壊滅の日
ナマエが何もせずとも、ナマエが救った者たちはうまく立ち回り、状況を有利に展開させた。表立って中心に立ったのは当然のことながらコナンや赤井、降谷たち。“死んだはず”の彼らは裏で暗躍するに留まった。組織が壊滅した後も、彼らは表に出てこようとはしなかった。彼らが独自に築き上げていたネットワークと技術を駆使して彼らは再び裏へと隠れてしまった。当然、あらゆる者たちがナマエのところへ訴えに訪れた。曰く、なぜ彼らを隠していたのか、そしてなおも隠し続け、表に出さないのか。
「彼らが表に出てこないのは、彼ら自身の意志でもあります」
ナマエがどれだけそう訴えても無駄だった。実際、彼らは、ナマエが何も言わずとも自分の立ち位置を把握しているようだった。この世界から隠れなければならないと、まるで彼ら自身、それを知覚しているかのように。
とにかく、なぜだかナマエは彼らを束ね上げる裏の指導者として扱われていた。兄ならともかく、ナマエにそんな器量があるはずもないのに。
「もう、疲れた……」
心が休まるのは、実家である工藤邸にいる時と、阿笠邸にいる時だけだった。あとは、裏に隠れる彼らと共にいる時。
灰原も恐らくナマエに聞きたいことがあるはずなのに、それでも放っておいてくれた。宮野明美のバイタルはリアルタイムで伝わるようになっているはずなのに。
「……ごめんね、灰原さん」
「謝らないで」
真相を知った日から、灰原の態度が少し変わったことには気づいていた。動揺しているけれど、それを押し隠すためにいつも以上に平静を保とうとしているような。
当然だ。姉が実は生きていて、けれど植物状態だなんて。今更知ったってどうしようもない。だが、同時に、肉親なのに知らされていなかったという裏切られた感覚もあるだろう。
ナマエが灰原に冷たくされて悲しいなんて思ってしまうのは、筋違いだ。
謝罪を重ねるのも違う気がして、けれど表に立てばそれこそ毎日誰かの質問や懇願を聞く羽目になるのでそれもできず、結局ナマエは何も語らないまま灰原の傍にいた。
兄や降谷に事情を説明するのは嫌だった。
そのくせ、一人になることもできなかった。事情を唯一知る赤井が時々様子を見に来たが、後始末に忙しいのだろう、最近ではめっきり姿を現すこともなく、ナマエが孤独を解消できる相手は限られていた。
「……」
降谷の声が耳に残っていた。
生きていた、という歓喜。それを上回る、なぜ知らせなかった、という怒り。前者は生きていたスコッチ本人に向けられ、後者はそれを指示したと思われているナマエに向けられた。
『なぜ隠した。公安と共に組織の目をかいくぐる方法ならいくらでもあったはずだ』
かいくぐらなければならないのは組織ではなく世界のまなざしだということを、説明する気にはなれなかった。
全て終わった時に、コナンだけは、ナマエに礼を言った。
成実先生を救ってくれて、ありがとう、と。
ナマエは、何もかもに耐えられなくなった。
死ぬはずだった人。起こるべきだった事象。
それらをいくら必死に救っても、それによってもたらされる感情だけは救えない。
明美やスコッチや成実先生が死んだという事実をナマエは変えた。
けれど、その死によって今までもたらされていた悲しみや苦しみは真実だった。ナマエはそれらを救うことはできなかった。
この後の世界を、ナマエは知らない。
最大の敵が滅んだ後の、ハッピーエンドのその先を、ナマエは知らない。
犯人が逮捕され、遺族が報われ、謎が解き明かされ、真実が追及され、いくつかの恋が実るだろう。それらは恐らく価値のあるものだ。けれど、そんなものが知りたいわけじゃない。
この後の世界を、どう生きようか。もう、生きている意味さえないかもしれない。
そうだ、もう、終えてもいいのだ。解放されてもいいのだ。コナンだって言っていた。すべてが終わったら、私にだって、楽になる権利がある。
どうやって終わろう。生半な方法ではだめだ。あまりにも聡く、優秀な人間が、ナマエの周りには多すぎる。彼らに気づかれてはいけないし、ナマエの消失が、幸せな結末に水を差すほんの僅かな染みになってもいけない。
(どうやろうか……)
ぐるぐるとそんなことを考えていたナマエは、灰原が何度か自分に呼び掛けていたことにも気が付かなかった。
「何を考えているの?」
「え?」
「焦点が不明瞭。呼びかけに応じず、反応も鈍い。……典型的な抑うつ状態ってとこかしらね。今回の成功の立役者がそんな顔してちゃ、誰も喜べないじゃない」
「……喜ぶようなこと、あったっけ?」
ナマエはきょとんとした。半ば本気で聞いたのだが、灰原に思いきり呆れたような顔をされてしまった。
「まさかあなた、今回のことで黙ってたのを責められたからって、自分のせい〜なんて風に考えているんじゃないでしょうね」
「いや、……」
「あ・の・ね!」
まるで少年探偵団やコナンに対して諭すような、少し怒っているような口調で灰原はナマエにずいっと詰め寄った。
「あなたは奇跡を起こしたも同然なのよ?今まで死んだと思っていた人が、次々蘇った。キリストだってびっくりの復活劇をやってのけたも同然なの。最初は反発があって当然よ。二千年前なら有難い奇跡で済んでも、この時代だし、あんなに厄介な頭脳の持ち主たちなんだもの。すぐには受け入れられないでしょうね。だけどあなたは誇っていいのよ」
「……明美さんは、眠ったままなのに?」
「ばかね」
灰原は少し表情をゆるめた。
どうして?
「死んでいるのと昏睡状態じゃ、全くわけが違うわ。私は組織で活躍したとびきり悪い研究者なのよ?人を縮める薬を作るのに成功したんだから、人を目覚めさせる薬くらい、作って見せるわ」
灰原の口調は、今までの、哀愁と諦念が滲み出た大人びたものではなくなっていた。好戦的な、まるであの小さな名探偵のような悪戯っぽい光がその目には宿っている。
「……でも私、あまりにも非現実的なことを」
「それを私も今から起こすのよ。大体、作った私が言うのもなんだけど、人の体が縮んだ時点で十分非現実的だわ」
……それは、確かに。この世界の前提条件からしてそうだった。というか怪盗キッドの同級生には魔女もいた気がするし。
「じゃあ、私は、生きてていいの」
灰原は空気を一変させた。あ、怒られる!とナマエは咄嗟にぎゅっと目をつぶって身構えたが、灰原はすぅっと息を吐きだしてそれを抑えたようだった。
「ま、分からなくもないけど。……私だって、あんな薬を生み出した時は、それに起因する不可思議な現象や、それに付随するすべての負の感情は、全て自分のせいだ、って思ってたもの」
「…………」
「いいから今はとにかく休みなさい。何ならしばらくご両親のもとに行ったら?ここじゃ周りがうるさすぎるでしょう」
そう言って灰原は再びコンピューターへ向かい、作業を再開した。その集中力たるやすさまじく、態度が冷たく思えたのはそれだけ作業に入り込んでいたからだったらしい。
それもありかもしれないな、とナマエは思った。
今ここにいるのが辛いなら、とにかく離れてみるのは、一つの手かもしれない。