45.悲しみと混ざり合うの

 リヴァイが扉をノックするとペトラの母親が顔を出した。母親は彼を見て瞬時に顔を強張らせる。二言三言交わし、扉が閉まった。
 中ではこんなやり取りが行われていた。
 よからぬ何かを察したのか母親の口は開かない。リヴァイは玄関に立ったままで、母親の背後からペトラの父親がもっそりとやってきた。奥の食卓に見えるのは酒が注がれているグラス。どことなく酒気を漂わせており、加えて湯上がりらしく上機嫌な面持ちだ。

「おや、リヴァイ兵士長じゃないか。こんな時間にどうしました」
「あなたっ」
 母親は鋭い小声を上げ、父親の服の裾を引く。父親はなんだよと小言を吐き、
「もしかして雪がひどくて帰れなくなっちまったとかですかい?」
「いや」
「ああそうだ、うちで一杯やっていきませんか? ちょうどいまから晩飯なんですよ。たいしたもんじゃないですが、腹は膨らむでしょうから」

「あなたっ。酔っぱらいもいい加減にしてっ」
 小声で、しかしさきほどよりも強く母親は泣きそうな悲鳴を上げた。
「なんだってんだ。リヴァイ兵士長の前でみっともない」
「ああ、どうしようっ。私、知らなければよかったっ」
 母親は背中を丸めて顔を覆う。
「リヴァイさんはペトラのことでうちに来たのよ。ええ、きっとそうだわ。その抱えてる箱、聞いたことがあるもの。何かあったとき、その箱を持って調査兵団の上の人が訪れてくるんだってっ」

「……何かあったときって」
 父親は不吉な顔色にさっと塗り替えた。調子っぱずれな声でリヴァイにへらへらと伺う。
「いや〜、ペトラのやつ、何かドジ踏みましたかね? ってことは入院の知らせですか?」
「そうではなく」
「あ〜……その箱は……?」
「ペトラ調査兵の遺品が入っている」

 ああ、と悲壮な響きを上げて母親は泣き崩れた。
「遺品? 遺品って」暢気を無理に演じているような態で父親は母親を振り返る。「おい、遺品ってどういうことだ。リヴァイ兵士長がペトラの遺品と言ってるが、俺の聞き間違いだよな」
 リヴァイは遺品が入っている箱を置いて懐に手を入れた。そして封書を取り出し父親に差し出す。

「戦死告知書をここに。ペトラ調査兵は先の壁外遠征で戦死した」
 父親は戦死告知書をまじまじと凝視するも、なかなか受け取ろうとしなかった。その間リヴァイは封書をずっと差し出したままだったが、やがて手ごと弾かれる。

「何かの間違いだ!」
「間違いではない」
「そ、それがペトラだとっ、か、確認したのか!」
「自分が確認している。班で任務を遂行中に彼女は戦死した。ペトラ調査兵を含むほかの班員も、自分を除き」
 父親は肩を角ばらせて憤怒する。

「し、信じないぞ! それなら、お前はどうして生きてる! ペトラが、班が全員死んで、それを率いているはずのお前がどうして生きてる!」
「それは途上」
「お前は人類最強の兵士だ! 民衆からもてはやされてる! そうだな!」
 リヴァイは黙る。能面を貼りつけて、目線は父親の襟許に。
「どうしてペトラが死んで、人類最強のお前が生きてる! どうして偉い奴だけいつも生き残って帰ってくる! いつもそうだ! 立場が弱い者が先に死ぬ!」

「あなた、やめてくださいっ。リヴァイさんを責めたって」
 床に崩れたまま、母親は俯き加減で父親のズボンを何度も引っ張る。
「俺はいつだって可怪しいと思ってたさ! 弱い者を守るのが上に立つ者の役目じゃないのか! お前らの肩書きはなんだ! 部下を死ねと顎で使うためだけのものか! どうなんだ!」
「いえ」

「そうだろう! 強さあっての肩書きだろう! だってのになんでっ――」
 急に言葉を詰まらせ、父親の憤怒の表情は泣き顔に変わっていく。
「なんで……なんで助けてくれなかったんだ……」
 そうして力を失ったように床にくずおれた。「ペトラぁ……ペトラぁ……うああ……」

 母親は床に向かって呻く。
「リヴァイさん、もういいです。よく分かりました。それで、ペトラにはいつ会えますか。明日、本部へ行けば会えますか。なるべく早く我が家に帰してやりたいんです」
 ナイフでも刺されたかのように、リヴァイの瞼が一瞬ひくついた。
「ご遺体はない。持って帰ってくることが叶わなかった」
 そう言うと母親は悲痛な嗚咽で答えた。リヴァイはロングジャケットの内側から懐紙の包みとネックレスを出し、片膝を突いた。

「ペトラ調査兵の毛髪だ。それとご遺体の代わりといってはなんだが、彼女が身につけていた物だ」
「あ……ああ……」
 母親は震える両手で懐紙の包みとブラックダイヤモンドのネックレスをいただいた。それまで比較的冷静であったのに、見開いた瞳からぼろぼろと大粒の涙を零して取り乱す。

「こんなことを招くためにあげたんじゃない。あの子を守るように、あの子の身代わりになるようにってあげたのに。ネックレスなんてどうなったって構わなかったのよ。なのにこれだけが帰ってきて、あの子が帰ってこないだなんて、むごいわっ……」
 ――その一部始終を真琴は窓の外から見守っていたのだった。

 リヴァイは扉口で頭を下げ、ペトラの家の脇にいる真琴を置いて、いつもの歩調で歩き出した。真琴が追いつく手前で彼の哀調を帯びた背中が止まる。

「今朝の俺はどうかしてた。お前に惨忍なことができるわけがない。部下の死を悼んで眼を腫らす奴がそんなことをするはずがない。信じている。信じているが、積もり積もった悔しさの行き場がなかった。俺はお前にあたった。お前に甘えたんだ」
「いいの。分かってる。分かってるから」
 真琴はリヴァイの背中にそっと寄り添った。雪の結晶がところどころで光っており、体温など伝ってこない。

「手紙を置いてきたの、エルヴィン団長に。私が知ってること全部書いた。外套の持ち主のことも全部。こんなこと、もうあっちゃいけない。ごめんなさい。私の判断があまかったの。危機意識が全然なかった」
 後悔の涙が彼のジャケットに染み込む。
「馬鹿な奴が。どうせまた厄介ごとを呼び込んだだろう。もう慣れっこってもんだ」
「――っ、ごめんなさい」
 真琴は腕をリヴァイの胸に回した。胸許を縋る手をやんわりと包まれる。

 雪を降らす夜空を見上げ、リヴァイは微かな音を立てて嘆息した。
「まただ。また俺は部下を失った。なぜこうも、あっさり奪われちまうんだろうな」
 しんしんと降る雪がリヴァイの顔を掠る。仰ぐ彼の双眼からはどう映っているだろう。白い花びらがひらひらと舞うように映っているのだろうか。
「あいつらは、まあ課題も多少あったが、できた部下だった。したたかについてきてくれたと思う。よく育ってくれた」
 抑揚なく淡々と吐露しているようで、どこか寂しい響き。聞いていると泣きたくなった。

「あと何回奪えば豚共は満足するのか。……満足しねぇか。おそらく永遠に満足しないんだろう」
「リヴァイっ」
 かける言葉が見つからなくて、でもたまりかねて、真琴は彼の名前を呼ぶ。
 悲しんでいると思った。リヴァイはどうしようもないくらい悲しんでいる。ちっとも温かみのない背中から哀惜がひしひしと伝ってくるから真琴を泣かす。

 真琴の手を力なく包んだまま、リヴァイは眼を細めた。瞼に落ちた小粒の雪が溶け、目尻から頬にかけて雫がゆるりと伝う。
「まったく……疲れちまうな」

 世界はあとどれだけリヴァイを苦しめるのか。泣きたくても泣けない彼を、あとどれだけ泣かせようとするのか。穏やかな日常を死ぬまで搾取するつもりなのだろうか。
(私がいま一番つらいのは)
 リヴァイが悲しみに暮れている姿を見守ることしかできないことだ。悲しみを取り除いてあげたい。彼に安らぎをあげたい。
(どうしたら) 
 自問の末、真琴は愛の形を見つけた。それが、ずっと選べずに揺れていた天秤を大きく傾けたのだった。

 真琴は恋しくてどうしようもない背中に頬擦りする。
「寒い……、心もからだも……」
 リヴァイが緩徐な動作で肩越しに振り向いた。
「こうしてるのに寒い。全然温かくならないの」
「だから?」

「もっと近づきたい。このままじゃあなたの悲しみにも触れられない」
「そんなものに触れても、お前が余計につらくなるだけだ」
「半分こにしたら、きっとそんなにつらくない」
「自分の分を忘れている。俺の半分を触れたとき、お前の半分は残ったままだ。悲しみの量は変わらない」

 そんなつもりはなかったのに、真琴の半分を受け止めてくれるというか。ああ、リヴァイが恋しくてたまらない。涙はいまだ止まらず、悲しみに支配されているはずなのに、どうしてこんなにも恋しさが満ち満ちてくる。

「リヴァイはイヤ? 私の悲しみと混ざり合うの」
「混ざり合う……、か」
 そう呟くとリヴァイは真琴の手を力強く握り込んだ。それきり何も発することなく、二人は雪に包まれた街をあとにした。


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mokuji
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