終幕とはいかない

『アメリカに?いいじゃない、来なさいよ!なんなら母さんたち、すぐに迎えに行くから』

 カリフォルニアにいる両親に電話すると、ナマエが事情を話す前どころか「アメリカに行こう…(かな)」と言い終える前に食い気味に了承された。

「いや、一人で行けるよ。今父さん締め切り抱えてるんでしょ?」

『あ。そうねぇ。でも一人じゃ……。そうだ、秀ちゃんにお願いしたらどうかしら?確かそろそろ本国に戻るって言ってたみたいだし!』

「赤井さん?でも本部はクワンティコでしょ?ニューヨークとカリフォルニアじゃ、まるっきりアメリカの端と端じゃ……」

『待って、今聞いてみるから。……あ、OKって。今から迎えに行ってくれるみたいだから、準備しておいてね〜』

「……え?……え?何?なんて?」

『じゃあねっ!楽しみにしてるわねナマエちゃんっ!』

「ちょっ、母さん、待っ……」

 プツン。ツー、ツー、ツー。
 い、いまなにがどうなった。本気でわけがわからない。どういうことだ?赤井さんとやり取りしてた?メッセージで?それで赤井さんは即レス?えっ嘘そんなまめな人だっけ??
 と、呆然としているうちに、ブォンとエンジンの音が聞こえた。この特徴的なエンジン音は、日本じゃなかなか耳にできない。あの真っ赤なド派手なマスタングのものだろう。早。

「……うそだぁ」

 あー。これが現実なのか。そうか。じゃあナマエの非現実性なんてかわいいものだったのかもしれない……。

「荷物はそれだけか?」

 現れてすぐそう言った赤井秀一に、ナマエはもう何もつっこめなかった。

「いやわたしいまスマホしか持っていないんですが……」

「まあ、それだけあれば十分だろう。工藤夫妻からeチケットは送られてきたしな」

「……誰に?」

「俺宛てだ。俺も同行する。フライトは二時間後に羽田からだ。用意が済んでいるなら出発するが」

「…………」

「服なんかは向こうでもそろえられるだろう。代替のきかない大事なものだけ持っていけばいい」

「……ハァ。まあ、じゃあ、いいかな……」

 そして本当に三時間後にはナマエは羽田発カリフォルニア行アメリカン航空ボーイングトリプルセブン機内のファーストクラスに座っていたのだった。エコノミーでいいと主張しても、心身の状態を鑑みてこちらが好手だ、と言われ、ほぼ有無を言わさず搭乗させられた。

「あの、ファーストクラスってFBIの経費で落ちるンデスカ」

「……。……。……。心配するな」

 そうですか……。ていうか普通にうちの母さんが出してそうだな。いや待て、もしかしてここからもうひと悶着あるとかいう可能性は……?じゃなきゃ赤井さんがわざわざついてくる意味が……それとも裏の指導者扱いされてるから一応VIP扱い……?というか赤井さんの中の私の評価がよく分からない……組織壊滅の詳細を知らないわけだけども、実はジンクラスの幹部が生き残っていて残党狩りとかいうシナリオも……。いや……もう……どうでもいいか……。

「飲むといい」

 横から差し出されたものを、うつらうつらとしながら飲み下す。
 なまぬるく滑らかな感触。ココアか何かだ。カフェオレかもしれない。少しざらついているのは砂糖だろうか。頭を使いすぎたから、糖分補給は大事だ……。そんなことを考えながら、ナマエは眠りに落ちて行った。力の抜けていく手から、赤井がカップをそっと抜き取ったことだけが、ナマエに知覚できた全てだった。





 目が覚めると、真っ暗な空間の中に椅子が二つだけ並んでいて、自分と、赤井秀一が座っていた。そこだけがぼぅっと白く浮かび上がっている。赤井は本を読んでいた。

「……ここ、どこですか」

「さあ。マイリンゲンを超えた辺りかな」

 ぺら、と頁をめくりながら赤井が答えた。その返答がいかにもぞんざいで、ナマエはぼけーっとしながらも、今ここでは何の気も遣わなくていいのだ、と悟った。

 マイリンゲン。兄から耳にたこができるほど聞かされた話によれば、シャーロック・ホームズが、宿敵モリアーティと共に落ちた、ライヘンバッハの滝があるアルプスの、ふもとの町だ。

 夢だろうか。ここは。一体なんなんだろう。
 いや、そもそも、この世界自体、夢みたいなものだった。

「もしかして、ここでおしまいですか?物語は、ちゃんとハッピーエンドを迎えましたか?」

「さあな。終わらせたいのか?また新たな物語を始めるために?」

 ホームズは、モリアーティと共に、一度死んだ。自死にも見えるやり方で。
 生みの親たるドイルが殺したのだ。新しい連載に集中したいからそうしたのだ、と兄は言っていた。

「君も、終わらせたいのか?」

 ぺらり。またページがめくられる。残りのページ数の厚みを見ると、もう、終わりは近いようだった。

「……。完全犯罪って、ありうると思いますか?」

「百パーセントは存在しない」

「……ならば、百パーセントは存在しない、という言説も、百パーセントではない」

「その通り。犯罪を暴く側もまた、百パーセントではありえない。気づかれたくない相手にだけ気づかれずに、人知れず人間一人を消す方法は、いくらでもある」

 ぺらり。乾いた音。赤井の瞳は本に落とされていて、感情が読めない。

「君は君自身を消したいのだろう?」

 ぺらり。
 ぺらり。

「……は、い」

 本を読む速度が進んだのか、それともナマエの反応が遅いのだろうか。

「あなたが協力してくれれば、可能です。赤井さん。家族や、志保さんや、他の皆に知られずに」

 赤井は指を止めた。
 読みかけの本のページの間に指を挟み、本を閉じる。指と指の間の大きな隙間から、暗闇の裂け目がこちらを覗いているような気がした。

「ふむ。君は案外、俺に甘えたことを言う。その後のこと、何もかもすべて、俺に負わせようと言うのか」

「……それは」

「君と最後に接触したという事実。君と長い時間を過ごしたという事実。両親に信頼され、保護者代わりの役目を果たしていた事実。すべてを裏切って君の望みを叶えても構わないが、俺は一体どれだけの追求を受けることやら」

「でも、あなたなら」

「ああ、できるだろう。すべての追求を交わし、君の望む通り、真実を隠し続け、皆の悲しみを減らすことはな。自死でなく事故となれば諦めもつく。だが」

 赤井は再び本を開き、最後のページをめくり、また本を閉じた。そして。
 懐から、もう一冊の本を取り出した。

「終わったと思っても、また奈落の底から蘇るかもしれん。ドイルが読者のアンコールに負けて、ホームズを空き家の冒険で復活させたように」

「……私を死なせてはくれない?わがままな読者たちですね」

「作者は君だろう」

 違う、と叫びだしそうだった。
 この物語の作者は私じゃない。
 私はただの、わがままな読者の一人だった。
 変える権利なんかなかった。終わらせることもできなかった。再度始めるなんて、もってのほか。

「赤井さんは、何もしなくていいです。何も知らなくていいです。私はどこかへ消えて、どんな手段を使ってでも、新しい人生を始めて見せます。私はどこかで生きているんだとみんな思ってくれればいい」

「どうやるんだ?」

「あなたは知らなくていい」

「君も薄々気づいているようだが、ここは夢だ。何を言ったって、“赤井秀一”がそれを知覚することなどありえないよ。ここにいるのは君が作った俺なのだからな」

「…………ああ、確かになあ」

 本物の赤井秀一なら、
 本物の赤井秀一なら。

 こんなことは言わない。こんなのはあまりにナマエに都合がよすぎる。ナマエの妄想だ。

「……それもそうですね」

「そうだ。それで、どうする?どんな手段を使う?誰に頼り、どこへ向かい、何をする?」

「そうだなあ、手始めに、ノアズ・アークに新たな戸籍を用意してもらって、組織の残存勢力を経由して伝説のコンドウ辺りにでも依頼して、……どこがいいかなあ。中東、北朝鮮、……いや、メキシコかな。あの辺りに身を隠して……。うーん、それより、不老不死の秘薬の情報でもちらつかせて、不二子辺りに捕まえてもらおうかなあ。そうすればルパンも動くし、世界一の大怪盗が相手じゃ、たぶんお兄ちゃんだってそうそう簡単にはたどり着けないだろうし……。不老不死の成就に私の死が必要と思わせれば、峰不二子だってそう甘い女性じゃない、試しに私を殺すくらいしてみるでしょう。そうなれば、まあ、不幸な事故でしょうね……」

 頭の中になんとなくあったアイデアをつらつらと呟いているうちに、また意識がもうろうとしてきた。夢から夢へ移るのかもしれない。
 赤井に細かいところの説明を求められ、それについて思いつくまま答えているうちに、ナマエは再び眠りについていた。



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