06.壁の中へ逃げた人間以外すべて1

 刑事ドラマの取調室みたいだ。真琴はそんなことを思っていた。混凝土を打ちっぱなしにした壁面には窓が一つもないので閉鎖的だ。
 四人掛けの卓。正面にはロマンスグレーの短髪を真ん中分けにしている男。鼻の下に短かめな髭を生やしている。この男が真琴を逮捕した中央憲兵のうちの一人である。
 卓の脇にあるランプの炎が、ときたま湿った音を立てた。そのたび一瞬明るさが弱まる。
 狭い個室だ。質素な卓とチェストしかない。

 真琴はひどく緊張していた。水分が減って口内がネバネバするほどだ。喉が渇いているが、水を求めても目の前の男は許してくれないだろうと思った。
 対してリヴァイはやはり動じていないように見えた。傍らで深く腰掛ける彼は、尊大な態度で顎を尖らせている。

 ロマンスグレーの男はラルフと言った。白紙の用紙にさきほどから羽根ペンを突かせてばかりいるので、黒インクの小さな点がいくつも増えてゆくのだ。
 それを見つめていると、だんだんと視点がぼやけていって何だか生き物のように蠢いて見えてきた。不気味にぞわぞわと動き出し始める。ちっちゃな虫のようだ。紙から離れ、群れをなして飛びかかってきた。
 ぞっとしそうになって真琴はかぶりを振った。点はただの点に戻った。

 厳つい面容の中に、僅かに苦いものを含んだようなラルフ。ここへ通されてから一言も口を開かない。
 リヴァイの苛立った声が沈黙を破った。

「さっさと尋問を始めねぇか」
 ラルフはインク瓶にペン先を浸した。どういうわけか渋っているように感じる。
「それとも、拷問になれちまって尋問を忘れたとか言わねぇよな」

 挑発するようなことはあまり言わないでほしかった。真琴が身をなるだけ小さくしているわけを慮ってほしい。従順にしているほうが良い心象を与えられ、結果いいほうに事が進むかもしれないではないか。
 口端だけを上げてラルフがくっと笑った。頬の引き攣りが嫌な印象を与えてくる。

「拷問? 何を言ってる。王政直属の我々はそんな汚いことをしない」
「ならば袖に付いてる赤い染みはなんだ」
 リヴァイはそう言い、顎で示してみせた。ラルフはやや焦った様子で自分の袖許を確かめる。しかし赤い染みなどないのだ。

 ラルフは睨んできた。リヴァイは不適に鼻で笑う。
「思い当たる節でもあんのか」
「今朝まで令達文書を作成していたので、赤いインクかと思ってな。我々も忙しいのだ」
「そうかよ」
 リヴァイの返しかたは嘘が見え見えだと言いたげな感じだった。当て推量通りだったとしたら真に恐ろしい。

 上から目線でラルフが真琴を見てきた。
「何時間もこんなところに居たくはないだろう? 大人しく白状すれば、そうだな、今回は拘禁半年というところか」
 ペン先で指し示し、
「悪くはないだろう? 三食飯もつく。カツレツとかな」

 殺されはしないらしい。拘置所に入れられ、囚人のような暮らしを半年すれば出所できるようだ。
 少し気が抜けてしまった。もちろん囚人にはなりたくないが、馬車の中でリヴァイが物騒なことを言っていたから真琴はかなり身構えていたのだ。
 だがしかし食事が困った。

「ボク、ベジタリアンなんでお肉はちょっと」
 言ってから、「やってしまった」と真琴は拙い顔をした。ベジタリアンという言葉はリヴァイに言って通じなかった単語の一つだったからだ。
 急いで言い代えようとしたら、
「あんな旨いやつが食えないとは気の毒なことだ。だが安心しろ、代わりにウサギの餌をくれてやる」
 人を馬鹿にしてラルフは哄笑した。

 黄ばんでいる前歯を真琴は凝望していた。とても自然な会話に驚いていたからだった。
 あからさまに驚くのは拙い気がする。なるだけ平静を装ってリヴァイをちらっと見た。彼は薄く唇を開けていた。奇怪に思っているようにも見て取れる。

 いま何を考えているのだろうか。マコが言った言葉を、真琴が言ったことに対して。だがさほど驚きもしないということは、やはり同一人物であると彼に見抜かれているからだろうと、確信をますます強固なものにさせた。
 予測通り動揺もせず、リヴァイは横目を投げてきた。ほかにも試せと言っているように聞こえた。

「代わりにサラダが出ると知って安心しました。小学生のときです。母が持たせてくれたお弁当に半生の肉が入っていて、それを食べてお腹を壊して以来どうもダメで……あのときの生臭さがいまでも気になって、またお腹が痛くなるかもしれないと思うと、怖くて食べられないんです」
「そりゃ親が悪いな。弁当にするときはしっかり火を通すのが基本だ」

 じつのところ、こんな話題にラルフが合わせてくれること自体もう不思議でしょうがない。
 ラルフは次いで首をかしげ、
「最近の学び舎じゃ、弁当を持参するのか?」
 学び舎など行ったことがないから訊かれても分からない。小学校ならば当たり前に給食が用意されるが。
 リヴァイが応じてくれるようだ。
「いいや、飯が出るらしい」

「便利になったもんだ。俺の時代にゃ、おふくろが早起きして作ってくれたもんだが。つまみ食いをしてよく叱られたな。お前のときはどうだった? もう飯が出てたのか?」
 とラルフは多少楽しげに促してきた。リヴァイは黙る。
「地下暮らしは学び舎すら出してもらえなかったか」
 呵々した。笑い方に不快さを催した。

 リヴァイは眉を寄せていた。気分を害したのではなく、おそらく怪訝に思っているからだろう。なぜ自分が理解できない単語がラルフには通じるのか――と。

 真琴の発した「小学生」という単語は、ラルフの耳には「学び舎」と聞こえるらしい。彼が「学び舎」と発した単語は、リヴァイにも「学び舎」として耳に入ってくるようだ。
 ラルフには翻訳されてリヴァイには翻訳されない単語。考えられることは、この世界に「小学生やベジタリアン」という単語が実は存在するということだ。
 それが何に関係しているのか、いまはまだ分からないが。

 さておきラルフの印象だ。第一印象は悪かったが話してみれば意外と普通か。ドラマにあるような、こう卓をバンバン叩きながら問い質されるものだと思っていた。笑い方は好きではないが話を合わせてくれるあたり、それほど悪い人ではないのかもしれない。

 片腕を卓に乗せたラルフが言う。口許には若干の笑みの色がある。
「昔を思い出して、つい関係ないことを話しちまった。おふくろを懐かしがる年に俺もなったってことだろうな。さて話を戻すか。さっきは拘禁半年と言ったが適切じゃなかった。それは黙秘した場合だ」
 白状せず、中央憲兵の捜査で確実に真琴だと発覚したときの刑の長さだろう。(そうでない場合は?)と心の中で問うた答えをラルフがくれた。
「自白すればより軽くなる。拘禁三ヶ月……いや、俺が口を利いてやる。二ヶ月だ」

 真琴は考える。悪くないかもしれないと思った。素直に白状すれば二ヶ月我慢することで外へ出られるのだ。三食付いているというし、それほど苦ではないかもしれない。
 甘い誘惑というほどのものではないが、密かに揺らいでしまう。と、そのとき足に激痛が走る。

「痛っ」
 踵で足を踏まれたのだ。そんなことをするのは傍らのリヴァイしかいない。
(痛いなぁ! もう!)
 涙眼で睨む。彼は入室したときと同じ格好のままで、何事もないような涼しい顔をしていた。ちらりと真琴を見もしない。

「どうかしたか?」
 訊いてきたのはラルフだ。
 苦痛の声を上げてしまった以上、何でもないですとは言えず、
「あ、脚が攣っちゃって……でももう大丈夫です、治りました」
「そういや俺も今朝攣ったな。昨日一日中立ちっぱなしだったのが原因だろうが、悶えるほどの痛みだった。あれは辛いよなぁ」
 またも合わせてきた。黄ばんだ歯を見せ、
「で、どうする。こうして座りっぱなしも筋肉が硬直してこむら返りに繋がるらしいぞ。自白したほうがあとが楽だと思うがな」

 真琴は口許だけを見ていた。口角は片方が微妙に吊り上がってみえる。煙草のヤニなのか分からないが、黄色い歯が何だか不気味だった。
 まさかこれは誘導されているのではないか。くだらない会話に乗るのは油断させるためで、人間の心理を利用してきたのだ。
 最初に拘留期間は半年と言い、三ヶ月二ヶ月と徐徐に減らしていく。そうされると人間は、どうしてかお得な商品に思えてくるものだ。

(だからなのね)
 と真琴はリヴァイの無言のメッセージに気づいた。僅かでも誘惑に揺らいだ真琴を見抜き、だから思い留まらせようと足を踏んできたのだ。遠慮は一切なかったけれども。
 リヴァイが顎を上げた。

「自白も何も、こいつは民衆と同じように人伝に聞いた人間の一人だ。事実無根なのに罪人扱いするのか」
 ラルフの顔が気に食わなそうに歪む。
「事実無根だと? そんな証拠はどこにある」
「てめぇこそ証拠はどこにある、こいつが発端だという」

 言われたラルフは喉から低く呻き声を出した。卓の上でギリギリと締め上げる拳から真琴は予想した。彼は証拠を持っていない。やはり背格好だけで決めつけてきているのだ。

「物語の種を撒いたのはお前だろ!」
 濁った眼を眇めてきたのは問い詰め口調のラルフだ。
 予定通り真琴はリヴァイに同ずることにする。首を横に振り、
「違います。街に落ちていたビラを拾ったことで、ボクは物語を知りました」

 嘘をつくとき事実を少し混ぜ込んでおくのがミソだ。半分が本当のことなので自分の動揺を抑えられるし、言葉に真実味も生まれる。

「しらじらしい偽言を! お前を助けたという少女に聞いたんだぞ!」
「そのガキは、『真琴』だとはっきり明言したのか」
 余裕な感じのリヴァイの声だ。
 ラルフはまた拳をきつく握り合わせた。年齢を思わせる関節部の皺。擦り合う皮膚からはキシキシと音が聞こえてくるような錯覚がする。

「ガキの証言に信憑性はあんのか」
 回答がないからリヴァイは続ける。
「そのガキがでたらめを言っているだけで、じつはそいつが発端かもしれねぇな」

 何てことを言うのだろう。真琴はリヴァイを非情なものとして睨んだ。いまの発言をラルフが鵜呑みにしてしまったら、少女に災難が訪れてしまうではないか。
 少女を庇っておこうと口を開きかけた。またもリヴァイに足を踏みつけられる。
(痛いってばもう!)
 今度は声を抑えられた。が、両肩を縮めて両目を瞑り、痛みを耐えることになったけれど。

「それはない」
 言い切ったのはラルフだ。
「なぜ? ガキは平気で嘘をつくもんだ。てめぇらが胸くそ悪い面で睨めば、怖がって保身に走る」
「怖がらせたかもしれん。だが少女は五歳だ。海の知識などまったくないのに、物語を作れるはずはない」
「五歳の証言?」
 はっ、と少々可笑しそうにリヴァイが短く息を吐き出した。
「ますます当てにならねぇな。そんなガキの言うことを信じてんのか」

「調査兵団の奴だと言ったんだ! 紋章を見紛うことはあり得ん!」
「百歩譲って紋章を見紛わなかったとする。三百人余りいる調査兵から、なぜこいつにあたりをつけた」
「……背格好だ」
 言葉に表れた感情は苦し紛れだった。やはり真琴だという確信はどこにもないのだ。
「馬鹿らしい。似たような奴は俺が知っているだけでも百といる」

 それは言い過ぎな気がした。だがはったりも武器になるということだろうか。リヴァイは続ける。
「そいつら一人一人調査していくってのか? ご苦労なこった。その中に目当ての奴がいたとしても、シラを切られて逃げられるだけだろうがな」
「そんなのはどうでもいい」

 声を絞り出したラルフは思わずといった調子に見えた。眉間に皺の増した顔を逸らす。
 リヴァイが見逃すはずもなく、
「どうでもいい? どういうことだ」
 低く問うて、
「疑わしきは罰せずだ。それともなにか? 百人の調査兵を皆殺すか!」
 ラルフは冷たい瞳で笑う。

「地下の人間はいちいち言葉が乱暴だな。すぐに殺す殺すと……。拘留と言っているだろうに」
「てめぇらのしてることが矛盾だらけだからだ。生易しい言葉は到底鵜呑みにできねぇな。ただ拘留だけで済むとは思えない。いい加減な調査のあげく殺してみろ、冤罪だぞ!」
「だからなぜ死罪と結びつける。落ち着いたらどうだ」

 人魚姫の発端が誰か、もはや誰が作ったかはどうでもいいらしい。疑いを掛けた人物の如何に関わらず、目星をつけた人間をとにかく排除したいのかもしれない。
 それはどうしてだろう。考えればいよいよ疑問だらけである。
 ではリヴァイの予測通りに真琴を殺したがっているのだとしたら、
(ううん、この場合は私じゃなくても構わないんだわ。最初に目をつけられたのが私だったというだけ)
 ――とにかく殺しておきたい理由が弱い気がする。
 湧いた疑雲を突っ込んだのはリヴァイだった。

「てめぇらが物語に拘るのはなぜだ」
「決まっているだろう、禁忌だからだ。外の世界に興味を持つことを、禁じている王政の施策を知らんのか」
「やはり重大な罪だとは思えないな。興味を持つなと言われても、海に関する知識を有している者は少なくない」

 そこに尽きるだろう。海のことに精通していなくとも、ある程度の知識は持ち合わせている。住民のすべてがまったくの無知ではないのだ。ゆえに「海を題材としているから」という理由で死罪にするには重すぎるし、根拠が弱い。
 ではなぜか。それとも何かほかの理由に基づいているのだろうか。 


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