17.王様ゲーム

 他人のことでしばし物思いに耽っていたハンジは、頭から抜け落ちそうになっていた真琴の様子を確認した。肩に回された腕に引き寄せられ、彼女はひどく困惑しているように見えた。見る限り、小さく抵抗しているようだけれど。

「やめてってガツンと言ってやればいいのに」
 ちょっと苛々した。リヴァイに殴りかかっていったぐらいだから、真琴はもっと強気な女だと思っていたのに。自分なら男の急所に膝蹴りでもお見舞いしてやる、とハンジは膝小僧を揉みしだく。
 そこまで思って、暴れ出しそうな膝を押さえつけた。これだからモテないのだとハンジは思い至ったのであった。

 男からしてみれば、自分で身を守れる女よりも、助けを必要とするようなか弱い女のほうに惹かれるのだろう。率直に言えばハンジは男に頼らずとも一人で生きてゆける。隣が寂しいと、ときどき思うことはあれど。
 が、真琴はか弱いとまでは言わずとも、支えてくれるパートナーが必要であるような普通の女だ。なぜ調査兵をしているのか、まったくもって摩訶不思議であった。

 さてさて、睨みつけているリヴァイはぽつぽつと限界らしい。握りしめているグラスが、握力だけでいまにも粉々に割れてしまいそうだった。悲鳴を上げて救助を求めるグラスのためにも一役買ってやるとしよう。
 背筋を伸ばしてハンジは大きく手を振る。
「真琴――! ちょっとこっちに来てくんない?」

 声に気づいた真琴が振り返った。ほっとしたような笑顔を浮かべて腰を上げる。
 ところが引き止めるために兵士は腕を引いた。真琴は嫌がって振り払おうと身を捩る。
(ありゃ一人じゃ対応できないか……。仕方ない)
 向かえにいってやろうと腰を上げかけた直後、ハンジの横を小さな粒が横切っていった。まっすぐ飛んでいった粒は、真琴を見上げている兵士の鼻の穴に吸い込まれていった。
 瞬時に仰け反り、兵士は苦悶の顔を覆う。悶絶している隙を狙い、真琴はやっとこさ解放されてこちらに小走りしてきた。

「なんだ、いまの」
 気抜けた声はハンジのもので、粒が飛んできたほうを振り向いてみた。
 野球のボールを投げたあとのようなフォームで、右腕を伸ばしているリヴァイが剣呑な眼つきをしていた。近くには小皿に盛られたピーナッツが置かれている。なるほど小さな粒の正体は、彼が投げたピーナッツだったようだ。鼻の穴を狙ったかまでは定かではないが、見事な命中率に感服である。

 駆け寄ってきた真琴は中腰で伺ってきた。晴れやかな態なのは気持ち悪い兵士から脱せられたからだろう。
「なんでしょうか?」苦笑して、「実は呼びつけてくれて助かりました。隣の人が癖の強い方だったんで」
 座っているハンジを見降ろさないように腰を屈む真琴の、こういった控えめな態度は好感がもてた。
「うん、困っていそうだったから呼んだんだ。これといって用があったわけではないんだよね」
 真琴は眼を丸くして口に手を添える。
「もしかして、飛んできた粒もハンジ分隊長が?」
「ピーナッツね、あれ私じゃないんだ」
 向かいを顎で示すと、真琴は顔を巡らせた。説教したそうな怖い眼でリヴァイが見据えている。びびった彼女は肩を微かに揺らす。

「リヴァイ兵士長が投げたんですか。助けてくれたんですよね? ありがとうございます」
「されるがままになってんじゃねぇ。張り倒せばよかっただろうが。なんのために対人格闘術があると思ってる」
 真琴は頭を垂れる。
「先輩兵士だったし、あからさまな態度をして目を付けられるのも困ると思ったので」
「そういう中途半端な抵抗が、より相手を煽ってんだ。見てるこっちが苛々する」
「気づいてたなら、もっと早く助けてくれたってよかったのに」
 極小の声で真琴はぶつぶつと吐き捨てた。下を向いて不服げに唇を尖らせている。

 時としてリヴァイに対してだけは反抗心を露わにする。かつてこのような女がいただろうか、とハンジは思いを馳せた。
 リヴァイを見ると女たちは瞳を輝かせ、目が合うと恥ずかしそうに逸らし、話しかけられると緊張でしどろもどろになる。兵団の女は揃って誰もがそんな感じなのだ。古株や、直接の部下であるペトラなんかは例外であるが。

 ゆえに真琴のような女は非常に珍しい、とハンジは思っていた。彼女の見せる振る舞いは、あたかもリヴァイと対等であるというふうなものなのだ。
 互いに気負いや背伸びをせず、自然体でいられるのは良いことじゃないか。どうしても特別視されてしまうリヴァイからしたら、一人の人間として接してくれる真琴は貴重に違いない。

 二人のあいだにまだ雷雲が発生している。酒が不味くなるのでハンジはフォローを入れた。
「もうやめなって。リヴァイみたいに誰しも腕っぷしが強い奴ばかりじゃないんだよ」
 次いで真琴を誘う。
「こっちで飲んでけば? 席空いてるしさ」

 真琴は席についている人間を見回し、
「でもボクがご一緒するのは、ちょっと分不相応です」
 と遠慮してみせた。尻込みしているようだからリヴァイに目配せする。「誘え」と念じてみた。
 怖い表情を納めたリヴァイは浅く息をついた。隣の椅子を引き、
「座れ。ほかの席についても、あいつは追っかけてくると思う。俺たちといれば、さすがに近づいてこれないだろう」

 ハンジは振り返って兵士を確認し、「げっ」とおおいに顔を歪ませた。渇望の眼差しでまだ真琴を見ていたからだ。「しつこいね、気持ち悪いな、まじで」
 真琴も恐ろしかったのか身震いしてみせた。急ぎ足で卓を回り、リヴァイのそばに立つ。
「分不相応がどうのと言ってられなくなりました。身の危険を感じますので、席につかせてもらいます」
 と腰掛けたのだった。

 両腕いっぱいに酒瓶を抱え、モブリットがやっと戻ってきた。雪国の童みたいに頬と鼻が赤くなっているのはどうしてか。
「お待たせしました。いや〜、寒かった。厨房の酒が切れてたんで、外の貯蔵庫までひとっ走りしてきましたよ」
「だからいやに遅かったのか。なかなか来ねぇから酒が抜けちまったぜ」
 さ――、飲み直すぞ。と、労いすらなくゲルガーが言った。

 ささっと真琴は席を立つ。
「寒い中、ありがとうございました」
 抱え過ぎて卓にも置けずにいるモブリットから何本か酒瓶を引き抜く。
「こんなにいっぱい……。カゴとかなかったんですか?」
「カゴか〜。思いつかなかったな。厨房で済むと思ったからね。また外まで往復するのは嫌だから、なるべく沢山持ってきたかったんだよ」
「これだけあれば、充分持ちそうですね」

 それはどうかな、とハンジは心の中で呟いた。分かっているモブリットも、死んだ魚みたいな目になった。
「どうかな……。ここにいる人たちは尋常じゃないほど飲むからね……」

 酒が追加されたことで酒宴は進む。酒が回って再びご機嫌になったゲルガーが揚々と手を挙げた。
「んじゃあ、恒例の『王様ゲーム』いってみようか!」
 このゲームにいつも参加しないリヴァイが舌打ちをした。真琴は、「……王様ゲーム?」と不浄なもののように眉を寄せる。
 胸を張れるゲームでもないがハンジは嫌いではなかった。以前王様に、エルヴィンの髪がかつらかそうでないか引っ張ってこい、と命令をされて喜んで実行したことがあった。もちろんエルヴィンからひどく怒られたわけだが、引っ張った髪がどうなったかはここでは内緒にしておきたいと思う。

「丁度八人か」
 人差し指を振ってゲルガーは人数を確かめる。
「兵士長さんはどうするよ。あんたいつも乗り悪いけど、今夜くらいは乗ってきたらどうだ」
「今夜くらい?」
「だって今夜はめでたい日だぜ。新兵がぞろぞろ入団してくれたんだからよ」
 ナナバが手の甲でゲルガーの胸を張った。
「めでたいこととゲームの関連性がないんだけど」
「いいじゃねぇの。ナナバだって好きだろ?」
 ぐびりと酒をやり、ナナバは苦笑した。
「あんたが王様になったときがイヤなんだよね。悪ノリするから」
 嫌と言いつつもナナバは毎回楽しそうにしているけれど。

「どうするよ、リヴァイ」とゲルガーは聞く。
「真琴はやんのか」
 とリヴァイから聞かれて、真琴はおどおどな上目でメンバーを見回した。
「どうしてもできない命令をされたら困るんですけど」
「白けさせんなよ。下っ端は強制参加って決まってるんだ」
 とゲルガーは強要した。

「ハイになればどんな命令が来ても楽しいから大丈夫だよ。で、盛り上がりに使う酒はどうすんの?」
 とハンジはゲルガーに振った。ゲルガーはにやりと口角を上げ、一本の酒瓶を置く。どん、と低い重低音が卓を伝って肘に伝わった。
「一回ごとにこれを飲む! ダルセーニョ地方のブランデー! アルコール度数六十パーセントなり!」
 どっと軽い笑いが起きた。盛り上がりにふさわしいアルコール度数にみんな満足げだ。
 三杯飲んだだけで逝ってしまうウォッカでなくてよかった、とハンジは笑みを漏らした。真琴は大丈夫だろうか。見た感じ、このメンバーの中で一番酒に弱そうだから心配である。

 気後れした様子で真琴は小さく手を挙げた。
「えっと、水割りにしてもいいんですよね?」
「ばっか!」とゲルガーは瞬時に駄目出しをした。「男は黙ってストレートだ! これ以外に飲み方はないと覚えておけ!」
 真琴はしゅんと小さくなる。
「すみませんでした……。男は黙ってストレート。ごもっともです」
「うむ。それが女に一番モテる」
 ゲルガーは酒瓶の注ぎ口をちょいちょいと揺らす。
「景気づけにそれぞれ一杯ずついくぞ」

 緩んだ表情でおのおのゲルガーに酒を注いでもらう。引き攣り笑いで真琴もグラスを差し出している。と、リヴァイもグラスを傾けてきた。
「おっ、兵士長さんも参加か」
「人数が多いほうが、同じ奴が何度も損することは減るだろう」
「いいね〜。こういうのにあんたが参加するってのは、めったにねぇからな。俺、はりきっちゃうよ?」
「羽目を外し過ぎてみろ。ぶっ殺されるよりも、つらい仕置きを用意しといてやる」
「あとの恐怖より、いまある遊戯ってな!」
 脅しはゲルガーに利かなかったようだ。まったく、というふうにリヴァイは溜息をつく。真琴の参加はほぼ強制だったので、リヴァイは自分が入ることで真琴に命令が当たる確率を下げようとしたのかもしれない、とハンジは思った。

 琥珀色のブランデーはグラスの底から指一本分の量だった。みんなはもう飲み干しているのでハンジも喉に流し込んだ。喉が焼ける。
 正面にいる真琴は飲むのを躊躇っているふうであった。グラスの中身をじっと見つめている。リヴァイは気にしているようで口を開きかけたが、真琴はぎゅっと眼を瞑ってブランデーを飲み干した。潔い飲みっぷりであった。

 ゲルガーは人数分の細い棒が入った筒を卓に置いた。棒の先には数字と、一本だけ王様のマークが入っているはずだ。準備ができて、いやらしく手揉みする。
「始めるぞ〜。王様来い、王様来いっ」
 ゲルガーの合図でみんなは棒を引いていく。ハンジも引いて、棒の先を周りに見られないように手で覆う。
(ちっ。ハズレか)
 ゲルガーも王様ではなかったようだ。あからさまにがっかりしていたから。
「王様だーれだ?」
 と楽しげにナナバとリーネが声を合わせた。すっ、と赤い印がついた棒が上がる。

「俺だ」
 一回目の王様はリヴァイだった。彼は顎をさすりながらゲルガーから眼を離さない。僅かな挙動さえも逃さないといったふうだ。
「一番……いや、三番」
 と思案するように口ずさむ。リヴァイの隣で真琴がびくっと肩を揺らした。分かりやすい。彼女は三番だったようで、それを見てリヴァイは呆れたような小さな息をついてみせた。
「と思ったが、やはり五番……」

 リヴァイが言うと、ゲルガーの顔が間抜けに歪んだ。そこでリヴァイの眼が光る。
「五番に決めた。命令というか罰だな。王様からのしっぺだ。ほら、腕を出せ」
「くっそ〜。あんた、俺に狙いをつけてたな」
 悔しそうにゲルガーが腕を出す。リヴァイは彼の袖を捲って、
「人聞きの悪いことを言う。しかし女でなくてよかった。思い切りやれる」
 リヴァイは二本指を揃え、遠慮なしにゲルガーの手首をぺしりと打った。相当痛かったようで、ゲルガーは赤くなった手首に息を吹きかける。
「まじで遠慮しねぇでやんのっ」

 さらに盛り上げるために追加のブランデーを含んだ。ハンジは額を押さえる。頭がふわふわしてきた。何回目まで気を確かでいられるだろうか。
 二回目は尻文字、三回目は腕立て伏せ、と王様ゲームは続いた。四回目の王様はナナバで、命令は二番と六番がプレッツェルを一緒に食べるというものだった。棒状のプレッツェルを互いに端から食べていき、途中で折れたりしなければキスすることになってしまう。
 男同士でも楽しいし、女同士でも男女でも盛り上がるだろう。ハンジは当たらなかったので、誰が犠牲になったのかメンバーの顔を窺った。一人はすぐに分かった。棒の先を見つめて真琴が絶望的な顔つきをしていたから。

(面白い命令だけど、一人が真琴だとするとヤバくない?)
 もう一人の相手が男だったりしたらリヴァイは噴火するのではないか。とハンジは案じたが、二人の結びつきは強かった。
「聞かなくても顔で分かるけど、真琴と、あともう一人は誰〜?」
 とナナバが愉快にみんなの鼻息を窺う。少し苛々した表情でリヴァイは棒を卓に投げた。
「くだらねぇ命令をしやがって」
 程度の低い命令に当たったのがリヴァイだったので、メンバーの興奮度は高まる。ゲルガーが茶々を入れる。

「王様の命令は絶対だぜ。わざと折ったりするのはなしだからな」
「はーい、プレッツェル」
 ナナバはリヴァイに差し出すが、彼は腕を組んで受け取ろうとしない。代わりに真琴がのろのろとプレッツェルを受け取った。
 赤くなった目許で真琴はでちらちらとリヴァイを気にしている。彼女はどういう心境なのだろう。嬉しいのか嫌なのか。リヴァイはあからさまに嫌がっている。そんなに拒絶されていると可哀想に思えてくる。

 ミケが肘で突いてきた。
「あいつ、やると思うか」
「どうかな。ホントにイヤだったら、リヴァイなら王様の絶対も撥ね除けそうだけど」
「おや? 真琴はやる気のようだぞ」


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