03.今朝からずっとこんな調子

「エルヴィン団長は只今会議中ですので、こちらでお待ちください」
 兵士に案内された真琴は一室に通された。誰もいない部屋に一人残し、兵士は一礼してから退室した。

 ここは調査兵団本部の団長室である。立って待っていたほうがいいのか座って待っていてもよいものか。迷ったあげく、立派な書斎机の正面にある応接ソファセットに真琴は腰を掛けた。
「やだなぁ」
 大きな溜息をつくようにして首を凭れた。実をいうと今朝からずっとこんな調子だった。

 調査兵団に密偵を送り込むというフェンデルの潜入作戦。密偵なんて言葉を使うと物騒だが、中にいる者しか感じ取れない内情を知りたいだけらしい。フェンデルがクーデターを企てようとしているのかは判然としないけれど、もしそうなった場合に調査兵団が味方についてくれるかどうかを見定めたいのかもしれない、と真琴は推察した。
 危険な作戦でもなさそうだし、フェンデルに保護された恩もある。僅かばかりの不安はあったが、ほとんど暢気な気持ちで了承した。

 したけれど溜息が零れて止まらなかった。自分の格好を改めて見降ろし、真琴は再度溜息をつく。
「男装して潜入なんて、すぐばれちゃうと思うんだけどな。相手は団長でしょう? トップなのよ」
 温厚な年寄りの外見とは裏腹にフェンデルはお茶目な人だった。丸い顎をさすりながら、こう言ったのである。

「ただ潜入するだけでは芸がないのぅ」
「芸? スパイとかっていうのは目立たないほうがいいと思うんですけど。それともホントに芸のことを仰っているんですか? 特技とかの?」
「いやいや、違うよ」フェンデルは笑うと眼がなくなってしまう。「面白みがないという意味じゃ」

 前者だったようだ。であるならば地味なほうがいいと思う。
「面白くなくていいと思いますけど。何を考えていらっしゃるのか分かりませんが、普通過ぎるくらいがいいと思うんですが」
「娘も欲しかったが、わしは息子も欲しくての」
 話が急に切り替わった。ついていけなくて真琴はただ「はい」と頷く。

 フェンデルが両手を叩いた。すると、応接間の外で待機していたメイドが礼をして入ってきた。
「お呼びでしょうか」
「あれの部屋からスーツを一着持ってきておくれ」
「かしこまりました」
 再び礼をしてメイドは退室していった。あれとは何だろうと真琴は小首をかしげる。

 ややしてメイドが戻ってきた。腕に男物のスーツを掛けている。「これでよろしいでしょうか」と伺うメイドに、フェンデルは満足に頷いてみせた。
「彼女に着させてやっておくれ」
 気持ち目を丸くさせたメイドだが、主の言うことに意は唱えない。「かしこまりました」
 対して真琴は目を大きくする。

「それ男物ですよね?」
「オーダーメイドじゃからサイズは合わんかもしれんが、丈なんぞ詰めればよいだけじゃ。とりあえず着てみなさい」
「なんで男物を着させるんですか」
「すまんすまん、わしがいては着替えもままならんの。外で待っておるから済んだら呼んでおくれ」
「かしこまりました」返事をしたのはメイド。真琴は腰を浮かして、「待って」と手を伸ばすが、フェンデルはさっさと出ていってしまった。

 なんでどうして、と疑問だらけのうちに真琴はスーツを着せられてしまった。袖は指先が隠れるほど長い。ズボンの丈も長くて転ばないように何重も巻かれている。全然サイズが合っておらず、不格好だった。
 着替え終わった真琴を見たフェンデルは、目尻に皺を作って笑った。
「大き過ぎるの。やはり直しが必要か」
「これはどういうことなんでしょう?」
 真琴は胸の前で幽霊のように手をだらんとさせた。余っている丈の袖許がぶらぶらと揺れる。

 フェンデルの手はふさふさのカツラを掴んでいた。どこかから持ってきたようだ。
「わしので悪いんじゃが、試しにこれも被ってみなさい。もっとそれらしく見えてくるじゃろうて」
 それらしく? と真琴はまた首を捻った。頭に短髪のかつらが乗ると、感嘆な声が上がった。
「おお、よいよい! まさに男装の麗人じゃ!」

 仰天した真琴の声は裏返る。
「男装!?」
「髪を切りたくなかったら好みのカツラを作ればよい。潔く短髪にしても黒髪のままじゃと悪目立ちするから、どのみち染色せねばなるまいし」
 両手で真琴の頭を撫でつける。
「カツラのほうが手っ取り早いかの。わしのを貸してやってもよいが、ちいとばかし古臭い型だから嫌じゃろう?」
 顎を上げて愉快に笑うフェンデルの姿に、金持ちの悦楽を垣間見た真琴であった。

「こんなふざけたこと、絶対ばれるって」
 涼しくなった首許を触れる。指先を掠った毛先はブラウンのかつらだった。
 もともと真琴の髪はロングヘアで、連休前に形状記憶パーマを当てたばかりだった。気の進まない男装のために短くするのは嫌だったので、かつらを作ってもらった。女性のラインを隠すために、さらしを巻いて胸の膨らみも潰してある。身長が一般女性の平均であるから、男性というには背が低いのが欠点か。

 充分男に見えるとフェンデルは絶賛してくれた。彼の屋敷で雇われているメイドも真琴を見て何人か頬を染めた。
 複雑な心境である。男に見えると言われて喜ぶ女がいようか。
(いないわよ……)
 それに長年連れ添った顔は、贔屓目にみても男として認識されなかったのだ。

「まだかしら」
 真琴は手持ちぶたさを感じはじめていた。どのくらい経ったかと、装飾棚に置かれている時計を見る。
 と、ドアノブの回る音がした。

 堂々と入ってきた男は、真琴に見向きもしないで軽快に踵を鳴らす。ソファを回って正面の書斎机まで歩き、手に持っていたファイルを置いた。そして、座り心地のよさそうな肘掛け椅子に深く腰掛けた。
 ここで男と始めて眼が合った。緊張が走って、真琴の膝の上にある手が拳になる。
 両手に顎を乗せた人物こそ待っていた相手――
「待たせたね。私が調査兵団団長の、エルヴィン・スミスだ」

 想像していたよりもずいぶん若かく、歳は四十そこそこで、金髪の髪を七三分けにしている男だった。調査兵団のトップだと聞いていたので、もっと厳格なお爺さんを予想していたのだが外れてしまった。
 着ている軍服は真琴を連行しようとした憲兵団の物とほぼ同じだが、胸許や肩の紋章だけが違う。こちらは馬ではなく、鳥の羽根をモチーフにしたものだった。

 手許の書類にエルヴィンは眼を通している。真琴の個人情報が記載されているものだろうと思われた。
「真琴・デッセル、二十三歳、性別は男」視線が真琴と重なる。「で、間違いないかな?」
 就職活動のときの面接みたいな緊張感が走る。嘘をついている分だけさらに増す。それで真琴の返答が二、三秒遅れてしまった。
「間違いありません」

「ずいぶんと華奢な身体つきだな」真琴の頭のてっぺんから爪先を、エルヴィンの鋭い眼が行き来する。「体力がないと厳しいぞ」
「着痩せして見えるだけです。人並みに体力はあると思います」
 真琴は口からでまかせを言った。エルヴィンの目線は再び書類に落ちる。

「フェンデル伯爵の遠縁とあるが、何か特技はあるのか。剣術や弓術などだが」
「すみません、そういうのはできないんですが」
 エルヴィンが顔を上げた。眼が丸い。
「できない? 詳しくは載っていないが、遠縁とあるのだから君も貴族の一員だろう?」

 何か可怪しなことを言っただろうか。心当たりを巡らす真琴の頭に世界史の教科書が浮かんだ。中世ヨーロッパの貴族たちはスポーツとして剣術や弓術を嗜んでいたという。経験がないほうが不自然なのだ。発言を打ち消さなければ。
「や、やるにはやりますが得意ではないだけです。外で身体を動かすよりも、部屋に籠って読書をしていることのほうが好きでしたので」

「苦手ということか。君が調査兵団に入る有用性は、ほかにあるか?」
 拙い。いらない人材と言われているように聞こえた。何かないか、社会で培った何かがあるだろう。と探してみるが、この面接に落ちてもいいやと真琴は思っていたりもした。男装で過ごすことに不安があるからだ。
「書類整理……は自信を持って得意と言えます。データ管理や収集です」
「秘書はいらない」

 日本刀で切られてしまう。次の言葉が最後だろうと思われたが、きりっとしていた眉をエルヴィンは緩めた。ふっと笑ったようだった。
「いま一番欲しいのは即戦力なんだがな」書類を捲る。「国のために何かしたいと伯爵に言われてしまっては、無下にするのは心苦しい」
 背凭れに寄りかかり、エルヴィンは腕を組んだ。

「ここでの生活は厳しいものになるぞ。本来なら三年の訓練を経て入団となるのが一般的だ。君は何の技術もない。だが、みすみす死ににきたわけではあるまい?」
「はい」
「君にやる気があるのなら、いい教官をつけてやろう。集中訓練になるがどうする?」
「頑張ります」
 口をついた言葉は、流れで何となく返事してしまったものだった。

「いいだろう。調査兵団への入団を許可する」
「ありがとうございます」
 とは言ったものの、あまり嬉しく思えなかった。


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mokuji
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