22.生き映したような色つきの写真

 沈黙が落ちた。真琴は乾いた唇を舐めて馬鹿みたいに笑う。
「指名手配? そんな情報聞いたことないよ。それに今日だって、憲兵団の施設内を堂々と歩いてきたんだよ。もし本当なら、とっくに捕まってるよ」
「調査兵の真琴としてじゃないからだよ。あれ?」
 言ったアニは自分の発言を怪訝そうにした。
「あんたが男装してるのって、指名手配が原因だからじゃないの?」
「え?」

 男装する理由をアニが不思議そうにしたのは、逃げているためだと思ったかららしい。
「それって女であるボクが、指名手配されてるってこと?」
「ほんとに知らなかったんだ」

(なんでマコが指名手配?)
 思いつく理由を探してみる。秘密結社関係で、憲兵団本部に侵入したときの殺人容疑でもかけられているのだろうか。とすると、いままで平穏無事にいられたのは、あまり意味のない男装のおかげということになる。

 楽天家ではないけれど、真琴の心拍数は常時とさほど変わらなかった。「指名手配」というアニの最初の言葉に、一時は深刻な気分に襲われたが。
(だって普通じゃないことばっかり起きるだもん)
 日常ではありえないことに巻き込まれてきたため、耐性でもついてしまったのだろうかと、ちょっと笑いそうだった。

「いま考えてみたら心当たりがあった。女でいることはあんまりないから、それでもまあ気をつけるけど」
 アニは眉を寄せて由々しきそうにする。
「笑っていられる状況じゃないと思うけど」
「だってさ、今日まで平気だったんだよ。街を歩いてたって、憲兵に尋問されたことすらないし」
「言い忘れたけど、相手は憲兵団じゃないよ。中央憲兵団なんだから。これがどういうことだか分かってんの」
「中央って」

 真琴は口籠った。楽天的な要素が身体から少しずつ抜けていき、代わりに体感温度が下がっていく。
「そうなの?」
(でもなんでアニの口から中央憲兵団の名前が出てくるの?)
 憲兵団と中央憲兵団は横の繋がりがあるのかもしれない。それを考慮してみると、どうして中央憲兵団がマコを指名手配しているのかも見えてきそうだった。
(これかな? 殺人容疑のあるマコの逮捕を、憲兵団が中央憲兵団に応援を要請したのね)

「憲兵団と中央憲兵団ってツーツーなんだね。情報が流れちゃったのかも」
「繋がりなんてないよ、情報の交換なんてしない。名前は似てるけど、まったく別の組織と思っていい。憲兵団でさえ、中央憲兵団が何をしているか把握してないんだから」

 協力関係にはないらしい。となると可怪しいのは殺人容疑の可能性が消えてしまうことで、では一体何のための指名手配なのかということだ。もっと可怪しく思うのは、そんな情報を繋がりのない憲兵団であるアニが知っているということだった。

「だとするとボクに心当たりはないな。女で中央憲兵団に睨まれるようなことをした覚えはないんだけど」
 ねぇ、と真琴は窺う。
「どこでその情報を知ったの? 憲兵団と一切繋がりがないんでしょ。中央憲兵団はほとんど表に出てこないって聞いたんだけど」

 ぴったり合わさったアニの唇は、力を入れているのかやや白っぽい。つい話しすぎてしまったのか。
 アニの不可解な行動の原因が分かった気がした。黒い影がちらつく怪しい事件は、すべて裏の組織である中央憲兵団が絡んでいるのではなかろうか。

 真琴は恐る恐る訊いてみる。
「スパイなの?」
 こんな若い子が実は中央憲兵団だった、とは考えにくい。
「雇われてるとか? そうだな……脅されてるとかそんな感じなんじゃないの?」
 アニは痛そうに眉を寄せてはっと眼を見開いた。視線を泳がせ、膝の上にある両手の落ち着きがなくなる。
「そうなんだ。巨人を始末したのも、彼らにそう強要されたからなんだ」

「黙って」
「アニの意志じゃないんだ」
「しつこいよ」
「脅されてるんなら、何か大事なものを人質に取られてるよね。それって両親とか兄弟なんじゃないの。ねえ、困ってるならエルヴィン団長に」
 訊いた瞬間、アニががばっと腰を上げた。

「首を突っ込まないほうがいいって、忠告しなかった?」
 堅く青ざめた面容で、アニは血の気のなくなった口許に片手を持っていった。捲れた唇から白い歯が覗き、八重歯が手の甲に食い込む。その仕草は、巨人化するときのエレンが行う自傷行為と映像が重なった。

「!!」
 怖くなって真琴は逃げようとした。が、膝が笑っていて椅子から転がり落ちただけだった。しんとなった室内でカーテンが風にそよぐ。
 驚愕に開ききった口が塞がらない。真琴は床に両手を突いてアニを見上げた。手の甲に歯を立てているアニは、巨人になどならなかった。

 真琴の乾いた笑いが沈黙を破った。
「と、突然立ち上がるから、び、びっくりしちゃったじゃない」
「エレンはこうやって巨人に化けるんだってね」
「うん、そうらしいね。アニも知ってたんだ……」

 堅い表情を崩したアニはだらんと手を落とし、ベッドに腰を降ろした。
「情けな。漫才みたいな慌てふためきよう。私が巨人化するとでも思った?」
「アニが? まさか。そんなことありえないんだから思うわけないよ。びっくりしただけ。無様に転んじゃった。か、かっこ悪いね」
 髪を撫でつけて真琴は自分を笑った。だというのに乾いた笑いだったのは、どこかで疑心暗鬼になっているからであった。

 手の甲に傷をつけようとしたアニの表情は真に迫るものだった。ふざけているようには見えず、かといってただ脅そうしただけにも見えず、本気に見えた。「まさか」と笑いそうになるが、彼女は巨人化できるのではないかと疑雲が胸に広がり続けており、晴れてくれないのだ。

 畳んである布をアニは手に取って広げた。枕カバーだったようで、生成り色の枕に入れ始める。
「ありえないってどうして言えるの。そんなこと言ったら、エレンだってありえなかったでしょ」
「クールすぎる悪ふざけはやめようよ。ボクって冗談通じない人だから、うまくボケられないし。そもそもアニは女の子で、まだ十六歳じゃない」
「女、男って関係あるの。エレンだって十六だよ」
「そうだけど〜」

 アニに混迷させられる。真琴は断ち切るように両膝を叩いて明るく一方的に言った。
「もう終わり! アニは何も話したくなかったんだよね、だから意地悪言うんでしょ。分かった、もう聞かない。だからこれで終わり。ね!」
「ねぇ、エレンって元気にしてるの」
「また唐突に。どうしたの」
「いまどこにいるんだろうって思って」

(アニってエレンのことが好きなのかしら。色々悩みがあるとしたら、顔も見たくなるよね。分かる、分かるな〜。会わせてあげたいけど、でもこれは極秘なのよね)
「ごめん、ボクも知らない」
 アニが抱きしめている枕が潰れていく。
「そう……。今度の壁外遠征……ホントに新兵を連れていくつもりなのかな。やめればいいのに」

 真琴はほっと溜息をついた。
「みんなのことが心配なんだね。よかった、なんだか安心しちゃった。やっぱりアニはアニだ。大丈夫だよ。ひいひい言ってるけど、ジャンたちは訓練を頑張ってるから」
「バカだよね、あんたって。ほんっとめでたい」
「え?」
「なのに憎めないね。うざいけど、邪険にしたいとも思わないし。それって得してる。私には欠如してる部分」
「なに言ってるの。アニに欠如してるところなんてないよ。ヒッチさんとうまくやれてるところなんか人間できてるって」

「なにそれ。変なの」
 仕上がったふかふかの枕をアニはぽんぽんとはたいた。
「話を戻すけど、あんたのことを探してるのは、中央憲兵団でも一部の奴らだよ。写真を見せてもらった。似たような奴を見かけたら報告しろ、ってね」
「写真? 肖像画じゃなくて? そんなのいつ取られたんだろう」
 真琴は首をかしげた。隠し撮りでもされたのだろうか。いや、そうだったならその場で拘束すれば楽ではないか。

「画じゃない、不思議な写真だった。鮮明で、まるでそのまま生き映したみたいに色つきの写真」
「……カラー写真?」
 二人しかいないのに真琴の声は潜まった。対してアニはただ首をかしげる。
 この国にカラー写真があるだなんて初耳だった。調査兵団の身分証明書の写真はモノクロで、あらゆるところで見かけた写真も全部モノクロ写真だったはず。

 アニに確認を取る。
「髪の色とか、肌の色が鮮やかな写真だったんだ?」
「切手ほどの小さいやつだったけどね。その写真が貼ってある土台も珍しかった」そう言い、アニは引き出しを開けて花柄のメッセージカードを見せてきた。「これよりも一回り大きかったかな。白くてつるつるだった」
「へえ……」

 アニは続ける。
「写真の横に、親指の爪くらいなんだけど金色の板みたいなのも貼ってあって、光って綺麗だったのを覚えてる」
「金色の板? 何だろう、分からないな。――写真なんだけどさ。女の格好のときにアニと会ったことないけど、一発でボクって分かるものだった?」

「表情がなくて真面目な写真だったから、あんたと会った始めのころは分からなかった。でもここに」
 アニは自分の前髪を掻き上げて生え際横を触れた。
「薄いホクロがあって、あんたの額にも同じものを見たことがあったから」
「確かにある……」

 前髪で常時隠れている額に真琴は指を差し込んだ。訓練中に汗を掻いて、ふいに前髪を掻き上げたときにアニは気づいたのだろう。

「土台には文字も綴られてて、一人が読み上げてくれた。名前だったらしくて、聞き取りづらくて忘れちゃったけど、少なくとも『真琴』ではなかったよ。あんたの本名は知らないけどさ」
 男装の際に名乗っている「真琴」は本名である。
「もしかして『マコ』? ボクが女のときの名前なんだけど」
「ううん。そんな響きでもなかった」

 聞き取りづらかったと言ったが、「真琴」ではなかったとするなら、写真の人物がアニの勘違いということもあるのではなかろうか。
「ほんとにそれ、ボクなのかな……。身の回りが平和だから、指名手配なんて言われても全然実感ないんだけど」
 アニは下を向いて考え込む。
「そこまで言われると自信なくなってくる。写真を見たのは一度きりだし、ホクロなんて誰にだってあるもんね。自分に似た顔は三人いるっていうし」

 ※ ※ ※

 行きは馬車を使い、時間をかけてストへス区まできたが、帰りは港から貨客船に乗って帰ることにした。憲兵団支部から港が近いことと、アニが乗船券を譲ってくれたからである。

「わざわざ馬車で来たの? 船を使えば早いし、そのほうが運賃だって安いでしょ」
「乗り方が分からなくて、使ったことなかったんだよね」
 珍しいものを見るように眼を丸くしたアニ。溜息一つついたあと、ハンガーに掛かっている憲兵団のジャケットから財布を抜き出した。中から一枚の紙を取り出し、真琴に差し出す。

「特別にあげる」
 紙幣のような薄手の紙には貨客船の絵が印刷されていた。
「乗船券じゃない。もらっていいの? アニも必要だから持ってたんでしょ」
「ううん」と彼女は首を横に振る。「憲兵団から支給されてるやつだから。まだ予備があるし平気」

「すごいね、こんなの支給してくれるんだ。調査兵団とは大違いの待遇の良さなんだけど。戸惑っちゃうな〜。住まいだって内地だし、食堂で出されるメニューも違うって聞くし」
 アニは顔を背けた。
「腐ってるよね、世の中間違ってると思う。ろくに仕事もしないで、ぬるま湯に浸かってる奴が結局得をする。そんなところにいる自分も、腐り切ってると思うよ」
「な〜んだ」

 真琴は激励を込めてアニの肩をぽんと叩いた。
「そう思うってことはアニは全然腐ってないじゃん。ほっとしちゃったな。腐った色に染まらないで、中から変えていけばいいんじゃん。ね?」
「…………」
 アニは俯いてしまった。とりあえず親切をありがたく受け取り、真琴はチケットをひらひらと振った。
「乗船券ありがとう。初めての船旅、楽しんでくるね」 


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mokuji
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