01 | ナノ



※「ロストメモリーワン、ツー、スリーリセット」の続きみたいな流れです





風に煽られて思うこと、忘れる速度は常に一定じゃあない。

瞼を伏せて瞳を閉じる。ゆるやかに俺を覆う暗闇がやがて俺の思考を支配して、そうして脳は眠りに落ちる。それがリセットの合図で、俺が自らの意志でこの身を操ることのできない唯一の瞬間でもあった。

なりたくてなるんじゃないと人はよくそんなことを言うけれど、まさにそれはそうだなと思う反面、それが運命なのだと言われれば抗う気は到底起きなかった。
そもそも運命だなんてロマンチックな言葉こそ信じたりはしていない俺だったが、これはこれできっとまたひとつの運命なのだろうとそう思うことができる。そうじゃなければやりきれなかったからだ。

忘れようとそれは何ら勝手だったが、望んでいるのかと問われれば決してそうじゃない。自らでコントロールの効かない身体と日々を共にする過程は、途方もない永遠を感じさせる。それは同時に少しばかり、怖くもあったけれど。

新宿の事務所があるビルの屋上、ここが好きでこの場所を借りたことをちゃんと俺は覚えているのに。瞼を伏せるたったそれだけのことで、俺はただひとつのことだけを忘れてしまうとんだ欠陥品だ。

ベッドに潜り、まどろみやかて眠りに落ちる。

やがて空が白み眩しい光の中次に瞳をこじ開けたとき、俺の中に平和島静雄のバックアップは存在しない。俺の中のウィルスがご丁寧に毎朝全てを食らい尽くして、そうしてそこからまた俺のながい永い一日が始まる。

俺の世界にきみはいない。







ラストメモリー





朝起きてまず初めにカーテンを開ける、ベッドから出る、気怠いのは低血圧がゆえ大抵いつものことだ。キッチンに向かいゆっくりと冷えた水を飲み下し、身体の真ん中をすり抜けるつめたさに確かな体温との差を感じることができる。当たり前に呼吸を繰り返し、当たり前にこうして水を飲む。

俺は生きていた。なにひとつ変化のない日常の中で、当たり前をこなしその隙間を通り抜けては飄々と。

日常の行動を記しては綴るようになったのは、つい最近のことだ。

俺はどうしてか毎朝目を覚ますたびに酷く気分が清々しく、すきとおった水の中で瞳を開いたときのような独特の感覚を覚える。

毎日毎日なにか特別なことがあるだなんて思っちゃいないけれど、それでも日々は確かに違っていた。クリアな思考回路にすっきりしている反面、どこか知らない世界に堕ちてしまったような、妙な疎外感を感じることだってある。

顔を洗って、その次に熱いブラックのコーヒーをゆっくりと飲み干す。日記というよりは観察に近いその記録は毎日寸分狂うことなく、同じ内容がきっちり延々と書き込まれていた。

それでも毎日その先に、夜のできごとだけは一切綴られていない。




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「うん、体調面は問題ないね。至って健康体だ」

「当然。別に病人でも何でもないんだし」

二日に一度の結構な頻度で新羅が俺の元に問診に訪れるようになり、そろそろ一か月が経とうとしている。最初のころは毎日で、それが二週間ほどして二日に一度に落ち着いた。

何度何度も口煩く「もう来なくていい」と言ったつもりだったが、それでも来るものは来る。追い返そうとしてもそれが上手く行かず、結局決まった時間にインターフォンは鳴り響き来客を知らせる。仕事の都合上も腐れ縁も相まって、なかなかそう簡単にその存在を蔑ろにすることもできず、必要のない問診を俺は妥協して受け入れざるを得なかった。

「何か、変わったことはない?」

「特にないけど。もうそれ聞き飽きたからいちいち聞かなくてもいいよ、何かあったら自分で口に出せる。子どもじゃないんだし」

かったるい、と言わんばかりの態度で答えれば、新羅はややその視線を伏せて笑いながらそう、とだけ呟いた。この態度も最近は相変わらずだ。こういう些細な違和感の積み重ねがきっと、俺の毎朝の妙な感覚を生み出していることだけは薄々自覚しつつあった。

俺は至って健康体だ。以前の反射能力や運動神経が劣ったわけでも老化により衰退したわけでもなんでもない。情報屋を勤める上においてそれらはなくてはならないものであり、保持するための努力とやらは惜しんでいないつもりだった。

好きなものはもちろん好んで食べるし、特に行動に何か変化が起こったわけでもなんでもない。だからこそ気に入らないのだ。何がって、まるで腫物に触れるように扱われるこの状況が。

「そうだ。今日はちょっと面白いもの持ってきたんだ」

「面白くなかったら承知しないよ」

「あれ、何か機嫌悪い?」

「べつに」

悪いと感じているのならば空気を読んでさっさと帰ればいいのに。思ったけれどそれは口に出さなかった。新羅はぶら下げてきた鞄の中から自らの手帳を取り出して、そのページをぱらぱらと捲り間に挟まっていた紙をしずかに抜き取る。はい、と渡されたそれは一枚の写真だった。

「なにこれ」

「懐かしいだろ?高校のころの写真だよ」

「俺映ってないけど。新手のいやがらせ?」

「まぁまぁ、そうカリカリしないで。映ってるの誰だかわかる?」

「誰って、新羅」

机の上にぴん、と弾いた写真の人物を指差し、そこを指先で軽くとんとんと叩く。今とそう変わりはないものの、若干あどけなさの残る顔つきの制服姿の級友の姿がそこにはあった。背景には学校特有の掲示板や机や、制服姿の学生なんか映り込んでいる。

「僕の隣は?」

「………さぁ」

「名前とか、憶えてないかな」

「知らない。こんなやつ同じクラスに居たっけ」

指していた新羅からその指を移動して、となりに佇むいかにも不機嫌そうな顔の上、更にまた指先でそこを叩いて音を立てる。
ド派手な金髪に鋭い目つき、今にも何かを言いたげに潜められた眉。学ランを着用していた俺と違い、隣に並ぶ新羅と同じようにブレザーを纏ってはいるが、その着こなしはお世辞にも良いとは言い難い。一見での感想を述べるなら、ただの不良と呼ぶにふさわしい見た目だ。

けれどもその容姿に見覚えがあるだとか、そういう記憶に触れるような感覚は頭のなかに一切しない。要は知らないからという何でもない結果に落ち着くし、それ自体には何の違和感も覚えなかった。だってそうだろう、こんな見てくれの人間ならば必ずどこかで見たことがある、くらいの位置付けに留まってもおかしくはない。

それでも新羅とはそこそこ仲睦まじげに写真などに映り込んでいるの様子に、こいつにもこんな友人が居たのか、と自分の知らなかった事実にほんの少しまた違和感を覚えた。把握していないことがあるというのは余り面白くないことだった。

「昨日の今日でそれだからなぁ…静雄くんも中々我慢強いと言うか健気と言うか」

「はぁ?何の話?」

「いや、何でもないよ。じゃあ僕はそろそろお暇するから、また明後日ね」

「たまには忘れてくれていいよ。何なら向こう一年くらい」

そこそこ本気のつもりでそんなことを口にしたら、新羅は困ったように苦笑を浮かべるという、全く予想していなかった表情を見せて立ち上がった。玄関に向かい歩き出したところで、慌ててその背中に向けて声を掛ける。

「これ、忘れてる」

「ああ、それは君にあげるよ。学生時代の写真なんてどうせ一枚も持ってないだろ、きみ」

手元の写真をわざわざ差し出したというのにそのまま綺麗に返されてしまって、流石の俺も戸惑った。だってここには俺が映っていない、映っているなら要るのかと問われればそれもまた違うが、新羅の支離滅裂な台詞に俺は更にその意図を見失うばかりだ。

「悪いけど要らないよ。持って帰って」

「君が撮ったんだ」

「…………は?」

「君が撮った写真だよ、それ」

それじゃあお大事に。俺の現状にふさわしくないそんな言葉を残して、腐れ縁の友人は俺のマンションを颯爽と後にした。残された俺はひとり、暫くその場に立ち尽くして言葉の意味を反芻していたがそれでももちろん何一つ答えは見当たらない。当たり前だ、新羅の言っていることは全く意味がわからないことばかりなのだから、答えなどなくて当然だ。

ふたたびデスクに舞い戻ると、どさりとそのまま椅子に座り込んで背凭れに身体を預けた。ぎしりと軋む音が静かな部屋に響き渡り、くるりと椅子ごと回りながら机に正面から向き直る。

無理矢理に近い形で提供された写真をそこに乗せ、頬杖をつきながらもう一度覗き込んではみたが、やはりそこに居るのは笑顔を浮かべた新羅と俺の知らない学園の誰かだ。先程からなにひとつとして変わらない光景がそこには広がっている。


「俺が撮った、わけないだろ」


あの当時とて俺はクラスや学年はおろか、学園内の生徒から教師まで一通りの人間の存在はデータとして把握していた。そうだ、本来ならばこの誰かを知らないこと自体がおかしい。今だって街中ですれ違えば同じ高校に通っていた人物の判別は大抵つく。

それなのに、わからない。全くといっていいほど綺麗に記憶に残っていない。言い変えればきっと俺は最初からこの「誰か」の存在を知らないとしか思えなかった。そう、俺がこの写真を撮ったのならば、その存在を把握していないなんてことは有り得なかった。

金色の髪、どこか冷ややかなまなざし、今にも罵声を浴びせて来そうなくちびる、細身だけれどしなやかそうな身体つきは、そこそこ身長が高そうにも伺える。

引き摺り続けている違和感にまた俺の違和感は重なり続け、そうして肥大して行くというのに朝になればどうしてか綺麗な世界で目を覚ます。

写真を見つめて見つめて見つめて、それでも穴だって開かないしわからないことは結局わからないままだ。とっくに秘書が帰宅した事務所兼自宅の中はほぼ無音に等しく、自らが立てる物音くらいしか響かない。

新羅が残した写真の上で上下する自らの指先だけが、とん、とんと、テンポを忘れてしまった鼓動のような虚しいばかりの音を繰り返していた。そのおよそ十分後、室内に突き抜けるようにインターフォンの音が響き渡るまで、ずっと。






夜が来れば朝になる
またカーテンを開く
またベッドから這い出す
ときどき目薬をさして
つめたい水を飲み
コーヒーを入れ気が向いたら何かを口に入れて




そうしておれは、夜が来るのを待っていた。




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