34.牢獄送りにするまたとない好機

 食堂は暖炉からの熱気がまだ全体に行き渡っていなかった。そんな中で朝食中のとき、古城の外で馬のいななきが聞こえた。
 ふわふわと湯気立つジャガイモのスープを啜っていたオルオの眼が、背後の窓を見るような動きをした。

「ん? うちの馬か?」
「エサはとっくにやったから、蛇でも見て驚いたんだろ」
 グンタが答えた。リヴァイの目線はオニオンパイにあった。ナイフで一口大に切り、
「いや」
 とだけ言ってオニオンパイを口に入れたとき、食堂の扉が開かれた。向かい風で煽られ続けたからか、前髪に癖がついてしまっているモブリットだった。
「おはようございます」
 食卓まで来てリヴァイの横に立つ。
「やっぱり朝食中でしたね。お時間を取らせないので、少しよろしいですか」

「構わない。ここだと都合が悪い内容か」
「いえ、大丈夫です。リヴァイ班への通達なので」
「なら隣に座れ」
 では失礼して、とモブリットはリヴァイの隣に腰掛けた。同時に真琴は椅子を引く。みんなの盆を見て彼は唾を飲み込んだように見えたので、
「朝食は済まされたんですか?」
「いえ、お日様が昇る前に本部を出たので――って、え?」
 モブリットは真琴を見て眼球を飛び出さん勢いで顔を突き出した。その顔つきのまま首はリヴァイに回る。
「どなたですか? あのお嬢さん。どうしてここに」

 面倒そうにリヴァイは溜息をついて、代わりにエルドが回答した。
「兵長の義妹さんのマコさんです。しばらく前から色々とお手伝いをしてくれてまして」
「ご飯の支度から洗濯まで、一挙に引き受けてくれてるんです。ホント助かってるんですよ」
 ペトラも賛すると、モブリットは口に手を添えてリヴァイにこそこそ言う。
「この事を本部は?」
「エルヴィンは知ってる。だがハンジには言うな、めんどくせぇことになる」 
「義妹さんがおられたなんて初耳でしょうからね。あの人が耳にしたら、研究なんてほっぽってこっちに来ちゃいますよ。ご安心を。ボクの仕事が増えるだけなので絶対に口外しません」

 モブリットの勘はもっともで、義妹を装っている真琴がいると知ったらハンジは喜々と様子を見にくるに違いない。歓迎会の日に取り乱したせいで真琴が女であるということはもう知れているとは思っているが。
 話が脱線してしまったから真琴は再度伺う。
「どうしますか。朝食を食べていきますか」 
「僕の分はありますか」
「まだありますから。すぐに用意しますね」
「ありがたいです」
 モブリットはぺこりと頭を下げた。そして真琴は一食分を厨房から持ってくるために食堂から出ていく。

 真琴が席を立ってからモブリットは口を開けた。
「リヴァイ班への通達ですが」
「ああ。続けろ」
「強硬派から依頼があって壁外調査が延期になったのは先刻でしたが、その依頼の日取りが正式に決まりました」
「屋敷の警護、か。ふざけやがって。そんなことは本来、駐屯兵団か憲兵団の仕事だろうが」
「圧力がかかってるのか、二兵団とも首を縦に振らなかったようで」
「それで白羽の矢が立った、と」
「強硬派の貴族も遠慮がないですから。兵団にいくら投資してるんだ、とか強く言われると団長も断れませんよ。実際、必死になるほど彼らが放火犯に怯えてるのは事実ですけど」
 とモブリットは頬で苦く笑った。

「それで俺たちへの指示は」
「リヴァイ班は待機です。エレンがいますから」
 名前が出て、パンを食べていたエレンは不安そうにした。モブリットは眉を弓状にする。
「君の居場所は本部の者ですら有数しか知らないんだ。現段階では街を出歩くのも控えなきゃいけない」
「分かってます」

 ジャガイモのスープにスプーンを浸らせたままリヴァイは聞く。
「モブリットを含め、ハンジの班は任務には」
「僕たちも外されています。研究が優先ですので」
「ってことは真琴もか」
「そうなりますね」
 言いながらモブリットの視線は食堂の扉へと緩やかに流れていく。一瞬だけ意味深に見えた。
「彼は現在休暇中ですので通達はまだなのですが、どうしたらいいでしょう」
「お前の足を使うまでもない。エルヴィンから便りが行くだろう」
「そうですね」

 通達が終わったところで食堂の扉が再び開いた。厨房で朝食を用意してきた真琴はモブリットの横から盆を滑らせる。
「お待たせしました。どうぞごゆっくり召し上がってください」
「ありがとうございます。わあ、温かそうだなあ。外が寒過ぎたから、まだコートを脱げずにいたんですけど、これでようやく……」
 モブリットは赤い指先の両手をすり合わせる。
「内側から温めたほうが、っていいますものね」
 真琴は自分の席に座り、朝食の残りに手をつけた。食事の用意をしているあいだに通達はもう済んでいて、真琴はそれを雰囲気でなんとなく感じ取った。気になったからリヴァイに聞く。

「お義兄様。モブリット様のご用件って、どんなことだったの?」
「日程が決まったらしい。タカ派から依頼された屋敷の警護の」
「警護をするのね。お義兄様もその任務に就くの? モブリット様も?」
「いいや。俺たちやモブリットの所属する班は留守番だ」
「そう。それなら、みなさんはここにいるのね。よかった。一人で寝泊まりするのは怖いもの」

 必然的に真琴も休暇を続けてよいことが分かった。フェンデル邸の警護はどの班に託されるのだろう。できれば自分がその役に就きたい。休暇をもらったことはフェンデルに伝えたが、真琴が身を置いている場所は極秘なので言えず、それ以降連絡が途絶えていたのだ。ローレンツを匿っていると聞いたし、どんな様子になっているのかも気になっている。
(私だけ行っちゃダメかしら。身内ってことで)

 ※ ※ ※

 自室のベッドにボストンバッグを置き、真琴は軽い荷造りをしていた。鏡台にある化粧水と乳液のボトルを手に取って首を傾ける。
「重くなるだけだし、これはいっか」
 取捨選択をして鏡台に戻したとき、戸が開いた。ちょっとだけびっくりして真琴は肩を竦める。
「もう。一言、言ってからっていつも言ってるじゃない。着替え中だったらどうしてくれるの。リヴァイお義兄様」
「見られたって俺なんだからいいだろう。それよりも、お義兄様ってやつをやめろ。じんましんが出る」
「じゃあなんて言えばいいの? にいちゃん? アニキ? あとは、おやびん?」
「マコを舎弟にした覚えはない」

 リヴァイはベッドにあるボストンバッグを見降ろした。やはりか、と呟いて端を摘まみ上げる。
「これはどういうことだ」
「小旅行用に荷造り中だったの。ここのところ、めきめき寒いでしょ。あなたが前に連れていってくれた、温泉に行ってこようかなって」
 リヴァイのほうを向けなくて真琴の姿は古い鏡台に映り込んだままだった。化粧品ボトルや香水瓶をチェスのように意味なく並べ変える。
「ほう。マコの屋敷の風呂は温泉を引いてるのか。さすが豪遊貴族様は違う。だが妙だな。ストヘス区で温泉が出たという事例は聞いたことがない」
 鏡台に映る真琴は一笑して項垂れた。「意地悪な返し方……」
「俺に与太話は通じない」

 真琴はリヴァイを振り返る。
「行かせて。私の家なの。大事な人なの」
「お前が警護するとでも? 心配しなくてもフェンデル邸もちゃんと警護対象に入ってる」
「分かってるけど、こんなときぐらいしか恩返しできないから」
 リヴァイは溜息をついた。
「言い出したら利かねぇ奴なのは知ってる。地下牢にでも放り込まねぇと大人しくならないか」
「や、やだっ。地下牢はイヤっ。エレンがおばけっぽいのを見たって言ってたから絶対にイヤっ」
 と真琴は首を振る。

「喩えだ。義妹を地下牢になんぞ、俺に変な趣味があると疑われる」
「それじゃあ?」
 リヴァイは真琴を斜めに見た。
「俺も行く。愉快犯に当てがあるしな。念願がようやく叶いそうだ。そいつを牢獄送りにするまたとない好機に、のんびり茶を啜ってらんねぇだろう?」


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