29.凶悪顔も睡眠時は人の子

 真琴がやる雑用はいっぱいあった。思いのほか重労働ですっかりくたびれてしまい、リヴァイのベッドで午睡していた。
 柔らかい枕の下に腕を潜り込ませて、横顔との密着度を高める。そうすると、洗い立てのシャボンの香りに混ざってリヴァイの匂いが包み込んでくれるのだ。彼の匂いは心から安心でき、怖い夢を見ることもなく、快眠を得られた。
 窓の外は太陽が傾きかけていた。十五時の小休憩が近い。裏山のほうでチームワークの訓練をしているリヴァイたちが、そろそろ古城に戻ってくるころだろう。

 真琴はすっかり眠りこけていた。廊下のほうからリズミカルな靴音が近づいてくる。戸のない枠組みから姿を見せたのはリヴァイだった。
 リヴァイは戸口で立ち止まり、眼を大きくした。多少びっくりしたような顔をしたが、一拍していつもの無表情に戻った。僅かだが、頬に温和さが差す。
「姿が見えねぇから、どこへ行ったんだと思いきや」
 ベッドまでまっすぐ進み、横向きで身体を丸めている真琴の頬を、手の甲で撫でる。
「自分の部屋があるだろうが」

 リヴァイは外套を脱いで、窓際にある椅子の背凭れに掛けた。彼がベッドに腰掛けると、若干揺れた。大口になるのを我慢するような顔つきで、あくびをする。
「少しだけ俺も寝るか」
 小休憩は二十分しかないから、おそらく昼寝などする気はなかったろう。真琴が気持ちよく寝ているから、あくびが人に移ってしまうように、眠気が移ったのかもしれない。
 脱いだジャケットを机に放り投げ、リヴァイは毛布の中へ滑り込んだ。先に寝ていた真琴がいるから、ベッドの中はぬくかった。

 窓のほうを向いている真琴と同じ向きで、リヴァイは脇の下から腕を差し込んだ。強く抱き寄せられるようにされ、反射的に真琴は嫌がって身じろぎした。
「ん〜」
 リヴァイの腕が熱いものに触れたように僅かに浮く。はっとさせられたようだったが、
「そう嫌がるな、悪かった」
 今度は力を弱めた腕でリヴァイは優しく包み込んだ。耳の裏に口づけを落としてから、真琴の肩口に顔を埋めた。

 やはりリヴァイの匂いがあると怖い夢でうなされることはない。そう思って、良く寝た気分で真琴は瞼を開けた。
(あれ?)
 薄くしか嗅ぎ取れなかったリヴァイの匂いが、いやに濃い。加えて胸部の側面が重苦しく、肋骨に鈍い痛みがある。
 自分の腕よりも一・五倍くらいの幅の白い長袖の腕が、真琴を緩めに包んでいることに、遅れて気づいた。背中が温かくて、規則的に上下している気配が伝ってくる。肩口から静かな呼吸音も。
(こういうことされるなんて、想像できなかった)

 穏やか過ぎる午後。机に置いてある小さな時計を見ると、十五時四十分だった。小休憩後の訓練はもう始まっていると思う。起こしたほうがいいだろうか。
 最小限の動きで、真琴は寝返りをした。リヴァイの腕に少し力が入ったから、瞬時に全身が棒のようになる。
(起きちゃった?)
 起こそうかと思っていたのにひやひやした。真琴の胸許はリヴァイの腕によって絞り上げられる。
(苦しいってばっ。もしかして狸寝入り!?)
 首筋に顔をすり寄せてきたあと、リヴァイは動かなくなった。レム睡眠からノンレム睡眠に入ったようだった。

 真琴はリヴァイの横顔を窺った。ぐっすりで、ここがサバンナだったならライオンの餌食になってしまうと思った。凶悪顔も睡眠時は人の子。そんな寝顔を見つめていると、温かい気持ちが胸に満ちていく。
「私と一緒だと、安心して眠れるの?」
 小声で囁き、指先でリヴァイの前髪をそっと梳いた。

 踵の音らしい反響音が真琴の耳に届いた。いつまで経っても集合場所に現れないリヴァイを、きっと班員が迎えにきたのだろうと、すぐに思い至った。
 兄妹ということになっているのに、一緒に寝ている場面を見られてしまう。どうしよう、でもこの幸福感から抜け出したくない、どうしよう。

「リヴァイ兵長。みなさんもう集まってますが」
 戸口からひょいと顔を出したのは、いくらか息が乱れているエレンだった。ほっぺたが紅潮しているので、階段を駆け上がってきたのかもしれない。
「えっ――」
 エレンは真琴たちを見た途端、にわかに驚きの声を上げそうになって、慌てて口を塞いだ。
 真琴は動揺した。慌てて両手を振りつつ、パクパクと空気を食べる。
(ち、違うの! これはね、私の本意ではなく! とにかくみんなには黙ってて! できるなら記憶から消去して!)

 どこまで以心伝心したか。どんぐりの瞳を丸くさせたまま、エレンはこくこくと頷いた。口許をむんずと掴んで、それが誰にも言わないというふうな仕草に見えた。
 真琴が不安いっぱいに眼で問うと、エレンは微妙にはにかんで戻っていった。おそらく意思は通じたようで、リヴァイ班のみんなには午後の訓練は休むと巧く言ってくれるに違いない、と都合のいいほうに思うことにした。

「エレンに見られちゃった。どうする?」
 ちっとも気づかずに眠ったままのリヴァイに甘く囁いてみる。
「ま、いっか」
 リヴァイの下瞼に、指先をそろりと這わせる。夜を共にするようになってから、彼の濃かった隈が薄くなった。
 互いにそばにいるだけで、真琴は悪夢を見ることなく安眠できる。リヴァイもきっと、そのときだけ重圧から解放されて安眠できる。
(二人で一つになった気分)
 人間は脆いからこそ片割れを欲し、支え合うのだろうと思う。

 いつの間にか、空を支配していたのは月だった。
「起きろ、寝坊助」
 真琴はリヴァイに揺り起こされて二度寝から目を覚ました。
「あれ? 部屋が暗い。なんで」
「寝ぼけてんじゃねぇよ、もう晩飯時だ」
 半身を起こしているリヴァイの膝許には毛布が掛かっていた。彼も寝起きから数分も経っていなさそうに見えた。焦っている感じで、吊り上がった目尻がちょっと怒っている。

「どうなってる。なんでこんな時間まで」
 ぼやき、リヴァイは舌打ちして片手で頭を抱えた。
「なぜ起こさなかった」
 真琴は上半身を起こした。まだ怠い。
「だって私も寝てたから」片眼を擦る。「そうだ、エレンが迎えにきたけど」
「はあ!?」
 リヴァイが大きな声を出すから真琴は耳を塞いだ。
「鼓膜が破れる〜」

「てめぇ、どういうこった。迎えにきたのを知ってて、なぜそのときに起こさない」
「だって良く寝てたから、起こすのは忍びなかったんだもの。真面目ね。一回くらい訓練をお休みしちゃっても、平気よ。いつも頑張ってるんだから」
「頓珍漢なことをほざいてんじゃねぇ」
 吐き捨てて、リヴァイは大きな溜息とともに項垂れた。訓練を休んでしまったことを、焦っているのではないことぐらい分かる。
「見られたのかよ、エレンに……」

「見られちゃった」
 音符をつけた気分で首を傾けると、リヴァイはきっ、と睨み据えてきた。暗い部屋で、夜行性の獣のように瞳が光る。
「いますぐ荷物をまとめろ」
「なんで」
「そして屋敷へ帰れ」

 冗談に聞こえなくて、真琴は慌てふためいた。寝起きだからってふざけすぎた。
 真琴はリヴァイに詰め寄る。
「大丈夫だってば。見られたのはエレンだったんだから。彼が言いふらしたりする子に見える?」
「駄目だ。お前がいると、周りの秩序が乱れる」
 さもいかがわしいもののように言われて、真琴は唇を突き出した。
「秩序が乱れてるのは、あなただけでしょ」
「俺が?」
 片眉をぴくりとし、リヴァイは意外そうにした。真琴が顔を突き出すと、顎を引いて仰け反った。

「ええ。私がいても、みんなは調和を保ってるわ。あとからベッドに潜り込んできたのは誰かしら?」言葉を強調する。「はっきり言ったら? 私がそばにいると、惑わされるんだ、って」
 リヴァイは呆気にとられた。
「お前のそういう勝ち誇った態度に、何度呆れたろうな」
 真琴はリヴァイの胸に縋って、必死に懇願する。弱々しい声になってしまった。
「帰りたくないんだもん」

 はぁ、と長い溜息をつかれ、リヴァイの手が真琴の背中をさすった。
「エレンは本当に大丈夫なんだろうな」
「なんか口を結んでたから。微笑んでもくれたし」
「念のため脅しておくとして。幼なじみとは……もう思ってねぇか」また項垂れる。「食堂に行くのが憂鬱だ。昼寝など二度とするか」
 そのまえに、とリヴァイは疲れた眼つきで扉口を振り返った。
「扉を入れる。早急に」


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mokuji
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