16.カサブランカの想い

 店が少なくなってきて、代わりに住宅が目につくようになった通りを、二人はのんびりと歩き続けていた。そうして突然現れたのは、地下鉄の入り口のような作りをした階段であった。都市部みたいに地下に店でもあるのだろうか。薄暗い感じが怖いけれど、そんなふうに思わせた。

「あの下って何があるの?」
 気になったので真琴は首を伸ばしながらリヴァイに尋ねてみた。
「地下街だ」
 真琴はぱちっと瞬きをした。入り口の前でおのずと歩みが止まる。
「あれが入り口なの。急にぽっと現れたから意外だったわ。放棄されてるっていうから、金網か何かで塞がれてるようなイメージがあったけど」

「それじゃ出入りできねぇだろ。牢獄みたいなものを想像してたのか」
 気怠そうにポケットに手を入れているリヴァイは、途中で折り返されて先が見えない入り口を見降ろした。言ったことが失礼だったかもしれない、と真琴は両手で口を覆う。
「ごめんなさい。この先にある場所が、あなたの故郷なのよね」

「故郷か」思いを馳せるような瞳には、いつもの強さがなかった。「産まれたのも育ったのも地下だしな、まあ故郷なんだろうが」
「何か変?」
 少し不安になってしまうような翳りがリヴァイの表情に出ていた。リヴァイは緩くかぶりを振り、暗く笑う。
「いいや、変じゃない。ただ言葉がな――言葉の精白さが地下街にはふさわしくないと思っただけだ。もっと嘲るような言い回しがあれば、そっちのほうがお似合いなんだろう」

 一体どんな暮らしをしてきたのだろう。生まれ故郷を卑下するような言い方をするので真琴は心配になった。気分と一致するように雲が太陽を隠してしまったから表情もどんよりしてしまう。
「なんて顔してんだ」
「なんて言ったらいいのかしら。生まれ育った場所って懐かしいものでしょ。もっとキラキラしてて、込み上げてくるものがあるような」

「お前は本当にどこまで行っても」
 首を振りつつ、リヴァイは力なく唇を緩ませた。
「清らかな花にでも囲まれて育ったのか知らねぇが、よっぽど出身地を教えてもらいたいもんだ。人によっては過去を振り返るのが苦痛な奴もいると思い至らねぇのかよ」
「あなたにとって、ここは思い出したくない場所なの?」
「難しい質問だ。どちらとも言えねぇな」

 語尾が風に呑まれてしまう響きだった。悪い思い出ばかりではないということだろうか。懐かしいものの中には両親や友人などが含まれているのだろうと真琴は思った。逆に苦労も多かったのではないかと、おもんばかる暗さも含まれていたが。

「この先って誰でも入れるのよね?」
「何言ってんだ」
 真琴が何を言い出そうとしているのか読んだのだろう。リヴァイは気疎そうにした。
「気まぐれや、くだらない興味本意で行くような場所じゃない」
「興味本意よ。でも気まぐれやくだらない思いからじゃないの」

 怒るとは思っていた。どう言えば分かってくれるだろうか。口にしている真琴でさえ、自分の真意を計り兼ねているのだ。頷かせるだけの説得力ある事柄が頭に浮かばない。ただこれだけは言えた。

「あなたが見て感じたものを、私も見て感じたいと思ったの。あなたのことをもっと知りたいと思ったの。これってくだらないこと?」
 捕らわれたように真琴を見るリヴァイの瞳が、雲の狭間から覗いた陽射しを浴びて揺らめく。
「リヴァイさん?」
 念を入れると、リヴァイは瞬きをして僅かに顔を逸らした。階段をしばし見つめてから小さく口を開く。
「楽しいとこじゃねぇぞ。気前よく菓子を配るような奴もいない」

 言葉の裏に了承を読み取ることができて、真琴は眼差しを微笑ませた。リヴァイの口許が若干苦そうになる。
「言っとくが、お前に知ってもらいたいなどと、俺は思ってない」
「分かってるわ」
「ついでだ」
 真琴は首をかしげた。「ついで?」

「今日は母さんの命日でな。今夜にでも顔を見せにいくつもりでいたから、そのついでだと言った」
 真琴は眼を瞠った。やんわりと非難する。
「そんな大事な日に、特に用事もなく私を誘ったの? だめじゃない」
「一日中墓の前に張りつかなきゃならんもんでもねぇし、特別な日でもない」
「何言ってるのよ、特別でしょう」
 両親に対する真琴の価値観はリヴァイの機嫌を損ねた。舌打ちしかねない唇を曲げてみせる。

「しつこい。命日に俺がどう行動しようが、お前には関係ねぇだろう」
 リヴァイは階段を降りていく。
「暗くなる前に出たい。さっさと行くぞ」
 確かに余計なことだった。おせっかいを反省してついていこうとした真琴は、買い物袋しか下げていないリヴァイを見てふと気になった。

「お花を用意してないけど、地下街で売ってるの?」
「陽が当たんねぇのに草花が育つと思うか。そんなこじゃれた店もない」
「ちょっと買ってくるわ。さっき通り過ぎた所にお花屋さんがあったから」
 降りかけた階段を真琴は逆登りした。げんなりといったふうにリヴァイが振り返る。
「行きがけになんなんだよ、花なんか買ってどうする気だ」

「お墓参りするのに手ぶらなの? 綺麗なお花を供えてさしあげたら、お母さまきっと喜ぶわ」
「そんなもんいらない」
「すぐだから! そこで待ってて!」
 リヴァイがいいと言うのに真琴は聞かないで花屋に向かった。階段のところで佇む彼が、重そうに溜息をついていたなんて知る由もなかった。

 仄暗い階段を深く深く降りていく。幅がさしてないので、花屋で買ってきたカサブランカの香りが周囲に籠り続けていた。
 前を行くリヴァイが振り返らずに言う。
「見通しが悪いから足許には気をつけろ」
「ええ」低い天井を見上げながら頷き、真琴は片腕をさすった。「徐徐にひんやりしてきたわね」
 階段のずっと下のほうから涼しい空気が上がってくるのだ。
「いまの時期はな。冬季は逆に暖かい」

 リヴァイが答えてくれた内容に妙に納得いったのは、しばらくしてからだった。まだ一番下まで辿りついていないのに、低い天井がなくなって辺りがひらけたからである。籠っていたカサブランカの香りが、眼下に現れた街へ拡散して薄まっていった。
「いやに涼しかったのは、ここが鍾乳洞だったからなのね」

 真琴が降りてきた階段は地下街の端だったから天井が低かったのだ。ウォールシーナの真下に広がる街は、青空の代わりに巨大な鍾乳石が数え切れないほど垂れ下がっていた。
 実際にはウォールシーナよりも街の規模は小さいのだろうけれど、まるで合わせ鏡のように、街がまるまる一つ落ちてしまったと表現したくなる。人間の手で作られたものなのか、にわかに信じられないというのが真琴の第一印象だった。
 もともと自然にできた鍾乳洞を利用したのだろうが、縦横に果てしなく広がる空間は、それだけでは説明しきれない。

「本当に人間が掘ったの?」
「文献ではそう伝えられている」
「いつごろ建造されたのかしら」
「名目が巨人に備えての居住施設だったからな、せいぜい百年前後だろう」
 どうも納得いかない。
「壁ができたのが百年前でしょう? いまの技術で、よくここまで掘れたわね」

「いまの技術?」言いながらリヴァイは立ち止まって肩越しに振り返った。
 民家の明かりや外灯で蛍のようにぼんやりと浮かび上がる街。目を奪われてよそ見をしていたために、真琴はリヴァイの背中にぶつかった。
「急に止まらないでよ、危ないでしょう」

 リヴァイの瞳が訝しがっている。
「そんなに疑問に思うことか」
「疑問に思わない? だって大変よ、これほどの規模を掘るだなんて。爆薬を使ったとしても現実的じゃないわね」
 探るような口調のためか、自然と声量を落としてリヴァイは問う。
「現実的じゃないと思うのは、相応の代替案がマコの頭に浮かんだからだろう。それはなんだと言うんだ」

「やだ、どうしてそんな大げさになっちゃうの」
 言い淀み、
「代替案なんてないわよ。ただ不思議な感じがしたからってだけなの」
「二十年以上住み続けてきたが、俺は疑問に思ったことなど一度もない」
「ずっと住んでたからよ、産まれたときからずっとなんでしょう? 私は初めて来たから疑問に思ったというか、不思議な空間だなって思っただけなの。きっとみんなそう思うわ」
 曖昧に笑う真琴を一瞥していたリヴァイは、前に向き直って再び階段を降り始めた。
「そうか、そうなんもんなのかもしれねぇな」

 リヴァイの背中にほっと息をついた真琴も、転がり落ちないように気をつけながら足を進めた。
(文明が発達してなくて、重機もないのに地下を掘れるわけないなんて、言えるはずないわ)
 真琴の世界ならば、掘削技術と掘削機械で容易く再現できるだろうけれど。が、そんな技術はこの世界にはないのだ。せいぜい鉱山を掘るぐらいが関の山だろう。

(ここは大昔の遺産で、文明は一度衰退しているのかしら)
 高度な技術を持っていたとされる滅びた古代の国々が思い浮かんだ。人類は繁栄と衰退を繰り返す生き物なのだ。八五〇年の流れがある国なのに、百年前の歴史が残されていないことが答えな気がしないでもない。

 階段の終着点は関所のようになっていた。強面の男たちが三人立ち構えているが、リヴァイは気にするふうもなく通り過ぎていく。男らを横目で見つつ、真琴も小走りで彼に続いた。
 これで本格的に地下街へ足を踏み入れたわけだが、
「なんなの、あの男の人たち。人相悪いわね」
 関所のほうを振り返りながら真琴はリヴァイに訊いた。

「あれは出入りを管理してる奴らだ」
「地上と地下を行き来してる人を管理してるっていうの。でも何も言われなかったわよ」
「行きはな。問題は地上に出るときだ」
 さすが生まれ故郷というべきか、涼しげな態のリヴァイは足を止めた。
「マコよ、無事に屋敷へ帰りたいなら俺から絶対に離れるなよ。ドブネズミのような暮らしに憧れてるってんなら別だが」

「危ない場所だから?」
「無法地帯だからそれもあるが。地上へ出るときは法外な通行料が必要になる。払えない奴は一生モグラの巣から出られない」
 なんとなく怖くなって真琴はリヴァイのそばにすり寄った。
「だってここって国から放棄されてるんでしょう? どうして通行料なんてものがあるのよ」
「悪知恵が働く奴は地下にもいる。地上への道は数カ所あるが、そこを陣取れば金儲けになるだろう。大抵があくどい商売をしている商会の連中だがな」

 空気が淀んでいる街をリヴァイは見渡す。視界が煙く感じるのは気体の流れが悪いからだろう。
 刺激臭を放つ紫色の煙草煙を吐いた汚らしい男とすれ違った。普通の葉巻には見えなかったので違法薬物かもしれない。
「おおかたの人間は、ここから抜け出したくても抜け出せない。金がねぇんじゃ通行料が払えないだろ。奇跡が起こって地上へ出られたとしても、どのみちまっとうに暮らせるわけがない。国から見捨てられた人間は、結局地下がお似合いってことだ」

 ボロを纏う子供たちが生を感じさせない瞳で路傍に座り込んでいた。そんな光景を目にして、真琴はハンドバッグの持ち手をぎりぎりと握り締めずにはいられなかった。
「見捨てられた人間が産み落とした子供たちも、地下がお似合いなわけ? 生を受けた時から見捨てられてるっていうの? そんなの可怪しいわ」
 物思うようにリヴァイの瞳が伏せた。彼も生まれながらにして国から見捨てられた人間なのだろう。
「どうして国はこんな現状を放っておけるのよ、許せないわ。子供たちに罪はないのよ」

「四年前に、あぶれた難民を平気で戦場に出した奴らだ。こんなの屁とも思わんだろう。体制が変わりでもしない限り、この街はなくならないだろうな」
 衰弱してやせ細っている子供らが不憫で真琴は唇を噛んだ。
「不公平ね……不公平よ」
「人間ってのはそういうもんだ。生まれながらにして格差があり、平等じゃない」
 と言ってから忠告してきた。
「言っておくが同情なんてもんは」

 リヴァイがそう口を開く前に真琴は行動を起こしていた。路傍で踞っている子供たちへ駆け寄って膝を突いたのだ。背後では、ことさら嫌気を差したようにリヴァイがかぶりを振っていた。

 ハンドバッグからクッキーを出して真琴は虚ろな少年に差し出した。
「よかったら食べて」
 が、壁にへたり込んでいる少年の瞳は真琴を見ない。体調がかなり深刻な状態のようだ。
「ねぇ、この辺にお医者様って」
 リヴァイに向かって言いかけた時、どこからともなく子供たちがわらわらと集まってきてしまった。

「ちょうだい! 食べ物ちょうだい!」
 真琴を囲む子供らが小さい手を揺らしてくる。形相は必死そのもので、どの子も飢えているように見えた。人数が予想外で、途端に真琴は困惑する。
「ちょ、ちょっと待ってね。た、足りるかしら、そんなに持ってきてなかったと思うの」
 真琴はバッグの中を漁ってクッキーや飴玉を掴んだ。取り出した瞬間から、小さな手が次々と奪っていく。
「待って、ダメよ! 足りないんだから一つずつじゃないと!」

 声を上げるが、つむじ風に攫われたかのように菓子はなくなってしまった。子供らは生きるか死ぬかの瀬戸際の顔つきで手を突き出してくる。
「ねぇ! 食べ物ちょうだいよ! お腹減ったよ! ちょうだいよ!」
「ご、ごめんね。もうないの」
 迫力に押されて真琴は尻もちをついた。弱り果てる。
「僕まだもらってない!」
「で、でももうないのよ、分かって」

「もうないって言ってんだろう! 散れ!」
 子供たちの輪を突き破ってきたリヴァイが、真琴の腕を取って力任せに引き起こす。掴まれた強さから怒っている気配が伝わってきた。そして子供らへ向かって説くように怒鳴りつける。
「地下の人間が楽して食いもんにありつこうと思うな! 腹が減ってんなら、誰かを殺してでも先立つもんを奪い取れ!」

 怯みながらも真琴は反論する。
「こ、子供たちに物騒なことを教えないでっ」
 子供たちから真琴を引き離し、リヴァイは怒り露わな面容で振り返った。
「いい加減にしろ、てめぇは! いい人ぶった同情があれを招いたんだぞ!」

 真琴ははっとした。さめざめと泣いている声が後ろから聞こえる。泣き叫ぶものではなく、人生を諦めたような暗さがあり、真琴は後ろを振り向けなかった。自分のしたことが、彼らを反対に苦しめて、どん底に落としたのだと認識できたからだった。


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mokuji
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