福富:言えなかった言葉はいまも
side 福富寿一

「もういいよ、わかった」

そう告げた彼女の声は今まで聞いたことがないくらい冷たく聞こえて、もしかした自分は自分が思っている以上に彼女を傷つけてしまったかもしれないと後悔した。

葉山の笑顔を見れば自然と元気が出て、彼女の話を聞くのが好きで。

彼女を好きになったのはいつのことだったか、もう思い出せないほど前だ。クラスが1年、2年と同じで、もう2年の春には彼女の明るい笑顔と優しさに惹かれていた。静かに彼女を見守るのが毎日の少しの幸せで。そんな日々を送っていた。それで満足だった。

けれどその関係は彼女によってさらに幸せなものに変えられた。インターハイが終わってしばらく、肌寒く皆がセーターをブレザーの下に着るようになった頃、彼女に告白されたのだ。

「寿一くん、好きだよ」

それから何度も聞いたこの言葉に「俺も好きだ」と心では何度も返事をしたが、口から出る言葉は「ああ」だとか「俺もだ」とか、肝心な言葉が言えない自分が、ロードに乗っている時のような強さが全くなくなってしまう自分に戸惑っていた。

いつも隣で、遠距離になってからは電話口で、たくさんの好きだという感情を伝えてくれている彼女を幸せにできているのだろうか。

戸惑ってばかり、彼女の行動力に甘えてばかり。すでに自分は彼女にとって、彼氏という静かに見守るだけではダメな存在になっているのに、もしかしたら、ずっと一方的に好意を抱いていた時と何も変わっていなかったのかもしれない。

***

「芽依、今日部屋行っていい?」
「ん、いいよ」
「ちょっと寮寄ってから行く。ケーキ買ってくよ」
「うそ!やったー」
「じゃ、寿一、先に帰る、芽依、俺の方が早かったら勝手に入っていい?」
「ああ、お疲れ」
「はーい、合鍵で入ってて」

この2人は、俺と葉山とは違う。当たり前だ。この2人の関係性が俺たちにとっての正解ではない。でも、多分、俺は何か間違っている。

「花咲、質問があるんだが」

昨日一晩彼女の冷たい声が脳内で響き渡って、何故かその時、去年の夏、東堂庵で同じ部活のマネージャーである花咲に叱られたことを思い出した。

「ん?なに?」

新開がケーキを買ってくれるからなのか、それとも部屋に行くと言ったからなのか、明らかに上機嫌になり、鼻歌を歌いながら書類の整理をしている彼女に話を切り出す。

「もしもだ、例えばの話だが」
「うん」
「新開と遠距離をしていたとしてだ」
「隼人と?」

想像できないなぁ、遠距離かあなんて呑気につぶやく彼女に頷いて話を続ける。

「久しぶりに会う約束をしていた日に新開が急遽部活になって会うのをやめてきたらどう思う」

どうするか、が聞きたかったのではない。どう思うのか、俺にはその寄り添う力が足りていない気がした。

「んー」

真面目に想像してくれているようで、彼女は少し悲しい顔をした。

「すごく悲しくて、でも仕方ないのもわかるから、どこに寂しさと悲しさと怒りをぶつけていいのかわかんなくて、どうしようもなくなる」
「そうか」
「でも多分、そうなったら隼人はこっちが心配するくらい会えないこと落ち込むし、多分すぐ埋め合わせしてくれるかな、だからもしかしたらそんなに悲しくならないかも」

そこまで想像したのか、少し楽しそうに笑ってから、俺の顔を彼女が伺うように覗いた。

「葉山さん?」
「…いや…」
「福ちゃんが話したくなければ話さなくて平気だよ」

トントン、と机で、書類の端を整える。

「新開は」
「ん?」
「好き、だとか、言うか?」
「それ、聞く?」

想像できるでしょ?なんて笑いながら。

「もう、甘すぎて吐きそうなくらい言う」

そう話す彼女は、本当に幸せそうだった。

「福ちゃん、何か迷ってることがあるならさ、やっぱ、行動あるのみじゃないかな?」

整えた書類をファイルにしまうその手は慣れた手つきで。耳には先日新開が嬉しそうに1年記念にプレゼントするんだと見せてくれた可愛らしいピアスがつけられていた。

「好き、って言うのも結構勇気いるよね」
「……」
「でもそれって多分葉山さんも一緒だし」

彼女から当たり前なのに気がついてなかったそんなことを指摘される。

「会いにくるってすごいパワーだよね」
「…ああ」
「好きじゃなきゃできないよね」
「そうだな」
「京都までって何時間くらいなんだろう、お土産は八つ橋がいいな」
「…味は」
「チョコレート」

「よし、終わり」と嬉しそうにファイルを棚に仕舞い彼女がバッグを手に持った。

「ちゃんと捕まえとかなきゃ逃げられちゃうぞ!…なんてね!じゃあ隼人来るらしいから私もそろそろ帰るね、お疲れ様〜」

彼女が笑顔で後にした部室に1人残された俺はそのまま最寄りの駅まで向かって、葉山が来るはずだった日の翌週末を指定して新幹線の切符を取った。

***

それからも延々鳴らない携帯を見つめる毎日、通話ボタンを押せば繋がるのに、結局彼女に電話をかけることができたのは、もともとデートをする予定だった日。

「浮いたお金で洋服買っちゃった」

無理矢理笑っているのが電波に乗って伝わって来る。俺は、彼女を。

『好きだ、来週切符をとったから会いに行ってもいいか』

何度も脳内で練習したこの言葉をかけようと、意を決して口を開く。

「葉山、あの…」

でもその言葉は彼女によって、遮られてしまった。

「ごめん、寿一くん、もう別れよう」

彼女の言葉に自分の周りから酸素がなくなるようなそんな感覚に陥る。何の音も耳に入らないような、見えている景色から色が全て抜けていくような。

別れよう、とは、別れようと言う意味だろうか。

漸く絞り出した言葉は

「そうか…」

引き止めなくていいのか。何か、何か、なぜ上手くできないのだろう。彼女が俺にしてくれたみたいに、必死で思いを伝えればいいじゃないか。

「そうかって何?」

彼女の明るい声はもう聞けないのだろうか。彼女をこんなに苦しめているのは自分だと、そんな考えが頭に浮かべば、傷つけるくらいなら別れた方がいいのだろうと、結局止める言葉など口から出てこなかったのだ。

「…ありがとう、今まで」

震える彼女の声は、告白の時に聞いたその声と似ているようで全く似ていない。こんな悲しい声をさせたのは自分だ。遅かったのだ。今まで何度だって彼女に思いを伝えるチャンスはあったというのに。

電話から聞こえる無慈悲な機械音がただ頭で響き渡る。そんな音に乗って頭に浮かぶのは隣で嬉しそうに笑っていた葉山の顔だ。

初めて自分から彼女へ気持ちを表現しようと購入したはずの切符はテーブルに置かれた財布の中に悲しげに入っていた。
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