06.扉を蹴る激しい音

 扉を蹴る激しい音で真琴は目を覚ました。
「いつまで寝てやがる! 今日から訓練だろうが!」
 外で怒鳴っている不機嫌そうな声は昨日聞いたばかりである。
 真琴は飛び起きて窓を振り返った。最後に見た景色は茜色だったのに、いまは清々しいほどの青空だ。朝になっていた。

 がたがたと悲鳴を上げている扉に飛びついた。ドアノブを捻って急いで引く。
「わっ!」
「!」
 目の前にリヴァイがいた。蹴り上げた瞬間の彼の足を腹に一発食らいそうになって、真琴は一歩後ろに下がった。ヒットしていたら今夜の星になっていたかもしれない。

 眼を丸くしたリヴァイは切れ長の目許に皺を寄せた。
「いきなり開けるんじゃねぇよ、当たりそうになったろ」
「すみません、寝てたので頭が働いてなかったようです。急かされて早く開けなきゃって、それしかなくって」
 真琴はぼさぼさの頭をさする。
 顔を微妙に逸らし気味にリヴァイが見てきた。
「昨日のまんまだな、お前。皺くちゃじゃねぇか」

「え」ぱちくりして、真琴は自分を見降ろした。「そのまま寝ちゃったんだ」
 衣服がスーツのままだった。上質なものなのに、しわしわになってしまっていた。
 まだ眠気まなこだった真琴の瞳は見開かれた。「やばい!」焦って頭を抱えて首許まで手を滑らせる。
「何がやばい?」リヴァイは胡散臭そうにした。

 肩に髪が垂れていないことに一息ついた真琴はふやけて笑う。「いえ、こっちのことです」
 ちゃんとかつらを被っていたようでよかった。ところどころ跳ねているのを手触りで感じたけれど。
「何時だと思ってたんだ、早く支度してこい」
 リヴァイは扉をばたんと閉めた。音の大きさから機嫌が悪いことを悟った。

 スーツのジャケットを脱ぎつつ、真琴は扉の外を思ってちら見する。
「廊下で待ってるのかしら。早くしないとまた怒鳴ってきそうな気がする」
 シャツを新しいものに変えたかったが時間を短縮することにした。兵団のジャケットに袖を通す。
「パジャマに着替えるどころか、さらしも巻きっぱなしで寝ちゃったから何だか胸に痺れが残ってるわ」
 半身を捻って背中に感じる凝りをほぐす。スーツのズボンを脱いで、これまた兵団のズボンに足を通した。
「夕方からいままでぐっすり寝ちゃったのか……って何時よ」

 ベッドから腰を上げるついでに、ぴょんと飛んでズボンを尻まで滑らせた。ウエスト釦を閉めながら、机にある小さめの時計を見る。
「八時……だいぶ寝たわね」
 規律では起床時間は六時。リヴァイが怒鳴るのは当然かもしれない。支度を急ぐ。
 真琴は再度ベッドに座って、膝小僧まである茶系のロングブーツを履く。
「窮屈だな〜。こんなので一日過ごさなきゃならないの〜」
 夏ならば足が蒸れそうだ。椅子の背凭れに掛けっぱなしの外套はどうしようか。

「寒くないし、いらないわよね」
 皺になると面倒なのでハンガーに掛けてラックに下げた。クローゼットの横にある姿見で全身を確認する。
「やっぱりすごい跳ねちゃってる。どうするの、これ」
 ブラウンのかつらには、ひどい寝癖がついていた。何度も撫でつけるが往生際悪く何度も跳ね返ってくる。
「ちょっとちょっと、やだ〜」

「遅い! 着替えるだけで、いつまでかかってんだ!」
 扉の外から怒られた。仕方ないので今日はこれで我慢だ。
「いま行きます!」
 声を上げて扉まで走った。開け放ってから、また勢いをつけてしまったと真琴は舌を出しそうになった。が、正面にリヴァイはいなかった。

 彼は扉横で寄りかかっていた。腕を組んだ姿勢で横目を流している。
「ようやくか。さっさと行くぞ」
「お待たせしてすみませんでした」
 これでも色々と時間を短縮したのだけれど。
 歩くのが早いリヴァイを駆け足で追う。修繕のせいか、あちこち色がまばらな床板は踵の音が響く。

 リヴァイの背中が言った。
「阿呆な髪の毛はどうにかなんなかったのか」
「直すには時間が足りませんでした」
「寝坊するからだ。阿呆な寝癖のせいで、こっちまで志気が下がる」
(アホアホうるさいなぁ)
 刈り上げられたリヴァイの後頭部を、真琴は苦い色の瞳で見た。ツーブロックの黒髪は側頭部と後頭部が若干刈り上げられている。某人気俳優がこの髪型なので、真琴の世界でも真似する若者が近頃多い。

 ふいにリヴァイが肩越しにぱっと振り向いてきたから、真琴は焦った。至急そっぽを向く。
「生意気な視線を感じたが」
「気のせいではないでしょうか」
 ふん、とリヴァイは鼻を鳴らした。睨んでいたのを見抜かれているような気がした。

「食堂で見かけなかったが、昨夜は晩飯食ったのか」
「あのあと部屋も出ずに寝てしまったんで食べ損なっちゃいました」
 言われて始めて空腹感を伴った。胃が活発に動き出す感覚がして真琴は腹をさする。
「お腹減りました。リヴァイ兵士長はもう食べたんですか」
「起床時間は」
 調子を強めた声に問われて、真琴は気まずく答える。「六時です」
「朝飯は六時半から七時半のあいだだ。ちゃんと起きてる奴は、とっくに訓練に向かってるだろうな」
 かなり嫌味ったらしかった。寝坊した真琴が悪いのだけれど。
「食べ終わってるってことですね。すみません」

 まさか朝食抜きだろうか、腹が減り過ぎて少し気持ち悪くなってきた。真琴は元気なく言う。
「食べてきたらダメですか? 夕飯も食べてないから力が入んないですけど」
 リヴァイの肩が落ちた。溜息をついたのか。
「行ってくればいいだろう。俺は外で待ってる。さっさと掻き込んでこい」

 この雰囲気でとても言いづらいのだが横から窺う。
「度々すみません。食堂の場所が分からないんですが、どう行けばいいんでしょうか」
「ハンジに管内を案内されたんじゃねぇのか」
「どうやら食堂を忘れていたようです」
 生きていくうえで大事な場所をハンジは教え忘れたのだった。
「役に立たねぇ奴」
 溜息をつくように呟いたリヴァイは、前を見て言う。「食堂は本部の一階だ。飯の時間は過ぎてるが、まだ余ってるだろ」
 連れていってくれるようである。

「ところでお前」急に足を止めてリヴァイは疑いの眼つきで真琴を見た。「風呂には入ったんだろうな?」
「臭いますか? 汗は掻いてなかったからそんなに……」
 あのまま寝てしまった真琴は、もちろん風呂に入っていない。襟を摘んで鼻に近づける。
 真琴の動作で風呂に入っていないことにリヴァイが感づいた。汚いものを見る眼で距離を取った。

「信じられない奴だ。不潔すぎる」
「一日だけですよ。それに臭わないし、そんな眼で見なくても」
「そのシャツも昨日と同じもののように見えるが」
 ばい菌のように見られており、真琴の顔は引き攣った。わりと傷ついていて胸にダメージを負った。
「ホントは着替えたかったんですけど、急いで支度しないと怒られると思ったから」
 訴えつつ近づくと、リヴァイが下がりながら手のひらを突き出した。

「寄るな! 汚ねぇのが移るだろう!」
「はぁ!?」と真琴は頓狂な声を上げそうになった。大げさすぎるだろう。彼がしていることは小学校のいじめレベルだ。
「寝坊した腹いせですか、それ」
「腹いせ? ガキみてぇなくだらないことをいちいちするか。とにかく、それ以上近づくな」
 そう言い、真琴を置いてリヴァイは足を早めた。

「それがもういじめなんだけど」
 それとも本当に不潔と思っているから、そばに寄ってほしくないのだろうか。襟許に鼻を寄せてもう一度嗅ぐ。
「いい匂いもしないけど、別に臭くもないし」
 こっそり唇を尖らせた。距離を保って真琴は彼のあとについたのだった。

 二人が食堂につくと、朝食にしては遅い時間だったので人はまばらだった。年季を感じさせる食卓がずらっと並んでいる。
 外は明るいのに室内が薄暗かった。窓から巧く陽射しが入らないのか、全体的に木材の色が濃いからなのか、おそらくは両方が関係しているのだろう。
 厨房から香ってくるのは様様な食材が混じり合った匂いで、それが食堂に充満していた。食欲をそそる匂いにつられて真琴の腹がぐぅと音を立てる。

(うわ! 恥ずかしい!)
 咄嗟に腹を押さえてリヴァイを窺った。羞恥で顔を赤くしている真琴など目もくれず、彼は厨房と対面するカウンターへと進んでいく。
「一人分頼む」
 食事作りは当番制――なんてことはなく、大規模な組織だけあって調理人がしっかり雇われていた。朝のピークを過ぎた遅めの来者に、彼らは嫌な顔一つしないで皿が乗った盆を手渡す。

「君が最後かな? 寝坊しちゃったのかい」
「はい……ご迷惑をおかけしてます」
 受け取って真琴は頭を下げた。大量の皿を洗っている光景が厨房の奥に見えた。
「構わないよ。これがわたしらの仕事だからね」
 和やかな顔で言った調理人をリヴァイが気づかう。
「片付けを増やして悪いな。休憩に入れないだろ」
「いやいや、本当に構わないんです。ゆっくりどうぞ」

 リヴァイが腰を降ろした食卓の向かいに真琴は座った。目の前の盆を見る顔は、さっきから愕然としている。
 コッペパンを手に取った。小麦の匂いをほんのり放つパンは、柔らかくなく見てくれ通りの固さだった。
(焼いてから時間が経ってるせい? でもこんなに固くなるもんかしら。フランスパンじゃないわよね)

 ほかに盆に乗っているのはスープが入った大皿と果物が盛られた小皿だった。油が浮いている半透明のスープをスプーンで掬う。ジャガイモやニンジンが煮られているが、ごろごろ入っているわけでなく、割合はスープのほうが多い。
(野菜スープ? でも油が浮いてるし)
 あ! と真琴は眼を見開いた。
(お肉の塊が二つあったわ)

 リヴァイに上目遣いする。
「遅かったからでしょうか?」
「なにが」
「中身が少ない気がして。残りものだから、お肉も二つしか入っていないのかなって」
 食卓に片肘を置いているリヴァイが首を伸ばして皿を見てくる。
「大抵いつもそんなもんだろ」

「え!?」真琴は眼を大きくした。ややして落ち着かせて笑う。「朝食だからシンプルなんですね。昼食や夕食はもっとボリュームがあるんですよね」
「なに言ってる。毎食そんなもんだ」
 うそ!? と叫びたかった言葉は堪えた。リヴァイの眼つきが冷たいものになっていたからだ。

「さっきからお前、何が言いたい」
「いえ」と真琴は口籠る。こめかみにはたらりと汗。
「盆をもらったときからしけた面してやがったが、不満があるなら食ってもらわなくて結構だ」
「そういうわけではなくて……」
「そのほうが一人分食費が浮く」

「あの、違くて。体力仕事なのにちょっと少ないなぁって思っただけで」
 バカみたいに笑いながら、真琴は親指と人差し指で少量を示してみせた。
「舌の肥えたぼんぼんには豚の飯にしか見えんだろう、食うな」
 盆を摘んでリヴァイは引いてこようとする。真琴は慌てて盆を押さえつけた。
「ダメ! ボクの朝ご飯!」
 寂しい食事だとは思うが腹はとんでもなく減っているのだ。

 半身を横にしてリヴァイは頬杖を突いた。すっかり機嫌を斜めにしてしまったらしい。
「必死に取り返すぐらいなら、文句垂れてねぇでとっとと食え」
「すみませんでした。いただきます」
 手を合わせて食事に礼をした。口に運んだスープは美味しかったが、野菜も肉ももうちょっと食べたかったと胃が訴えた。噛みちぎったパンはやはり固くてもさもさした。

 料理人の腕が悪いわけではなさそうだ。おそらく安い食材を使っているためだろうと思われた。
(お肉の分量からして調査兵団って貧乏なのかしら? だってこれが当たり前なんでしょう?)
 たった数日間だったがフェンデル邸で過ごした時間が恋しく思えた。伯爵邸で出されていた食事が豪華だったからなおさらだった。贅沢に慣れるものではないと思いながらも溜息をついてしまった真琴だった。


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mokuji
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