42.女型戦4

 準備を終えたリヴァイは立体機動に移った。罠を張ったポイントの少し先で木に繋がれた六頭の馬を見つけた。
 リヴァイは浅く息を吐いた。四方八方に広がる森。ここからどちらに部下が飛んでいったのか見当がつかない。煙弾は確認しているだろうから、そのうち鉢合うか。リヴァイは枝を蹴ってガスを噴かした。

 探し始めて十分程経とうとしたころである。野太い雄叫びが森をこだまして、リヴァイは両眼をかっと見開いた。
 まさかと思った。声のトーンはさきほどよりも低いが、声量の大きさが死んだはずの女型の巨人と瓜二つだ。
(あっちか)
 リヴァイはすぐさま方向転換し、声のしたほうに向かっていっぱいにガスを噴かした。
 勘だった。班に何かあったのだと思った。全血液をざわつかせる胸騒ぎは、奥へ進んでいくと確かなものに変わった。

 前方に部下を見つけた。リヴァイは名前を呼ぼうと一瞬口を開きかける。が、不自然さにすぐに気づいて閉口した。
 立体機動装置のワイヤーの先端で宙づりになっているグンタだった。逆さまで頭が妙な方向に反り返っている。
 一瞬目眩を起こしそうになり、脳ごと視界がぐらついた。感情を無にしてリヴァイはグンタを横切る。通り過ぎざまに、横目で彼の死を自分に認識させた。頭が反り返って見えたのは、首と胴がほとんど切断しかかっていたからであった。あれは刃物、人間の技だった。

 リヴァイは考える。グンタがみすみすやられるものか。なのにやられたのは油断したからだ。ではなぜ油断したのか。
 エルヴィンが用心してリヴァイに補給させた意図が見えてきた。死んだと見せかけて女型の巨人は実は蒸気に紛れて脱出していたのではないか。そのさい調査兵団の装備を纏っていたとしたら、
(兵士の中に紛れ込んだか)
 おそらくその者にグンタはやられたのだ。そして不意打ちで襲われたなら、ほぼ回避は不可能だったろう。

 凄惨な状況になっていると想定してリヴァイは自分に覚悟させる。あらかじめそうさせておかないと、心を乱されてしまうかもしれないから。調査兵団の一兵士として、いまは何よりもエレンが第一。彼をきっかけにした作戦でたくさんの部下が戦死したのだ。死なせたり、奪われたりはあってはならなかった。

 悲劇の場所はグンタの死体発見現場からそう離れていなかった。ここへ来るまではふかふかな深雪が地面を隠していたのに、ひどく踏み荒らされていた。まるで巨大な足で走り回った跡みたいに。加えてとても金臭い空気が漂っている。付近で確かに戦闘があった。それも巨人と。

 そしてリヴァイは見つける。下半身を食いちぎられたエルドが雪の中で倒れているのを。リヴァイは足もつけずに飛び去りながら、果敢に立ち向かったであろう部下の姿を眼に焼きつけた。
 枝から雪が降ってきてリヴァイの真横を落下していった。土塗れの地面の上にどさりと落ちて、それでリヴァイは瞳を揺らす。ちっぽけな音なんかで激情を悪戯に誘引しようとでもしたのか。暴発しかかった感情を力づくで引っ込ませるのは容易くなかった。

 リヴァイは見つける。両手両足をあらぬ方角に曲がらせ、オルオがうつ伏せで倒れているのを。顔面を血糊で汚され、虫のように殺され、さぞ悔しかったであろうと無念さを引き受けた。
 最後にリヴァイは見つける。巨木と巨大な足に挟み込まれるようにして、おそらく押しつぶされたペトラを。そのままずるずると雪の地面まで落ちたのか、巨木に寄り添うような格好で高い空を見上げていた。もう光が灯らない虚ろな眼をそっと閉じてあげたかったが、リヴァイは無表情で通り過ぎた。
 薄情にみえるか、俺が。立ち止まってもやれなくてすまないと、鎮魂を胸に抱いた。

 一度も振り返らずにリヴァイは森の奥へと飛んだ。何もかも壊してしまいたい衝動を、ぎりっとグリップを握りしめることで散らす。
 進むにつれ周囲の荒らされ方がひどくなっていった。エレンの死体は見当たらない。あの雄叫びとこの荒らされ具合から推定すると、エレンは巨人化して女型の巨人と一戦交えたのかもしれない。
 それからまもなくして蒸気を発している頭のない巨人の死体を見つけた。女型の特徴はない。おそらくエレンだと思った。うなじを深く抉り取られていた。

 軽い地鳴りを感じていてリヴァイはそれを追った。やがて音のうなりが徐徐に大きくなってきたとき、左前方の先で樹々の合間を走っている女型の巨人を発見した。リヴァイはスピードを上げる。
 リヴァイのほかに女型の巨人を追っている兵士がいた。「エレンを返せ!」と喚きながら何度も背後に斬りかかっていた。いい動きをしている。けれど硬化能力があるので刃が通らないのだ。

 リヴァイは距離を詰める。一撃を振るってきた女型の巨人の攻撃を、兵士は寸前で回避した。体勢を整えている隙に巨人は逃走する。
 負けん気が強そうに再び斬りかかろうとした兵士の前に、リヴァイは立ち塞がった。向かい合う形になって、その兵士が女だったことに気づく。それはミカサ。けれど誰であるかまではこの時点でリヴァイは分かっていない。

「何度やっても同じだ。一旦離れろ」
 ミカサは眼をしばたたきもしない。荒い息を散らして眼を血走らせている。
「この距離を保て。奴も疲弊したか、それほど速力はないように見える」
 ミカサはリヴァイよりも先にエレンを追っていたのだろうか。うなじごとかじり取られていたようだから、エレンは死んだのかと聞いた。

 少し自信がないような顔で、しかしミカサは睨み上げる。
「生きてます。殺したいのなら潰すはず……なのにわざわざ口に含んで闘いながら逃げています。目標には知性がある。その目的は」
「エレンを連れ去ることだと?」
 その理説を信じたいとは思う。しかし議論もせず頷いてしまうのは危険なので、リヴァイはあえて反対意見を出した。

「エレンを食うことが目的かもしれん。そうなればエレンは胃袋だ。普通なら死んでるが」
 言うとミカサは前を走る女型の巨人を強く睨めつけた。
「生きてますっ」
「……だといいな」
 と少し下を飛ぶミカサを見降ろした。ただの兵士に過ぎないエレンに、なぜこんなに必死になっているのか、とリヴァイは不思議に思った。

 ミカサは声のトーンを低くして責める。
「そもそもは、あなたがちゃんとエレンを守っていれば、こんなことにはならなかった」
 彼女は牙で噛みつかんばかりの勢いで唇を戦慄かせる。リヴァイはその表情を見て眼をまたたかせた。いつかも同じように睨まれたことを思い出したのだ。
「お前は……あのときのエレンのなじみか」
 いまさら、というふうにミカサは眉尻を吊り上げる。思わずリヴァイは空中でミカサに向き直り、まじまじと見つめた。

「そうか……」
 だから――だから必死になるのか。大事な者を取り返そうと、絶対に生きてると、だから信じたいのか。
 俺は間に合わなかった。だが、もしかするとお前はまだ間に合うのかもしれない。それを諦めるなんてできないよな。大切な友人なら。
 大事な者を失くしたときの痛みを知っているか。心臓をちりじりに引き裂かれる痛みだ。俺はもう何度も味わったが、お前は当分知らなくていい。ケツがまだ青いお前には早過ぎる。

 いっそう冷たい風がリヴァイの気概を奮い立たせた。前を向き、前髪を逆風に翻させて女型の巨人を鋭く睨む。
「目的を一つに絞るぞ。まず、女型を仕留めることは諦める」
「奴は仲間をたくさん殺していますっ」
「硬化させる能力がある以上は無理だ。俺の判断に従え」

 リヴァイは剣を構え直す。
「エレンが生きていることにすべての望みをかけ、奴が森を抜ける前に救い出す」
 ミカサは無言で古い刃を捨て新しい刃を装置に差し込む。
「俺が奴を削る。お前は奴の注意を引け」
 言い切ったのを合図に二人は素早く左右に別れた。

 女型との闘いは時間が勝負だった。疲弊で動きが鈍くなっているとはいえ、戦闘が長引けば危険だと思った。硬化で防ぐ隙を与えない早さで全身の筋を一気に切り刻み、リヴァイは女型の巨人の腰を抜かせた。巨体がどんっ――と尻もちをつくと、辺りの枝という枝からたくさんの雪が落下した。
 巨人の体は傷だらけで、蓄積したダメージにより動けないように見えた。エレンを含んでいるだろう口を裂くなら、いまが好機である。刃こぼれした剣を捨て、リヴァイは新しい剣を迅速に装着する。

 と、思いがけず巨人のうなじにアンカーが突き刺さった。ミカサで、がらあきのうなじを見て殺せると思ったのか、上空から剣を振り落とそうとしている。
 巨人の閉じた瞼がぴくりと動いたのをリヴァイは目敏く気づく。
「よせ!」
 リヴァイの制止を聞かず、急速に接近していくミカサは剣を振り上げた。リヴァイは咄嗟に枝を蹴って下降する。
 疲弊しすぎて両目が開かないながらも、うなじを狙われているのが分かるのか、女型の巨人が叩き落とす要領で腕を振り上げた。うなじとミカサの一直線上に巨人の手が打ち振る。

 ミカサは手の甲で薙ぎ払われそうになって、リヴァイはぎりぎりであいだに割り込んだ。彼女の横腹を肘で突き飛ばし、巨人の手の甲を反射的に左足で受け止める。足首の骨が悲鳴を上げた音をリヴァイは耳で聞いた気がした。
 受け止めた衝撃は猛烈だった。足首に激痛が走り、目の前では意識を遠のかせる火花が散った。しかしこんなことで崩されるわけにはいかない。リヴァイは歯を噛んで痛みを踏ん張り、次の行動を取る。立体機動に移って巨人の頬筋を真一文字に斬り裂いた。顎を支えられなくなった巨人の口ががばりと大きく開く。

 ミカサが信じた通り、中には唾液にくるまれたエレンがいた。リヴァイは素早くエレンを奪い取り、女型の巨人から急いで離れ飛んだ。
 余計なことをして状況を危うくしたことに動揺しているのか、呆然としたまま動こうとしないミカサに声を荒らげる。
「おい! ずらかるぞ!」
 ミカサははっとし、小脇に抱えるエレンを見て表情を緩ませた。「エレン……!」 

 左足を庇って一旦枝に着地し、リヴァイは続くミカサを振り返る。眼を閉じているエレンを見て不安げにしている彼女に、生の重みをずっしりと感じていることを伝える。
「たぶん無事だ、生きてる……きたねぇが。もう奴には関わるな、撤退する」
 この女も熱くなりやすいのかもしれない、とリヴァイは思った――失った自分の部下と同じように。いま諭しておかなければ、のちのち大事なものを失う日が来るかもしれない。そうなれば一生悔やむことになる。
「作戦の本質を見失うな。奴が憎いがために殺したく思ったんだろうが、自分の欲求を満たすことのほうが大事なのか。お前の大切な友人だろう」

 ミカサは瞳を動揺させた。リヴァイが再び飛び立った後ろで、
「違う……、私は……」
 小さく自分に言い訳をしていた。作戦から外れた行動をしたことで、エレンを奪取する機会が失われたかもしれない未来を、恐ろしく思えたならそれでいい。

 リヴァイは何気なく後ろを見返った。そして自分の見たものに眼を見張った。動けずにへたり込んだままの女型の巨人が、眼から涙らしきものを流していたからだった。
 なぜ泣く。そもそも巨人は泣ける生き物なのか。目的を阻止されたからか、人間をたくさん殺したからか、それは本人にしか分からないことだけれど、リヴァイの中で奇妙な思いが芽吹いた。あれにも感情があり、自分と同じ人間なのだ、と。

 しんとした森の中を入り口に向かって飛び続けた。やがてまた悲惨な現場を目の当たりにすることになった。積雪から這い上がる冷気がそうさせるのか、風景がさっきよりも色褪せて見えた。死体を眼に一切触れさせないようにしてリヴァイは飛ぶ。
 臙脂のマフラーをばたばた言わせ、ミカサは上空から見降ろした。

「リヴァイ兵長の……部下です」
「ああ」
「遺体はどうするんですか」
 リヴァイは毅然にみえるように言う。
「諦める」
「でもっ」
「家族のもとに、全員をいつも返してやれるわけじゃない」

 死んだ者がそのままの姿で街へ戻れることは少ない。腕一本や、歯や、腕章だけだったり。形見を何も持って帰れないときだってある。リヴァイの部下も、何度も見てきたからそれは分かっているはずだ。
 ――だから理解してくれるだろう? 優先しなければならないことがあることが。いまは何よりも、エレンを早く陣営に連れていくことだと。
(だが……っ)
 思い出を作りすぎた。そんなつもりなどなかったのに。なぜこの班に限ってこんなに胸が痛み、悲しみが暴発しそうになる。

 リヴァイは眼をぎゅっと瞑って唇を噛んだ。後ろ髪を強く引かれてしまい、立ち止まる。
「少し待て。エレンを頼む。すぐに済ませる」
 エレンをミカサに押しつけ、リヴァイは下に降り立った。部下の一人一人に短く決別を済ませ、数十分もかからずにミカサのもとに戻った。
「待たせたな。行くぞ」

 声をかけてミカサからエレンを受け取ろうとしたとき、彼女が外套を差し出してきた。
「なんだ、これは」
「そこの枝に引っ掛かっていました。あなたの部下の遺品かと思って」
「班の奴らのじゃない」
 リヴァイの部下は全員が外套を纏っていた。であるならば、これは違う班の者なのだろう。ミカサから触れ慣れた肌触りの外套を奪う。

 亡くなった兵士の者ならば持ち帰ってやるべきだ。調査兵団の外套を捲って内側に縫いつけられている名札を見た。そしてリヴァイは眼を見開き、鋭く息を呑んだ。
 次いで思い至る。リヴァイが補給していたときに、不自然な方角へ飛んでいった一人の兵士のことを。そしてグンタをやった兵士は、この外套を纏っていたのだろう。その者は女型の巨人だった。
(だとしたら、この外套の持ち主が)
 いや、とリヴァイは首を振る。
 部下の死を下にして、いま自分の思考は短絡的であまりまともではない。直接結びつけるのは単純馬鹿のすることだ。

「……リヴァイ兵長?」
 ミカサが不審そうに首を傾けていた。
 心底嫌悪した顔つきで、リヴァイは彼女からべとべとのエレンをぶんどった。
「きたねぇ奴を二度も抱えんのかよ。ついてねぇ」


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mokuji
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