§一日目

 七年前の夏休み、例年通り僕は母の実家に帰省しに行った。祖父母の家は県内にこそあったが海や都市には遠い平地にあった。そこは完璧に交通から見放されたような陸の孤島で、バスはなく最寄り駅からはタクシーしか手段がなかった。そこへは車で一時間程度。盆でなくても実家へは時々行ったがとにかく夏休みは必ず宿泊することになっていた。

 家は木造二階建てだが二階は一部屋しかないから実質平屋だ。引き戸の玄関をぬけると廊下が奥へ奥へつづいていく細長い形状。庭で祖父がサボテンやサギソウを育てていて納戸にはなぜか竹かごばかり入っている。家の裏手は登り坂でそこを登ると城跡の公園、坂のとなりのあぜ道を下ると祖母の畑で、さらにその隣は水田。その向こうに小屋、店、家、墓地。家の回りにはパン屋と元醤油屋など。さらに一連の集落をとりまく、延々と広がる水田、水田、水田。
 実家には陽次が遊びに来ていた。陽次も県内に住んでいるがもっと南の方だ。三時を過ぎると陽次は帰ってしまい、兄もゲームをしているし母は祖母としゃべっている。僕は暇になった。

 ――ちょっと、出掛けてくる。

と母に言って僕はサンダルをはき裏手の坂を登った。坂はけっこうな高低差があり意外と疲れる。当時の僕には小山を一つ越える気分だった。おまけにまだまだ日は高くTシャツは汗ばんだ。セミが合唱している。

 坂の頂上近くに十郎杉という樹齢四百年超の大木があり、その下には小さな稲荷のほこらがある。狐が化けて出る、と母に散々脅された場所だった。小学四年の男子なんて弱虫なばかりで、母や兄の前では強がりを張っていたが、いざ独りになると全く軟弱だ。斜面から覗き込むようにしないとほこらは見えないから見なければよいだけなのだが、怖いものに限って人間は目を反らせないのだった。小四の僕の心は恐ろしさにふるえながら、何にもないさと強がりながら、何かの期待にふるえながら、でもやはり何もないだろうとあきらめながら、目を反らしたかった十郎杉に視線を向けてしまう。

 十郎杉の根元に何者かしゃがんでいた。幹にもたれ目をつむっている。組んだ腕がひどく色白で細かった。黒い髪で小柄な子供。僕と同い年くらいの少年だった。
 彼が僕に気付き目をあげた。外人のように色のうすい目をしていた。僕のTシャツは汗で湿っていたが、彼は汗ひとつかいていなかった。

 ――狐?

上ずった僕の問いに彼はきょとんとしていた。少し眠そうな目で十郎杉を見上げ、

 ――ここは蝉がうるさくないね。

ぼんやりとそう言った。そして、この木はいい木だね、とつぶやいた。

 これがエヌ君との出会いだった。

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