39.女型戦1

 カラネス区門前で待機中の調査兵団一行の見送りに、真琴は間に合った。持ち帰った注射器から得られた、ある可能性をエルヴィン団長に伝えなくては。そして、今回の遠征を取りやめてもらわなければ。
 目には目を、歯には歯を、巨人には巨人を。新たな対抗手段を持ち得た人類に、民衆の期待は大きかった。出立間際のぎりぎりに着いた真琴は、分厚い壁のように立ちはだかる人々の後ろを右往左往した。

 ――早く! 早く!
 人と人とのあいだに僅かな隙間を見つけた。斜めに身体をめり込ませて、見え隠れする馬上のエルヴィンに向かって手を伸ばす。
「エルヴィン団長! 待って! 待ってください!」
 しかし周囲のかまびすしさに叫んだ声は掻き消される。誰も真琴に気づかない。辺りをきょきょろしている兵士など一人も見当たらなかった。緊張を呑んだ固い表情で門を凝視している者ばかり。

 ならばリヴァイはどうか。見送りには必ず行くと言った真琴を、首を振って探してはいないか。
 どこ、どこにいる、と頭も確認できない中、真琴は急いで探した。彼の近くにいる民衆から上がっているはずであろう別な声援を求めて。
 髪を振り乱して、ときどき爪先立ちしながら走り迷っていたときだった。リヴァイを呼ぶ期待に溢れた声が耳に入った。すぐ近くに彼がいる。

「前に行かせて! お願い!」
 最後列から二列まで割り込めたが、それ以上は弾き返されて進めない。隊列があるらしきところからちらりと見えたのは癖っ毛の髪の毛。オルオのものに違いない。一メートルもしない向こうにリヴァイがいると確信が強まると、ますます叫ばずにはいられなかった。
「リヴァイ! 気づいて、リヴァイ!」

 鼓膜が破れそうな巨大な音が鳴り響いて、正門が釣り上げられていく。壁外へ先陣が駆け出していき、追うように民衆もばらばらと歩み始める。人波が割れて、駆け出す直前のリヴァイの姿をようやく捉えることができた。
「リヴァイ! 話があるの! 遠征を中止してほしいの!」
 声が届いたかは分からない。リヴァイが手綱を引いて馬が前脚を浮かせたとき、彼は流し目をした。真琴と視線が交差する。

 彼は闘いへ行く戦士の顔つきをしていた。真琴の言葉が届いたなら、一瞬でも表情を不審なものに変えたのではないか。大きな不安を抱える真琴の顔を見てどう思ったろう。おそらく我が身の生還を心配しているのだろうと、軽易に思い至ったのかもしれなかった。

 ※ ※ ※

 旧市街地を抜けたリヴァイは、班を率いて見晴らしのいい白い大地を駆けていた。
 自分は見送りをされたことがない。見送りをしてくれるような家族もいないし、恋人も友人もいない。と思っているが、中には割り切った関係の女が、もしかしたらうるさい群衆の中に紛れていたのかもしれないけれど。
 そうであれ見送りをしてもらいたいと思ったことなどなかった。送り出したくないような涙ぐんだ笑顔で、ハンカチを握る家族などおらずによかったとさえ思っていた。
 何とはなしにリヴァイは胸の真ん中を握る。シャツ越しに小さな固い質感が触れた。
 見送りにきていた真琴の姿を目にしたとき、金属に直接触れていた胸が熱く勢いづいた。必ず帰ってくる。作戦を成功させて生きて帰ってきてやる。彼女は強くそう思わせてくれたのだ。

 エレンを含むリヴァイ班は中列後方に配置された。一番安全で、かつ巨人とも遭遇しにくい位置にいることは、エルヴィンやハンジなどの古株にしか伝えられていない。入団をして浅い者や新兵などには、それぞれ誤った配置図を配って拡散してある。
 駆けている場所が平和過ぎた。だからエレンが不思議そうに暢気な声を上げた。
「巨人が一匹もいない。ここって本当に壁外なのか」
「あほ。中央後方にいるから巨人と遭遇しないんだ。右翼と左翼から俺たちは守られてんだよ」
 とオルオが先輩風を吹かせた。

 遠く右翼のほうへリヴァイは眼を凝らす。
「そうでもない。見ろ。右翼が崩されてる」
 被害など一つも視認できないが、煙突がたくさんあるかのように黒い煙が上空に伸びていた。赤ではなく黒い煙弾である。あんなにも黒い煙が立ちのぼっているさまはリヴァイも見たことがない。非常事態が起こっているらしい。
 作戦に引っかかった、裏切り者のあぶり出しに成功したと思った。

 ペトラが眉を寄せた。小さく開いた唇の隙間から真白い息が漏れる。
「本当だわ。ここまではまだ距離はあるけど……どうなってるのかしら」
「そんな……。右翼にはアルミンやジャンたちがいるのに」
 煙が飛び交う方角を見ながらエレンは消失気味に言った。と、一匹の馬が駆け寄ってきた。伝令である。
「口頭伝達です! 右翼はほぼ壊滅! 撤退はなし! 作戦続行! 前進せよとのことです! 後続に伝達を頼みます!」

 伝令が忙しく去っていくのと同時にリヴァイは短く指示する。
「ペトラ」
「行ってきます!」
 と返答して彼女は口頭伝達をするために班を離れていった。
 真後ろを駆けるエレンが噛みつく。
「作戦続行!? 右翼が壊滅してるんですよ!」
「うるさい! ひよっこは黙って上の指示に従え!」

 オルオが怒鳴った。焦りを当たり散らしているような怒鳴り方だった。彼も作戦続行の判断に疑問を持ったのかもしれない。右翼が機能停止したら長距離索敵陣形の利点を失うのだ。すぐさま中列も危なくなる。いつもならこんな無茶をしてまで前進したりはしない。
 エレンはなおも食い下がる。
「ですが……! ――兵長!」
「前進だ」
 リヴァイが簡潔に言うと、エルド、グンタ、オルオはやけっぱちに「了解!」と頷いたのだった。

 突き進み続けて二時間。扇状に広がる陣形を邪魔したのは、ど真ん中に居座る大きな森だった。ウォールマリアの壁崩落以前までは、観光名所だった巨大樹の森だ。
 リヴァイ班の面々は戸惑う。だが子供のように疑問を口にしたりはしない。新兵のエレンだけがあからさまに狼狽えてみせた。

「へ、兵長っ。中列だけが巨大樹の森へ入っていきますけどっ」
「そのようだな」
「でもっ。そんなことをしたら、中列の隊だけが陣形から孤立してしまいますっ」
 エレンの指摘通り、両翼の隊は森へ入れずに大きく迂回していた。けれど中央指揮が示すルートは巨大樹の森を突っ切った先を指している。
「俺たちは指示通りに前進する」
 手短かにそう答えるとエレンは口を開きかけた。が、何を聞いても分かりやすい答えをくれないと諦めたようで息を呑んだだけに終わった。

 馬は雪を蹴散らして薄暗い巨大樹の森へと進んでいった。森の空から吹き抜けてくる頬を裂くような風。ちらちらとしか見えない遠い遠い空に、思わず班員たちは頭上を仰ぐ。
「初めてきた。いつかは行ってみたいと思った場所だったけど。想像していたよりも、ずっと巨大だったんだな」
 ぼそりと言ったのはエレン。
 この森の樹々は樹齢何百年なのか知らないけれど、それにしても不自然に太い樹ばかりが聳えたっていた。十二メートル級の巨人でも木の先端を見ることは叶わないだろう。

「でもなんで、こんなときに観光名所になんか。わざわざ陣形を分断させてまで。これじゃ巨人の接近にだって気づけないじゃないか。右翼から何か来てるみたいだし」
 ねえ、オルオ先輩。と同意を得ようとエレンは話しかけるが、叱り飛ばされてしまう。
「でもだなんだと逐一聞くな! お前がひよっこだから意図が分からないんだ! 少しは想像力を掻き立てろ!」
「……そっか。俺が新米だから分からないだけか。遠征を何度も経験している先輩方なら、この意味が分かるんですね――」

 ところがオルオの表情を見てエレンは口を凍りつかせた。彼が非常に気難しい面容で前を睨みつけていたからだろうか。しかしオルオだけではなく、ペトラもエルドもグンタも同じような顔をしていたのだ。そして孤立したことをどこか恐れているようだった。
「もしかして、先輩たちも分からないんですか……? リヴァイ兵長も? いったいどうするんですか、このままどんどん奥に進んでいったら隊列に戻れなくなってしまいますよっ」

 リヴァイは顔色を変えずに駆け続ける。エレンは気づいたろうか。なんの目的があって巨大樹の森を突き進むのか、誰もその理由を知らず、意図も分かりかねているということに。
 この班でエルヴィンの作戦を聞かされている者はリヴァイただ一人だった。作戦は極秘である。裏切り者が誰か分からないうちは、信頼する仲間であっても打ち明けることはできない。けれどこう不安が顔に出ているようでは、突発的状況になった場合冷静に対処することができるだろうか。そもそもこの班に内通者がいるなどと、始めから微塵も思っていない。

「分かりきったことをピーピーと喚くな、ガキ。もう戻れるわけねぇだろ」
 リヴァイは雪を積もらせた太い枝を見上げる。
「この無駄にくそでかい木を見てどう思う。立体機動を使う俺たちにとっては格好の場所だ。そして考えろ。死にたくなきゃ必死に頭回せ」
 なおも険しい様相だが班員はリヴァイの言葉にヒントはないかと耳を傾けていた。

 エレンはぼそっと言う。
「立体機動を使うのに好都合……? ここで一戦交えることになった場合、ってことですか」
「待ってっ、なに!? 大きな地鳴りを感じるっ」
 ペトラは鋭い風のような声を唐突に上げた。土と混ざった汚い雪を馬の蹄が蹴る振動に紛れて、確かに地震のような鳴動が伝わってきている。
 リヴァイに緊張が走る。囮に使ったエレンを追って、「何か」が来たと思った。

 ほどなくして雪がより寒々しさを煽る中、背後から脅かすような気配を感じ取った。リヴァイは瞳だけを後ろへ流し、二本のブレードを引き抜く。
「お前ら、剣を抜け。それが姿を現すとしたら、一瞬だ」
 命じたが、全員が剣を構える暇を敵は与えてくれなかった。


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mokuji
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