16.哀れでちっこい奴

 食堂は新兵歓迎式という体裁上のものに成り代わっていた。すでにただの酒宴になり、成人兵士たちの酒豪っぷりに新兵はすっかり気圧されているようだ。
 長年ともに死闘をくぐり抜いてきた戦友。気心が知れる仲間との酒は旨い。空の酒瓶が並ぶ食卓から、まだ少し残っている瓶を取ってハンジは自分で注いだ。
 喉に流し込む。
「いい日だねー、いつもの酒も旨いよ」
 心からの言葉だった。今年は新兵が二十一名も入団したのだ。志同じくする若者が増えたのを嬉しく思ったのだった。

「どうぞ」
 隣にいるモブリットが酒を足してくれた。
「おう、さんきゅ」
 とハンジはグラスを持って尻を横に滑らせる。二つ挟んだ食卓の向こうにいる新兵を眺め入った。
 できるならば自分の代で壁に囲まれた生活を終わらせたかったけれど夢で終わるだろう。若い世代に困難を押しつけてしまうことになるが、どうか意志を引き継いでもらいたいと思った。

 新兵らに向かってハンジはグラスを掲げる。
「君たちの強勇さに、乾杯」
 グラスに口をつけて何気なく眼を上げるとモブリットと合わさった。彼は優しい顔つきをしている。
「……なにさ」
 照れくさくてハンジの顔は歪んでいく。真面目な部分を表に出すのは恥ずかしくてたまらない。近頃になって増えた独り言を恨んだ。

 いえ、と眼を伏せてモブリットは首を緩く振った。グラスを持って、
「僕も。彼らに乾杯」
 と眼の高さで掲げた。そして、
「ですが」と真顔に戻し、「純粋な彼らを、毒牙にかけるようなことはしないでくださいよ」
 言われて唐突に苦瓜を食べた日を思い起こさせた。
「私って君にどう映っているんだろうね。悪魔みたいな言われようだ」
「そうですね〜。ふざけたりして陽気に振る舞っていますけど、本当は誰よりも誠実で、この世界をどうにかしたいと強く思っている」
 モブリットは言い、したり顔をする。
「ですよね?」

 ハンジはモブリットの頭を鷲掴み、ぐりぐりと押す。
「腹立つなー、何そのどや顔っ。何もかも分かってまーす、みたいな?」
「今夜は無礼講ですよ」
 ハンジの手から逃れてモブリットは笑った。
「とか言ってほとんど飲んでないじゃん」
「このメンバーで飲むときは、僕は黒子にならざるをえないんです」

 多数の酒瓶が乱雑に転がっている食卓をハンジは見回した。左手にミケ、リーネ。正面にリヴァイ、ゲルガー、ナナバが座っている。酒を飲み交わすときは大体このメンバーになることが多い。
 胃袋に限界はないとばかりに、みんな底なしに酒を飲む。中でもリヴァイに関しては、「飲んでいて楽しいのか?」と素で突っ込みたくなるほど、深酒をしても乱れない「ざる」である。

「いいよ今日ぐらいは。べろんべろんに酔っちゃいなよ。私が介抱してあげるよ?」
 肩に腕を回して呵々すると、モブリットはされるがままにゆらゆらとたゆたった。
「一番の気がかりは分隊長です。気分が良くなるとすぐに脱ぎ出しちゃうんですから。このメンバーで止めてくれそうな人はいないですし、そうなると僕しか」

 人を露出狂みたいに言う。失礼だ、裸を見られることに対して性的興奮なんて湧かない。浴びるように飲んだ翌日に、真っ裸でベッドで寝ていたことはあるけれど。
(でも記憶がないんだよな〜)
 おそらく誰かが脱がしたのに違いない、とハンジは思っているのだった。

 向かいからナナバの声が上がった。酒瓶を何本か揺すっている。
「うっそ、もうないの?」
 と言い、
「一人で飲み過ぎだよ、ゲルガー。追加を持ってこないくせに」
「ナナバだって、もう一本空けたろ。それに飲んでるのは俺だけじゃねぇよ」
 傍らで黙々と飲んでいるリヴァイを見て、
「リヴァイだってかなり飲んでるぜ」

 話を振られたリヴァイは構わずといった態だ。背凭れに預けた腕を垂らして酒を飲んでいる。
 寡黙というわけではないがリヴァイは意味のない会話には乗ってこない。いまだっておそらく、「うるせぇ」と心の中で言い返した、とハンジは読む。僅かに眉が寄ったから。

 モブリットが立ち上がった。
「追加を持ってきますよ」
 そして食卓から離れていこうとする背に、
「蒸留酒な!」
「ぶどう酒お願いね」
「麦酒も!」
 遠慮なく注文が入る。
「はい、はい」と背中を丸めてモブリットは厨房へと向かっていった。ハンジの可愛い部下は意のままに使われた。この中では若輩者なので致し方なくもあるけれど。

 モブリットが席を立ってしまうとハンジは暇になった。隣のミケはリヴァイよりも喋らない寡黙なのだ。飲み過ぎて羽目を外すメンバー、おもにゲルガーだが、彼の度が超えた場合にミケがブレーキをかける、そんな役目を担っている。
 ハンジは向かいのリヴァイをしばらく観察していた。それで、いつもより寡黙に拍車がかかっている理由が分かった。彼の目線を辿って振り向いてみる。

「なるほどね」
 ハンジの席から斜め後ろ、二卓先に真琴がいたのだ。適当に座ってしまったのか分からないがリヴァイ班とは違う食卓にいる。
 ミケのほうを向くようにして腰掛け直し、リヴァイに気づかれないように両者の観察をハンジは続行した。
 不可解そうにミケが見てきた。どうしてこちらを向くのかと言いたげだ。ハンジがにかっと歯を見せると、首を捻って彼は正面に向き直った。

 ちびちびと酒を飲んでいるフリをしながら、ちらちらと二人を見比べる。
 微かに眉を寄せているリヴァイは心配しているように見て取れた。五年以上のつき合いだからこそ見抜けた小さな変化。つき合いの浅い者が見たら無表情だと答えるだろう。

 腰を浮かせたゲルガーがリヴァイの斜め前に腕を伸ばした。
「こっち酒ねぇんだよ。お前んとこ残ってないか? 懐に隠したりしてないだろうな」
「馬鹿か、懐に隠す必要がどこにある。そのガキみたいな思考、どうにかなんねぇのか」
 リヴァイは煩わしげにゲルガーの手をはたいた。視野を邪魔されたからかな、とハンジは揶揄する。

 ゲルガーは厨房へ首を伸ばし、
「モブリットの奴まだかよ、遅いな」
 酒がまだ半分残っているリヴァイのグラスに目をつけた。
「ちょっとくれよ」
 伸びてくる手から遠ざけるようにリヴァイはグラスを滑らせる。
「ふざけんな。てめぇと半分こなんざごめんだ」
「なによ、ケチだねぇ」
 とぶつくさ言い、ゲルガーは諦めて腰を降ろした。リヴァイの視線は再び真琴にゆく。

「さて、どうして心配そうにしているのかな」
 また独り言を零して、ハンジは真琴のほうを見た。
「ありゃりゃ。また厄介なのに好かれたもんだ」
 真琴は隣に座る兵士に絡まれていたのである。真琴の肩に腕を掛けている兵士は、あることで有名だった。男のくせに女に興味がなく、男が好きで、いわゆる男色なのであった。
 色白で少年のような真琴は、厳つい兵士からしたら欲心を煽るらしい。耳許に顔を近づけられ、「彼」は嫌がる素振りをみせる。正確にいうと「彼女」だけれど。

 真琴が女である、とハンジが気づいたのはエレンの裁判がきっかけだった。リヴァイに殴り掛かろうとした彼女を見て、「誰かに似ている」と思ったのだ。
 真琴が女であるなどと、それまで微塵も疑ったことはなかった。妙に女顔だと思ったことはあるが、兵団内でまさか男装しているとは思わない。
 そんなこともあり、「リヴァイと真琴のあいだには何かある」と思うようになったのも裁判以降だった。見ている限り恋仲ではなさそうだが部下以上の感情を抱いているのは事実だと思う。

「互いに想い合っていそうなんだけどな」
「誰と誰がだ」
 また零してしまった独り言にミケが対話をしかけてきた。他人の恋路をむやみに吹聴するほどハンジは野暮ではない。
「こっちの話。ただの独り言だから気にしないで」
 と誤魔化そうとしたのに、
「真琴とあいつのことだろう。面白半分でからかうつもりなら、おすすめしない。また眼鏡を壊されるぞ」
 忠告された。そのくせ彫りの深い真顔には愉快な色が微かに潜んでいるようだが。

「なんだ、知ってたの。あの二人のこと」
 言ってハンジは首を捻った。はたしてミケは真琴の正体を嗅ぎ取っているのか。あるいはリヴァイが男色だと決めつけているのか。
 次に言ったミケの発言が答えだった。
「真琴がどっちなのか、勘づいてるんだろう?」

「どっち」という言葉は性別を疑う者にしか通じない。やはりミケは知っていたのだ。
「いつから気づいてたの?」
「裁判のときだ。あいつを殴ろうした女の匂いが真琴と一致してた。深く関わりもなかったが、それまでは男だと思い込んでいただけに、びっくりさせられたけどな」
 犬にも負けない嗅覚。マコの匂いを嗅ごうとして顔を寄せたミケは、あのときリヴァイにど突かれていた。残念そうな顔をしていたから嗅げなかったものとハンジは思っていたのだがパフォーマンスだったらしい。

 リヴァイに見えぬよう食卓の影になるところでミケは小指を立てた。
「あいつのコレなのか」
 恋仲なのか、ということだろう。リヴァイの二番手と言われるくらい強いミケは、女兵士から充分なくらいモテるくせにこういうことには鼻が利かない。
「そういう関係にはなってないと思うな。抱いてもなさそうだし」
「そうか? あの日、控え室に入ったきり、いつまで経っても戻ってこなかったじゃないか。てっきりお楽しみ中だと思ったんだが」
 裁判のときに、予備で借りていたもう一室をエルヴィンに貸せと言ってきたことか。

「私さ、耳をそばだててたんだよね、呼び戻してこいってエルヴィンに言われたとき」
「扉の前でか? お前、野卑だな」
 ミケに軽蔑される。
「だ、だって気になるでしょうが。でもなんか怒られてるみたいだったし、変な声も聞こえてこなかったよ」
 ミケは口髭と一緒に口端をにっと吊り上げた。それからハンジは肘で突かれる。
「変な声って、例えばなんだ」
「あーん、あーん、とか?」
 ハンジはぷくくと笑った。おそらくいま、とても下品な顔つきをしていると思った。

「どこの動物の交尾だ。阿呆だな、いつにもまして」
 にやにやと言ってから、急遽ミケは顔色を青くする。
「拙い、あいつが見てるぞ」
「やばば。聞かれてたら殺されるっ」
 怪訝そうに眉を寄せてリヴァイが見ていた。にやにやとお喋りしているハンジたちを不審に思ったのかもしれない。ハンジは上向きにそっぽを向いて、煙に巻くべく口笛を吹く。

「わざとらしいんだ、お前は。それじゃ勘づかれる。というかわざとだろう」
 ミケに笑われてハンジも顔を崩した。
「いっそ勘づかれちゃう? 心ゆくままからかいたくない?」
「そうなったら、お前と語り合うのは最後になるんだろうな。遺言を聞いといてやるが」
 内緒話は聞かれていなかったようで、わいわいしている二人を見てリヴァイの視線は逸れていった。なんとなく噂されていると思ったのか、一睨みしていくことは忘れなかったが。

 で? とミケはピーナッツを口に放り込んだ。
「想い合っているようには見えるんだろう? どうしてそれで手を出さないのか、また面白いな」
「そうだなぁ。大事にしたいと思ってるから、とかは? 男ってそういうのあるんでしょ?」
「中にはな。ま、俺だったらさっさと自分のものにする。でないと落ち着かん。あいつもその口だと思ってたが」
 ハンジもそう思っていたから意外だった。となると抱けない理由があるということなのだろうけれど。
「年の差を気にしてるのかな? 食べちゃったら犯罪になる〜って」
「年が離れてるっていっても十くらいだろ? それに相手は成人してるんだぞ。何を躊躇するっていうんだ」

「そうなると、あとは何がある〜?」
 ハンジは頭を抱えたかった。何か噛むことで脳内が活性化するかもしれない。丁度ミケがピーナッツを摘んだので、ちょんと手のひらを出す。
「お節介な奴だ。人の恋路にああだこうだと」
 ミケはハンジの手のひらにピーナッツを数粒落とした。
「だって〜。あの極悪人みたいな顔して、あんなに心配そうにしてるんだよ?」
「確かに珍しいな。かなり分かりにくいが」
「うぶだよね〜。心配性になっちゃうほど重症なんだと思うな」
「ストイックなんだろ」

 ミケは何気なく言った。一粒ずつピーナッツを味わっていたハンジの胸に、ストイックという言葉が非常に馴染んだ。ハンジとリヴァイの恋愛観念は多少似ており、闘いに専念したいから大事な人はあえて作らないという姿勢を持っていたではないか。
「分かった。あいつ、真琴に本気なんだわ」
「女に本気? あいつがか? あのリヴァイだぞ」
 ミケは鼻で笑った。
「ストイックになろうとしてるから手が出せないんじゃないかな?」
「言ったのは適当だったんだが。それじゃなんだ。自分に厳しくあろうとするがために禁欲的になってるっていうのか」
「やだ……。なんか可哀想になってきちゃったよ」

 ハンジは思う。一生を供に生きたいと思わせるような人とは出逢いたくないと。死ぬのも死なれるのも恐ろしくなって闘えなくなるかもしれないから。だから調査兵団においては兵団内変愛も結婚も極端に少ない。けれど出逢ってしまったら、自分の固い腹づもりなど、おそらくいとも簡単にくずおれてしまうのだろう。走り出したら恋は止まらないと聞くし。
 リヴァイは無理に止めようとしているに違いない。それはたぶん人類最強という肩書きが重圧になっているからだと思うのだが。
 惹かれてゆく想いを自然に逆らってまで押し止めるなんて、水の中でしか生きられない魚が陸に打ち上げられて呼吸ができないのと同じくらいに苦しいだろうに。
 ハンジは自分の頭をぼかぼかと殴った。

「いくら強いからって頼り過ぎてるんだよ、私らは。もしかして、あいつを不幸にしてるんじゃ」
「人情深い奴だからな。死んでいった仲間のことも一人で抱え込んでいるんだろうが」
 神妙に言ってから、ミケは表情をだらしなく緩めた。
「しかし、俺から言わせればそんなのは馬鹿だ」
「なんで?」
 
 いやらしい顔でミケは胸の前で両手をやわやわと揉む仕草をする。
「女の生の胸は柔らかくて温かいんだぞ。包まれて眠れば、翌日には数日分の疲れも一気に吹き飛んでる。さあ、今日からまた頑張るぞ、という気にさせるもんだ。せっかくそういうふうにさせてくれる女がいるのに、使わないのはもったいない」
「なるほど。魔法の胸なわけだ」
「本気の女の胸なら魔法以上だ。それをなんでか遠ざけるなんてのは、哀れな考えの持ち主といえる。大馬鹿もんだ」
「そうだね。ほんと大真面目で哀れで、ちっこい奴だ」
 切なさを滲ませてハンジは口の端で小さく笑った。


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