14.クリームが僅かに付いた親指を

 後ろ手にバッグを持ち替えて真琴はリヴァイを下から見た。
「ねぇ、じゃあ今日は私につき合ってくれる? 行きたい所ないんでしょ」
「そのつもりだ。見たい店があったら言え」
 社交辞令かさだかではないが言葉通りに真琴はリヴァイを振り回した。ウィンドウショッピングをしながら、ちょっと気になるものがあれば店内を見て回った。

「今度はあのお店ね!」
 つき合いたくないという気持ちが、だいぶ前からリヴァイの歩調に表れていた。のろのろと歩く彼の腕を取って真琴は誘導する。
「もう! 早くして」
「店に入ったって何も買わないじゃないか。何十分も物色すんなら店に貢献してやれよ」
「女の買い物なんてそんなものよ。よっぽど気に入ったものじゃないと買わないの」
「貴族のくせしてケチだな。お前が金を使わないと市場が潤わないだろ」

 ぶつぶつ突っかかってくるリヴァイを相手にしないで真琴は店のガラス戸を押した。店内は食器やエプロン、ハンカチやタオルなどを売っている雑貨屋だ。
 ガラス製や陶器のカップが並ぶ食器コーナーで面白いペアマグカップを見つけた。ほっこりとした絵柄は、片方はベンチに座る女の子、もう片方はベンチに座る男の子だった。

「見て見て。こうやってくっつけると」
 二つのコップを真琴はぴたりと合わせた。すると、まるで恋人のように一つのベンチに女の子と男の子が仲良く座っている絵になった。
「可愛いから買っちゃおうかしら。丁度新しいマグカップが欲しいと思ってたところだし」
 二つのコップを持って真琴は勘定台へ向かう。

「似たような絵柄を二つ買うのか」
「一つでも可愛いけど、ペアで買って棚に飾ったら素敵でしょう」
「無駄な気がするが。そもそもコップは使うものであって観賞用じゃないだろ」
 人が買うものにケチをつけてくるから真琴の唇は尖った。後ろからついてくるリヴァイを肩越しに振り返る。
「ちゃんと交互に使うわよ。それにお金を使って貢献しろって言ったのはあなたよ」
 言ってからリヴァイもティーカップを持っていることに気づく。
「リヴァイさんも買うの?」

「ああ。この前落として割っちまったからな。予備はあるがついでだ」
 女性の店員がいる勘定台にマグカップを二つ置いた。
「これください」
「お会計はご一緒ですか?」
 店員がそう聞いてきたのはリヴァイがティーカップをマグカップに寄せてきたからであった。あいだに手を差し入れて、真琴は自分の分と離す。

「別々です」
「一緒でいい」
 とリヴァイはティーカップをまた寄せてきた。ポケットから剥き出しの紙幣を取り出してキャッシュトレーに三枚の紙幣を置く。どうやら真琴の分まで払うつもりのようだ。
「だめよ。あなたに出してもらう理由がないわ、自分で買うから」
「一つ買うのも三つ買うのも同じだ。高いもんでもねぇし」
 リヴァイはキャッシュトレーを顎で示す。
「勘定してくれ」

「ちょ、ちょっと待って」
 真琴は慌ててハンドバッグを漁り、財布を取り出そうとした。と、持ち手から手が滑ってバッグを床に落としてしまう。蓋が開いていたので中身が散らばってしまった。
「やだ、もう〜」屈んで拾い集める。
「何してんだ、ったく」
 リヴァイもしゃがんで拾ってくれる。

 時間がかかりそうだと思ったのだろう。勘定を後回しにして、店員はそれぞれのコップを箱詰めする。同じ色形の箱が三つ並ぶことになり、それぞれを店員は二つの袋に分け入れた。実は間違えてマグカップの一つとティーカップを入れてしまったのだけれど。

 散らばった中身の最後であるリップケースを真琴は拾おうとした。と、物柔らかくリヴァイが手を重ねてきた。
「拾うのを手伝ってやった礼だ。大人しく俺に払わせろ」
「それを言うなら逆じゃないかしら」
「礼をしてくれるんだろう? 俺の言うことを聞けということだ」

 屁理屈だが、そうまでして言われてはもう甘えるしかないだろうか。自分で払うと強く言ったところでリヴァイは曲げないだろうし、喧嘩になるだけかもしれない。
 真琴はわざと嫌味っぽく微笑してみせた。「相変わらず強引ね」
「相変わらず素直じゃねぇな」
 リヴァイも口端を上げて言い、真琴を立たせてくれた。

 勘定台と向き合うと店員が口許に拳を当てていた。含み笑いをしている。二人のやり取りが可笑しかったのだろうか。
「商品は箱詰めして袋に分けておきました。お代を頂戴してもよろしいでしょうか?」
「ああ。手数を掛けたな」
 店員から釣りを貰ったリヴァイは花柄の紙袋を二つ指に引っ掛けた。店を出て、また通りを歩き出す。

 後ろ風でなびくウェーブの髪を真琴は手で押さえて微笑んでみせた。
「ありがとう。大事に使うわね、マグカップ」
 そう言うとリヴァイは息をつくようにして笑った。
「たかだかコップで大げさだ」

 道の少し先のほうに、たくさんの豪華な切り花に囲まれた店があった。雰囲気から見て取るに新しく開店したばかりのようだ。店先でエプロンを着た女が、トレイを持って道行く人に声をかけている。
「何を配っているのかしら」
 女は何かを配っており、受け取った人はそのまま店に入ったり、笑顔で通り過ぎたりと様々だった。店に近づくにつれて乙女心をくすぐる甘い香りが漂ってくる。

「試食を配ってるみたいっ」
 貰った人が口をもぐもぐしている光景を目にし、真琴は喜々として走り出す。リヴァイは歩調を早めないが、小さい子を見守るような穏やかな面差しをみせていた。
 そこは看板が可愛らしいケーキ屋さんだった。店員の女はずうずうしく駆け寄ってきた真琴に卵大のカップケーキを笑顔で差し出してきた。

「二日前に開店したばかりのケーキ屋です。本日は当店自慢のカップケーキを試食としてお客様にお配りしています。よろしかったらどうぞ」
「ありがとう。わあ、美味しそう」
 スポンジの上にミント色のホイップクリームが渦を巻いており、砂糖菓子の小さい花がデコレーションされていた。とても試食とは思えない見栄えに真琴の表情はきらきらと光る。セレブの街ウォールシーナだからなせることなのだろうか。

 追いついたリヴァイにも女は差し出してきたが、
「俺はいい」
 とリヴァイは軽く手を挙げて断った。店には寄らずに真琴は歩き出し、さっそく食べ始める。
「すっごく美味しい!」
 溜息をつくようしてリヴァイは言う。
「恥ずかしげもなくお前は。貰うだけ貰って店にも入んねぇとはな」

「だって中で食事できるスペースがなかったんだもの。いま買っても傷んじゃうでしょ」
「なるほど。物は言いようだな」
 カップケーキにかぶりついていた真琴の唇がおちょぼ口になる。上目遣いを斜めにしてリヴァイを見た。
「あんまり言わないでよ。だんだん気恥ずかしくなってきちゃったじゃない」
「この場合、一緒にいる奴のほうがじくじたる思いだ」

 クリームがたっぷりと盛られているカップケーキは綺麗に食べるのが難しかった。フォークなしにかじっているので口周りにクリームがついてしまう。
「口さがないんだから。もしかして当てこすり? 食べたかったなら、あなたも貰ったらよかったのに」
「甘いものは苦手でな。そんなもんを丸々一つも食いきれそうにない」
 なるべく口を汚さないように、真琴は向きを変えたりして食べ続ける。それをリヴァイは愛でるような細目で見ていた。
「俺にはこれくらいで充分だ」

 自然なふうに手を伸ばしてきたリヴァイの親指が真琴の唇を触れた。人肌の乾いた指の腹が、口端まで優しく滑っていく。
 そうしてクリームが僅かに付いた親指をリヴァイはぺろりと舐めとった。前に向き直って眉を顰める。
「クソ甘ぇ。貰わなくて正解だったな」

 真琴は眼を見開いて、まじろぎもせずにリヴァイをしげしげと見入った。鯉のように口をパクパクとさせるも、彼の行為に度肝を抜かされているので声が出なかった。
(私っていま何されたの!? この人いま何した!?)

 ちらりと流し目してきたリヴァイの瞳が意地悪そうな眼つきになった。またも口許に手を伸ばしてくる。
「まだ弁当がついてる」
 反復横跳びするような感じで真琴は急ぎ避けた。口周りについているクリームを手の甲でごしごしと拭き取る。
「意地悪そうな顔! さてはわざとね!」
「どうした、顔が真っ赤だぞ。今日はそんなに暑かねぇだろう」

 顔が赤くなっている自覚はあった。誰だってこんなことをされれば赤面する――と真琴は思っているが、相手がリヴァイだから心臓が暴れているのではなかろうか。そっぽを向く。
「私の周囲だけ太陽が頑張っちゃってるみたいね!」
「すげぇかこつけだな」

 しかしながら意地悪やわざとで他人の唇についたものなど口にするだろうか。もとよりリヴァイは潔癖性なのだ。恋人同士であっても嫌いそうな行為に思えるけれど。
 真琴は唇を窄める。「よく平気ね」
「何が」
 リヴァイに涼しく問い返された。
「人の口についたお弁当、よく舐め取れるわね、って言ったの」

 指摘してあげるとリヴァイは呆然としてしまった。おもむろに自分の口許を覆う。ややして何かを探すように視線を彷徨わせた。
「どこかに水はねぇか」
「水? 喉が乾いちゃったの?」
「いや、口を濯ぎたい」
 どうしてと聞くまでもなく、真琴の頬に怒気がよぎる。

「自分でしておいてそれはないでしょ! 言っておきますけど、ちゃんと歯磨きしてますから! 汚くないですから!」
 蒸気機関車が煙突から蒸気を噴き出すような勢いで怒り、真琴はリヴァイを置いて早歩きした。

 リヴァイは口の中が気持ち悪くなって濯ぎたくなったのだろう。しかしまたぞろ意地悪で言ったふうには聞こえず、なぜ真琴の唇を拭ったのだろうと不可解に思っているようであった。なんとはなしにしてしまった行いだったらしい。


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mokuji
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