26.からかいたかったのは本当はどちら

 朝の支度をしに、エルドたちはぞろぞろと古城へと戻っていった。真琴はリヴァイと馬小屋へ向かう。
 風が獣の臭いを運んできた。そこにはボロが目立つ屋根つきの厩に六頭の馬が繋がれていて、空いている場所にビアンカを繋いだ。一頭だけ白いと非常に際立って見える。だからいじめられるのでないかと真琴を心配にさせた。

「みんなと仲良くするのよ。新参なんだから大人しくね」
「調査兵団の馬は陰湿なことはしない。馬に上下関係があるとも思えねぇ、大丈夫だろ」
「みんながいい子なのは、よく分かってるけど……念のためよ」
 ビアンカの眉間を指先で愛でていると、横から飼葉の束を突き出される。
「兄のために、身を粉にするつもりで手伝いにきたんだったな。ほら、早速エサやりの仕事だ」

「もちろんちゃんと働くつもりでいるわ。あなたにただ会いにきただけじゃないもの」
 重量のある飼葉を受け取り、一頭分ずつの量を桶に移して馬に与えていく。
「何もなければ、こんな怒られるようなことしない」
「分かってる。俺に用があったんだろう」
 リヴァイは背後にある堀井戸に桶を放り投げて、水を汲み上げる。釣瓶を引き上げると、錆びついた滑車が軋みを上げ始めた。
「バケツをよこせ。寒いから飲むか分かんねぇが、こいつらに水をやる」
「うん」
 いくつか重ねた桶を、真琴は彼の足許まで運んだ。
「ここに置いとくね」

 汲み上げた地下水を馬用の桶に入れ替え、それを持ったリヴァイが隣に立った。水を置くと待ってましたとばかりに馬は桶に顔を突っ込んで飲み出した。
 二人してしゃがみ込んで、悩みなんてなさそうな暢気な馬を眺める。
「ったく、おっかねぇ。お前の口から何が飛び出すのやら。耐性はついたつもりだが」
「私って、すっかりそういうポジションなの?」
「いまに始まったことじゃなく、お前に関しては心労が絶えん。そういうのもあって、目が離せないから気になっちまうんだろう」

 目を丸くしてから、真琴はリヴァイを見て優艶に笑う。
「どきっとしちゃった。いまのは愛の告白?」
「悪ガキを持つ、苦労の尽きない親の思いだ」
 ちょっと意地悪な眼つきでリヴァイもさらっと微笑んだ。
 真琴は藁を猫じゃらしに見立てて揺らし、馬の優しい瞳を見つめて言う。
「ごめんなさい、いつもあなたを煩わせて。でも今回は違うの、安心してね」
「内容を聞くまでは安心できねぇな」

 真琴とマコを演じ分けたほうがいいのかと、少し躊躇してから口にした。
「親戚の真琴がね、エルヴィン団長からあなた宛の書類を預かったの。でも急用ができて、ここへ来れなくなっちゃったから、私が代わりに届けにきたの」
「そりゃわざわざご苦労だった」
「ううん。たいしたことないから」真琴は首を緩く振りつつ、エルヴィンから休暇をもらったことをどう話すか迷った。中央憲兵に監視されていると知ったらリヴァイにまた心配をかけさせてしまうだろうか。

 リヴァイにふいに顎を捉えられた。確認するように問われる。
「それだけか? ほかに黙っていることは?」
「……ない」
 せっかく聞き出そうとしてくれたのに、真琴はまた堅物な返し方をしてしまった。本当は不安でたまらないのに。
 リヴァイは諦め感のある大きな溜息をついた。
「エルヴィンから預かったという書類、いまここで見る」
 と手のひらを出してきたので、真琴は立ち上がって脇に置いてある荷物から茶封筒を出した。リヴァイに手渡すと、裏表を見て訝る。
「封がされていない。おまえ開けたのか?」

「やあね、人の手紙なんてみないわよ。もとからそうだったらしいわ、糊がないとかで」
「無頓着すぎる。何考えてんだ、エルヴィンの奴。中身がどういうもんだか知らんが」
 遠い場所にいるエルヴィンに悪態をつき、リヴァイは茶封筒に手を差し込んだ。「――っつ!」瞬間、熱いものに触れたかのように手を引っ込める。
「どうかした?」
 リヴァイは眉根を寄せて手を見降ろしている。手の甲には白っぽい無数の擦り跡ができていた。

「何それ、どうしたの? さっきまでそんな跡なかったわよね」
「さっきまではな」
 そう言ってリヴァイが茶封筒の口を慎重に覗いた。「なるほど」と呟いた彼は茶封筒を脇に挟み、真琴の両手をいきなり取って観察し出す。
「なあに? 人の手をじっくり見て」
「中身を見ていないというお前の言葉、本当だったようだ」
「疑ってたの? 失礼しちゃうわ!」
 リヴァイの手を払って真琴はぷんすかしてみせた。

「そうじゃないが。この茶封筒がマコの信用を作ったらしい。どうやらエルヴィンから信用を得たようだ――俺の報告をあいつが真に受ければ、だがな」
「どういうこと?」
 苦りきった顔つきでリヴァイは手の甲に指を滑らせる。
「クソっ、血が出てきやがった。どんだけ鋭利なもんを仕込んでだ。手加減ぐらいしやがれ」
「説明してよ、何が何だか全然分からないんだけど」
 ポケットからハンカチを出して彼の手に置くと、リヴァイはそれを擦り跡に押し当てた。茶封筒に目配せする。

「中の口周りを覗いてみろ。手は入れるな」
「何があるっていうのよ。引っ掻いてくるような虫でも入ってるっていうの?」
 彼の脇から茶封筒を抜き取り、両手でその端を持って軽く押す。菱形のように開いた口の内側、数センチ下に、ぐるっと黒灰の粒子が張り巡らされている。それは細かくきらきらと光っていた。

「……研磨紙?」
 粗目の研磨紙が、茶封筒の内側に張られていたのだった。知らずに手を入れて書類を引き出そうとすれば、手の表裏に細かな傷がつくという寸法だろう。擦り跡や傷があれば、中身を見たという証拠を残せる。
 確実な罠ではなく、言い逃れる方法はいくらだってあると思われた。が、ここまでの様子や器用でない真琴の性質から、リヴァイが正しい判断をすることは容易であり、また充分な仕掛けであったといえた。

 真琴の口許はへの字になっていく。
「試されたの、私」
「中身の書類について、何て言われて渡された」
「次の壁外調査に関することだって。重要なものだろうから封をしてくださいって、糊がないなら貸しますからって言ったのに。いいって首を横に振ったの」
 真琴は顔を伏せた。茶封筒をぐしゃりと握りつぶしそうになっていた。
「可怪しいとは思ってたのよ、私に頼んだ時点で。……悔しい」

「とりあえずはいいじゃねぇか。俺がすべて報告しておく。あいつももう、余計に疑ったりはしないだろう」
 優しい手つきで髪を撫でてきたリヴァイに気づいて真琴は顔を上げた。急いで言い直す。
「って、真琴が嘆いてたわ」
「想像がつく。あとでねぎらってやらねぇとな」
 真琴の頭からうなじへと、リヴァイは手を滑らせながら引き寄せた。そうして慰めるような口づけを、こめかみに落としたのだった。

 兵団内でないとはいえ、規律を重んじるリヴァイに一日の予定を狂わすという文字はなかった。押した時間を取り戻すために急ピッチでされた朝食は、いつもと比べてかなり簡単なものだった。
 物足りない朝食を胃におさめたあとは、真琴の使う部屋の掃除に取りかかることとなった。部屋の主となる本人のほかに、リヴァイが選んだお手伝いはエレンだった。

「エレン。そこの隅っこにネズミの死骸がある。お前が拾え」
 埃を吸わないように、目許から下を布で覆っているリヴァイが命令した。第一発見者のくせに自分から拾おうとはせず、嫌忌を纏う下瞼に小皺を増やして箒で指し示している。
「俺がですか。……頑張ってみます」
 エレンは古びたベッドの隙間を怖々と覗き込んだ。それから鳥肌を立て、金切り声を上げながら箒で掻き出そうとしている。
「ああ、ミイラになってる」

「巨人と比べりゃ屁だろう。みっともねぇ声を出すんじゃねぇ」
「だってこれ、でかいし」
 言いかけたエレンは刹那、悲鳴を上げて内股で間抜けに足踏みをした。掻き出された勢いで転がり出てきたネズミの死骸を怖がったのだ。
「だっ、だらしねぇ。精神の鍛え方が足りない」
 と腕を組んで言ったリヴァイも、ネズミの死骸が飛び出してきた瞬間に肩を痙攣させたのを、真琴は見逃していなかった。
(男の人って、こういうのが案外ダメなのよね)

 嫌悪感が帯びる苛々した口調でリヴァイは言う。
「そいつをさっさとゴミ袋に捨てろ」
「な、何か掴むもの。トング、トングは」
 頭を振ってエレンは探す。
「手で掴め、そのぐらい」
「む、無茶言わないでくださいよ。だったら聞きますけど、リヴァイ兵長なら素手で掴めるんですか」
「……朝飯前だ」

 そこでエレンが食いつかなかったのはリヴァイの微妙な沈黙を察したからだろう。「なら、兵長がやってくださいよ」とでも言おうものなら窓から突き落とされたかもしれない。
 無足な押し問答で掃除が止まってしまった。薪に代わって埃が積もっている暖炉の、マントルピース上に置かれているトングを真琴は手に持つ。

「もういい。どいて、私がやるから」
「あ、女の人にそんなことはさせられません」
 エレンを横切った拍子にそう言われたが、真琴はゴミ袋を片手にネズミの死骸をさっそうと掴んで捨てた。真琴だってネズミの死骸が怖かったけれど、男たちが役に立たないと分かれば不思議と義侠心に駆られたのだった。

 片手を腰に当て、真琴は首を傾ける。
「だらしないのは、どなたかしら?」
「ああ? 俺の潔癖性を知ってるだろう。エレンは単なるびびりだが、俺は違う」
「肩がびくってなってたけど?」
「見間違いだ、くだらねぇ」
 リヴァイは背中を向いてしまい、箒で暖炉の埃を掻き出し始めた。

「いじけちゃったかな?」
 内緒話するようにエレンに悪戯顔で囁いた。とりあえず掃除をしているというふうな体裁で箒を揺らす彼は、裏表なく目尻を下げる。
「女の人って、ここぞというときに強いものなんですね」
「平気そうに見えた? 私だって鳥肌立ちそうだったのよ」
「それにしたって怖いもの知らずですよ。審議のときだって、リヴァイ兵長に殴りかかってましたし」

「エレン」
 横やりを入れたのは、暖炉を雑巾掛けしているリヴァイの背中。
「審議でのこと、あいつらには他言無用だ」
「やっぱり、義理の妹さんっていうのは嘘なんですね」
「クソガキ。お前、マコのことを憎んでるか」
 審議の場で、真琴がエレンを糾弾したときのことを言っているのだと思った。エレンは箒を持つ手の両脇を締めて、混じりけのない瞳で真琴を見る。

「いえ。それにあれは、一般的な意見だと思ってます。実は巨人になれるんだって知れば、普通は恐れます」
「利口過ぎて気味が悪ぃな。そうやって油断させて、寝首を掻こうって魂胆とも取れる」
「呆れちゃう! あなたの脳内って、どうしてそう意地悪く――」
「マコさんっ」エレンが物申しかけて迫り出した真琴の肩を止めた。「あれはたぶん、リヴァイ兵長のただの毒舌です」
 と苦笑する。

 リヴァイは肩越しに振り向いて真琴を軽んじるような薄目をした。
「ふん」
 鼻を鳴らしてから真っ黒な雑巾をバケツに放り投げる。
「あれは、調査兵団がエレンを手に入れる切り札を出すための前座だ。前もって俺とマコで口裏を合わせてた。嫌な役目を強要させられて、さざかしこいつは胸が痛んだろうよ」
「リヴァイ……」真琴はその名をしみじみと口ずさんだ。不器用ながら彼はエレンとのわだかまりを溶かそうとしてくれているらしい。

「そうだったんですか」エレンはひどく晴れやかに歯を見せて笑う。「ホントはちょっぴり気にしてたんです、俺のことをすごい嫌ってたよな、って。でもよかった、これで普通に接しられる」
「ホントに、あの日はごめんなさい。エレン君のこと、化け物なんてこれっぽっちも思ってないから」
 真琴が詰め寄ると、エレンは気まずそうに眉を下げた。
「俺こそ、すみませんでした。そんな立ち回りだとは知らずに、生意気なことを言ってしまって」
「馴れ合ってないで、手を動かせ」

 仲直りが巧くいったところでリヴァイにせっつかれ、再び部屋の片付けに取りかかった。ふとエレンが上目した。
「あれ? でもそうするとマコさんが旧本部に来たのは」
「本人が言ってたろう。もろもろの手伝いだ」
「それはそうなんでしょうけど、でもなんでマコさんなんですか?」
「でもでも、なんでなんでと、面倒くせぇガキだな。だから――」
 もやくやとリヴァイが振り向いたとき、真琴はエレンにこしょこしょと耳打ちをしていたのだった。
「何を言ってる」

 いいタイミングでリヴァイが気づいてくれ、ほくほく気分で真琴はエレンからそっと離れる。そしてエレンはびっくり顔を片手で隠した。
「そうなんですか!?」
「うんうんっ」満面の笑顔で真琴は頷いた。
「おい、マコ。ガキに何を言った」
「お二人ってそんなに深い関係だったんですね!」
 しかしエレンは少し考える。
「でもそっか、そうじゃないとリヴァイ兵長を殴ろうなんてできないよな」

 リヴァイは尻に火がついたように立ち上がって、真琴に言い寄った。
「お前、俺たちのことを、何と説明したんだっ」
「べつに〜」
 笑いをこらえている真琴に代わり、エレンが屈託なく答えた。
「地下街時代からの幼なじみで、兵長がまだ赤ん坊のときは、おしめを代えてあげたこともあるとか」

「おしめ?」
 リヴァイは唖然と眼をしばたたいてから、沈着なさまでエレンの肩付近を小突いた。
「嘘をつかれたんだと気づけ。俺とこいつの年齢差を考えろ、おしめを代えるどころか、こいつは産まれてもいない。逆ならありえるが」
「あっ」
 気づかされて、エレンはほうけた声を零した。「……からかわれたんですね、俺」
「どいつもこいつも間抜けだらけかよ」
「でもでも、幼なじみっていうのは本当よ」

 真琴がからかいたかったのは本当はどちらだったのか。リヴァイの腕にさりげなく手を絡ませて、唇であだっぽくささめく。

「私とあなたの関係を、どう言われちゃうと思った?」
 無感情を装っているのか、真琴を見つめるリヴァイの薄い唇はなかなか開かない。
「なんて言われると思って、焦ったの?」
「焦る? 俺が? なぜ」
「恋人、って言われたらどうしよう――とか?」
「馬鹿言え」
 リヴァイは毒素のない暴言を小さく言い、バケツの前でしゃがんで雑巾を絞る。

 真琴は両の膝頭に手を置いて屈んだ。彼の広い背中から横顔を覗き込む。
「そう言われちゃってたら、あなたどうした?」
「まだ続けるか。しつこい女は嫌いだ」
「全力で否定した? あるいは肯定してた?」
「おっと手許が」
「きゃっ」
 からかうことをやめない真琴の顔に、突として汚水が散りかかってきた。それで片手を挙げて片目を瞑った。バケツの水をリヴァイが手で掬い飛ばしてきたのである。

「やだ、もう〜。その水って相当汚いわよ。女性にそういうことする?」
「手許が狂った」
「絶対うそっ」
「無駄口叩いてるからそうなる」
「やっぱりわざとなんじゃないっ」
 非難はあくまでもポーズであり、真琴は幼児のように喜んだ。なんだかんだで構ってくれるリヴァイに抱きつきたくなってしまうが、そんなことをしたらバケツごと投げつけてくるかもしれない。

 エレンはゴミをちりとりで掬いとりつつ、異文化に触れたような面持ちでぽかんとしていた。箒の毛先とちりとりの面がずれていて、せっかく掻き集めたゴミが散らかりつつあった。
「幼なじみって、あんなに仲いいもんなんだ。アルミンは別として、俺とミカサって特殊なのかな」
「おい、エレン。掃除してんのに散らかしてんじゃねぇ」
「す、すみません!」


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