37.どんな想いがこのロケットに

「よし、仕舞いだ。報告書は溜めるもんじゃねぇな、まったく」
 とんとん、と書類の角を揃えてリヴァイは書机の引き出しにしまう。
 真琴は読んでいた本から顔を上げる。ぴょこんと頭と尾骨から耳と尻尾が飛び出た。ベッドの真ん中で壁に寄り掛かり、読書を始めてどれくらい経ったろうか。
「さてと、寝るか」
 首と肩をぐりぐり回し、リヴァイは唸るように言った。腰を上げる際に、押し下げた椅子の脚が床をこすって音を立てた。

 ベッドの端にリヴァイが尻を落としたことでマットが弾む。
「お疲れさま。体、固まってない? ほぐしてあげようか?」
「寝りゃ治る。それよりも、俺につき合うな。お前まで起きていなくていいと何度言ったら学習する」
「読みたい本があったからで、待ってたんじゃないもの。寝るのを忘れちゃうくらい面白くて」

 リヴァイは薄い眼をしてみせた。
「マットをハタハタと叩いてるのはなんだ。尻尾か? 従順なワン公」
「ワンって……私!? 尻尾なんてついてないものっ」
 と言いつつ真琴は後ろに手を回して尾骨を隠す。
「埃が舞うからよせ」
「はたいてないからっ。高慢ちきっ」

 唇を突き出し、真琴は膝の上に広げている本を見降ろした。快然な悶着も今夜までだと思うと胸の風船が萎んでいった。ふいに寂しくなって、過ぎ去った季節のしおりを指先でなぞる。
「明日、帰らなくちゃダメ?」
 真琴は明日、屋敷に帰ることになっていた。明後日には壁外調査を控えている。連日の雪で足場が悪くても、雪解けの季節を待つことなく、延期はなしということだった。

「前日は準備だなんだで慌ただしい。俺たちと一緒には出られない」
「どうして私は休暇のままなの。ハンジさんの班は行くんでしょう?」
 リヴァイは真ん中を占領していた真琴をベッドの奥へ押しやった。掛け布団を膝に掛ける。
「おや? お前はいつから死にたがりになった」
「そうじゃないけど……」

「俺はお前がいなくて清々する。壁外でうろうろされてたんじゃ、気が散ってどうしようもねぇ」
 真琴は今回も同行を許されなかった。まだ怪しまれているのか。横目でリヴァイを盗み見る。
 何だ、というふうにリヴァイは眼を凝らす。瞳の奥を読めなくて、真琴は儚く微笑んでみせた。
「そうよね。ついていったって邪魔なだけだものね」
 あれこれ考えても仕方ない。もう寝よう。読みかけのページにしおりを挟もうとしたら、リヴァイがそれを摘んだ。

「あのときのか」
「素敵でしょ。同じものは二つとないの」
 リヴァイの指先に摘まれた二人の思い出。押し花にした紅いカエデの葉に、透明なフィルムを貼って手作りのしおりにしたものだった。
「貧乏性だな、その辺に落ちてたものだったろう。女ってのは分からねぇ」
「あなたに分からなくても私にとっては大事なの」
 リヴァイの手から、ぱっとしおりを奪う。

「安上がりな女だと男に思われるのは損するぞ。あれが欲しい、これが欲しいと、あけすけにねだれ。宝石だなんだと、欲しいものはあるだろう」
 真琴は得意げに眼を伏せ本を閉じた。
「物の価値は値段じゃないんです。道端に転がってる小石でも、私が大事な物だと思ったら、それは宝物になるんですー」
「ほう。なら、わざわざ店で買ってきたものはいらねぇな」

「え?」真琴は眼を丸くした。多少わざとらしいリヴァイの無表情な顔を窺いながら、本を枕脇に置く。
「隣にいる女は、その辺にある石ころで充分らしい。ならば質屋に出して、戻ってきた金でいい酒でも飲むとする」
 真琴はリヴァイの片腕を揺すりつつ表情を輝かせた。
「ちょっと待って待ってっ。もしかしてプレゼント?」
 「金で買えるもんには興味なかったんじゃないのか」

「そんなこと言ってないでしょ〜」
 真琴は頬を膨らませて、リヴァイは片眉を上げた。
「現金な」
 そう言い、リヴァイの手がスウェットの腰許を探った。そしてポケットから出てきた握り拳には金の鎖が垂れていた。
「わぁ、ホントに?」
「しまったな。散歩紐にしちゃ短い。耐久性も悪そうだ」
 毒の言葉など耳に入らなかった。女の勘から、ネックレスだとすぐに思い浮かぶ。ペンダントトップはなんだろう。それとも飾りなしのシンプルなものだろうか。リヴァイからアクセサリーのプレゼントだなんて興奮してしまう。でもなぜ今夜なのか。

「私の誕生日はもう過ぎちゃったけど……。今日って何かの記念日? そういえばクリスマス? あっ」
 いけない。と慌てて口を覆う。この国にクリスマスというイベントはないのである。
「落ち着け。ただ思い立っただけだ。今夜くれてやろうと」
「どうしよう、嬉しい」
「女が貴金属に弱いというのは本当だったな。どれ、つけてやる」
 ネックレスの両端を摘んだリヴァイの手が、首の後ろに回る。肌に触れた鎖はポケットに入っていたから人肌だった。

 長めの鎖の先端で揺れるペンダントトップ。それを真琴は指先に乗せた。
「……ロケット」
 先端には小さな宝石かハート型の飾りがついていると思っていたのだけれど。アンティーク風の彫刻が施されているコイン大のペンダントには、端につまみがあったのだ。開いてみようとしたら、リヴァイにロケットごと手を包まれる。

「まだおあずけだ」
「なんで? 何か入れてあるの? リヴァイの写真?」
「おいおいおい、俺を思い出にして死なすな。縁起でもねぇ」
 頬を苦くしてリヴァイの手が離れた。確かに縁起でもなかった。壁外調査を控えているからなおさらである。
 耳許に寄せるようにして、真琴はロケットをなんとなく縦に振ってみた。軽い質量のものがころころと揺れ動く音がした。
「やっぱり何か入ってる。え〜、なんだろう?」
「壁外から俺が帰ってきたら、開けていい」
 それこそ縁起でもない気がして真琴の眉が曇る。

「帰って……きたら?」
「ああ。それまで我慢できそうにないなら没収だ」
 過酷な場所へと飛び立っていく大事な人を、見送る人間はただひたすら待つことしかできない――必ず帰ってきてくれると信じて。大事な人の信念を尊重しようとしても、笑顔でいってらっしゃいと言うことがどんなに難しいことか、いまさらながら、調査兵の家族たちの気持ちを汲める立場に立つことになろうとは。
「それなら、どうしていま渡すの」

「辛気くさい深読みはするな。無責任でいたくないだけだ。生きて帰ってこれないなど、まずないと思ってるさ」
「だったら」
「だが結果がどうなるか、こればかりは自分の力を信じても誰にも分からない。神のみぞ知る。そんな胡散くせぇ存在など信じちゃいないが。だとしても――」
 真琴の胸許で鈍く光るロケットを手に取り、深い双眸で見つめる。
「生き抜いてみせるという思いは強くなる。必ずここに帰ってくると」
 どんな想いがこのロケットに込められているのかは分からない。けれど、そのロケットを身につけている真琴のもとへリヴァイが帰りたいと強く思ってくれることが、とても嬉しかった。

 感慨深そうにしているリヴァイの面差しが、溢れ出る想いで涙に滲む。悲しい別れを想定してあらかじめ渡されたのではなかった。だから真琴は涙を零さないように微笑んだ。
「信じて、待ってる」
 言うと、眼を上げたリヴァイの切れ長な視線と交わった。それから彼は瞼を軽く伏せて顎をそっと突き出す。同時に、くいと引っ張られたロケットの細い鎖が首に食い込む。ふっと唇が触れて、真琴の鼓動がとくんと跳ねた。
 窓から見える夜空は雪雲で覆われているのに、真琴の瞳に星が瞬く。

「今夜って――上弦の月……だったっけ……?」
「なに寝ぼけてる。曇天で星すら出てないだろ」
 意味が分からないというふうに息漏れ声が鼻先で言う。真琴は当惑した。
「だって、それならどうして――」
 どうしてリヴァイからキスをもらえたのか。聞く前に、上唇を優しくついばまれた。突然のことで真琴は反応することができない。余韻を残すように小さく音を鳴らし、リヴァイの唇が離れる。

「応えてくれないのか」
 しんしんと雪が降る、とても静かな夜でなかったら、掻き消されてしまうような声の響きだった。真琴はまばたきで当惑を払う。
「こ、応える」どぎまぎの胸中でリヴァイの前見頃を掴んだ。けれど自分から触れるのはためらう。薄く閉じた瞳で、しおらしくキスを待つ。

 初めてではないのに緊張してしまう真琴を、しかしリヴァイは笑ったりなどしなかった。ロケットから離した大きな手で頬を包まれると、身体中に電気が走ったみたいにゾクゾクした。睫毛が震えてしまう。
「やけに初々しい。こういうのも悪くない」
 触れ合わせるだけの口づけを幾たびも続けた。性的な焦りなどない、慎み深いキスが余計に胸をときめかせる。
 リヴァイの手は頭の後ろに滑っていった。そうして、それが自然な移行であるかのように、腕一本で支えたまま真琴の頭を丁寧に枕に落とした。

 リヴァイは真琴の前髪を掬い上げて撫でる。眼差しは皆目いやらしくなく、真心が感じられた。
「どうしちゃったの」
「どうもしない。ただこうしたくなった」
「やっぱり、怖いとか」
「見くびるな。巨人を前にして恐れたことなど一度もない」
「そっか……。そうよね、ごめんなさい」

 覆い被さっているリヴァイの鎖骨にふと目線を下げて、眼を見開く。(あれ?)珍しいものを首から下げていたため指で触れてみた。肌で温められた金属はネックレスの鎖である。
「なんだよ」
 すぐさま、リヴァイは丸襟シャツの真下を鷲掴む。掴んで皺が寄っている箇所は、首の両脇を伝うネックレスが交わる付近だった。
「いつからしてるの? これ」
「前からしてる」
 言い淀み、
「いまさら気づいたんなら、単に観察眼がなかったんだろう」
 軽い拒否反応を感じた。もしかすると触れてはいけなかったのかもしれない。

「ごめんなさい。アクセサリーをつけるような人だと思ってなかったから」
「護符ぐらいは身につける。俺のような人間でも」
「でもさっき神様は胡散くさいって」
「べらべらとうっせぇ口だ。なぜ雰囲気を壊す」
 そう言って真琴の片手を頭上で縫い止める。話題を止めたいというふうに唇を塞いだ。
「んんっ……」
 キスが深くなっていくと途端についていけなくなり、真琴の眉が寄った。熱い舌にどう応えたらいいか分からないが、差し当り舌を絡ませないといけないことは知っている。美味いものを堪能するようにねっとりと纏わりついてくる彼の舌と違い、真琴の舌はなんだか忙しくなってしまうが。それと息継ぎのタイミングが分からなくて苦しい。肩を窄めてリヴァイの肩先を押しやる。
「んーっ、んーっ」

 すると吐息の乱れを察してくれたようで唇を解放してくれた。リヴァイは満足げに額と額を合わせた。余情混じりの吐息が吹きかかる。
「これは俺の主観だが、味わってみた所感を言おう。マコはキスがとんでもなく下手らしい」
「い、言わなくてもいいじゃない」
 指摘されてしまい、真琴の頬はみるみる紅潮した。恥ずかしいうえにひどく格好悪い。人生経験の差を考慮してほしいと思った。
「自覚はあったようだ。下手だと」
「下手下手って失礼しちゃう。だったらあなたが教えてよ」

「言われずとも俺好みに調教するが」
 さらっと言われて真琴は顔を赤くした。口づけの名残りを惜しむような手つきで顎の下をこそぐられる。思わず喉を反ってしまい、唇同士が掠った。そのさい軽くついばまれたが、もしや誘導されたのか。
「それにしても、どういう経験をしてくれば、こんなにも下手くそになる」
「う〜んと……」とぼけ気味に斜め上に眼を逸らす。
「お前と関係を持った男がよっぽど――」
 言って不愉快そうに舌打ちをした。「クソっ」と真琴の鼻をカリッと甘噛みする。
「いたっ」
 自分で言っておいてリヴァイは真琴の交友関係を想像し、勝手に嫉妬したらしかった。


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