44.いい加減、責められたい

 カフェの窓際で頬杖を突き、真琴は民家の一軒だけを何時間も見つめていた。ある民家を訪ねてくる人の姿を待って、午前中からここでずっと。珈琲、紅茶、ココアと頼んで、これで何杯目だろう。
 深夜から降り出した雪は一向にやまなかった。弱まるどころか大きな牡丹雪となっている。通りは帰宅する姿が増え、素朴な家たちに暖かそうな明かりが灯り始めていた。

 近づいてきた軽快な足音が真琴の傍らで止まる。
「お客様、そろそろ閉店の時間でございます」
「え。もう?」
「冬季は日が暮れるのが早いですから、五時までとなっております」
「そうでしたね。ほんと日が暮れるのが早いわ。五時でこんなに暗くなっちゃう」
 真琴は腰を上げ、椅子の背凭れに掛けていたコートを手に取る。出口までエスコートする店員のあとに続く。

「今日は待ちぼうけですか」
「待ちぼうけっていうのかどうか。約束をしていたわけではないから」
「残念ですね」
 と言って店員は鈴つきの扉を押し開けた。冷気と一緒に雪が店内に入り込む。
「長居しちゃってごめんなさい」
「いいえ、またいらしてください。足許が滑りやすくなってますのでお気をつけて」

(……っ)
 店先から一歩出て、真琴は自分を抱いた。一度だけぶるりと大きな震えが襲う。カフェの中がとても温かだったから、外が極めて寒く感じた。
 飲食店や雑貨屋の明かりが次々と消えていった。待ち人は依然現れず、店の軒下で真琴は待ち続けた。
 待ち続けながら早朝のことを思い出していた。

 ――『うああぁぁああ!!』
 ナイフの刃は真琴を傷つけなかった。真琴の耳すれすれ、真横の床板に深く突き刺さったのだった。
 そのあとのことは朧だ。互いの体が魂の抜け殻になってしまったかのように朧に別れたのだったか。

「う〜、寒い寒い」
 男の声がふと聞こえてきて、真琴は反射的に身を隠すように背を向ける。
「よく降るな〜。こりゃ明日の朝も雪だぞ」
「お風呂、熱めにしておきましょうか」
 女が言うと、男は肩を尖らせてうんうんと何度も頷いた。
「じゃあ夕飯の前にお風呂を用意しますね。先に入っちゃうといいわ」
「ああ。向こうも今頃のんびりと風呂に浸かってるかもな。遠征帰りはゆっくりさせてもらえるようだから」

 男の陽気な声とは反対に、女の声にわずかな陰りが帯びる。
「あの子……、本当に無事なんでしょうか」
「また、お前は。昨日から何度目だ、それ」
「でもあなた。迎えにいったとき、あの子を探せなかったんでしょう?」
「それはあれだ。人がとにかく多かったんだ。それで見逃しちまったんだろう」
「そうは言っても、自分の子を見逃すものでしょうか」

「なんだよ、お前。信じてねぇのか、あいつを。優等生だぞ。何かあるわけないだろ」
「……はい」
「便りがないのは無事な知らせだ。明日にでも、ひょっこり顔を見せにくるさ」
「そうよね。悪いほうに考えすぎでした。そうだわ。明日来るなら、アップルパイでも焼いておこうかしら」
 男は家の扉を引きながら女を笑う。
「本当に来るかは分かんねぇぞ」
「あら。来なかったらこっちから行くだけよ」

 二人は真琴がずっと見つめていた民家に入っていった。それから真っ暗だった窓の内側が明るくなった。
 聞きたくなかった、あんな無垢な会話。真琴は暗澹な面持ちで、眉を寄せて眼を瞑った。雪に覆われた夜の街は、小さな民家の暖色な光たちで溢れ、まるでイルミネーションのように素敵な情景なのに、いつまでも暗然から抜け出せずにいた。

 降る雪を避けて軒下にいてもひどい寒さはしのげない。毛糸の手袋をしてくるのだったと、感覚のない赤い両手を吐息で慰めていたときだった。
 積もり続ける雪のせいで境目があやふやな、少し先にある馬車道で、一台の乗合馬車が止まった。車内から一人出てきて、茶系のブーツが雪を踏む。
 乗合馬車は再び出発した。馬車道の端に残ったのは、調査兵団の冬季用のロングジャケットを着用したリヴァイだった。一つの箱を片腕に抱いて、彼はある民家のほうへまっすぐ雪を踏み始める。

「――リヴァイっ」
 リヴァイと交差する直前、真琴はカフェの軒下から駆け出した。彼の傍らで立ち止まるが、次の言葉が出てこない。
 ふてぶてしさのある視線とぶつかる。見慣れた眼差しだけれど、憔悴気味に見えた。平然そうに見えるリヴァイの瞳は、ストールで覆っている真琴の頭を見上げた。ぼたぼたした雪がそうそうに積もりゆく頭を、彼は優しい手つきで払い落としてくれた。それから胸の真ん中でストールを寄せる真琴の手をそっと触れる。

「手の赤味が痛々しい。いつからいた」
「午前中から。ペトラの家しか、私知らないから」
 自分の手を触れるリヴァイの手を、頬に引き寄せる。黒い革手袋越しに微かな体温が伝う。
「あなたが来ると思って、待ってた。夕方までカフェにいたけど、閉まっちゃった」
「ペトラの両親にはもう伝えたのか」

 真琴は首を緩く振った。
「私から伝えられるわけない。おじさんもおばさんも、何も知らないみたいだった。ペトラの帰りを、心待ちにしてるみたいだった。きっと無事だって、疑ってもいなかった」
「帰りを……か」
 消え入りそうな声でリヴァイは呟いた。
「うん。アップルパイを焼いて待ってる……って」
「招かれざる客だな、俺は。いまからそれを打ち砕きにいく」
「誰かが告知しなきゃいけないことなんだもの。それがどんなにつらい役目なことも。だから分かってくれると……思う」

 リヴァイは遠くを見るような眼差しでペトラの家を見る。
「マコよ。雪の中、なぜ待つ。今朝、俺はお前にひどかったろ」
「勝手に待っててごめんなさい。でも一人にしておけなかった。あなたの支えになれなくても、帰りをただ待ってるなんてできなくて」
「凝りねぇな。今度ばかしは愛想を尽け」
「何があっても、きっと愛想なんて尽けないんだわ。どんなに苦しくても」
 リヴァイは儚い溜息をついた。口で自分の革手袋を外し、真琴の胸に押しつける。

「最初に訪ねたのはエルドの家だ。母親とエルドの女がいた。母親のほうへ戦死告知書を差し出したら、女が覗き込んできた。内容を見て女は卒倒した。持病があったらしく、医者を呼びにいったりで慌ただしくなっちまってな。エルドの死をちゃんと伝えられなかった」

 リヴァイの独白のようなものを黙って聞きながら、大きな革手袋を真琴は手にはめた。まだ残るぬくもりが凍りつく手前の手にひどく優しかった。

「次に訪ねたのがグンタの家だ。玄関先で戦死を伝えると、両親は泣いたが俺を中へ迎え入れた。茶も出してくれた。こっちが頭を下げるはずが、逆に頭を下げられた。何度も何度も、泣き笑いで。これが息子の天命だったのだと、俺の下に就いて死んだことは、グンタにとっても自分たちにとっても誇りだと」

 ペトラの家を見続けながらリヴァイは独言する。
「ここに着く前はオルオの家に寄っていた。戦死の状況を説明すると、両親は泣きながらも仕方ないと受け入れた。だが帰り際、ガキ共がな、俺のジャケットを引っ張るんだ。三人は無邪気にこう聞いた。兄はなぜ帰ってこないのだと。帰ってきたら立体機動を習う約束をしたのにまた破る気なのかと。兵舎に戻ったら兄に説教してくれだとよ。死ぬという意味がまだ分からない年頃だったらしい。俺は、なんと言って聞かせてやればいいのか、さすがに途方に暮れかけた」

 リヴァイは疲れきったような白い息を吐いた。
「誰も……誰も責めなかった」
「責められたかったの」
 リヴァイは苦々しげにはっと小さく笑う。
「お前は居合わせたことがないから分からないだろうが、頭を下げられるほうがしんどい。俺にそんなことをする価値もない。部下を守れなかった」

 リヴァイは静かに一歩踏み出す。
「俺はいい加減、責められたいのかもしれない」
「私もっ」
 真琴は咄嗟に声をかけたが、リヴァイは首を横に振るだけで答えた。


[ 146/154 ]

*prev next#
mokuji
しおりを挟む
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -