間は過ぎるのが早い」
 悔しそうな顔をして、ハンジはソファに掛けてあるジャケットを羽織った。
「え! もう朝!?」
 真琴は仰天するのだった。――窓の外の明るさに。

 こんなことがあったが、
「いまいち何を喋ったんだかあやふやだわ」
 はっきりとは思い出せない真琴だった。酒を飲み過ぎたことが原因だと思われた。


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