49.後ろ髪を引かれる――彼に

 回廊を走りながら真琴は聞いた。命を奪われるかもしれない緊迫感から早々に息が干上がる。
「あれは――っ、あれは、どこにあるのか、知ってるの」
「北塔にある」
 左右に揺れる淡い金色の前髪。フュルストは追っ手を気にしながら頻繁に振り返る。

 北塔。王の間が中央に位置しているとして城の端。とても立派で大きな城の外観を思い、真琴は窮した。辿り着くにはどれだけの追っ手を躱し続けることになるだろう。フュルストの腕は認めている。けれど目的のために犠牲者は出したくないのが心情だった。

 弱音を吐きたくなって顔を上げると、曲がり角から兵士が飛び出してきたところだった。見返っていたフュルストよりも逸早く真琴が気づく。王政側、革命側、どちらしにろ捕縛されてしまう。
「前!」
 真琴が叫んで一拍後、目の前をひゅっと銀色の残像が裂いた。それから、どしゃりと崩れる音を後ろから聞いた。
 手を引かれて駆けながら真琴は振り返って見た。倒れている兵士に外傷は見られない気がする。

 フュルストは爽やかに褒めた。
「お手柄だね。たまには有能じゃない」
「だてに調査兵してるんじゃないんだから。私も、いい腕利きさんが一緒でよかった」
 フュルストの抜き身の剣は汚れてはいなかった。

※ ※ ※

 フュルストは腕利きだ。のした兵士を剥ぎ取ったベルトで締め上げながらリヴァイは思った。
 フュルストと一緒なら、味方と敵とが交錯し、攻撃対象か否かの判断を一瞬躊躇しまいがちなこの混乱のさなかでも、きっと真琴は無事だろう。
 リヴァイは思いあまったすえ仰ぎ見る。血で血を洗うエルヴィンの剣にもう迷いは見当たらない。
「――エルヴィン」

 まるで打ち合わせしたようにフュルストがあの場にいて、このまま大人しく脱出するとは思えない。何か企てているに違いない、フュルストに真琴を任せていてはいけない気がする。
 見透かしたようにエルヴィンは口端を上げた。
「俺を置いて行くのか」
「お前はいつから甘ちゃんになった? 気持ち悪い」
「そんな顔するな、冗談だろう。心配なら無用だ。リヴァイのしたいように動いたらいい」
「悪いな。死ぬなよ」

 リヴァイはこの場から離れて真琴を追う。と、王の間を出ようとしたところを新型の立体機動装置を装備した兵士に目をつけられた。複数放たれた弾が一発リヴァイの横髪を削って回廊の壁に次々とめり込む。振り切ろうと脚力を上げると左足が痛んだ。これではまともに走れないし銃弾の餌食になる。

 リヴァイは立体機動装置のトリガーに指をかける。回廊を飛ぶのは得策ではない。真琴は右へ曲がった。向かった方角は東か北に賭ける。
 庇うようにリヴァイは外套を目の前に翻させ、再び発砲された弾が足許に着弾する直前に、床を蹴って飛んだ。身を小さく丸めながら、正面の半円アーチ型の窓に突っ込む。
 がしゃんと派手な破砕音が回廊に響き渡った。外套越しの顔面を庇った腕に、背に、粗い硝子の破片が浅く突き刺さる。それを外套を払って振り落とし、同時に立体機動装置のガスを噴射した。陽が暮れた中ワイヤーを使い、城の外壁を、連なる窓から見える回廊を辿って迂回する。

 闇に溶けるか溶けないかの、外壁に伸びる薄い影。リヴァイはちらりと振り返って舌打ちした。
「粘着質は嫌いだ」
 いましがたの兵士につきまとわれたまま、リヴァイは真琴を追う。
 リヴァイに弾は当たらない。先の壁外遠征で負傷した左足も、ワイヤーとガスを駆使すればさほど邪魔にならなかった。追っ手の無駄弾は外壁を崩し、回廊の窓を突き破る。

※ ※ ※

「まだなのっ――あとどれだけ逃げればっ」
 真琴は極度の恐怖と緊張感で限界だった。追っ手は見当たらないはずなのに不思議なことに窓が次から次へと割れる。
「あの角を曲がって、その先の階段を上がったら。もう少しだ」
 答えながらフュルストは背後を見た。その眼がぐわりとかっ開いて、ふいに真琴の手を強く引いて前へ押しやった。
 真琴はつんのめって、フュルストは真琴の背中につんのめる。一瞬だけ全体重がのしかかる感じがあって、真琴は踏ん張った。
「ちょっ、っと」

 フュルストが顔を上げかけたとき、唇を噛んだ顰め面を見た気がした。額に粒状の汗、片眼を細めて難癖をつける。
「しっかり走ってよ。つまずいちゃったじゃない」
「……ごめんなさい」少し理不尽に思いながらも、「大丈夫? 息が切れてない?」
「人の心配するなんて余裕だね。よかった、おぶらなくても平気そう」
 前を促されて再度駆け出したが、曲がり角の手前で急にぐにゃりとフュルストがくずおれた。
「フュルスト!?」

 ほぼ同時刻。回廊の窓を割って、兵士が二人、時間差でなだれ込んだ。兵士二人は敵対しており、うち一人はリヴァイだと気づいて真琴は動転する。

 傍らに膝をつき、フュルストの背に触れようとして、真琴ははっとした。駆けてきた床を眼で辿ると、てんてんと赤い雫が道しるべのように続いている。フュルストが身を埋める周辺はさらにひどかった。赤々とした血溜まりが、床の溝をまたいで、その範囲をゆっくりと広げ続けていた。

 フュルストを触れる真琴の指先は恐々と震える。せきこむように口にする。
「なんで言ってくれなかったの? いつから? 全然気づかなかった。だって、そんな黒い服だから、分からなかった。どうしよう。こんなに、血が」
「落ち着いて」
 フュルストは横腹をぐっと押さえながら顔を上げる。
「やだな。泣きそうな顔されると、死にそうな気になってくるじゃない。出血っていうのはね、実際は見た目ほど多くないんだ。いまもそう、君が不安そうに思っているよりも、僕は全然」
 うそだと、真琴は頭を振った。両眼に溜まった涙が散りそうになる。

 フュルストは無理して微笑む。
「安心した? したなら、行って。ここは僕が凌ぐよ」
 真琴は頭を振り続けているのに、フュルストは先を指差した。
「そこの扉の先に階段があるから。抜けると北塔に出られるから。さあ」
 置いていけない、真琴は頭を振るしかなかった。流れ弾が床を撃つ。それで真琴はフュルストを覆うようにして守る、それしかできなかった。

 向こうではリヴァイが兵士を蹴り飛ばしたところだった。二人に駆けつけたリヴァイは非難した。
「ど真ん中で固まってんな。標的になる!」
 フュルストから真琴を剥がし、リヴァイは微かに眼を見開いた。身を丸くしているフュルストの負傷に気づいた。
「呆れた馬鹿だ」
 フュルストを引きずりながらリヴァイは真琴を叱り飛ばす。
「庇う場所を考えろ。障害もないあんな開けた所で。格好の餌食だろう、敵の!」

 三人は壁沿いに並ぶ銅像の物陰に一時避難した。銅像の影から回廊を覗いたリヴァイの鼻先すれすれを、ひゅんひゅんと銃弾が貫く。
 リヴァイは壁に背をぶつけるようにして、ふうと息を吐いた。
「失策だ。あれは俺が連れてきちまった」
「血が止まらない……どうしよう」
 わなわなと震える唇。フュルストの銃創を圧迫している真琴の手は血まみれになっていく。

 リヴァイは腰許のポーチから簡易救急パックを取り出す。
「混乱するな。冷静になれ。介抱する奴がパニックを起こすと、怪我人も動揺する。それは良くない結果に繋がる」
「……見立ては悪いの? ま、まさか、し、死んじゃ――」
 真琴は眼を上げた。その眼が恐怖の色で塗りつぶされているのを見て、リヴァイが動揺しかけた。

 貧血顔でフュルストはくっと口端を上げた。
「下手だね」
 リヴァイは気持ちを切り替えるように軽く息をついた。両手はちゃきちゃきと応急処置を続ける。
「とにかくだ。パニックになりそうなときこそ、むしろ冷静でいられるように保て。それにこいつが死ぬ玉か。どう煮たら、どう焼いたら殺せる? 教えてくれ。憎らしい」
「そうだ」
 真琴は思いついたように鞄を漁る。以前エリザベートからもらった止血に使える治験薬、鞄に入れっぱなしのままなはず。ずっと混乱していたままだったら薬の存在をきっと思い出せなかった。
 治験薬を使うとなったらフュルストはしぶったけれど。「僕で実験するの?」

 三人ともすっかり血生臭くなった。
 包帯に血が滲まなくなってきてから、リヴァイは小さくほっと溜息をついた。銅像の影から様子をまた窺う。
「さて、どうする。あちらさんは飛び道具。こっちは少しやりづらい」
 そう言えばと、ふいに振り向く。
「お前ら、なぜこっちに逃げてきた」

 真琴ははたと硬直し、フュルストは自然に嘯いた。
「こっちが脱出ルートだったから」
「わざわざ? 遠回りだろう」
「正面から脱出するのは、ちょっと大変そうだったからね」
 まあ、呟いて回廊のほうへリヴァイは緩慢に向き直る。
「あの状況じゃあな」

 ひそかに、真琴はフュルストの浅黒くなった目許と見交わした。いいんだね? と最終確認をされた気がした。真琴はあっさり頷けなかった。ここにきて後ろ髪を引かれる――彼に。
 結局真琴は頷けなかったけれど、決心はフュルストが決めた。
「――提案なんだけど」
 リヴァイは言ってみろというふうに顎をしゃくる。
「僕はまだ動けそうにない。真琴もお荷物。戦力は君だけ。でも敵は待ってくれないよね」

「それで?」
「あの扉の先は、僕が確保しておいた脱出ルートだ。下りの、階段になってる。城の裏口に出れる。だから真琴だけでも先に城から出そうと思うんだけど」
 真琴は口を挟んだ。
「でも、私一人じゃっ」
 熱気球を見つけられても、一人ではそんなおおがかりな物、運び出せない。そんな胸のうちの真琴に、フュルストはただこくんと頷くだけ。

「一人で行かせて、安全なのか」
「下で僕の仲間が待機してるよ」
「そうか」リヴァイは微妙そうにした。迷いにフュルストが畳みかける。
「そうしたほうが君もやりやすいでしょ。流れ弾が彼女に当たる心配もしなくていいし。なにより邪魔じゃない、役に立たないんだもの」

 リヴァイは真琴を振り返った。
「平気か。俺はお前がいても、どうってことは――」
「私……」二の句を告げるために唾を飲む。「先に行ってる。邪魔したくないから」
「そうか。気をつけろ」
 断ち切るようにぎゅっと眼を瞑って、真琴は背を向けた。
「さようならっ」
 駆け出す際に思わず別れを口にした。リヴァイが不審に思わなければいいと思った。


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