04.群青色の瞳で睨む

 入団の申し込み用紙に小さく記入してある注意事項を読み、了承のうえで拇印を押した。
 真琴もエルヴィンも一言も発しない室内に、ふとノックが二回鳴る。音から聞き取れたのは、しゃきっとした感じではなく、だらけたような響きだった。
「失礼するよ」
 と言って入室してきたのは眼鏡をかけた女兵士だった。小脇に書類を抱える彼女は、ソファに座る真琴を不思議そうにちらりと見やってから、エルヴィンの前に立った。

「提出するのが遅れてた報告書、やっと仕上がったよ。殴り書きになっちゃったけど」
 書斎机にばさっと紙束を置く。
「ご苦労――と言いたいところだが、できれば期限内に出してもらえると助かる」
「やることがいっぱいあってさ。巨人の研究でしょ、巨人の研究でしょ、巨人の研究でしょ」
「すべて巨人の研究だな」
 あはは、と笑って女兵士はハーフアップの頭を掻きむしった。

「丁度いいところにきた。紹介しよう」
 エルヴィンは腰を上げ、真琴に向かって手を差し出す。
「彼は真琴・デッセル。今日から調査兵団の一員だ」
「初めまして、よろしくお願いします」
 ちょこんとおじぎをすると、ハンジが真琴に向き直った。にっと口端を上げる。
「初めまして。私はハンジ・ゾエ。第四分隊長をしている者だ」
 階級的には上官にあたる。真琴より年上なのは明らかだった。

「来たついでといってはなんだが、管内を案内してやってくれないか」
「いいよ。彼の部屋割りは決まってるの?」
「ああ、ここだ」エルヴィンは鍵をハンジに手渡した。部屋番号が刻まれたキーホルダーつきだ。
「へぇ……、三階ね」
 ハンジは鍵を見つめながら意味深に言い、
「特別な子?」
「そういうわけじゃない。先方の要望でな」

 ふーん、と眼鏡の縁から両眉を上げて真琴を見てくる。彼女がどう特別に思ったのか、真琴には分からない。
 エルヴィンは白い歯を見せて苦笑した。
「気になることがあれば彼に直接聞けばいい」
「詮索好きのおばちゃんみたいに言わないでくれるかな。んじゃ、ささっと案内してくるね」
「悪いな、助かるよ」

 団長相手に気さくな態度だった。調査兵団はアットホームな組織なのだろうか。そうではなく、おそらくハンジが上官だからなのだろうけれど。
「さ、行こうか」
 ハンジに促された真琴は団長室を退室した。

 ※ ※ ※

 訓練を終えたリヴァイは休憩に入ろうとしていた。兵舎に戻ろうと外を歩いていた時、本部の三階の窓から手を挙げている人間が見えた。あの窓は団長室で、自分に向かって「来い」と合図をしていた。
 エルヴィンからの呼び出しである。

「めんどくせぇな」
 ここから階段を上がっていくのは骨が折れる。丁度立体機動を装備中であるし、これを使わない手はない。
 トリガーを操作して、リヴァイは本部の壁にワイヤー付きのアンカーを飛ばした。地を蹴ってガスを噴射しながら巻き取ると、身体が空を飛んだ。

 窓から直接入ってこようとしているリヴァイにエルヴィンが気づいた。慌てた顔で、急いで窓を引き上げようとしていた。
 何十秒もしないうちに窓の正面まで来たリヴァイは、ガスを噴かしてホバリングする。
「早く開けろ!」
 空中浮遊は短時間しかもたないから、アンカーを差し替えて一回転することで保たせる。

 窓を全開に押し開けたエルヴィンが、さっと部屋の脇に消えた。体勢を切り替えて、リヴァイは窓から身体を巧いこと滑らせて着地してみせた。
「おいおい、ぞんざい過ぎないか」
 エルヴィンは窓に身を乗り出して外を覗いた。
「壁にヒビが入ってるじゃないか。修繕費用もバカにならないんだぞ」

「だから予算を引き上げてやったんだろう」
 グリップの調子を点検しながらリヴァイは言った。
「こんなことを続けていたら増えた金もすぐに消えるさ」
 大体、とエルヴィンが窓に背を向けた。ブロンドの眉を八の字にして言う。
「あのあと俺は、王政から散々嫌味を言われたんだぞ」

「俺は余計なことをしたか」
 横目でちらと見れば、エルヴィンはかぶりを振った。眼差しが穏和な色になった。
「いいや、助かったよ。兵たちに精のつくものを食べさせてやれるようになった」
 ふん、とリヴァイはなだらかな顎を尖らせた。どかっとソファに座って片膝に足を掛ける。
「それで何のようだ」

「うん」書斎机の上に置いたままの書類を取って、エルヴィンはリヴァイに差し出した。「さきほど新兵が入った」
「こんな時期に? お前がスカウトしてきたのか?」
 渡された書類を捲ってリヴァイは中身を流し読みする。真琴・デッセルという男の個人情報が記載されていた。
「いや。資金提供をしてくれている、ある貴族からの紹介だ」

「ふーん。で?」片手で持った書類をエルヴィンに揺らしてみせる。「これを俺にわざわざ見せる理由は?」
「マンツーマンで彼を指導してやってほしい」
「なんで俺が」
 発言に面倒臭さの響きが混じった。
「お前はいま班を受け持っていない。次の班編成まで暇だろう?」
「暇じゃない。班は違えど個人的に見てやってる奴もいる」

 リヴァイの班は前回の壁外調査のときに全員殉職した。あれから三ヶ月経つが、まだ新しい班が決まっていない。次回の作戦会議まで待機していなければならないという決まりもないのだが、何となく一人でいた。別に育てた部下を失ったことがショックとか、意気沮喪しているとかで自分の班を作らないわけではない。本当にただ何となくなのであった。

「指導に長けてる奴がいるだろう。そいつらに頼むんだな。何も俺じゃなくてもいいじゃねぇか」
 それとも、と書類をローテーブルに投げ置く。
「俺じゃなきゃいけない理由でもあるのか? 例えばタイプが似てるとか」
「どうだろうな、才能が開花するかどうかは不明だが……まあ、ないだろうな」
「は?」

 書斎机に後ろ手を突き、角にエルヴィンは腰掛けた。苦い色で笑ってみせる。
「おそらくまったくのド素人だ。貴族の遠縁ということだが、剣術も全然だろうな。たぶん柄を握ったことすらないと思う。剣ダコなど一切なくて手が綺麗だった」

「そんな荷物になりそうな奴、なぜ入団の許可を出した」
「さっきも言ったろう、断れない大人の事情だ。人材不足も深刻だから、戦力になってくれればいいとも思っているがな」
 エルヴィンは肩を竦めた。金がらみ。断ると資金援助を止められるとでも思って弱気になっているのだろうか。

「超特急で仕上げろってことか」
「そうだ。誰よりも厳しい教官が適している。それはお前以外にいない」
 舌打ちをして、リヴァイはゆったりと立ち上がった。
「仕方ねぇ、預かってやる」
「なんだかんだと、そう言ってくれると思っていたよ。指導は明日から頼む。今日中に顔合わせだけでもしておいてくれ」

 結局こうなると最初から確信していたのだろう、悪いとも思っていなさそうにエルヴィンは微笑んでいる。リヴァイにはそれが少々面白くなかった。とどのつまり自分は甘さのかけらもないと思っているが、甘いところがあるということである。

「そいつの部屋は何号室だ」
「お前の隣だ」
 退室しようと回り込んでいたリヴァイはソファ越しに振り返った。「は!?」
「三階の三一一号室だ。何か問題でも?」
「三階は上官部屋だろう。なぜそんな使えなさそうな奴を特別待遇にする」
「これは向こうから――紹介元たっての要望でね。どうしても一人部屋がいいんだそうだ」

 反吐が出そうだった。調査兵団の中には貴族出身の者もいるが、みんな志高く、そんなわがままを言う人間は一人もいない。
「これだから貴族様はクソなんだ」
 吐き捨ててリヴァイはドアノブを握った。エルヴィンに罪はないのに湧いてくる怒りがつい表に出てしまい、扉を強く閉めてしまった。

 ハンジが管内を案内していると言っていたが、もう部屋に戻っているだろうか。顔合わせのためにリヴァイは兵舎の三階へ向かっていた。
 律儀だと思う。明日の朝いきなり叩き起こしてやって、そのまま指導を始めればいいではないか。何もエルヴィンの指示通りに動くことはない。意外にも従順な自分を気持ち悪く思った。

 階段を登って廊下の角を曲がる。まっすぐ行けば自室が見えてくる所にハンジの姿があった。私服姿の見ない顔の者が隣にいるけれど、おそらく新兵なのだろう。遠目で見た印象は、体型からして一瞬男に見えなかった。スーツを着ているから男なのだと脳が認識したに過ぎない。

 近づいてくるリヴァイにハンジが気づいた。片手を挙げる。
「やあ、リヴァイ。サボって昼寝?」
「なわけねぇだろう。てめぇと一緒にすんな、クソ眼鏡」毎度のことだが不真面目な奴である。「そいつが新しく入った新兵か」
「情報が早いね。エルヴィンのとこに寄ってきたの?」

「まあな」
 同じ背丈ほどの男をリヴァイは見た。
「特別待遇が聞いて呆れる。貧弱そうな身体はまるでモヤシだな。日光浴びてんのか、おい」
 古びた兵舎が哀れに思うほど高価そうな衣服だ。貴族のことをまだ引きずっており、眼つきが冷たくなった。

 びくりと肩を揺らした男は、血色のよい唇をほんの少し開けた。が、怖がらせてしまったようで言葉が出ない。
(挨拶もできねぇらしい)
 眼つきはさらに冷たくなる。群青色の瞳で睨む動作は自然と両眼を凝らしていて、リヴァイにふといつかのことを呼び起こさせた。

「お前は」
 眼を細めて顔を寄せると、男は仰け反る。
「な、なんですか」

 予算審議の帰りに出くわした変な女。のっぺらぼうの顔面に彼のパーツが違和感なく収まる――気がした。が、目の前で唇を震わせている人物は男だ。そして連行されそうになっていた人物は女だった。
 世の中には自分にそっくりな人間が三人いるという。ならば彼がその一人だったのだろう。

 男から離れた。「いや、人違いだったようだ」
「はぁ」と油が切れた機械のように頷いた男は、ちんぷんかんぷんだったろう。

 ハンジはにこりと笑って男の肩に腕を回した。
「名前は知ってるの? 彼は真琴・デッセル君。ちなみに今日からリヴァイの隣人だよ、よかったね」
「何がいいんだか、さっぱり分かんねぇが」
「こっちの彼はね、リヴァイっていうんだ」真琴と眼を合わせたハンジはリヴァイのことを紹介する。「兵士長をやっててね、噂で人類最強っての聞いたことあるでしょ?」

「おい、くだらねぇことを言うな」
「人類……最強? 強い方なんですか?」
 真琴は青い血管が透ける小首をかしげた。リヴァイの通り名を知らないのか。正直そんなあだ名を勝手につけられて迷惑に感じているが、耳にしたことがないという彼の反応を珍しく思った。
 ハンジもアーモンド型の眼を丸くしている。
「聞いたことない? 街で有名なんだけどな」
「そうなんですか?」
「一個旅団並の強さを持つってくらい最強なんだよ」

 いい加減にしてほしい。人のことを勝手にべらべらと得意げに喋られて不快だった。気持ち悪い痒みが背筋に広がり、リヴァイは眉を顰める。
 リヴァイの視線に怯えた様子を見せながらも、真琴は聞き返した。
「一個旅団って、なんですか?」
 馬鹿か、と思った。貴族の端くれのくせに、そんなことも知らない温室育ちらしい。

 親切にハンジが回答する。
「軍の編成単位のことでね、およそ兵士四千人で一個なんだ」
「ってことは、一人で約四千人相当の力があるってことですか?」
「そうそう。それだけ彼は価値があるってことだね」
「ふーん」と声には出さないが、真琴はそう言いたそうにしていた。半信半疑というよりも、疑いの色が強い眼で見てくる。
 信じようが信じまいがどっちでも構わないが、生意気な焦げ茶の瞳が気に障った。

「俺の顔に何かついてるか」
 凄めば、「いえ、なんでもありません」と真琴は怖がって双眸を彷徨わせた。
「ちょっとちょっとすっかり怯えちゃってるじゃん。お隣同士なんだから、仲良くしなきゃこれからやりづらいでしょう」
 真琴の前に滑り込んでハンジは庇う。
「仲良しこよしで指導ができると思うか」
「ん?」と首をかしげ、ハンジは反射する眼鏡越しに眼を見開いた。真琴も瞳を大きくする。
「もしかして、明日からボクの教官をしてくれる人って」
「俺だ。不運だったな」

 言うと、青汁を飲んだみたいに真琴の顔が歪んでいった。気持ちが顔に出やすい人間は分かりやすいが、失礼な奴だともリヴァイは思った。こんなのを指導しなきゃならないのかと思うと、いまから疲れる。
「リヴァイが直接指導するの? ……へぇ」
 ハンジは頭を垂れて不憫そうに真琴の肩を叩いた。
「ほんとに不運だな、かわいそうに。でも頑張るんだよ」
「消沈するほど、ボクってかわいそうな状況なんでしょうか」
 不安そうに真琴は胸許で両手を合わせる。
 女々しくて、吐き気がするほど仕草が気色悪かった。じわりじわりとオカマに見えてくる。妙な性癖を持ち合わせていなければいいが。

 なぜかしょんぼりを装ったまま、ハンジはそろそろ退散するようだ。
「じゃあ私はここで失礼するね。研究の続きがあるからさ」
 ゆるゆると手を振るハンジの背中に、気づいたように真琴が声を上げた。
「案内してくださって、ありがとうございました!」
 どうしてハンジが落ち込むのか。首を捻っていたら、真琴が上目遣いしていることに気づいた。
(本当に気持ち悪いな、何だコイツ。男の眼はこんなに艶っぽかったか?)

 身の危険を感じて、リヴァイの足が一歩下がる。
「なんだ」(男はごめんだ)
「明日からご指導のほど、よろしくお願いします」
 真琴はぺこりと頭を下げた。
 リヴァイは拍子抜けした。「あ、ああ」
「それでは失礼させていただきます」
 そう言ってくるっと自室の扉に向き直り、真琴は部屋に入っていった。

 リヴァイは廊下で佇み、
「ちゃんと礼儀が言えるじゃねぇか」
 ほんの一雫だけ真琴の印象がよくなった。が、ややして――
「この組織って身の危険があるとこなの!? あー、はやまったかな!? それに訓練って……体力に自信ないんだけど、どうしよう〜!」
 扉の中からクリアでないけれど嘆きが聞こえてきた。

 印象をよくした一雫が蒸発していく。怒り心頭である。ぎりぎりと歯を噛み締めながらリヴァイは唸った。
「ふざけやがって。何しにきたんだ、あいつ。実は住むところがなくて、雨風しのぐためとかじゃねぇだろうな」
 力任せに扉を足蹴りすると、しーんと大人しくなったようだった。


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mokuji
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