20.門柱には青銅色の表札に

 真琴はウォールシーナのストヘス区へ来ていた。立ち止まった目線には立派な石造りの門があって、門柱には青銅色の表札に「ストへス区憲兵団支部」の文字が彫られている。
(ここだ)

 数日前の新兵歓迎式で知ったのだが、アニは憲兵団に入団した。一〇四期生で十位以内に入った訓練兵が、みんな調査兵団を選んだというのにである。
 立体機動における彼女の腕前は確かなので、逸材を憲兵団で燻らせるのは大変残念に思う。が、どちらを志望するかは個人の自由であるから、真琴は残念に思えど落胆まではしていなかった。

 門番小屋の小ぶりな窓から男が顔を覗かせた。守衛らしい年老いた男は兵団のジャケットを着ていない。調査兵団と同じく、外部から雇われているのだろう。
 男は真琴の胸許をちらりと見てから木枠の窓を引き開いた。

「こんにちは。調査兵団のお方がこちらに何用ですかな?」
「こんにちは。こちらに友人が配属されているので訪ねにきたんですが、会うことは可能でしょうか?」
 男は老化で垂れた頬で愛想よく笑う。
「いまの時間、勤務に当たってなければね」

 あっ、と真琴は眼をぱっちり開けて口許に手を持っていく。
「そうですよね。友人がボクと同じように非番だとは限らないんですよね」
「約束はしてないのかい? 突然訪ねてきて無駄足になるとは思わなかったんかね」
 安直な真琴を男は可笑しそうに見てきた。人柄の良さが滲み出ているので嫌味ったらしさはまったくない。

「約束してないんです。えっと……どうしようかな。せっかく来たのに」
 顎に拳を当てて目線を落としていたら、男の窪んだ瞼が片方だけきゅっと閉じた。ウィンクしたのだ。
「何のための門番だと思ってるんだい。どれ、チェックしてやろう。友人の名前は?」
「アニです。アニ・レオンハート」
「よしきた」
 小窓の奥で男が親指をぺろりと舐めた。卓に置かれている分厚い記録帳を捲る。細かい文字がびっしりと綴られており、太い節だった指を滑らせている。

「アニ……アニ……とと、あったあった」顔を上げてにこりと微笑む。「よかったな、兄ちゃん。君の友人は十五時以降の任務だから、まだいるはずだよ」
「ほんとですか! ありがとうございます! よかった、無駄にならなくて」
 真琴がぱぁっと笑顔を見せると、男は台帳を差し出してきた。
「じゃあこれに入室時間と名前を書いておくれ。あと念のため身分証明書を確認させてもらっていいかね? 疑っちゃいないけど規則なんもんでね。ちゃんとやらないと上がうるさいのなんの」

「大変ですね」
「憲兵さんは重箱の隅をつつくのが日課らしい。自分たちは真っ昼間から酒をやってるのにね」
「ええ? 勤務中にお酒を?」
「うん。調査兵団の兄ちゃんからしたら信じられないでしょ」
「まあ……。うちは朝から夕方まで訓練訓練訓練ですから」
「えらいね。まあ言いようによっちゃ、憲兵がさぼれるのもこの地区が平和だからなんだろうけどね。ああ、そこは記入しなくていいよ。はいはい、ありがとね。じゃ、これを胸に付けて」

 守衛の男はとても親切で、アニの部屋番号まで教えてくれた。受け取った入館バッジを胸ポケットに付け、真琴は憲兵団兵舎へと向かった。
 兵舎は調査兵団の兵舎よりも小綺麗な廊下だった。ときおりすれ違う憲兵は、外部からの訪問者にあまり興味ないようで、ちらとバッジを認めるのみで愛想のかけらもなかった。誰からも返されない会釈を何度か繰り返し、ようやく着いた二六九号室。
(ここだよね)

 ドアノックがないシンプルな木製の扉を二度ノックした。すると中からパタパタとした足音がして、内側に開いた扉の陰から女がひょこっと顔を覗かせた。
「んー?」
 アニでなかったから真琴はちょっと慌てる。
「あれ? あの、こちらにアニ・レオンハートさんがいらっしゃると聞いたのですが」

 顎のラインで切りそろえられた髪に、癖っけのような緩いウェーブがかかっている女だった。真琴より断然若く見える女は、くっきりとカールされた睫毛の気の強そうな眼を細める。
「あんた、誰」
「失礼しました。ボクは調査兵団所属の」
「そんなの胸許の紋章をみれば分かるよ。名前」
 生意気に言われ、真琴は思わず閉口する。

「ここ女子寮なんだけど、超怪しい」
「怪しい者じゃありません。ちゃんと受付で記入してきましたし、これも」
 と真琴は入館バッジを摘む。
 ふ〜ん、と女はもっと眼を細めた。疑り深い性格なのか。「で、名前」
「真琴・デッセルです。え〜と、アニさんの部屋はこちらで間違いないでしょうか」

「ヒッチ。誰なの?」
 部屋の奥から聞き覚えのある声が聞こえてきた。アニの部屋はここで間違いなかったようだ。知り合いがいない兵舎内で心細い思いをしていたので、真琴は彼女の声で気分が舞い上がる。
「アニ! そこにいる!?」
 扉の僅かな隙間から顔を出そうとしたら、びっくり顔のヒッチが後退しながら文句を吐いた。

「ちょっとちょっと、ずうずうしいんじゃない!? ここ女の部屋だよ!」
「真琴だよ! 入ってもいいよね?」
「何なの、こいつ!」

 扉を閉めようとヒッチは邪魔してくる。真琴が体当たりで扉を開け放つと、彼女は大きくよろけて床に片手を突いた。あ――っ、と叫ぶ。
「ネイル塗ったばかりなのに、よれちゃったじゃん!」
 ヒッチは上唇を捲らせた歪んだ顔の前で、手を翳して爪を見ている。転びそうになって片手を突いた拍子に、塗り立てのマニキュアがよじれてしまったようだ。

「もうすぐ勤務だっていうのに、爪を綺麗にして誰に見せるっていうの」
 クールな口調はベッドに腰掛けているアニの声だった。真琴のほうを見て、
「わざわざストへス区まで何しにきたの? 観光のついで? 格闘術の稽古だったら、もう見てあげられないからね」
「やだな、どうしてるかと思って会いにきたんだよ。トロスト区の防衛戦以来だね。久しぶり、元気そうでよかった」
 微笑んで挨拶をしていたらヒッチが顔を突き出してきた。指を揃えた手を見せてくる。

「爪! 謝ってよ! ダメになっちゃったじゃん! あんたが無理矢理扉を押し開けてきたせいだよ!」
 どぎついオレンジのマニキュアが光る爪は、三本だけ波模様に崩れてしまっていた。真琴はたじたじと上目する。
「ごめんなさい。わざとではなくて、友人の顔を見たら、いてもたってもいられなくてつい」
「何言ってんの。ヒッチが意地悪するからでしょ。不法侵入とかじゃないんだから、入れてあげればよかったのに」
 溜息をつくようにしてアニは脚を組んだ。ああ、と合点がいったように眼を見開く。
「真琴にじゃなくて、私に意地悪したわけ。そういや何度か似たようことがあったね。私を訪ねにきた人に、勝手に居留守を使ったり。あとは何だっけ、私宛の手紙を勝手に読んだり?」
(ウソでしょ。サイアク)

 そんなことをされたら怒ると思うが、アニはどこ吹く風で首を傾けていた。実に癖のあるルームメイトに当たったものだ。
 ヒッチは少しも悪びれない。

「それは〜、あんたが喋んないから居ないと思ったんだし、手紙は私のところに紛れ込んでたからでしょ〜」
「あっそ」
 ベッド脇に据えられたデスクの椅子にアニが目配せをした。「こっち来て座りなよ」
「うん」

 椅子に向かって足を進めようとしたら真琴の前にヒッチが立ち塞がった。背後に視線を巡らせ、
「この部屋はアニだけのものじゃないのよ。私だっているんだからね」
 どうやら彼女の許可も必要らしい。アニは面倒くさそうに顔を伏せて溜息をついた。が、何も言ってくれなさそうなので、
「お邪魔してもいいですか? うるさくしませんので。あっ、そうだ。これよかったら食べてください。午前中には売り切れちゃうっていう人気のお店のもので」

 下手下手に真琴は出て、お菓子が入っている手みやげを差し出した。アニのために買ってきたものだったのだけれど。
「へ〜。鈍臭そうに見えて気が利くじゃない。ふ〜ん、ウォールシーナの焼き菓子か」
 袋の銘柄を見て素直に喜ぶのが悔しいのか。ヒッチの表情が無関心と満悦の狭間で格闘しているようだ。そして買収は成功したらしい。顎を尖らせて「座れば?」というふうに椅子を示してくれた。
「ありがとう」

 真琴は軽く頭を下げ、椅子に座る間際にアニに耳打ちをした。
「上手くやれてるの? 彼女と」
「慣れれば気にならないよ」
 友好的には見えないルームメイトに対し、アニはとても寛大だった。

 部屋は白いシーツが掛かっているベッドが二台と、あいだにコンパクトな机が二つ据えられていた。机には低いブックスタンドがあり、小説か参考書か分からないけれど本の背表紙が見える。
 正面が窓で、いまはレースのカーテンが引かれている。南向きで陽当たりのよい、過ごしやすそうな部屋だ。――相部屋の子を除けば。

(なんだかな〜……)
 真琴は畳んだ膝のあいだに両手を挟み込んだ。なんとも居心地が悪い。
「何黙ってるの。勤務が控えてるから、そんなに余裕ないよ。話があるなら早くして」
「だよね……。だけど何か、会話しづらくない?」
 背中にびしびしと刺さるのは好奇心の視線。背後のベッドで腰掛けているヒッチのものである。
 アニが真琴の後ろに目線を動かした。
「ヒッチ。じろじろと、何が気になるの」

「やだ〜、噂好きのおばちゃんじゃあるまいし。私のことならお気になさらず〜」
 マニキュアを塗り直しながらヒッチがワントーン高い声音で言った。さっきまで敵対心露わだったのに、いまじゃ興味津々といった態である。
「けど、じろじろ見られてたら落ち着いて話もできないでしょ」
「だって部屋が狭いし、向かい合わせだし〜。盗み聞きしようなんて思ってないけど、こう近くちゃね〜」

 それはどうか。思いっきり耳をそばだてていたと思う。一言も聞き逃すまいといった気合いも、ひしひしとあった。
 爪にふぅふぅと息を吹きかけながらヒッチが傍らに立った。にやにやしている。

「ねえ、あんたってさ。アニとどうゆう関係なの?」
「友人ですけど」
 真琴は顔を上げて応じた。
「友人ね〜。アニとはどこで知り合ったの? どう見ても年上だし、同期じゃないよね」
「アニさんとは訓練兵団の講義を」

 一緒に受けてました。と言おうとしたのに、セール品を前にした客のような喜々とした顔でヒッチに迫られる。
「うっそ! 調査兵団でありながら講師兼任!? なかなかの仕様じゃん。背が低いのはマイナスだけど」
 勘違いしてしまったようである。
「いえ、あの」
「アニってこういうのが好みだったんだ。かなり意外だけど悪くはないか。ま、私はひょろいのはナシだけど〜」
 とヒッチは髪の毛を払う。「やばっ」瞬間はっとして、彼女は払った手を急いで確かめた。マニキュアの存在を忘れてしまっていたのだろうと思われる。

 勝手に言ってれば、というふうな無関心な眼のアニ。否定すらしないから誤解したままヒッチは一人で喋りまくる。
「調査兵団は私的にちょっとナシかな〜って思ってんだけどさ。遊ぶだけならいいかもしんないか。あんたさ、誰か紹介してよ。あ! 下っ端は論外だから! おごってくれるだけの余裕がなさそうだし」
(困った)

 何から弁解していったらいいのだろうか。アニとは本当にただの友人なんです。訓練兵団の講師ではなく生徒でした。紹介できるほどの人脈はありません。よし、と口を開こうと思った真琴は、またしてもヒッチに遮られた。

「上官クラスでいいのいない?」言ったヒッチは指を鳴らした。「いるじゃ〜ん。リヴァイ兵長! あれ紹介してよ!」

 ぐっ、と真琴は言葉に詰まった。それだけは嫌だと思った。相手は子供だとしても、ヒッチはわりとグラマーで美人だ。紹介なんてしたらリヴァイが靡いてしまうかもしれない。
(嘘八百を並べててでも諦めてもらわないと! ごめん! リヴァイ!)
 真琴はへらっと笑う。

「あ〜、リヴァイ兵士長ね。あの人、女の人はダメらしいですよ」
「女がダメってどういう意味? 私みたいな若い子は苦手で、熟女キラーとか?」
「ううん。全般にダメなんです。ダメっていうか興味ないっていうか。要するに」
 アニがさらりと口を挟む。
「男が好きってこと?」
「そうそう」と真琴は笑顔でこくこくと頷いてみせた。「兵団内ではもうかなり有名」
 そして、調査兵団を通り越して憲兵団支部でも有名になる未来が訪れるのかもしれない。

「え――! マジ!?」
 叫んだのはヒッチで、表情の色が嫌悪に染まった。
「ショックなんだけど。でも言われてみればそんな気もしてくるじゃん」
「でしょ」
「ああいうのって意外と男に弱そうだよね。うわぁ〜、背の高い筋肉質の男とか好きそうなんだけど。そういえば団長にべったりだって聞くし実はあの二人できてるとか? うわうわ〜」
「……いや、さすがにそれはないんじゃないかな」

(なんかまずいな)
 ヒッチがスピーカーだった場合を考えると、真っ赤な嘘である噂の顛末が些か不安になった。一応釘を刺しておく。
 真琴はヒッチの腕にそろりと手を伸ばす。
「これね、トップシークレットなんだ。だからね、くれぐれも言いふら」
 言いふらしたりしないでね。と口にしようとしたのに、またまたどうしてヒッチに遮られる。

「なんか〜、興ざめ! 遊びでも調査兵団はないわ〜」
 存分に軽蔑が含まれた声だった。いらないと言わんばかりに手をひらひらさせたヒッチは、机の引き出しから小洒落た小瓶を取り出した。
「男を紹介してもらおうと思ってたけど期待できなさそう」
 香水瓶だったらしく、勢いよく吹き出した霧が真琴を襲う。「わっ」咄嗟に外套の裾で顔を守る。

「あ、ごめんごめん、かかっちゃった? ノズルがイカれてたみた〜い」
 ヒッチは笑って、しゅっしゅっと自分の首許に吹きつける。
「じゃ、まだ時間あるけど、さきに行ってるね。そこのあんた。ゆっくりしてっていいけど、私の箪笥とか覗いたら逮捕しちゃうからね」
 ハンガーに掛かっていたジャケットを手に取り、ヒッチは部屋から出ていった。ぱたんと扉が閉まると、彼女が残したきつい香りだけが室内に漂い続けた。南国を思わせるエキゾチックな匂いだった。


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