47.ノアの箱船

「明後日、エレンの王都への引き渡しと、わたしの召喚を命ぜられた」

 主要幹部のみを集めた陰気な小部屋で、発せられたエルヴィンの声。葬式然な空気がいっそう色濃くなる。
 リヴァイやハンジ、その他幹部に驚きの顔は見られない。意気込んで挑んだ先の作戦、多大な犠牲を払ったうえのしくじり。エルヴィンがこの失態の責任を取らされるだろうことを、兵員は重々承知していた。
「エレンは危険人物として処刑。わたしは――」
 他人事のように笑って、エルヴィンは首筋をぱしりと叩く。
「首を撥ねられるだけで済んでほしいが。これを口実に調査兵団の解体を狙ってくるだろうな」

「そんな縁起でもない。エルヴィンの首が飛んだら、それで兵団はおじゃんだ。誰も引っ張っていけないよ。弱気なんて、らしくない」
 ねぇリヴァイ、とハンジは同意を求める。
「あなたも何か言ってやってよ。そんなこと言って、黒い腹の中で何か企んでやがんだろ? そう突っ込むのが、リヴァイの役柄でしょう」
 リヴァイは腕を組んだまま、伏し目だった瞳を軽く瞠目させた。
「俺がなんだ」

「ちょっと……しっかりしてよ。兵団の行く末がかかってるのに。寝てるとかありえないよ」
「ああ」
 小さく言ったきりリヴァイはまた黙り込む。
「どうしちゃったの、この人」
 呆れた顔つきでハンジは肩を竦ませた。エルヴィンはリヴァイを見守りながら口ずさんだ。
「俺の落ちた首をどう縫いつけるか、最善策を考えてくれているんだろう」
 その手許の下には一つの封筒が。見覚えのある筆跡で「エルヴィン様」と書かれている。

 エルヴィンの出廷は大問題だ。無論リヴァイも何か避ける手立てはないかと模索している。一方で頭の半分を占める事柄が邪魔をした。
(なぜ)
 雪の降る寒い夜。真琴と一夜を共にした。晴れて想いが通じ合った――と思った。陽が昇り、気怠気に覚醒したリヴァイの傍らに、真琴はいなかった。ぽっかりと空いたベッドの左隣を、妙に寂しく思った。
 あの夜から数日経ったが、リヴァイは慌ただしい兵団内で拘束され続けているため自分の時間を作れずにいる。真琴から音沙汰もない。女と真剣に向き合ったことのないリヴァイには、この距離感が普通の恋愛関係なのかも分からない。けれどなぜか、胸が騒いで落ち着かなかった。

 リヴァイの瞳が流れる。エルヴィンの手に添えられている、見知った筆跡の封筒に。封はもう切られている。
「それに、打開策の当てを見つけたか。こんな時に呑気な面を見せやがるくらいの、何かを。あったんだろう」
 エルヴィンは封筒を手に取り、
「真実であるなら。偽証ならば、お前たちの首も道連れにしてしまうだろう」
 ぴらりと揺らした。

※ ※ ※

 真琴が王都の城内に入るのは想像していたよりも容易かった。城門前では相変わらずのデモで騒然としている。門兵に止められたときには中へ入るのはやはり無理かと思った。
 本名を名乗ったとき、丁度奥から、門兵とはあきらかに風貌の違う人物が出てきた。上質な黒い装束を纏った男は王宮の内部を精通している者らしく、真琴の本名を耳にした途端血相を変えた。そしてなんの障害もなく煌びやかな城内を案内される。

 途中爆発音のようなものが連続で聞こえ、真琴は反射的に回廊を見回した。
「な、なにっ?」
 前を歩く男は振り返りもせずに淡々と言った。
「示威運動を抑えるため兵が威嚇射撃したのであろう」
(……射撃があんなに轟く?)
 辿り着いたのは重々しい扉の前だった。この先が王の間なのだと真琴は思った。
 扉の前で男は振り返る。
「王と懇意な間柄とはいえ、失礼のなきよう」
「……懇意?」
 真琴が聞き返したと同時に扉が開かれた。

「よくぞ来てくれた」
 癖のある妙にのたりとした喋り口調。白髪に王冠、玉座にゆったりと構えて老人はそう言った。
 本来なら礼儀にならい片膝を立てて頭を低くするところ、真琴はなんの行動も起こせなかった。直立不動の真琴の横を、案内してきた男が追い越し、数人の側近の横に並列した。
「改めて名を聞こう」
「……真琴・デッセルと」

「なんだね、それは」
「え、あっ」
 思わず染みついた偽名の性を名乗ってしまい、それに気づいた。しかしなぜ気づかされたのだろうと一瞬思ったとき、
「お前は日本人であろう」
 直球で投げかけられて真琴は言葉を失う。東洋人だなんだと言われる前に、まさか日本人と言われるとは思わなかった。

 王は肘掛けに肘をつきながら横に手を差し出す。側に控えている者が黙って何か手渡した。
「……タイサイ製薬、……大西(おおにし)真琴」
(それは)
 王がゆるりと読み上げたのは社員証で、真琴が失くしたものだった。

 そこのお前、と王は側近くに控える兵士に声をかける。社員証を掲げ、読めるか、これが、読めぬだろう。ここの文字ではないからね。と、にこり口端を上げた。
「異なる言語にたけると、母国語をうっかり忘れてしまう。この時代は各国それぞれの言語を用いていたのだったね。余が生まれたときにはすでに国際共通語に切り替わったあとだった。だがここは独自の言語で築いておる。さぞや言葉に苦労したろうね」
「そうでも……」

 王は白濁の眼を丸くした。
「苦労しなかったのかえ。それは不思議不思議。しかしこうして例外もあることだ。大西真琴なる者が、いまここにいるということがまさに」
「――あなたはいったい」
「会いたかったよ、真琴お姉さん。余のことは従兄のケン大西と呼んでおくれ」
 真琴は眼を見開き無言で喘いだ。そんな真琴を見て、従兄だという王は軽く膝を叩いて上品に笑う。

「う、ウソよっ。私に従兄なんていないっ。父は一人っ子だものっ。お母さんの姉妹だってっ。――ケン大西なんて、そんな人、知らないっ」
 真琴の滑稽さに周囲までもがくつくつと笑う。
「なにが可笑しいの!」

「それはこんな年老いた従兄、お前の時代にいるかえ? 少し考えれば分かろうに。それからお前の父は一人っ子ではないのだよ。親族と縁を切ったのだ。本当は弟がいて、その子供の、子の、子の――」
 王はゆたりと仰ぎ、
「それをなんと言ったかな……面倒じゃ。つまりそれが余である。従兄には変わりはないね」
「私とあなたが血縁っ? そんな私が死んだあとかもしれない事、誰が信じるのよ」
「余とお前の性が大西、お前がタイサイ製薬の社員であること、それだけで足りるのだよ」
「タイサイ製薬の社員であることが、なんの」

「余はタイサイ製薬会社設立者の末裔、その一族であるお前がタイサイ製薬に身を置いている。これが血を証明せずなんと?」
「あなたが末裔? 私が――一族?」
 真琴は斜め掛けの鞄を無意識に握った。バイエル瓶が収められている箱の感触がある。
「よもや知らなかったと? 逃れられぬ運命とは、まさにあるもの。いましがた老眼で眼にしようものとは」
「逃れられない運命って?」
 ふふっ、と王は笑む。

 母親は知っていたのだろうか。受かるはずがないと始めから諦めていた大手のタイサイ製薬を、面接にいってみたらと背中をおしてくれたとき。負け戦の気分で受けたのに、運良く内定をもらったのは、これがあったからだったのか。真琴の運が良かったのではなく、始めから受かると決まっていた――タイサイ製薬の一族だから。

 真琴はさらにバッグを握りつぶす。箱の中にあるバイエル瓶までも割れてしまえと恨みまがしく思う。
「私の時代に巨人なんていなかった。ここが別世界じゃなくて、私の時代の延長線上にあるのだとしたら、どうしてこんな、こんな世界にっ」

「気になるのは大いに分かる」
 王は玉座の反対の肘掛けに体重を傾け直す。
「さてさて――。その昔、人類は再生医学の進歩を欲していた。トカゲの尻尾を切っても再び生えてくるような。新たな臓器を作り移植するより、もっと簡単に、人体再生できるような新薬を。その研究の過程が巨人だった。先代が開発したものだね」
「それは――その薬は成功したといえたの」

「巨人化は予期せぬ副産物でね。再生能力を得る代わりの副作用というべきか」
「つまり失敗した」
 王の昔話は続く。
「失敗も成功のうちという。確かに我が社が求めていたものとは違ったが、世が欲したのだよ。時は第三次世界大戦、人類は過去の過ちを忘れ、愚かにも再び核を手にした。それでも満足せず、さらに核兵器に代わる強力な生物兵器を求めた。それが我が社の新薬だった。各国に飛ぶように売れた。土地を汚染することもなく、人間以外の生物種に無害なうえ、人間だけを食らう。非常に都合の良い兵器だったのだね」

 虚ろに真琴は額を押さえる。目眩が起きそう。
「それで、世界はいまどうなったの。ここは」
「巨人化した人間は敵味方関係なしに襲った。人類が危機感を持ったころには時すでに遅し。世界の人口は三分の一になっていた。そして、汚染された土地と、巨人の脅威から逃れるため人類は――」
 王は身を乗り出し、
「モグラになったとさ」
 と哄笑した。

「生き残った人達は地下に潜ったのね。あなたは、なぜ笑うの……?」
「分からんかね。余の天下だからだよ。我が社は一足早く汚染のない島国に避難していた。そして新天地を開拓したのだね。半数以上が土人だが、各国から難民を受け入れてもいる。慈善事業だね。まさにここはノアの箱船なのだよ」
 黒装束の側近の一人が肩をぴくりとさせた。
「でも、お前には実のところを教えてやってもいいかな」
 と王は長い顎髭を撫でる。そして白い眉を下げた。
「慈善事業といえば聞こえは良いが、補充せねば、実のところ民が足りなくなるのだよ」

 真琴は愕然とした。
「あなたはまだ、人体実験を続けているのね。ここが島国で戦争から免れていたのなら、壁の外に巨人がいるわけないもの」
「そうそう諦め切れるものでもなかろう。永遠に近い命が手に入る可能性があるなら、醜い化け物にならずにすむものなら、喉から手が出るほど欲する。同じ一族のお前なら分かるね」
「一緒にしないで! そんな横暴、民が許すわけないわ!」
「真実を知らぬなら、家畜同然」

 国民にはワクチン接種と称してナノチップが埋め込まれている。そこから記憶を管理することが可能なのだと王は言う。真琴以外の細胞に含まれていたあの粒がナノチップの正体だった。
 それとエレンを危険人物視した理由。それは開発中の薬の中に稀に意思を持つ巨人になる薬が取れることがある。その薬を盗まれたことで反逆を恐れ、エレンの抹殺を王政が望んだのだ。

「さあ、そうと分かれば、あまり愚劣なさまは見せないでおくれね。こやつらにみくびられてしまうよ。――次期女王」
「私が女王?」
「そうだよ。余が死したあと、お前がこの国の王となるのだ。余には子ができなかったのでね」
 大仰に王は両手を広げ天を仰ぐ。
「これも運命かな。余の代で華麗なる一族を失うなど先祖に申し訳が立たない。祈りが通じたのだね。お前を誇りに思うよ」
 真琴は自嘲気味に笑った。
「……そうね。それもいいかもしれないわ」
「だろう? 玉座は最高ぞ」

「私が実権を握ったら、すべてを暴露してやる」
 王ははたと真琴を見た。
「なに?」
「それでこの国はおしまいよ!」
 王は冷たい眼で見る。
「愚か者め。世界が汚染されていることを知らぬほうが幸せと、なぜ思わぬ」
「あなたはみんなを騙しているじゃない!」

 思い通りにならなくて腹を立てる子供のように、王はぎりぎりと奥歯を噛む。しばしそうしたあと、怒りを呑むように笑った。
「次期女王は真実を知っていささか混乱しているね。落ち着けば玉座を望むようになろう」
「ならないわ」
 王の眼が嘲笑う。
「お前、この世界の被害者だと思ってはいまいな。加害者なのだよ」
「わかってるわよ、そんなことっ」
 真琴は耳に痛い。バイエル瓶のラベルの社名に自分の罪を感じた。加えて自分がタイサイ製薬の一族なのだと知ってさらに罪を重ねた。

「本当に分かっているのかえ? 社員証の西暦から、すでに研究は始まっているのだぞ」
 また罪が増えた。研究は少し先の未来だと思っていたのに自分がもう関わっていた。倒れそうだ。
「原因結果。お前があって今の余を生み出したのだよ。だから余のあとを継ぐ責任がある。そうは思わないかね?」
「だったらそれは……私が世間に公表して……責任を……全部……」
 ずしずしと重りが落ちてくるよう。王の言葉が真琴を弱らす。

 王は煮え切らない真琴に溜息をついた。
「時間はたっぷりある。城で暮らせば気も変わるだろう。部屋を用意するゆえ、頭を冷すがよい」
 王は軽く手を振るう。その合図で側近の足が真琴に詰め寄ろうとしていた。


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