純黒の悪夢3

全てが終わった後。観覧車から降りて、惨状を見渡すナマエの横に、赤井が立った。

「泣いているのか」
「……別に」

 言ってから、ナマエは以前かわした会話を思い出した。「本心を隠すときにはその台詞しか言わない」と。確かに口癖になってしまっているかもしれない。
 だが、事実、ナマエの目からは一滴の水分も流れてはいなかった。

「……私は、別に。……泣きたいのは、コナン君の方だろうに」

 彼はきっと、キュラソーを救えなかったことを嘆くだろう。一人でこっそりと。あるいは灰原と二人、悼むだろう。今は疲れて赤井の車で眠ってしまった彼のことを思うと、胸が締め付けられる。

「…確かに、あれだけの人間を救ったのをもっと誇ってもいいだろうに、浮かない顔をしていたな」
「気づいてたんですね」
「隣で顔を見ていれば、流石に分かるさ。ボウヤらしいといえばボウヤらしい」
「…甘いって?」

 そう、彼はいつも多くを救いながら、救えなかったほんの少しを嘆く。自分がどれだけすごいことを仕出かしたのかも顧みずに、自分を誇るどころか自分を責めているに違いない。それが、ナマエの知る“江戸川コナン”あるいは“工藤新一”というキャラクターだった。

「まあ、正直、甘いとは思う。最小限の犠牲、それも敵方の人間が犠牲ならば、救えた命の重さを喜ぶべきだ。組織への手がかりが絶たれたのは惜しいがな」
「大人ですもんね、赤井さんは」

 完全に割り切った赤井の言葉を聞いて、ナマエは顔を上げた。

「でも、私もそう思います。……それどころか、私は、…コナン君さえ無事なら、あそこにいた客たちなんか死んだっていいと…そう思ったんです。だって、そうでしょう?FBIや公安と違って、コナン君には何の義務もない。あそこから逃げたって誰に責められる謂れもないはずなんだ。私にとっては、何万人の見知らぬ客より、コナン君の命の方が重い。……私、最低なんです、私がいちばんコナン君を信じられてないんだから。…コナン君に、逃げて欲しいっていつも思ってる。もっといろんなことを警戒すべきだし、危機意識を持つべきだって」
「…だがボウヤの性格からしてそれは」
「分かってます。コナン君があんな状況で逃げ出すはずない。自分がどうにかしなきゃって、…『やるっきゃねえ!』っ言って、結局本当にどうにかできてしまう。今回なんか、あなたに頼った分まだマシですよ…いつも大人になんか絶対頼らないし。今までなんかもっと無茶なことも一人きりでどうにかしてきたし」
「ホー……それは、光栄だな。後でその無茶とやらは詳しく聞かせてもらおうか」

 傷だらけな赤井を見ているうちに、ナマエはなんだか馬鹿らしくなってきた。一体なぜ自分は彼ほどの人を相手にこんなバカな話をしていて、一体なぜ彼はそれを素直に聞いているのだろう。そんな価値は自分にはないのに。

(…あー、そっか、秘密の件があるからだ)

 そうでもなければ赤井がこんな小娘につきあったりはしないだろう。
 そう思うと何だか申し訳なくなってきて、ナマエはリュックから救急セットを取り出した。

「…傷の手当、させてください」

 赤井は暫く黙ったまま腕組みをして立っていたが、やがてナマエの傍に近寄ってきた。

「随分用意がいいな」
「彼らと行動して事件に巻き込まれなかった日の方が少ないので」
「なるほど。道理だ」

 納得されても困るが。

「さて、続きを聞こうか?」
「はい……」

 そうだ。そのために赤井はこんな小娘のくだらない感傷的な話に付き合っているのだから。約束を果たさねばならない。その話を始めなければ。
 そう思うのに、喉の奥がつっかえてしまって、うまく話せない。ナマエは、赤井の傷の手当てをしながら、数回深呼吸を繰り返した。

(そんなガキでもないのに、情けない)

 “前世”の年月も足せば、今の赤井を越えるくらいの年月を生きて来たというのに。

「お嬢さん?一体何をそんなに焦ってるんだ?」
「…………お嬢さんって。別に、そんな、」

 ……また言ってしまった。癖というのは恐ろしい。

「怖がっている、と言った方が正しいか?」
「…………別に」

 本当に、癖というのは恐ろしい。他の返答が思い浮かばないのだから。

「相変わらず、『本心を隠すときにはその台詞しか言わないらしい』な」

 前にも言われた台詞だ。否定のしようもない。

「自分をどうあっても“最低”に仕立て上げたいようだがな、…結局のところ、ボウヤさえ救えなかった最後のピースを拾い上げたのはお前だろう?」
「…な、」

 ぴたりとナマエの手が止まった。気付けばナマエの手首には赤井の手が添えられていた。脈拍を観察されている、と気付いた瞬間、ナマエは背筋にひやりとしたものが走るのを感じた。……この人相手に隠し事や計略をしかけようなんて十年早かった。

「既に手に入れた駒にクレーン車を運転させ、“もう一つの将棋の駒”というのは今日手に入れたんだろう?違うか?」
「……………赤井さんこっわ」

 チェスや将棋の話をしていた時の会話を思い出しながら、ナマエはぞっとした。この瞬間も脈拍を計られている。きっとナマエの反応を見るところまで計算済みなのだろう。流石FBIきっての捜査官なだけはある。コナンと違って甘くもない。最初からこの人を相手にしたのが間違いだったのだ。

「あー、………赤井さんが敵じゃなくてよかった。味方でも怖いもん。“手がかりが絶たれたのは惜しい”とか言ってたくせに。あれも油断させるための計略ですか、もう本当怖い」
「…………そういう評価を受けていたとは知らなかった。参考にしよう」
「…すみません。で、まあ、ご察しの通り、キュラソーは私の知人が保護してます」
「ある意味ボウヤより恐ろしいお嬢さんだな。…情報源の方まで話してくれるのか?」
「………それはもう少し経ってからで」
「ふむ、随分慎重だな」
「信じられない可能性の方が大きいので。コナン君にすら話してないし」

 これから起こることを知っています、なんて、あっさり信じられた方が心配だ。確たる証拠を見せられるまではなるべく伏せておきたい。それに、この世界が物語だなんてことを告げる権利はナマエにはない。この世界のキャラクターのアイデンティティを崩壊させかねない行為だし、そもそもナマエの頭の方がおかしいのだという可能性も捨てきれていない。

「………ちなみに言うと、取った将棋の駒は彼女を含めて今のところ五つ。一つは別のフィールドで活躍してもらっていて、一つは動ける状態にないので、私が動かせる手駒は実質ふたつですね」
「手駒と来たか。やはりある意味ボウヤより肝が据わっている」
「…コナン君は人間の命をとても尊びますから。…でも私はそんな甘いこと言ってられないんです。まず何より自分がいちばん大切だし、その次が家族。そのためなら他人の命だって使う。本当に自分勝手な人間なんです。………まあ、私がどんな人間かなんて今関係ないですね。それより、キュラソーの扱いに関してですが」

 治療を再開させながらナマエは冷静さを取り戻していった。

「彼女は死んだことに。特に、公安には生存を知らせないでください」
「ならばFBIで引き取らせてもらう」
「ダメです。彼女は死んだんです。公安もFBIも彼女に接触することはできません」
「どういうことだ?何かの比喩か?」
「生きていることを知っていいのは最低限の人間だけ、ということです。少年探偵団のみんなにも、コナン君にも、灰原さんにも知らせられません。本当なら赤井さんにも言う気はなかったけど…」
「………彼女が生きていては困ることがあると?」
「ええ。世界そのものが狂ってしまうので。…私は世界を欺かなければいけない。組織やFBIや公安よりもね」
「どういう意味だ?」
「今はこれ以上言えません。聞かない方がいいかもしれませんよ?私は悪魔で、キュラソーを餌としてちらつかせ、あなたに甘い悪魔の囁きを囁いているところかもしれないんです」

 言いながら、ナマエは自嘲の笑みを浮かべた。何というか、自分も大層コナンに染まってしまったものだ。以前の自分ならこんな気障ったらしい、というよりは中二病じみた言い回しは絶対にしなかったのに。

「今更だな。悪魔に身を捧げる覚悟など疾うにできている」

 ……まあ、気障ったらしいのはコナンのキャラクター全般に言えることなのだが。

「…………明美さんが今も生きているとしても?」
「なっ」

 流石の赤井も、動揺を隠せなかったらしい。ナマエはすぐに続けた。

「生きているだけですよ。救えはしなかった。…妨げになるなら殺す用意もできています。この結果がよく働くか悪く作用するか分からなかったから、まだ生かしているだけで」

 赤井のすさまじいまでの切れの原動力は彼女の死に一端を有する。コナンが灰原を守るのも彼女を死なせた罪悪感が多少は関わっているはず。
 植物状態で生きている彼女の存在が、どう働くか、ナマエには全く分からなかった。もしこれで赤井とコナンの精神や信念や行動に何らかの悪影響が出るのなら、彼女を殺し、他の助けたキャラクター達も殺して自殺するつもりでいた。それで元通りというわけにはならないだろうが、ナマエにはそれくらいのことしかできないので。
 赤井は流石というべきか、動揺を一瞬で押し隠した。今度はナマエが赤井の脈拍を探る番である。…脈は速い。

「何らかの事情があるらしいな」
「…どうかな。勝手なエゴかもしれません。でも、私は自分の行動に責任を持とうとは思っています」
「それこそ身勝手な考えだ。ひとりで何もかも全て背負えると思っているならそれは傲慢な思い違いだな」
「はは、それ、コナン君にでも言ってあげてくださいよ。それか鏡にでも?」

 赤井は沈黙した。どうにか主導権を握ろうとしたのが失敗に終わったのだ。まるで目の前の少女が全く見知らぬ人間にでも思えてくる。
 ナマエはどんどん早くなる赤井の脈動を感じていた。



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