工藤優作のコールドケース
工藤邸の自室でナマエが本を読んでいると、階下からにぎやかな物音が聞こえて来た。誰か来訪したらしい。
…正直付き合う元気はないが、声からして園子がいる。嫌でも引っ張り出されるだろう。自分から出て行って挨拶だけしてまた引っ込むのが得策だ。そう思って階段を下りたのだが。
「あっナマエちゃん!よかった、ちょうどいまナマエちゃんの分もお茶淹れたから」
「え…?蘭先輩…?あの、私は別に…」
「いーから飲んで行きなさいよ、茶ぁぐらい」
「や………あの、」
と、横から現れたもう一人が「わーホントにコナン君にそっくりだな」とナマエをじろじろ見詰めたので、思わず後ずさる。
「相変わらず人見知りねぇあんた。この子は世良真純。私たちの同級生よ!」
「初めまして!いきなり押しかけてゴメンな」
「いえ……」
「あんたら会ったことなかったっけ?」
「ああ、初めてだよ。」
「じゃあちょうどいいわね。ほら、さっさと座る!」
「ナマエちゃん、お砂糖入れる?」
世良の一言と園子の強い押しと蘭の悪気ない引き留めによって、結局ナマエは一緒にお茶を飲むことになった。どうやら三人は「死」というメッセージが残された事件の写真を探しに来たらしい。
「髪の色はコナン君より明るいかな。でもこうして見ると本当にそっくりだな!」
「そうなのよ。新一ともそっくりで、すぐ兄妹だって分かるものね。髪の色はお母さん譲りなのかな」
世良がまたまじまじとナマエを見詰め、それにつられて蘭までナマエの顔を覗き込んできた。酷く居心地が悪い。
「にしても、ナマエちゃんがいるのに女なんか連れ込むかねー」
「…女?」
「いや、さっき棚に置いてあるゴムや口紅をぬぐった跡があるグラス、それに髪の毛なんかを発見してしまってね…」
「そーそー!だからあの推理オタクが女でも連れ込んでるんじゃないのかって言ったんだけど、あいつ今家に居ないらしいから、じゃあ昴さんの!?ってことになってさ」
なるほど、とナマエは溜め息をついた。
「じゃ、この、天気とニュースってのは…」
「ああそれ、ボクがアドバイスしたんだ。浮気の証拠は残しておけば裁判なんかで役に立つしね。その際天気やニュースを記載するのは基本だろ?」
見るつもりはなかったが目に入ってしまった蘭の携帯の画面。世良の言葉に、ナマエは思わず呆れた。いや、新一と蘭の仲にいちゃもんをつけるつもりはこれっぽっちもないのだが。将来姉になってくれたら安泰だな、とも思ってるし。
だがしかしこれは。
「……………裁判って。蘭先輩がお兄ちゃんと結婚してたなんて初耳ですけど。それとも婚約ですか」
「あはは!まあ将来の参考までにだよ!」
裁判した所で慰謝料は離婚の際などにしかそうそう発生しない。
「にしてもよく知ってるな。裁判になる条件なんて」
「………新一兄ちゃんがよく変なこと吹き込んでくるので。おかげで私もコナン君も変な知識ばっかりつきましたよ」
「あーたしかに。あのガキンチョよく変なこと知ってるもんね〜」
本棚ではコナンが何か調べものをしているらしいので、ナマエは一気にお茶を飲み干すと、「コナン君のところに行ってきます」とその場を離れた。
*
「ちょっと、お兄ちゃん」
ごそごそと棚から資料を下ろすコナンを手伝うふりをして、小声で話しかける。責めるような声色になってしまったのは致し方ない。
「あ、ナマエ。居たのか。わりぃな」
「前もって連絡してよ。そしたら博士んとこ行けたのに」
「オメーほんとあいつら苦手だよなー。…オレだって来んなつったんだけどよ」
「………お兄ちゃんの同級生なんてどう接していいか分かんないもん」
というのは建前で、本当に苦手なだけだ。もとより人見知りというか家族以外の人間とそう関わらない方でもある。少年探偵団は正真正銘子どもなので何とか我慢して付き合っているが、相手が高校生となるといろいろ耐えかねるものがある。
「…それに、世良さん?と昴さん会わせてよかったの?」
「何かまずかったか?」
「え、だって………」
あのふたり兄妹でしょ、と言おうとして、ナマエは寸前で口をつぐんだ。余計なことを言ってはいけない。この十年で学んだこと。この時点でコナンがそれを知っているかどうかナマエははっきり覚えていない。
「………いや、何となく。」
「またそれかよ。オメー占い師にでもなれんじゃねぇか?…まあオメーの勘は大抵外れねーし、オメーがそう言うなら注意しとくよ」
「………ん」
寄せられる無条件の信頼が嬉しくて申し訳なくて苦しい。ナマエはこみあげたものを堪えるように、脚立の上に立っているコナンの服の裾をくい、と引っ張った。
「わっ…と、おい、その癖まだ治んねーのかよ?」
「あ…ご、ごめん…なさい」
「…………」
コナンはひとつ息を吐くと、しょうがねーな、というようにナマエの頭を撫でた。妹の甘え方は酷く臆病で分かりづらい。普段は届かない頭も、脚立のおかげで元の身長差に戻っている今なら届く。
「何か不安要素があんのか?」
「…別に。………でも、お兄ちゃん、蘭先輩たちが絡むと途端にただの恋する男子高校生に戻ってガードが甘くなるから。気を付けてね」
昴さんに正体がばれないように、とまでは言えないが。
「よっ、よけーなお世話だっつの!ほら資料見つかったから行くぞ!」
「えー大丈夫かなー…」
ナマエはふぅ、と溜め息を吐いた。別にここの流れまで変える必要はない。むしろさっさとばれちまえ、くらいには思っている。じゃないと全部知ってて傍で見ているナマエの胃に穴が開きそうだ。
*
スマホに蝶ネクタイをつけたまま、新一の声で受話器の向こうに喋りかけながらトイレを出て行った兄。と、それを廊下の角から見ていた沖矢昴。
そのどちらをも見ていたナマエは、はぁ、と溜め息を吐いた。
その後、コナンに真田丸のヒントを与え、女子高生3人とコナンを見送った沖矢は、傍らのナマエに白々しく微笑みかけた。
「おや、ナマエさん。どうかしましたか」
「………あんまりウチの兄をいじめないでほしいんですけど」
「……ホー。そんなことを言っていいんですか?今の君の言葉のおかげで確信を持ってしまいましたよ」
「さっきコナン君にかまかけてたくせにいけしゃあしゃあと。…あなたこそ、世良真純さん?にものすごくじろじろ見られていましたけどいいんですか」
その言葉には沖矢も苦笑を漏らした。呆れたような、しょうがないな、というような表情は妹に向けたものか。
「確かに、もう少しポーカーフェイスを身に付けていただきたいところではありますね…」
「…うちの兄にもそれは言えますけど」
「まあ、彼らもまだまだということですね」
ふっと笑いながら白々しくそんなことを言う沖矢に、ナマエは「…そうですね」と返すのが精いっぱいだった。兄より先に小銭のタネに気付き、兄にヒントを残すような人間だ。そりゃあ世良やコナンなどこの人にとってはまだまだケツの青い若造だろう。自分がそこに入っているのかどうかは考えないことにした。