32.爽やかな香料

 真琴が旧調査兵団本部に滞在してから二週間後、本部から早馬があった。早朝に届いた伝達は壁外遠征の延期を報せるものだった。それを受け、リヴァイ班は別命あるまで待機となった。
 そして真琴は今、食料やもろもろの買い出しに、リヴァイとウォールローゼの市街へ来ている。

「荒れてんな」
 マーケット通りを見渡しながらリヴァイが言った。店が連なるマーケット通り、いつもなら活気づき、人々の黄色い笑顔が絶えないのに、いまは食あたりでもおこしたような不味そうな顔達ばかりだ。石畳の広い通りはゴミで散らかり、店の者たちが総出で掃除をしている。
 真琴は腰を曲げた。踏みつぶされて足跡がついているビラを拾う。
「国民に主権を返せ」
 赤文字でそう書かれていた。文字の太さや力強さから、過激さを感じ取れる。

「どうやらデモがあったらしい。この散らかりようだ。相当でかい規模だったんだろう」
「彼らの主張は民主化なのね」
「なのね?」リヴァイは片眉を上げる。「お前の組織が企てた反乱だろう。なに他人事のように言ってる。商店の奴らに迷惑をかけやがって」

「このことに関して私はノータッチなんだもの。もちろん良心は痛んでるわ」
 リヴァイは真琴の手からビラを奪った。顔の高さで翳し、眼を薄める。
「主張は分からないでもない。現状じゃ、王政の政策により言論も表現も規制されてる。自由を求めることにおいては、俺たちの翼と同じか」
 民衆は現在の主権国家を廃し、自由と平等を掲げての国民国家を求めているようだった。

「いやー、まいったまいった。拾っても拾ってもだよ」
 腰にエプロンを巻いた男がゴミ袋を引きずって近づいてきた。軍手をした手でゴミを集めている。リヴァイの近くまで来ると手を差し出してきた。
「それゴミだね? こっちで処分しとくよ」
「悪いな」
 周辺のビラを律儀に拾い集めていたリヴァイはそれを手渡し、男は腰を叩く。エプロンには血が掠ったような跡がついている。油っこい匂いがするし、精肉店の店主に見えた。
「昨日も掃除したっていうのに、今日もこのざまだ。派手に散らかしてくれるよ、抵抗運動の奴らはさ」

「昨日もデモが」
「ここんとこ毎日さ。ここらだけじゃなく、あっちゃこっちゃでやってるらしいね。さっきまで太鼓やら鳴らして行進してたよ。あいつらが通り過ぎたあとは、毎回こうでね」
 リヴァイは男の苦笑いを見返す。
「デモの奴らが、あんたたちに暴力を振るうことは?」
「俺たちには何もしないさ。憲兵団とは揉めてたかな」
「迷惑もいいとこだと思うが、あんたはどう思ってる」

 通りには腰を屈めてゴミ拾いをしている店の人間たちがいる。それを眺めて、男は太めのウエストに両手を当てた。
「散らかすのは勘弁してほしいね、片付けていかないし。けどまあ、不満が溜まってんのも分かるよ。運動に直接参加しなくても、賛同してる連中は多いさ。俺的にも民衆の声が届くようになるんなら、もっとやれって感じだね。四年前の巨人掃討作戦以降、なんだか王政を信用できなくてね」
「……そうだな」
 風で飛ばされるビラのような、リヴァイの声はそんな薄命さがあった。
 国に雇われている彼の心境は複雑だろう。疑問に思うことはあっても、おおっぴらに賛同していい立場でないのだし、疑問に思うからこそ反対の言葉もでてこない。国の行く末を兵団の者同士で語るならまだしも、相手が民間人では無責任なことは言えない。

 と、男は急に眼をしばたたいた。
「あれ? あんたの顔はどこかで……」
「邪魔したな」
 リヴァイは一方的に会話を打ち切ると、真琴の手首を引いて歩き出す。
 コートを羽織る今日のリヴァイの服装は、長袖シャツに茶系のベストを合わせている。私服だが、さっきの男は会話を続けるうちに調査兵団の兵士長だと気づいたような感じだった。それを面倒に思い、リヴァイは立ち去りたくなったというところか。

「抵抗運動の連中に、思いのほか支持をしてる奴が多いようだ。絶対王政から解放される日も近いかもしれない」
「そうなったら調査兵団はどうなると思う?」
「俺たちの活動はこれからも変わらない。自由を手にしても結局は壁の中。真の自由は外にある」
 壁内が民主主義になったとしても、巨人がいる限り、本当の自由は手に入らない。壁の中が平和ならそれでいいと思っている民衆とは違い、リヴァイに平穏は訪れないのだ。

 真琴は眼を伏せる。
「そうよね。あなたは何も変わらない。自由を求めて巨人と闘い続けるんだわ」
 近い未来に見られるかもしれない、王政から解き放たれた民衆たちが、細かく千切った赤白黄色の折り紙を頭上に舞わせて喜ぶ姿。そのよそで、調査兵団は過酷な壁外へ赴くのだろう。
「不満か」
「ううん。あなたらしいと思っただけ」

 少し歩いていたら、前方から荷馬車が駆けてきた。道端に寄るよう手早くリヴァイの手が肩に回る。
「憲兵団だ」
「やだ、ホント」
 手綱を引いている男は憲兵団の服を着ていた。彼らが中央憲兵団かまでは判断できないけれど、真琴は肩に掛けていたストールを咄嗟に頭まで引き上げた。手配されていると知ってからは慎重になってしまう。

「いかにも怪しい仕草をするな。俺もだが、あいつらは人と違った行動を取っている奴に目がいくよう訓練されてる。普通にしていれば、まず大丈夫だ」
「そういうのは出掛ける前に教えてよ。どうしよう、声をかけられたら」
「そこそこ距離はあった。大丈夫だとは思うが」
 リヴァイも緊張しているらしく、真琴の肩を支える手に力が入っている。

 なんら心配はいらないものだった。すれ違う瞬間、手綱を握る憲兵は正面を睨んで馬を走らせていた。顔周りを隠しているストールが半分隠す視野から、真琴は荷台を窺う。こちらに背を向けて座っている憲兵団が二人と、向かいにも二人いた。彼らのあいだには白い布で覆われた山が見えた。何かを運んでいる最中だったようだ。
 馬の蹄が遠ざかり、石畳から伝わる車輪の振動もなくなった。真琴はほっと息をつく。

「よかった。無視してくれて」
「まったく。任務でもねぇのに神経がすり減る。だから連れてきたくなかったんだ」
「そんなこと言わないで。なんにもない所で二週間も過ごしてたのよ。街に出て色のあるものを見たくならない?」
 古城での生活はやることがいっぱいあって暇ではないのだけれど、いつも同じ顔ぶれ、のどか過ぎる田園風景が毎日続けば、飽きてきてしまう。都会の人間は田舎暮らしに憧れるというが、どうも真琴には合わないようで、がちゃがちゃした人ごみを恋しく思っていた。

 リヴァイは蔑むような眼つきをみせた。
「お前の息抜きで、俺がやつれてもいいってのか」
「あら、ごめんなさい。いまので薄くなってきた隈が、ちょっと濃くなっちゃったみたい?」
 おちゃらけてリヴァイの顔を覗き込む。リヴァイは真琴をじっと見据えてから眼を逸らした。この眼つきは、何食わぬ顔をして実は何かを思量しているときのものだ。
「かく言う俺も街は久しい。こっちも息抜きさせてもらう。お前はここらで茶でも飲んで待て」

「ちょっと、どこに行くっていうのよ」
「男の息抜きといったら女しかない」
 そう言ってリヴァイが返した踵は、すぐ脇の狭い路地裏だった。翻った彼のコートのベルトを、真琴は慌てて掴む。
「だ、ダメ! 絶対ダメだから!」
「そろそろ溜まってんだ。女には分かんねぇだろうが、こういうのは出さないと身体に悪い」
「そんなのはどうにでもなるって言ってたのに! もう行かないって約束してくれたのに!」

 慌てて止める真琴を見てリヴァイは満足そうに口端を上げた。
「必死で懇願するほど、そんなに俺にほかの女を抱いてほしくないか」
「……」
「仕方ねぇ、我慢してやる」
「なによ、それ〜。イヤな感じ〜」
 惚れた弱みのような気がして真琴は悔しかったが、リヴァイは引き止められて愉悦を感じていたのかもしれない。

 歩いておよそ十分、八百屋と衣料品店が向かい合わせの十字路を、憲兵団の馬車が曲がってきた方向に爪先を向けた。曲がる前からがやがやと騒々しい音がしていたが、乗合馬車二台分くらいの道いっぱいに人集りができていた。
 人の頭で前が見えず、真琴はぴょこぴょこと爪先立ちする。
「またデモかしら」
「そういう騒ぎじゃなさそうだが。クソっ、これじゃ先に進めねぇ」

 よくよく観察すると、人々の頭は左側を見ている。大勢の頭の先頭辺りに見えるのは、軒先に下がっている見慣れた靴屋の青銅の看板で、その先の路地を左折するときの目印に、いつも真琴が使っているものであった。人々の視線は、その路地に向けられているように思う。嫌な胸騒ぎがした。
 うごめく頭の最後尾についたリヴァイが、若い男に声をかけた。
「おい、なんの騒ぎだ」
 若い男は後ろを振り向かずに、斜め前方に指を差す。
「少し前にさ、この先の路地の建家に憲兵団が突入したんだよ。いやぁ、すごかったな」

 真琴の胸騒ぎはさらに大きくなる。若い男の腕を鷲掴み、急を要する思いで問い詰めた。
「この先の路地の建家って、まさか階段を降りた地下の?」
「ごめん、そこまでは分かんないや。とにかく人がすごかったからさ」
 嘘でしょ、そんなまさか。寒い季節なのに油汗が浮き出る。

「通してください! ごめんなさい、通して!」
 人の波を割り、真琴は身体を捩じ込ませて路地へ向かう。
 リヴァイがついてくる。
「どうした。この先に知り合いでも」言いかけて、リヴァイは眼を見張った。「お前の仲間かっ」
 憲兵団と真琴の焦りようから、ヴァールハイトのアジトだとピンときたようだ。

 真琴の嫌な予感はどんぴしゃだった。満員電車から無理くり降りるごとく、群衆から捻り出した真琴とリヴァイの真正面には、ロープが張られていた。
「下がって下がって! ここから先は立ち入り禁止だ!」
 両腕を横に広げて声を張り上げているのは駐屯兵団で、ロープは規制線だった。そこから約五メートル先のほうに、ヴァールハイトの地下アジトがあり、地上の階段付近で駐屯兵団が数人立っている。

「エリ!」
 担架の上で横たわっているエリザートの横顔が見えた。規制線など守っていられず、真琴はロープをくぐる。
 すぐ後ろでリヴァイの鋭い舌打ちが聞こえ、次いで駐屯兵団の男に止められそうになった。
「こら! まだ現場検証中である!」

「調査兵団所属のリヴァイだ。通させてもらう」
 すかさず応答したリヴァイは、まるで警察手帳を突きつけた刑事のように見えた。駐屯兵の男は豆鉄砲を食った鳩のようになる。
「兵士長の……ああ、リヴァイ兵士長ですか」
 鳩になっている隙に、真琴のあとを追ってリヴァイも規制線を超えていった。寸秒後、駐屯兵の男ははっとして後ろ姿を見返る。
「調査兵団は関係ないでしょう! ここは駐屯兵団の管轄です! 戻ってください!」
 追いかけてきそうな勢いだったが、駐屯兵団の男は持ち場であるロープ前から動けないようだった。

 担架のそばでは、クリップボードで何やら記入しているリコがいた。走ってくる真琴に気づいて眼を剥く。
「なっ――」
 真琴の名前を言いそうになって打ち消す。
「マコ! ……何してんの。ダメだよ、入ってきちゃ」
「エリ!」
 真琴はエリザートの傍らにくずおれた。彼女の顔面は血の気を失っており、眼の周りがくすんで見えた。
「エリ! エリ!」
 衝動的に揺さぶろうとして、リコに手を止められる。
「いま動かしちゃダメだ。止血してるけど危ない状態だから」

「リコ? なんでリコがいるの」
 リコは溜息をついた。
「気が動転してるみたいね。深呼吸して落ち着いてくれる? こっちもさっぱりだよ」
 真琴は担架しか目に入らず、リコに気づいていなかった。それだけ急いていた。
 言われた通りに深呼吸とはいかないが、浅めの呼吸が緩やかになっていくにつれ、周囲の状況が見えてくる。それを見計らったのか、リコはエリザベートの容態を教えてくれた。
「腹をナイフで刺されてる。でも急所を僅かに逸れて、かろうじて息がある状態だ」
「どうしてこんなことに」
 痛ましいエリザートを見降ろし、真琴はかぶりを振った。石畳を叩く革靴の音が悠々と近づき、そばで止まる。

「ここでいったい何が起きた。憲兵団と駐屯兵団が、調査兵団を出し抜いて気脈を通じたか」
 見上げて、リコは少しだけ眼を大きくした。「あんたまで……。そうか、マコと一緒だったんだな」
「質問に答えてもらおう」
 えらそうに、とぶつくさ言いながらリコは身重そうに立ち上がった。
「憲兵団と気脈なんか通じてない。そもそも、あいつらは憲兵団じゃない」
「荷馬車の奴らだろう? 紋章は確かにユニコーンだったが、そうか、中央だったか」
 リヴァイは片眼を光らせる。
「お前ら駐屯兵団が中央とグルだったとは、口からクソが出そうだ。それで?」

「あんたの冗談って通じにくいって言われない? 中央とグルなわけない。私らは呼びつけられたんだ、後始末をしろって。駆けつけたときにはガサ入れは終わってた。中はほとんどもぬけの殻で、その女と――」
 リコはエリザートに目線を落としてから、少し離れたところにある、もう一つの担架を顎で示した。エリザートとは違い、薄茶の布で頭まで覆われていた。まるで大きな熊のようにこんもりしている部分は腹だと思った。
 真琴は顔を伏せて、ああ、マテウス、と眼を強く瞑った。リコが告げる。
「大柄な男が血だらけで倒れてたんだ。なんでも、国を混乱させてるヴァールハイトのアジトだって言ってたけど」

「中央の奴らは暴れるだけ暴れて、お前らは死体の始末を押しつけられたってわけか。気にいらねぇ」
 マテウスの担架をリヴァイは無表情で見つめた。どこからともなく鉄錆の臭いが薄っすらと漂う。
「そんなとこ。マコもつくづく因果な女だね、その女と知り合いだなんてさ。本当にヴァールハイトの一員だったら、あんたにも容疑がかかるよ」
「あ、あのねリコ、私――」

「リコ・プレツェンスカ隊長」
 芝居調でリヴァイに呼ばれ、リコは思わず胸許の紋章をぱっと隠した。階級を読まれてしまったあとでは遅いけれど。
 リヴァイは腕を組んで顎を反る。
「ケツが青そうなガキのくせして、なかなかの出世具合だ」
「とっくに青くないっ」
「まあ、落ち着け」
 周辺に首を回し、
「この場を仕切っているのは、どうやらお前らしい」

「ああ。私が任されている」
「この場に俺たちはいなかった。そう虚偽報告することぐらい、容易いだろう?」
「呆れたな。調査兵団はそんな横暴な奴ばかりなの?」
「さあな。変人は多いと聞く」とリヴァイが答えると、リコは肩を落とした。リヴァイの強要を呑んだように見えた。こんなことが知られたらリコの兵士生命に関わるかもしれないのに、彼女は真琴を庇ってくれる気でいるらしい。感謝のしようもなかった。

 改めて辺りを確認し、真琴は担架の数が気になった。
「リコ。中で倒れていたのは二人だけだったの?」
「そうだけど」
 言いつつ、次に続く言葉は「それが何?」と過ぎったと思う。でも聞くのをやめて、リコは両耳に指を差し込んで頭を振った。
「あ〜、あんたの口からは何も聞きたくない! 何も言わないで、頼むから!」
 上に嘘をつく事柄をもう増やしたくないようだった。

(フュルストとロウは無事だったのかしら。だとしたら、いまどこに)
 それにどうしてアジトの場所が露見してしまったのか。もしかして真琴が尾けられていた? 自分のせいだとしたらとても耐えられない。

 責め立ててくるような木枯らしが頬を刺す。怒りと悔しさと悲しみが入り乱れ、頭を垂れた。そのとき、エリザベートからふと香ってきた爽やかな香料が鼻をくすぐった。
 微かな呼吸を続けるエリザートの胸許に鼻を寄せる。
「植物系の匂い?」
 らしくない。彼女はいつも菓子のような甘い香りを好んでいたのだから。


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