40.女型戦2

 凄まじい衝撃音と突風を横手に浴びたとき、大木を押し倒して飛び出てきた者。それは見るからに女の特徴を持った巨人だった。意思の光を纏うエメラルドの目玉を見て、
(右翼を壊滅状態に導いたのは奴か)
 とリヴァイは直感で思った。鞭打つように手綱を振るう。
「駆けろ!」
「に、逃げるんですか!? こんなの振り切れませんよ!」
 怖じ気づいたかエレンの声はひっくり返る。

 ほかの班員も慌てて剣を引き抜き、顔色を恐怖の色に塗り替えた。巨人は大きく、かつ筋肉で引き締まった体つきをしており、かつて闘ってきた巨人とは一味も二味も違うだろうことは明白だった。豪然たる気配がエリートと呼ばれるエルドたちを怯ませる。
 地面がひどく揺れる。半身が揺さぶられるのは、馬が駆けるからなのか、地面が轟いているからなのか、もはや分からない。

 ただ逃げて、ずっと追いかけられるという心理は怖い。太刀打ちしたくなったのかオルオが喚声を上げる。
「お、俺たちでやりましょう! 右翼を潰したのはきっとあいつですよ! 危険な奴です! 俺たちがやるべきです!」
 オルオを筆頭に班員は恐怖を打ち負かすように口々に言い立て始めた。
「オルオの言うことはもっともです! 俺たち以外にあれを止められる者はいません!」
 進言し、エルドは好戦的に背後を睨みつける。
「来るなら来い! ズタボロにしてやるっ」

 リヴァイはただ手綱を振るう。ペトラが金切り声を上げる。
「兵長! 追いつかれます! 立体機動の指示を! 指示をください! 兵長!」
「このままだといずれやられる! 俺は一人でも行くぞ!」
 オルオが手綱から手放し後ろを見返った。リヴァイは鋭く止める。
「だめだ。このまま駆け続ける」

 立体機動に移ろうとしていたオルオは寸前で堪え、耐えかねてがなる。
「なぜですかぁぁ、兵長ぉぉ!! なぜ闘わせてくれないんですかぁぁ!!」
 この班の欠点は、一人が熱くなると次々と伝染し、すぐに頭が瞬間沸騰してしまうところか。リヴァイは熱を冷めさせるために煙弾銃を空に突き出す。
「全員、耳を塞げ」

 リヴァイは片耳を指で、もう片方の耳を銃を挙げた腕で塞ぎ、引き金を引いた。耳が可怪しくなるくらいのつんざく音が辺り一面に響き渡る。黙らせるためにリヴァイが撃ったのは音響弾だった。
「お前らがここを離れたら、エレンはどうなる。お前らの使命はなんだ。そのガキを、命をかけて守るためだろう」
 取り乱していたエルドたちは途端に黙った。突然の大音量で気をリセットされ、自分たちの任務を改めて再確認し始める。
 エレンだけが一人呆然とした。
「俺を守るため……? リヴァイ班は、俺が暴走したときの抑止力だったんじゃ」
 抑止力は表向き。内実はエレンを狙う者から彼を守るのが任務であった。

 駆け続けなければならないが、しかし敵が許してくれるかどうか。どんどん詰められる距離にリヴァイがそう物案じた折り、エレンが狂喜した。
「え、援兵です! た、助けにきてくれた! あ、あんな奴、調査兵団にかかればイチコロ――っ」
 後ろから聞こえてきた半笑いの語尾は掠れていった。数秒遅れて、流れる景色の最中にリヴァイの横目を人間の欠片が吹っ飛んでいく。森の半分を雪が支配する中だから、真っ赤な血飛沫がいやに目立った。

 次々と襲いかかる援兵を、蠅を叩き落とすように打ち散らす女型の巨人。とんでもない破壊力と、身体つきに似合わない俊敏さを合わせ持っている。
「な、なんなんだ、あいつ。ワイヤーを利用して人間をおもちゃみたいに。あいつにも知性があるのか」
 エレンは声帯を震わせながら言い、リヴァイに向き直る。
「このままじゃ援兵が全滅します! 俺たちで援護しましょう!」

 リヴァイが何も言わないと、エレンはオルオに詰め寄った。
「なんでただ逃げるだけなんですか! 闘う力があるのに! 悔しくないんですか! 仲間がやられてるんですよ!」
 エレンは追ってくる女型の巨人を振り返る。
「ああ! 最後の一人がやられてしまいます!」
 続けて前を駆けるリヴァイを責め立てる。
「見殺しにするんですか! あなたたちは! 仲間を見捨てるなんて、それでも人間ですか!」

(分かってるさ、そんなこと!)
 そんな怒りを込めてリヴァイはただ手綱を馬に打ちつけた。自分たちを逃がすため散っていく命に報いるためにも、とにかく駆け続けなければならなかった。
 作戦を知らないながらも、オルオがリヴァイの思いを代弁した。
「黙れよ、ひよっこ! 兵長が駆けろと言った! だから俺たちはひたすら全力で駆け続けるんだ!」
 悔しいのはオルオも同じで唇を噛み締める。後ろで骸になった兵たちに無関心でいられるわけがない。

 エレンは黙りこくった。ぎりぎりと歯ぎしりをして、握ぎりしめた手の甲を見降ろしている。利口な顔つきではない、一矢報いるという反抗が滲み出ていた。
 隣で並走しているペトラがエレンの思惑に逸早く気づいた。
「何を考えているの、エレン」
 エレンは言葉発せず、やってやるという挑む眼つきで返す。確信を強めたペトラが眉を険しくする。

「だめよ、エレン。その力を使っていいのは、あなたの命が脅かされたときだけって、私たちと約束したでしょう」
「俺だって闘えるんです。力があるのに、いま使わないで、いつ使うっていうんですかっ」
 手の甲に噛みつこうとしたエレンを、ペトラは言葉で強く制する。
「エレンっ」
「お前は間違っていない」
 エレンの行動に肯定をみせたのはリヴァイである。
「やりたきゃやれ。俺が許可する」
「え……」
 まさかそんな許可を貰えるとは思わなかったらしく、エレンは噛みつく寸前で止まった。

 雪化粧の景色を突っ切りながらリヴァイは思う。エレンの悔しさは分かる。正義感が強い彼だから、女型の巨人のことをなおさら腹立だしく思っていることだろう。リヴァイも調査兵団に入り立てのころは感情だけで行動したこともあった。勇み足の結果が、すべて悪い方向に転ぶだけでないことも知っている。失くしてはいけない大事な感情であるとも思っている。

 作戦はなにがなんでも成功させなくてはならない。でなければ死んだ仲間に申し訳が立たない。だがもし失敗したらどうする。失敗したらすべてが水の泡になる。仲間の死が無駄死にになる。
 誰の判断が正しかったなど、結果が出るまで分からない。もうずっと悩んで、リヴァイが引きずってきた後悔の思いである。
 あのときああしていれば、あのときあんな決断をしなかったなら、仲間は死ななかったのか。『ここはまかせて、俺たちを信じて行ってください』と、言われたから残して行った――一抹の不安はあっても。でもどうだ。結果は全滅だったろう。

 あのときも、あのときも、あのときも。思い返せば切りがない。後悔ばかりだ。自分の判断さえも信じられなくなるときがある。決断するのが恐ろしくなることさえも。
 たゆたいそうになる心を、手綱を握りしめてリヴァイは繋ぎ止める。
「俺には分からない。自分の力を信じても、信頼にたる仲間の力を信じても、結果は誰にも分からなかった。だからまあせいぜい、悔いのないほうを選べ」

 手の甲を口許に近づけたまま、エレンは思い迷っているようだった。自分の力を信じるのか、いまいる仲間を信じるのか。
「エレン」
 ペトラに切に囁かれてエレンは彼女と眼を見交わす。
「私たちを――信じて」
 そう言われてエレンは瞳孔を揺らした。手綱を握るペトラの左手は冷たい風に晒されて真白だった。綺麗な手だったけれど、いつかみんなで噛みちぎった、晴れて仲間になれた日の歯形が、浮き上がってみえるようだった。

 ペトラはよくできた部下だと思った。上に立つ者が揺らいでしまったというのに彼女は揺らがなかった。いいようにバランスが取れてるじゃないか、とリヴァイは育てた部下を誇らしく思った。
 エレンはまだ迷っている。もうどっちでもいいが、いい加減決めてくれないとこちらも落ち着かない。リヴァイは背後に喝を入れる。
「遅い! 早く決めろ!」
 エレンはやけくそな感じで空を仰いだ。「す、進みます!」

 エレンが仲間を信じてまもなく、背後でけたましい悲鳴が聞こえた。援兵の最後の一人が絶命したのだ。そのおり、エレンは自分の選択を後悔したかもしれない。「うう……。ごめんなさい……ごめんなさい……」と下を向いて謝っていた。
 グンタは肩越しに振り返る。女型の巨人が助走をつけようとしていた。
「目標、加速します!」
「走れ! このまま逃げ切る!」
 一丸となり、必死の形相で女型の巨人から逃げる。

 合流ポイントはまだか。リヴァイは流れる樹々の合間に視線を走らせた。そろそろまずい。馬のスタミナが落ち、女型の巨人との距離が僅かなところまで迫ってきていた。
 巨大な手が伸びてきて、エレンの頭上に影が差す。
(ここまでかっ)
 やむなしとリヴァイはグリップを握り込む。と、逃さぬように注視していた樹々の隙間から、合図とおぼしき反射光が眼をしみさせた。


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mokuji
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