11.酒の味がするはずなのに1

「なんなのよ、あのおっさん!」
 白い喉を波立たせてマコは蒸留酒を飲む。グラスをテーブルに叩きつけるようにして置いた。
 口笛を吹くような唇を作ってマコが老人を真似る。「背後を気にして歩かないとならなくなりますぞ」
 そのあとで眼を据わらせてリヴァイを睨んでくる。

「上等よ! 返り討ちにしてあげるわ!」
「性格が変わってるが大丈夫か?」
「酒!」
 ずいっと空のロックグラスを突き出してきた。

 やれやれ、と溜息をついたリヴァイは氷を足して蒸留酒を注いでやる。それからラベルが剥がされたワインボトルに手を伸ばす。そこに入っている冷えた水で割ろうとしたらマコがグラスを奪ってきた。

「薄めないでよ、ロックが好きなの!」
「そうは言うが、かなり酔ってるだろ」
「飲まないとやってらんないわ。性悪じいさんめ……思い出しただけで悔しいんだから」
 と正面の空席を睨む。
「酔いつぶれても俺は介抱しないぞ」
「部屋にメイドさんがいるから来てもらえば平気だもの。あなたはつき合ってくれなくて結構よ」

 頬杖を突き、リヴァイはマコを横目しながらまた溜息を零した。熟成した葡萄酒を喉に流す。
 カスパルが去ってからマコはテーブル席で酒を飲み始めた。だんだんペースが早くなり、あっという間にこのざまである。
 こうなる前に力づくで止めさせることもできたが、あえてしなかった。腹が立つ気持ちは分かるし、関係のないリヴァイまでもカスパルは気分を悪くさせてくれたからだ。だから好きに飲ませてやっていた。

(貴族様はいいもん飲んでやがる。俺たちがいつも飲んでるやつなんざヘドロだな)
 ワインボトルを手に取ってラベルを見入る。めったに飲めないであろう上等の葡萄酒を舌で転がしながら、リヴァイは顎や頬に倦怠感を感じていた。

 グラスを置いて頬周りをほぐす。なぜこんなところが疲れているのかは分かっていた。
(気持ち悪いくらいに笑ったな)
 よほどのことがあっても普段は笑ったりなどしないリヴァイが、一生分と思えるくらいの笑顔を今夜だけで作った。それもこれも隣でもじもじしているマコのせいなのだけれど。
 不思議に思う。彼女といると、つい表情が緩んでしまうらしい。

「んー……トイレ」
「吐くのか?」
「違うわよ、生理現象!」
 恥ずかし混じりに怒って、マコはテーブルに両手を突いた。そして椅子から腰を浮かせた。と、眼を閉じてふらりと横に倒れそうになる。

「おい!」
 慌てて腰を上げ、マコの肘を掴んで強く引く。全体重をリヴァイの手に委ねてマコは椅子からくたりと崩れ落ちた。
「どうしたってんだ、急に」
 邪魔な椅子を押しやり、リヴァイは片膝を突いてマコのうなじに腕を回した。睫毛の長い瞼は苦しんでいる様子もなく、安らかに閉ざされている。まるで眠り姫のようだった。

「いきなり睡魔に襲われたとでもいうのか」
 ぽつりと呟くと、相席している夫婦らしき二人の婦人のほうが声をかけてきた。
「気絶されたんじゃなくて?」
 リヴァイは首を伸ばして婦人を見る。
「気絶? なぜ」
「コルセットよ。締めつけがきついんじゃないかしら」

「こうして前触れもなく倒れるものなのか?」
 腰を浮かせた婦人はテーブル越しにマコを覗き込む。
「直前は貧血っぽい症状が出たりするけど、お嬢さんはずっと座ってらしたでしょ。それに相当お酒を飲まれてたし」
 スカート部分の尻に手を回して座り直し、
「立ち上がった拍子に一気にきたのよ。気が昂ってるとなりやすいの」

「びっくりだな、一瞬心臓麻痺でも起こして死んだかと思ったが」
「殿方もお悪いんですよ。嫌なことがあって彼女がお酒を飲みたい気分だとしても放っておいたのだから」
 扇で胸許を仰ぎながら婦人は上品に笑う。どうやらカスパルとのやり取りに居合わせていたようだ。
 夫であろう紳士が鼻の下の髭をいじりながら言う。
「わたしは分からないでもない。男が女を酔わせたくなるのは。な?」

 とても含みのある言い方だった。リヴァイが下心でマコを酔わせたと、そう言いたいのだろうか。絡み酒でうんざりしており、部屋へ連れ込もうとなどとそんな思いは――
 腕に首を凭れるマコを見降ろす。下瞼に睫毛の陰影。半開きの瑞々しいぽてっとした唇。仰け反る真白い喉許。いまや彼女は儚げであった。
 ――そんな思いは微塵もなかったと言えるだろうか。

 胸ポケットから紳士が何やら摘まみ出した。小さい小瓶だ。
「女性が気絶をしたときの気つけ薬だ。貸してあげようか?」
「いや、いい」
 何の成分か分からない。怪しくて他人の薬など使いたくはなかった。
「ただの気絶なら数十分もすれば自力で目覚める。無理に気つけ起こしても、原因を取り除いてやらないとまた繰り返す」

「別室に移動するのか。男にとっては美味しい」
「私も若いころに気絶をして、あなたが介抱してくれたことがきっかけで結婚したのよね。懐かしいわ」
 昔を懐かしむ夫婦に構わず、リヴァイは大広間を見渡した。父親であるフェンデルを探そうと思ったのだが、人が多くて見つからない。

「仕方ねぇか」
 虚脱しているマコの腕を自分の首に掛ける。彼女の膝下に腕を入れて立ち上がった。
「まっ」婦人の声音は小躍りしそうな感情が含まれていた。「軽々と素敵ね」
 マコを横抱きしたリヴァイはまともに相手せずに、
「世話になった」
 空々しく言い置いて大広間をあとにした。
 
 ロビーは壁一面に絵画が飾ってあった。足許の蒼いドレスを、ずしりと揺らすマコを見ずに訊く。
「お前の部屋はどこだ」
 気絶しているのだから返答などあろうはずがない。一応訊いてみたのは、マコが目覚めたときの、こちらの言い分を確保するためであった。気持ち悪い生々しい目を向けてくる、人物画を鑑賞することなく突き進む先は、リヴァイの客室だ。

「マコの親父は見つからない。客室も分からない。俺の部屋へ連れていくしかねぇよな。あとで文句を言うんじゃねぇぞ」
 誰も聞いていないのにリヴァイは小声で喋った。何かに対して言い訳をしてしまう。己の中に僅かな下心が湧いてきているからだった。

 角にあるのは門番のように置かれた甲冑。ロビーから客室方面へ切り替わる目印としてリヴァイが覚えていたものだ。
 首周りからマコの腕がずるりと落ちていきそうになった。彼女の身体を弾ませるようにして一度抱え直した。
 回廊を左へ曲がって大階段を登る。壁の上部はランプで明るい。ガス灯であり、蝋燭やオイルの明るさとは段違いだ。贅沢なものなので内地以外ではお目にかかれない。

 ランプを睨んでリヴァイは舌打ちをする。
「気にいらねぇ」

 貴族たちは自分さえ豊かならそれでいいのだ。だから富裕層が住むウォールシーナばかりが充実していく。彼らは税を搾り取るのみで何もしない。
 階級の高い人間は、国の一大事の際に率先して庶民を守るのが鉄則ではないのか。四年前の掃討作戦の時を思い出すとリヴァイは胸くそ悪くなってくる。溢れた難民をゴミを捨てるように平気で戦場に送り出したのだ。
(てめぇらが、そう王に進言したからだ)

 いくつか並ぶ扉の前でリヴァイは足を止めた。ゆっくりと片膝を突いてマコを固定し、スラックスのポケットから鍵を抜き出す。腕を伸ばして鍵穴に差し込んで回し、扉を少し開けた。
 脚に力を入れて再度マコを横抱きし、背で扉を押して暗い室内に入った。そして肘で扉を閉めた。カーテンが畳まれたままの、窓から差し込んでくる月明かりを頼りに、リヴァイはベッドまで足を進める。

 女を抱き上げるなどリヴァイにとっては容易いが重くないわけではない。サイドテーブル近くで、大仕事し終えたとばかりにベッドに腰掛けた。
 数十分経つがマコはまだ気絶したままである。薄闇の中では二人とも青白く見えて彼女の顔色の悪さが分からない。
 ベッドメイキングされたペイズリー柄のカバーの上で、両脚のあいだに収まっているマコはリヴァイの肩にくたりと身を寄せている。

 ドレスを脱がしてやらないとコルセットを緩めてあげられない。応急措置とはいえ、恋人でもなんでもない男が行ってよいものか。
 リヴァイは少し迷ってから、マコの背中に腕を回して小さな釦を外していった。背骨の凹凸が見える素肌はほくろや染みが一つも見当たらなかった。繊細な刺繍が施されているドレスの胸部は、釦を外していくリヴァイを拒むように、極細の糸が爪に引っ掛かってくる。

「ったく」
 若干苛々するのは焦れったいからに違いない。マコに何かする気などないのに、陶器のような白い背中を早く曝けだしてみたい、と心の奥底で思っているからであった。
 腰許の下まで全部釦を外した。はだけたドレスの狭間からレースのコルセットが覗いている。ぎちぎちに締め上げられている紐の結び目にリヴァイは手を掛けた。

「……ん」
 少し眉を寄せ、マコがリヴァイの胸の中で小さく身じろぎした。意識が戻ってきたようだ。
 紐は固結びになっており、解くのに時間がかかりそうだった。ポケットから折りたたみナイフを取り出して、クロスしているコルセットの紐に引っ掛ける。

「紐を切るが構わないよな。早く楽になりたいだろう?」
 顔に向かって囁いたがマコが相槌する素振りをみせることはなかった。紐に刃先を引っ掛けたまま、やはりリヴァイはまた迷った。

 身体の柔らかさを一切感じさせなくしている補正下着。どこを掠ろうが手触りは固くて、谷間が覗く両胸を触れようものなら、厚かましいと言わんばかりにリヴァイの指を弾いてくるのだろう。女にとって己の純潔を守る最後の砦であろうことは言うまでもなく、さらにはリヴァイにとっての欲求を封じ込める砦でもあった。
(そうは言ってもな)

 体調不良をきたすほど苦しいのに放っておくのは忍びない。ややして躊躇いを断ち切るようにリヴァイは手に力を入れた。
 滑りが悪い紐は一箇所切っただけでは緩まない。次々とクロス部分を切っていく。横に開いていくコルセットの隙間から、ごく薄い肌着がちらりと現れた。下に何か纏っていたことにほっとしつつも、透ける肌がリヴァイの身内を昂らせていくのを感じていた。

 真ん中の結び目まで切ると楽になってきたのか。たまに身じろぎをしていたマコの肩が弛緩した。
 下まで紐を全部切って、
「コルセットを引き抜く、構わないな」
 リヴァイは再度念を押してから横から引き抜いたのだった。


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mokuji
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