18.中途半端な態度をする男

 ハンジは真琴を見た。気後れしながらも彼女がプレッツェルの端を咥えたところだった。そして控えめに顎を突き出した真琴を見て、リヴァイが三白眼を大きくした。
 ひゅーひゅー、と下品な口笛が飛ぶ。
「早くやっちゃいましょう」
 へべれけ口調で真琴は促して、咥えているプレッツェルが上下に揺れた。
「正気かよ。まともじゃねぇ」
「わりとまともだと思います」
「酔人はそう言い返してくると相場が決まってる」
「もう、四の五の言わずに。王様の命令なんれすから」

 ゲルガーは立ち上がって干し肉を噛み千切った。低俗に煽る。
「空気が読めるじゃねぇか、真琴! 目の前の悪人面は見るに耐えないだろうと思う! 思うが! 俺たちをいっちょ笑わせてくれ!」
「てめぇ……」殺意を露わにリヴァイは唇を捲る。「どうやら闇に葬られたいらしい」
 が、もう一回真琴に顎をちょいと突き出され、リヴァイは観念したようだった。

「分かってるだろうな。愚劣な奴らを愉しませる必要はない。実行したという既成事実があればいい」
「先っちょが溶けてきちゃいます、早く」
 リヴァイは大きく溜息をつき、顔色を消したいつもの能面でプレッツェルの端を唇で挟む。
「リヴァイの奴、早々にわざと折るつもりか?」
 ミケが耳打ちしてきたが、ハンジはうるさいと思ってしまった。いまはリヴァイと真琴に集中していたい。当人ではないのになぜか胸がドキドキしてくる。

 プレッツェルの長さは手のひらほど。固いパイ生地の咀嚼音などさせず、真琴は頬をしとやかに動かしながらゆっくりと食べ始めていく。
 リヴァイはすぐさま折ったりしなかった。というよりも真琴の行いに釘付けになっていて身動きが取れないのかもしれない。眼を疑うというふうに彼は両目を剥いていたのだ。
「折らないな。場の雰囲気を汲み取れる奴だったとは。知らなかった一面だ」
 ハンジは膝頭で頓珍漢なミケの腿を打つ。
「しっ! 黙って」
 慎重に、慎重に、折れないように気をつけているかのように、真琴は窄めた唇で食べ進めていく。伏せ眼で自分の口許を見ており、長い睫毛が色っぽく見えた。

 リヴァイの頬は一向に動かない。代わりに瞳孔を細かに震撼させ、毛筆のような睫毛を震わせていた。このままプレッツェルが折れなければどうなるか、分かっていて真琴は慎重に食べているのだろうか。
(やばい、滾るっ)
 鼻と鼻がくっつきそうになるまで食べ進めたとき、真琴はふいに静止した。いわくありげにリヴァイと眼を合わせる。これ以上進めたら拙いことに気づいたのかと思ったのだけれど。
 真琴はリヴァイのジャケットを両手で摘んで首を傾けた。キスをねだるときに、互いの鼻頭がぶつからないようにする仕草である。そして彼女が艶っぽい瞳をそっと閉じると、リヴァイは瞠目した。それで、いかにも噛み切るように前歯でプレッツェルをへし折った。

 ハンジがいる卓だけしーんとなる。みんな涎を垂らしそうな感じでぽかんと見入っていた。
「おい。終わったぞ」
 ことさら苦い面容でリヴァイは言った。それでゲルガーははっとする。
「あ、ああ……。なんつうか、すっげぇ気色悪いんですけど、あんたら」
「ああ? そりゃねぇだろう。笑わせろと言いやがるからサービスしてやったんじゃねぇか」
「いや、そうなんだけどよ。俺とミケでそれをやったときには爆笑もんだったんだが。やっぱ男同士はないな」
 と、つまづきがちに笑って胸許を掻いた。

 男同士はないというよりも、リヴァイと真琴だから奇妙な雰囲気になったのではなかろうか。残ったプレッツェルをぽりぽりと食べている真琴は別段悔しがってもなくて普通だった。
「酔っぱらいが」
 とリヴァイに頭を小突かれて、真琴は不服そうに唇を尖らせていた。

 五回目の王様はハンジだった。盛り上がってきているから俗っぽい命令のほうがいいか。
「んーと、じゃあ、一番は好きな人を言いなさい! 告白しちゃってもいいよ!」
「私ねっ」
 特に恥ずかしがる様子もなく、鼻息荒く立ち上がったのはリーネだった。

「私の好きな人は〜」
 言って真琴に向き直る。
「あのね、実は真琴のこと、ずっといいなって思ってたんだけど」
「いいな?」
「だから好きってことよ。ねぇ、お姉さんとつき合ってみない? 優しく手ほどきしてあげるから」
 リーネの本気の告白に卓の連中は若干引いていた。さて真琴はというと、眠そうに頭をかくんかくんしていて呂律が怪しかった。

「ありがとうございます。でもごめんなさい、気持ちに答えられません。だってボクは、おん」
 パシッと肉の音がした。リヴァイが真琴の口を塞いだのだ。
「残念だったな、リーネ。どうやらふられちまったらしい。ゲームだってのに、酔っぱらってるこいつの隙を突いてマジに告白してくるのも、どうかと思うが」
「いまならいけると思ったのに。いいわ、次は素面のときに迫って落としてやるんだから」
 片手で拳を作り、リーネは口惜しそうに口をへの字にした。

 真琴は苦しそうにリヴァイの手をのける。
「鼻まで覆わないでください。息ができないじゃないですか、死なすつもりですか」
「文句言ってんじゃねぇ。感謝されたいくらいだ。すっかり酔っぱらいやがって」
「マジな告白は失敗かよ。おらおら六回目をやるぞ! みんな引け〜!」
 ゲルガーは酒を飲んでくじ棒を引いた。
「待て、ゲルガー」
 リヴァイだけは引かなかったが、王様を引き当てたのはゲルガーだった。

「やったぜっ、俺だ。んじゃあ次は、四番は二番に愛の告白をする! 相手が照れたりしたら罰ゲームで酒を一気飲みしてもらおう。兵士長さんが引かなかった棒は」
 残っている一本の棒を確認する。
「お、二ば」
「ゲームは終いだ」
 と言ったのはリヴァイで、彼は完全にゲームから手を引こうとしている態勢だった。
「なんだよ、これからだろ?」
「真琴がもう駄目だ。これ以上酒を飲ませてみろ。アルコール中毒でも起こされたら、二度と酒宴を開く許可が下りなくなるぞ」
「それは困るぜ。俺の楽しみがなくなるじゃねぇか」
 ゲルガーは迷惑そうに眉を下げた。
「しゃあねぇ。ほどほどに盛り上がったし、ゲームはここまでにするか」
 その一言で、さあ飲もう飲もうと酒を注ぎ合う。

 と、眠そうな真琴の呟きがハンジの耳に入る。彼女はくじ棒の先を見つめていた。
「四番……ボクです。命令って」
「もう終わりだとよ。お前、部屋に戻って寝てきたらどうだ。俺たちにつき合う必要はない」
 リヴァイが気づかうと、真琴はもう一度ぽつりと呟く。
「……命令ってなんだったっけ」
 口にするのも嫌そうなリヴァイに代わり、ハンジは教えてあげた。
「愛の告白だって。でももういいんだ、終わったから。リヴァイの言うように、もう部屋に戻ったほうがいいよ」
「愛の告白……そうでした。四番はボクだから二番の……」
 ほとんど息を吐くような呟きだった。

 離れたところから次々と椅子を引く音が聞こえた。続いて騒がしい喧騒と、ガラスが割れる音もする。
 見ると、若い兵士らが喧嘩をおっぱじめていた。酒が入っているのもあり、少しのきっかけで大きな争いに発展してしまうことはよくある光景だが。

 リーネが首を伸ばした。
「あっちの食卓で騒動起こってるよ。男って野蛮でホント嫌ね」
「うわ、うちの班員だよ」
 両手を突いてナナバは腰を上げた。
「夏の演習のときといい、なんでこう、うちの班は問題児が多いかな。やんなっちゃうよ」
 呆れ口調だったが、慌てた様子で乱闘をしている食卓へと駆けていった。

「うお、うちのも混ざってるじゃねぇか。ったく、皺寄せは全部こっちに来るってのに、勘弁してほしいぜ。リーネ! おら、行くぞ!」
 ゲルガーもリーネを連れ立ってナナバの背中を追っていった。
 ほら! とハンジはモブリットの背中を叩く。
「君も応援にいく! 男がもう一人いないと手に余りそうだ」
 背凭れに手を突き、モブリットは重そうに腰を上げた。
「だいぶ酒が回ってるんで、こんなんで役に立つか分かりませんけど、応戦してきます」
 一つの食卓で起きた騒動は伝染して、何卓も巻き込んで大きくなっていた。食堂はいまや騒然としている。

 おおっぴらに喧嘩ができるのも若いうちだけだ。ハンジは葡萄酒を注いでグラスを口につけた。まだ若い葡萄の風味が唇に触れたが、ハンジの口内に流れていくことはなかった。俯いている真琴がリヴァイに向き合っており、雰囲気が妙だったから。

「待ってください。心の準備をしたら言いますから」
「もう終わったと言ったろう。ゲームはリーネを最後に終わったんだ」
 肩に手を添えてリヴァイは真琴を言い含めた。酔っぱらいを相手にするような面倒くさがる感じがある。

 俯いている真琴の、卓に乗せている片腕の手が拳になった。低い響きで難詰する。
「聞きたくないから、耳に入れたくないから、そんなふうに言うんですか」
 眼を瞠ってリヴァイは息を呑んだ。
「そんなに聞きたくないですか、ボクからの愛の告白」
「おい、よせ」
「言われると困るんですか、好きだって」
「ああ、困るっ」
 言い負かすようにリヴァイはくっきりとした語調で言う。
「男に言われても困る。だってそうだろう、男同士だ」

 周囲を気にしてリヴァイがこちらを窺ってきた。
 眼が合ってしまい、ハンジはどう反応したらいいか分からない。騒動を止めるフリをして席を離れたほうがいいだろうか。
 ちょん、とミケに袖を引かれる。
「真琴の奴、自分を保ててないんじゃないのか。感情的に見えるぞ」
「う、うん。酒のせいかな。この場にゲルガーたちがいなくてよかったよ」

 リヴァイは腰を上げて真琴の腕を引く。
「相当酔ってる。部屋に戻るぞ、送ってやるから」
 腕を大きく振り上げて真琴はリヴァイの手を払った。
「まだ聞いてもらってない!」
「だからゲームは終わったんだ、分かんねぇ奴だな」
 真琴は頭を振って子供のように駄々を捏ねる。
「やだ! 言う!」
「ったく、ゲルガーの奴。面倒事を置いていきやがって」
 ハンジたちを気にしながらもリヴァイは彼女の意を汲むことにしたようだ。そうして満足させてやれば丸く収まると思ったのだろう。

「分かった分かった、聞いてやる。ほら、言ってみろ」
「……愛してる」
 リヴァイは再度真琴の腕を引き、席を立たせようとする。
「俺は照れなかったし笑わなかった。罰ゲームの酒もなしだな。部屋へ戻るぞ」
 真琴は席を立たず、リヴァイのジャケットの襟を両手で掴む。
「愛してるんです」
「だから――」いい加減な態度で彼女の手を剥がそうとして、リヴァイは眼を見開いた。顔を上げた真琴の表情が泣きそうに歪んでいた。涙がつうと一筋流れていく。

「愛してるんです。どうしたらいいんですか、苦しいんです。待っていたら、いつか応えてくれるんですか? ねぇ!」
 戸惑っているようで、リヴァイは真琴に揺さぶられるがままである。
「リヴァイの気持ちが知りたい! 触れてくるのはどうしてなんですか! 抱きしめてくれるのはどうしてなんですか! 必死になってくれるのはどうしてなんですか!」

 我慢していた真琴の思いを、酒が解放させてしまったようだ。彼女の言っていることが本当ならば、リヴァイは恋人にするような行為をしていたというふうに取れる。
 中途半端な態度をする男は女として許せないものがあったけれど、踏み切れない理由があって苦しんでいる同僚を思うとひどく複雑だった。リヴァイが堅く突っ張ったような顔を見せてきたが、ハンジは躊躇いがちにぐずぐずと笑ってみせた。眼はまったく笑えなかったが。

 用心しながらリヴァイは言い淀む。
「誰かと勘違いしてるんじゃないのか。今度はちゃんと好きな女に言ってやれ」
 早く退散したいのか。リヴァイは真琴の腕を強く引いて無理矢理立たせた。彼女は抵抗して腕をぶんぶん振り回す。

「逃げるんですか! まだ返事を聞いていません!」
「しつこい! 相手を間違えてる!」
「間違えてない! 答えを聞きたい人は」
「大概にしろ!」
 激情を露わにリヴァイが怒鳴りつけた。
「酒に呑まれてんじゃねぇ! いい迷惑なのが分かんねぇのか!」
 怒鳴られて真琴は大きく肩を痙攣させた。背中を震わせ、幼児のようにわんわん泣き出す。

 完全に修羅場だったが、ハンジとミケ以外はこの小さな騒動に誰も気づいていない。あちらの喧嘩のほうが大事になっていたからだった。
 立ち上がって卓を回ったミケは真琴の傍らに立った。空気を柔らかくしようと思ったのか、朗らかに笑って肩に腕を回す。

「ずいぶん悪酔いしてるな。安い葡萄酒でも混ざっていたのかもしれん。俺が部屋まで送ってやろう」
 引き寄せるようにして食堂を出ていこうとしたところで、リヴァイが全身に力を込めてミケの胸を突いた。毛を逆立てた猫のように憤然としている。
「俺の目の前で、気安くコイツに触れるなっ」
 真琴の腕を乱雑に引っ張って自分に引き寄せた。

 ミケの表情から笑みの色が消える。
「直属の部下に、ほかの奴が触れてはいけないというほうはないだろう。それでは指導すらできん。それとも個人的に含むものでもあるのか」
「そんなもんあるか、変に勘ぐってんじゃねぇ。俺の部下とのいざこざに、他人がしゃしゃり出てくるなと言った。真琴を部屋に連れていけなど、てめぇに頼んでねぇだろうが」

「なら泣かせるな。相手は酔っぱらいだ、お前は対して冷静だろう。いちいち真に受けて怒鳴ってやるなよ」
 リヴァイは顔を背ける。
「仕方ねぇだろう。こいつに聞き分けがねぇから」
「まだぼやくか。冷静かと思っていたが、お前も珍しく酒が回っているようだ。ちゃんと部屋に送り届けてやれるのか心配だな。やはり俺が真琴を連れていく」

 真琴の片腕を引こうとしたミケに、拳を締め上げているリヴァイは今度は閉口をみせていた。と、真琴が逃げるようにリヴァイの腕にしがみついた。
「ごめんなさい。煩わせるようなことはもう言いません。言わないから見捨てないで」
 言われて、リヴァイはナイフで斬りつけられたかのような痛い表情を見せた。
「見捨てるとか、なんでそうなる」

「よわったな。俺に送られるのを拒否されてしまった」
 ミケはいかり肩を竦ませた。
「真琴はお前に送ってもらいたいようだ。どうだ、リヴァイ。平静でいられるか」

 リヴァイの二の腕に額をつけて真琴は肩を窄めている。それを見て、彼はなんとも言えない心苦しそうな色を瞳に宿した。
「ああ、いくらか頭が冷えた。帰りがけに怒鳴ったりしない」
「よかったな」とミケが真琴の肩にぽんと手を置いた。彼女は腕で涙を拭いながらこっくりと頷いた。
 真琴の肩に腕を回して、リヴァイは食堂をあとにしようとした。微かに口髭かかる口端を吊り上げ、ミケは背中に声を当てる。

「リヴァイ。胸の中に顔を埋めさせてもらえ」
 肩越しに振り返ったリヴァイは怪訝そうに眉を顰めた。
「ああ?」
「安らげるぞ。疲れなんぞ、ひとっ飛びだ」
「アホ抜かしてんじゃねぇ。てめぇこそ外で酔いを覚ましてこい」

 ハンジは両肘を突き、にこり顔で頬杖をしてミケを見た。
「どうなるかと思ったけど、一件落着っと。でも気づいちゃったかな? 私たちが真琴の正体を知ってること」
「もともと勘が鋭い奴だから悟ったろ。真琴のほうは大丈夫だろうけどな」
「やっぱり気づいちゃったか」
 悔しさいっぱいに舌打ちしたら、ミケの呆れた視線が目に痛かった。

「まさか、この状況を楽しんでたんじゃないだろうな。髪の毛が減りそうなほど、俺が身を削れる思いをしていたよそで」
「だってからかえなくなるじゃん、リヴァイのこと。男色ネタでさ」
 言ってからハンジはぽんと手を打った。「そっか。気づかれてても知らないフリして、からかえばいいんだ。そうだそうだ」
「資源を大切にしたほうがいいぞ。もったいないオバケが出る」
 これから使い物にならなくなるであろう眼鏡のことを、懸念したミケの発言だった。


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