48.愁いと血走る瞳とが

 突然、王の間の扉が勢いよく開いた。
「報告申し上げる! 超大型巨人出現! ウォールローゼが突破されました!」
 駐屯兵団の男は息を切らしながらそう叫んだ。
 王が腰を上げる。
「なに!? まさかさきほどの爆音か!」
「避難住民が押し寄せてきています!」

 続いてピクシス司令が厳しい表情で現れた。
「住民の避難が最優先! 避難経路を確保します。王宮も開放していただきたい」
「ならぬ!」
「は?」
 側近が代弁する。
「ウォールシーナの扉をすべて封鎖せよ! 避難民を何人たりとも入れてはならん!」
「お待ちください!」
 青ざめた様子で駆け込んできたのは憲兵団師団長のナイルだった。
「それは、ウォールローゼの住民を、東区にいる私の家族を――、人類の半数を見殺しにするとのご判断でしょうか?」

 これにも側近が対応した。
「居住地が縮小したのだぞ! 人類同士の争いが始まる! この国の平和を脅かされてはならん!」
 ざわついた中、今度は調査兵団の一人が転がり込んできた。
「たったいま、ウォールシーナが――!」
 転がり込んできた勢いで、王の間の赤いカーテンを引く。
「あれを!」
 窓の外、ずっと向こうに、二体の巨人が組み合っている様子が見て取れた。

 王が舌打ちした。
「なっ、ウォールシーナまでっ。 兵は何をしておったのだっ」 
 王は立ち上がりながら側近を振り向く。
「余は地下シェルターへ避難する」
「……地下シェルター?」
 藁を掴むように手を伸ばしているナイルは呆然と呟いた。そこへ背後からのゆったりとした足音。回廊から王の間へとエルヴィンが冷然と現れる。その後ろにリヴァイもいたものだから、真琴の体内を冷や水が駆け巡った。

「ナイル。王は民を捨て、我先にと逃げるおつもりなのだ。お前の眼にはどう映る。この方は我々の心臓を捧げるに値するか」
 ナイルは両手をつくと、がくりと頭を落とした。
「――否、だ」
 それをきっかけに蔑む空気――王と側近以外の者の視線だった。この沈黙の時間はたいして長くなかったはずなのに、真琴の体感ではおそろしく長く感じた。
 二人がやってきたとき、真琴がいることにエルヴィンはさして問題ないとみて無視したようだけれど、リヴァイは意外そうに難詰したそうに小さく口を開いた。いまも周囲の蔑む視線とは別の視線で、注意深く真琴は見張られている。
 真琴はごくんと唾を呑んだ。
(怒ってる……)

 やがて王はきょろきょろと狼狽える。
「な、何をしておる! 早く騒動の収束に向かわんか!」
 エルヴィンは眼を伏せた。
「騒動など起きてはいないのです」
「なにを言っておる」
「ですから、騒動などひとつも」

「な、ならば!」王はふるふると窓を指差す。「あれはなんと説明する気だ!」
 あれは、とエルヴィンは窓の外、遠くで闘っている巨人に視線を移した。
「あなた方が抹殺したがっているエレンと、あなた方のアニ・レオンハート――しかし。我々の協力者です」
 王は窓に近寄り釘付けになった。眼球が震えて見えた。

 ピクシスは手を後ろに組み、静かに王のもとへ歩む。
「すべては三兵団の結託による茶番劇なのです、王。民は変革を望んでいた。そんな民の声を無下にできますまい。それで我々は恐れ多くも試させていただいたのです。もちろん、王が人情厚い慈悲深いお方であったなら、我々はこの場で腹を切る覚悟でした」
「こ、こんなこと、こんなことが……」
 王の声は震える。

 無視して、エルヴィンは懐からバイエル瓶を取り出した。
「私から問い質したいことは、ただひとつ」
「問い質す……? 王である余を……? お前ごときが――っ」
 喘ぎながら振り返った王は、エルヴィンが手にしているバイエル瓶を見て眼を剥いた。
「――どこでそれをっ」
「そのままお返しする。どこでこれを?」

「なんてことだ……なんてことだね……、ネズミが噛みつきおった……」
 王はよたよたと玉座まで歩くと、側に据えられたテーブルから銀のベルを手に取った。大振りに振られたベルは、可憐な音色とは例えがたい、荒々しい響きを充満させた。
 響きとともに、どこからともなく兵士が現れた。それは王を守るように取り巻いた。
「簒奪者だ! 余を狙っておる! こやつらの首を落とせ!」
「悪あがきを」
 呟いたエルヴィン同様、おのおのが仕方なしと抜刀しはじめる。

「女王はどうします」真琴を捕らえようとしていた側近だ。
 ――女王?
 女王という発言に三兵団の者らからの怪訝な視線が真琴に集まった。
 ちがう……、と真琴は人知れず首を振る。ほとんどいない者として扱われていたのに、いまさら注目を浴びるなんて。窺いを立てた側近を恨む。
「惜しいが、女王は始末だっ。その者は知り過ぎたよ。捕らえられてみろ、得にもならぬっ」
 王は簡単に真琴を切り捨てた。こんなものだろうと思う。真琴に落胆はない。王の人物像を知ったいま、この人に頼ろうとも思わないからだった。

 そんなことよりも、この時点から王政側と兵団側、双方を敵に回したことが切実な問題だった。どうしてこんな場面に立ち会っているのだろうかと真琴は苦虫を噛んだ。
 ぱしりと手首を取られる感触に現実へ呼び戻される。リヴァイかと一瞬期待に胸を甘くしてしまう自分を叱った。側近の一人が真琴を庇うように前に立ちはだかっている。

 誰かが恨み節で叫んだ。
「こいつは愚者だ! こんな老いぼれのために、俺の仲間が死んでったんだ!」
 真琴は眼をしばたたいた。玉座の横で王の首から血が噴き出しているのが目に入る。赤い噴水のようだった。それはおそらく同時だった。真琴の手が取られるのと、王の首目掛けて一人の兵士が剣を振り降ろすのと。

 がやがやとした耳鳴りのような喧騒。
 王の首をかっ捌いた駐屯兵はもう腹を抱えていた。彼の足許の大理石にぼたぼたと血が滴る。王を取り巻く兵士から返り討ちにあったのだ。
「よせ! この者らは証人! 捕縛するのだ! 殺してはならない!」
 いつの間にか増えていた兵団の士気に、エルヴィンの制止を求める声は掻き消されそうだった。

 真琴の知らない怒声があちこちで飛び交う。
「ウォールマリア奪還作戦を俺は忘れないぞ! あの中に家族がいたんだ!」
「お前らが元凶だ!」
 団長の制止はきかなかった。兵士の斬り合いが始まろうとしている。

 ピクシスは剣を抜いた逆の手でエルヴィンの肩を叩いた。
「何かを成し遂げるには犠牲はつきもの。綺麗なままでは何も変えられん。政権を握るは血塗れた手じゃ」
 エルヴィンは拳をぐっと握る。そうして静かに上がる瞼から熱い瞳が見えた。
「速やかに王政を制圧する! 歯向かう者には容赦するな!」
「面白いじゃないか、若造。簡単には渡さぬぞ! 殺せ! 殺せ! 皆殺しだね!」
 もはや虫の息の王が血を吐き散らしながら叫ぶ。

 王に気を取られた隙、真琴を狙った兵士を、庇う側近が薙ぎ払う。
 この人は誰? なぜ私を守るのか? 聞こうと口を開きかけると、その人は、
「気を張りつめてないと、死ぬよ」黒装束のフードを取りつつ軽く頭を振るう。この状況下でふさわしくない微笑を見せるフュルストだった。
「側近に紛れ込んでたの? 気づかなかった」
「気づかなくて当然。君にばれてたら僕は店じまいしないといけないもの」

 フュルストはこんなときでも減らず口を叩いた。真琴がただ黙っていると彼は指先でとんとんと頭を突く。
「あの王は頭まで老いぼれてたみたいだね。全部自分の欲じゃない、それを君に責任だって。笑っちゃうね」
「気づかってくれてるの……?」
 フュルストは罰悪そうにこめかみを掻く。それから表情を引き締めた。
「中央憲兵団のあの兵器には気をつけて。さっきの駐屯兵は、あれで腹に風穴があいた」

 見ると、王政の味方をしている憲兵団の腰には立体機動装置が。しかしよく観察すると既存の物と仕様が異なる。グリップが銃をかたどっている。
「あんなもの初めて見た」
「対人立体機動装置。僕の村で密かに開発製造していたものだよ。あんな弾じゃ巨人の足止めにもならない。だけど――」
 手を引かれても、真琴は対人立体機動装置を操る兵士から目が離せない。
「だけどあんなのが人に当たったらっ」
「そういうこと。流れ弾に注意して。さあ、行くよ」

 フュルストに力強く手を引っ張られながら、真琴の眼は無意識にリヴァイを探しまわる。
 広い王の間、中央憲兵はワイヤーを使い雑技団のように柔軟に発砲したり、その他の兵団は屋内での立体機動装置は不利とみて剣を振りかざしていたり。さりとて遠距離攻撃を有利とする銃を前にして接近戦の剣は劣勢に見えた。
 王の間から回廊へ脱け出る間際、真琴はリヴァイと見交わした。敵に覆い被さられた味方の危機を、丁度リヴァイが背後から相手の腕を捩じり上げて味方を救ったときだった。

「真琴!」
 それはほんの一瞬。真琴は口を開きかける間もなく、愁いと血走る瞳とがすれ違っただけだった。


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